大菩薩峠 17 黒業白業の巻 / 中里介山
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「拙者は番町の片柳と申すものでござりまする、ちとあなた様に、お尋ね申したい儀が
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向う両国で、左へ曲ると駒止橋、真直ぐに行けば回向院、それを左へ曲ると一の橋、一の橋を渡らないで竪川通り
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、伊勢から出て東海道を下る時、七里の渡しから浜松までの道中を、自分のために道案内してくれた不思議な犬があった
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「ようガス、芝浦であろうと、上総房州であろうと、どこへでも行きましょう、拙者も男
に、この会が果ててから、遠藤老人に誘われて芝浦へ出漁せねばならぬことになりました。
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は、もう甲州や信州ではなく、それかといって碓氷峠からまた江戸の方へ廻り直したものでもなく、京都の町の真中へ
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「あっ、ありゃ長者町の先生だ」
廓内を出たこのあんぽつは、下谷の長者町の方角を指して行くものらしいから、してみればこの駕籠の中は当然
そこでお角と共に長者町へ急ぐことにきめました。お角は兵馬が何故に自分と同じ人を
と行動を共に、土手から二挺の駕籠を雇って長者町へ飛ばせました。
長者町へ着いて見ると、道庵先生は帰っているにはいるが寝込んでしまっ
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ここの間で手管をするとうまい仕事ができそうだ。本所の相生町まではかなり大儀な道だけれども、慾と二人づれでは、さして
どのみち、本所の鐘撞堂へ帰るべき身であるけれども、遠廻りをして帰らねばなら
「本所へおいでなさるのでございますか、本所はどちらへ」
「本所へおいでなさるのでございますか、本所はどちらへ」
これが勘のせいで……わたくしも新大橋を渡って本所へ参るんでございます、これからまだ一軒お寄り申すところがありますから
軒お寄り申すところがありますから、それへ寄って、本所の二ツ目まで帰るんでございます。按摩ではございますが二ツ目
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へ走ったりします。こうして米友は、淡島様から浅草寺の奥山へ逃げ込み、奥山から裏の田圃へ抜けました。田圃へ来て見る
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に通ることができて、信州の諏訪郡へ入りました。諏訪へ着いたら止まるかと思うと、そこでも止まりません。いったい、どこへ
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間で手管をするとうまい仕事ができそうだ。本所の相生町まではかなり大儀な道だけれども、慾と二人づれでは、さして苦に
というのはつまりここだ、これを張り込んで景気よく、相生町まで駕籠を飛ばせることだ」
、一の橋を渡らないで竪川通りを真直ぐに行くと相生町」
が早く歩かないから、人が来ているじゃないか、相生町から、お前とわたしを追いかけて誰か来たんでしょう、誰でしょう、御老女
それで米友は、左手の相生町の角を真直ぐに行きました。気のせいか、今夜の辻番はいつもと
ます。それでもまあ無事に辻番の眼を潜って、相生町の三丁目から二丁目へかかったけれど、いずれへ向いても人らしいものの影
の手から極めて無愛想に、提灯を受取った米友は、さっさと相生町の河岸を駈け抜けて、本所元町まで来てしまいました。それまで来ても
相生町の老女の家へ、人と犬とを送り届けて、昨夜出た人の行方
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お銀様は、竜之助を連れて江戸へ逃げることのために苦心していました。勝沼へ行くと言ったの
の家を訪わんがためではなくて、いかにして江戸へ逃げようかという準備のためであったかも知れません。
「あ! あの女が世話をして、また江戸へ落してやったのだろう」
、神尾主膳は病気保養お暇というようなことで、江戸へ帰るという噂がありました。その前後に神尾に召使われたものは
「病気でお暇を願って、江戸へ帰ったということだ」
「してみると神尾は江戸へも帰らず、穢多にも捉まらずに、無事にどこかに隠れている
