大菩薩峠 27 鈴慕の巻 / 中里介山
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、これが人様の眼に触れて困ります。甲州の上野原の月見寺の時の怪我なんだろうと思いますが、ふだんはなんとも
のは、この日記の主が、現に、自分の甲州の上野原の月見寺に少しの間ながら逗留していたということ。
ここで久助が、郡内は上野原でございます、上野原の月見寺でございます――といわないで、谷村と
ここで久助が、郡内は上野原でございます、上野原の月見寺でございます――といわないで、谷村と言ったのが幸い
が幸いでした。最初から多少の用心をして、わざと上野原や、月見寺を、表に出さないことに申し合わせていたのですが、
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の温泉、蒲田峠の蒲田の温泉というの、それから上高地の温泉も、これを山の裾越しに北へ行くと、あんまり遠くないところ
、あんまり遠くないところにあります。どうです、ひとつその上高地の温泉へ御案内をしましょうか。なあに、まだ雪もそんなに深くはなし、
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て来てこの隣室へ置いたからとて、二人は江戸の八丁堀へ置いて来たようなことを言い、江戸の八丁堀へ届けて来ても
の八丁堀へ置いて来たようなことを言い、江戸の八丁堀へ届けて来ても、この隣室へ置いてあるようなことを言いたがるの
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「肥後の阿蘇という山は、全く、世界中でも類の無い山だと毛唐人が言い
は、どこへ出しても引けは取らない山ですが、阿蘇とは規模において比較になりませんなあ。二十里というものが、人工
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「無事に、浅間まで送り届けてくれただろうな」
に追いすがって来たあの女はどうしたのだ。もと浅間の芸妓であったという女。
の番人もする――後生大事に、あの女を連れて浅間へ送りかえす手筈であったが、あの女が、浅間へは帰りたくないような
連れて浅間へ送りかえす手筈であったが、あの女が、浅間へは帰りたくないようなことを言うから、それではお望み次第、京
君も一旦、松本へ出るだろうな。松本へ出たら、浅間へ来給え、ともかく、あれで待合わすと致そう」
「浅間でいけなければ、甲州の有野村へ来給え、あそこで君を待っている
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、そのいずれより来って、いずれに行くやを知らず、萩のうら風ものさびしく地上を送られ行く人間が、天上の音楽を聞いて、これに
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天然風呂へ参りましょうか。そうでなければ、小蓮華、大日ヶ岳を通って、大池へ下りましょうか、大池から蓮華温泉へ出て一晩泊り
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うちでも、ちょっと類の無いのは、肥後の国の阿蘇山だってこう言いましたよ」
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大黒の山々、峠でさえも、東北の方、戸隠、妙高、黒姫等の諸山までも、おのおのその個性を備えて、呼べば答えんばかりに
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、連れて来てこの隣室へ置いたからとて、二人は江戸の八丁堀へ置いて来たようなことを言い、江戸の八丁堀へ届けて来
は江戸の八丁堀へ置いて来たようなことを言い、江戸の八丁堀へ届けて来ても、この隣室へ置いてあるようなことを言い
言うから、それではお望み次第、京鎌倉でも、江戸大阪でも、どこへでもおともをしようじゃありませんかと、安手
「拙者は、もとは江戸ですが、諸国を歩いて、昨日松本から、これへやって来ました」
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「富士山と、赤石と、八ヶ岳とが、遠くかすんでおりまするそのこちらに」
「あれ、富士山が――大群山が、丹沢山が、蛭ヶ峰が、塔ヶ岳が
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無くなりますのに――まあ、イヤじゃありませんか、大菩薩峠までが出て来ましたよ」
「大菩薩峠が……」
までの間に、ちょっと凹んだところが見えましょう、あれが大菩薩峠の道でなくて何でしょう」
「あの道をかい、大菩薩峠の路をかい」
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「槍ヶ岳には、天日矛というのがございました、その矛先は常に盛んなる
の天津速駒に乗り、乗鞍ヶ岳から天安鞍を、槍ヶ岳から天日矛を、立山から天広楯を借受けなければならないと、はるばるこの信濃
「槍ヶ岳は、あの通り、槍の穂先のように鋭くそそり立っておりますが、それで
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おそらくはこの都下に大変が起ろうも知れぬ、と馳せて愛宕山に上って僧院に泊ったところが、その夜、洛中洛外に大震があって、