や信州ではなく、それかといって碓氷峠からまた江戸の方へ廻り直したものでもなく、京都の町の真中へ現われたこと
に、公方様は上方へおいでになっているし、江戸はお留守で上方が本場のような時勢になっているから、一番、こっち
この二人が京都へ入り込んだのと前後して、甲州から江戸へ下るらしい宇津木兵馬の旅装を見ることになりました。
、兵馬を説きつけたものか、この人の伴となって江戸へ脱け出そうとするものらしくあります。
、かなりこれでも遊んだものでございますよ、だから江戸を食いつめて甲州まで渡り歩いているんでございます、江戸へ帰ったら、また病
から江戸を食いつめて甲州まで渡り歩いているんでございます、江戸へ帰ったら、また病が出るだろうと思ってそれが心配でございますよ、
真似は致しません。何しろ、まあ、これを御縁に江戸へ帰ったら落着きましょうよ、末長くあなた様の御家来になって忠義を尽し
が勝ちでございましょう。あなた様の前だが、私しゃあ江戸へ着いたら早速に、吉原へ行ってみてえとこう思います」
「一度は見物にいらっしゃいまし、私は江戸へ着きまして、この荷物を宿へ置いたらその足で、吉原へ行って
ましょう。ただ残念なことには小遣がありませんな。江戸へ着きましたら、少しばかり小遣にありつくような仕事を、お世話をなすってお
ありました。それは宇津木兵馬につれられて、甲州から江戸へ出たはずの金助で、
が、後ろの方と前横を気をつけてくんな、江戸には、巾着切りというやつがいる、人が井戸ん中へ入ってる時
米友はしきりに感心して、近藤勇がはるばる京都から、江戸にいる養父周斎の許へ宛てたという手紙のうつしを、読んでもらって
時分には、殿様にずいぶん御恩を受けましたけれど、江戸へ参りましては、昨晩はからずも吉原で殿様にお目にかかったばかり
と五十嵐甲子雄の二人は、上方の風雲を聞いて急に江戸を立つことになりました。宇津木兵馬はそれを送って神奈川まで行きました
にも目を驚かすものが多くありました。今まで京都や江戸で見聞した気分とは、まるっきり違った気分に打たれないわけにはゆき
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「昔、淡路国岩屋の浦の八幡宮の別当に一匹の猛犬があった、別当が泉州の堺に行く時は
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あり、一人相撲であり、籠抜けであり、デロレン左衛門であり、丹波の国から生捕りました荒熊であり、唐人飴のホニホロであり、墓場の
横になって寝ていた丹波の国から生捕りました荒熊が答えると、
「ヘエ、丹波の国から生捕りました荒熊でございッ、ひとつ、鳴いてお目に
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人は休みました。眼の前には神奈川の沖、横浜の港が展開されています。秋の空は高く晴れ渡っています
小高い丘へ登りました。そこで松の木蔭に坐って横浜の港と東海筋とを、しんみりと眺めました。大きな渦へ捲き込まれそう
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の別当に一匹の猛犬があった、別当が泉州の堺に行く時は、いつもその犬をつれて行ったものじゃ、その犬が行く
いうことじゃ。さてその猛犬は、単独で海を渡って堺へ行くことがある、犬の身でどうして単独で海を渡るかと
海岸へ出て木を流してみるのじゃ、その木が堺の方へ流れて行くのを見て、犬はよい潮時じゃと心得て、
潮の勢いがグングンと淡路の瀬戸を越えて、泉州の堺まで犬を載せて一息に板を持って行ってしまう、そこで板から下り
しまう、そこで板から下りて身ぶるいをして、泉州の堺へ上陸するという段取りじゃ。その潮の流れ条というのは、それほど
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それから水道尻の秋葉山の常燈明の下の腰掛に、二人の浪士体の男は腰をかけて
秋葉山の大燈籠の下で、近藤勇の手紙の摺物を読んでいた二人の
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れたという神尾主膳。その内々の取沙汰には、甲州や相州の山奥には山窩というものの一種があって、その仲間に引渡さ
。三日目に二人の姿を見出したところは、もう甲州や信州ではなく、それかといって碓氷峠からまた江戸の方へ廻り
へ面を出したのではありますまい。思うに、甲州から関東へかけては二人の世界がようやく狭くなってくるし、ちょうど幸いに
この二人が京都へ入り込んだのと前後して、甲州から江戸へ下るらしい宇津木兵馬の旅装を見ることになりました。
も遊んだものでございますよ、だから江戸を食いつめて甲州まで渡り歩いているんでございます、江戸へ帰ったら、また病が出るだろうと
男がありました。それは宇津木兵馬につれられて、甲州から江戸へ出たはずの金助で、