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ようなことを言うから、それではお望み次第、京鎌倉でも、江戸大阪でも、どこへでもおともをしようじゃありません
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から、それではお望み次第、京鎌倉でも、江戸大阪でも、どこへでもおともをしようじゃありませんかと、安手に
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「駒ヶ岳が、お見えになりましょう」
が生えていて空中をかけめぐり、夜になると、あの駒ヶ岳の頂上で寝むのだそうでございます」
なければならないために、それには、どうしても駒ヶ岳の天津速駒に乗り、乗鞍ヶ岳から天安鞍を、槍ヶ岳から天日矛を
、穂高は穂高のように、乗鞍は乗鞍のように、駒ヶ岳は駒ヶ岳のように、焼ヶ岳は焼ヶ岳のように、赤石の連
は穂高のように、乗鞍は乗鞍のように、駒ヶ岳は駒ヶ岳のように、焼ヶ岳は焼ヶ岳のように、赤石の連脈は
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んが、これが人様の眼に触れて困ります。甲州の上野原の月見寺の時の怪我なんだろうと思いますが、ふだんはなん
ぬはずではあったのです――というのは、甲州の月見寺で清澄の茂太郎に尋ねた時に、たしかにハッコツという呼び名は
というのは、この日記の主が、現に、自分の甲州の上野原の月見寺に少しの間ながら逗留していたということ。
「わしどもは、甲州の郡内の方から参りました」
「甲州の郡内……」
「浅間でいけなければ、甲州の有野村へ来給え、あそこで君を待っている人がある、有野村
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「それから越中の立山――ごらんなさい、あの雄大な、あの険峻な一脈が、あれが立山連峰で
、あの険峻な一脈が、あれが立山連峰でございます。立山の上には、天広楯というのがございました、敵にその楯を
、乗鞍ヶ岳から天安鞍を、槍ヶ岳から天日矛を、立山から天広楯を借受けなければならないと、はるばるこの信濃の国まで、たずねて
「あれは越中の立山の剣山でございますよ、まだ、あのお山の頂へは、誰一人も
ますが、それでも、登れば登れるそうでございます、立山の剣山ばかりは、誰も登ったものは無し、登ろうとする者さえ無いと
なるほど、立山の連峰から、加賀の白山へつづくと覚しいところに、新月の影があります
のように、富士は問題の外であるが、越中の立山は立山のように、加賀の白山は加賀の白山のように――展望に
に、富士は問題の外であるが、越中の立山は立山のように、加賀の白山は加賀の白山のように――展望において
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「富士山と、赤石と、八ヶ岳とが、遠くかすんでおりまするそのこちらに」
に、赤石の連脈は赤石の連脈のように、八ヶ岳の一族は八ヶ岳の一族のように、富士は問題の外であるが、越中
連脈は赤石の連脈のように、八ヶ岳の一族は八ヶ岳の一族のように、富士は問題の外であるが、越中の立山は立山
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「あれ、富士山が――大群山が、丹沢山が、蛭ヶ峰が、塔ヶ岳が、相模の大山――あれで山
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てしまえば、それっきりですが、信濃から飛騨、越中、加賀へかけての山ときては、山の奥底がわかりませんからな。尤も
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ごらんなさい、あの雄大な、あの険峻な一脈が、あれが立山連峰でございます。立山の上には、天広楯というのがございました、
ので、あぶなく現実に帰ろうとした竜之助の眼が、立山連峰の一つの、最も鋭く、最も険峻なるものに、ひたと吸い寄せられてしまいまし
か。それとも、あなたのお好きなあの剣山まで、立山連峰の道を一息に走ってみましょうか――」
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、安手に出て、そうして、まあ取敢えず木曾街道を塩尻まで無事に同行したと思い給え。塩尻へ入ると、さあ、すっかり大しくじり
取敢えず木曾街道を塩尻まで無事に同行したと思い給え。塩尻へ入ると、さあ、すっかり大しくじり、あの女の姿を見失ってしまったの
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深草の検校というのは、享保年間、京都に住んで三絃をよくした盲人であったが、老後におよんで人
「しかし、その仏生寺弥助殿ならば、先年、京都で殺されているはずです」
して選抜されて、長州へやられた時分に、京都でよからぬ行いがあったということで、同志の者から、殺され
「京都で悪事をやった勇士組のうちの三人は、この仏生寺弥助
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、誰も秘して伝えてくれないものですから、遥々と長崎までたずねて行って、ようやくあの『草』の手を覚えて来て、
のが、あれは尺八中興の祖黒沢琴古が、わざわざ長崎の松寿軒まで行って、ようやく伝えられて来た本手の秘曲である、
といっては穏かでないが、西洋の人ですな、長崎で西洋の山好きに逢いましてな、その男に聞きますとな、