甲州で別れて以来のムクは、お松の傍へ来て、身体をこすりつけて
「いったい、駒井が甲州を罷めたのは、神尾主膳との間が面白くないためか、それとも
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恵林寺の慢心和尚は、法衣の袖を高く絡げて自身真先に出馬して、大小
銀様が見れば、見違えるはずはないことであります。恵林寺から程遠からぬこの辺に、ムク犬が現われることは不思議はないが、三日
たから、もしやとそのあとをついて来てみると恵林寺様へ入りました。恵林寺様へ入りますとあすこでは、ソレ黒が
か変事があるだろうと予期しながら、その晩は塩山の恵林寺へ帰って泊り、翌日、早朝に立って、また甲府へ帰って見ると昨夜
恵林寺へも暇乞いをして、勝沼の富永屋へ着いた兵馬は、別に一人
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有様でありました。しかしながらこの騒動はやがて静まって、酒井の巡邏隊が万字楼の前を固めた時分には、もう米友の空に
酒井の市中取締りの巡邏隊に追い崩された茶袋の歩兵は、彼処の路次に
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「昔、淡路国岩屋の浦の八幡宮の別当に一匹の猛犬があった、別当が泉州
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を出したのではありますまい。思うに、甲州から関東へかけては二人の世界がようやく狭くなってくるし、ちょうど幸いに、公方
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やがてこのバッテーラが神奈川へ近くなると、闇の間にきらめく星のようなものがいくつも見え出し
を立つことになりました。宇津木兵馬はそれを送って神奈川まで行きました。
神奈川の宿の背後の小高い丘の上で三人は休みました。眼の前
の上で三人は休みました。眼の前には神奈川の沖、横浜の港が展開されています。秋の空は高く晴れ
大丈夫だな。日本でも早くあのくらいの船で、この神奈川の海を埋めてみたいものじゃ。船と大砲のことを考えると、拙者
神奈川の宿の外れまで二人を送って別れた宇津木兵馬は、その帰りに神奈川の
外れまで二人を送って別れた宇津木兵馬は、その帰りに神奈川の町の中へ入ってみると、そこにも目を驚かすものが多くあり
た気分に打たれないわけにはゆきませんでした。神奈川の七軒町へ来ると、大きな一構えの建築を見出して屋根の上をながめると
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んでした。鎌よりは少し幅の広い月が、たしか愛宕の山の上あたりに隠れていなければならない晩でありました。だ
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酌のお相手をしているのが、勝沼の宿屋にいた、もとの両国の女軽業の親方のお角であることであります。
ていると、間緩くて腹が立ってたまりません。この間も両国へ行って見ましたら、やっぱり昔のままの軽業や力持でお茶を濁しているも
れは、やはり太夫元をやってみとうございます、今でも両国のあの株を買い戻して、看板を換えて花々しくやってみる分には、そんなに
「あれはお前、向う両国で、左へ曲ると駒止橋、真直ぐに行けば回向院、それを左へ曲ると一の橋、
らの組と落合うようにして下さい。わたしはどうしても両国を渡ったものとしか思われない、でも途中で辻番に留められているかも知れ
「弥勒寺橋……それならば、両国へおいでなすった方がお得でございましょう、これから少々戻りにはなりま
「その両国へ出ないで、新大橋を渡って行きたいと思うのだが」
「今、両国に身投げがあったそうでございますね、でも助かったそうでございますよ」
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けれども、甲府における兵馬は、破牢の人であります。罪のあるとないと
恵林寺へ帰って泊り、翌日、早朝に立って、また甲府へ帰って見ると昨夜――というよりは今暁に近い時、神尾主膳
をする者があるとは思われないことであります。甲府にいないとすればどこへ行ったろう、誰が介抱してどこへ連れ
してみれば机竜之助は、すでにこの甲府の土地にはいないらしい。眼の不自由な彼が、それほど敏捷に
、ともかくも明確に甲府を立退いたけれど、神尾の家が甲府から消えたのは行燈の立消えしたようなものであります。
駒井能登守が甲府を落ちた時は、ともかくも明確に甲府を立退いたけれど、神尾の家が甲府から消えたのは行燈の立消えし
の古屋敷も売り物に出てしまいました。駒井能登守が甲府を落ちた時は、ともかくも明確に甲府を立退いたけれど、神尾の家
散々になって、いつか知らぬうちに神尾家は全く甲府から没落してしまい、躑躅ヶ崎の古屋敷も売り物に出てしまいました。駒井
、神尾主膳の焼け跡ではまだ煙が燻っている時分、甲府の町へ入り込んだ二人の旅人が、神尾の焼け跡を暫く立って見て
この二人は何のために、また甲府までやって来たのだろう。ここには駒井能登守もいないし、
思えば、そうでもなく、二人はその足で直ぐに甲府を西へ突き抜けてしまいました。
なるし、あの古屋敷も売り物に出るというわけで、甲府住居も覚束なくなっていたところへ、兵馬に説かれたものか、兵馬
でもなんでもない、正真の神尾主膳であります。甲府を消えてなくなった神尾主膳が、ここへ来て浴衣がけで酒を飲ん
お前、その気があるなら一番やってみたらどうじゃ、甲府から三里離れた有野村の藤原といえば直ぐわかる、そこへ行って
御前がお出ましになるのはどうしたものだろう、御前は甲府お勝手へお廻りになったと聞いたが……」
見覚えのあるも道理、神尾の殿様があれだ、あれが甲府で鳴らした神尾の殿様だ。もし……」
「親しくお目にかかるは初めてながら、拙者はあなた様が甲府に御在勤の折、よそながらお目にかかりました」
「ナニ、拙者が甲府にいた時分? 其許は甲府から何しにこの拙者を尋ねて来た」
「ナニ、拙者が甲府にいた時分? 其許は甲府から何しにこの拙者を尋ねて
この二人の浪士は、さきに宇津木兵馬と共に甲府の牢を破って出た南条と五十嵐とであります。
「甲府から帰って以来、さっぱり消息を知らせぬ、あの駒井能登守……」
ソロソロと屏風の麓を抜き足して歩き出したのは、甲府にいた時と同じような姿であります。ただあの時よりは一層
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峠からまた江戸の方へ廻り直したものでもなく、京都の町の真中へ現われたことは、やや飛び離れております。
ありました。十四代の将軍は、長州再征のために京都へ上っていました。その中へがんりきと七兵衛が面を出し
して到着しました。この二人が何の目的あって京都まで伸したものかは一向わかりません。上方の風雲は以前に見えた
、そんなことは目にも留まらないうちに、早や二人は京都の真中の六角堂あたりへ身ぶるいして到着しました。この二人が何の
はずであります。二人もまた、決して尊王愛国のために京都へ面を出したのではありますまい。思うに、甲州から関東へ
この二人が京都へ入り込んだのと前後して、甲州から江戸へ下るらしい宇津木兵馬の旅装
「エエ、これはこのたび、世にも珍らしき京都は三条小橋縄手池田屋の騒動」
「エエ、これはこのたび、世にも珍らしい京都は三条小橋縄手の池田屋騒動……」
「稲荷町の呉服屋さんじゃありませんよ、京都三条と言ってるじゃありませんか」
「京都の池田屋さんというのでしょう、京都の騒動をどうしてここまで売りに来るんでしょうね」
「京都の池田屋さんというのでしょう、京都の騒動をどうしてここまで売り
新撰組の隊長で、鬼と呼ばれた近藤勇が、京都は三条小橋縄手の池田屋へ斬り込んで、長曾根入道興里虎徹の一刀
「おやおや、お駒さんじゃありませんよ、京都へ鬼が出て三十人も人を食ったんですとさ」
新選組の隊長で、鬼と呼ばれた近藤勇が、京都は三条小橋縄手の池田屋へ斬り込んで、長曾根入道興里虎徹の一刀
「エエ、これはこのたび、京都は三条小橋縄手池田屋の騒動、新選組の隊長で、鬼と呼ばれ
ではありませんでした。それを今ここで、「京都は三条小橋縄手の池田屋へきりこんで長曾根入道興里虎徹の一刀を
「京都お手薄と心配致し居り候折柄、長州藩士等追々入京致し、都に
米友はしきりに感心して、近藤勇がはるばる京都から、江戸にいる養父周斎の許へ宛てたという手紙のうつしを、
、そこにも目を驚かすものが多くありました。今まで京都や江戸で見聞した気分とは、まるっきり違った気分に打たれないわけ
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「おいおい、芸州広島の大守、四十二万六千石、浅野様のお下屋敷へ、俺らのお伴をし
「芸州広島の大守、四十二万六千石、有難え、そいつは俺らが行こう」
「何しろ、芸州広島の大守、四十二万六千石、浅野様のお下屋敷から、俺らの芸をお
芸州広島の大守も、四十二万六千石も、肝腎の当人がいないでは、お流れ
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ございましたね、抱茗荷ならば鍋島様でございます、佐賀の鍋島様、三十五万七千石の鍋島様のお通りだ」
ナニ、そうではござんせん、たしかに抱茗荷、肥前の佐賀で、三十五万七千石、鍋島様の御人数に違いはございません」
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ございました、揚羽の蝶だから私は、これは備前岡山で三十一万五千二百石、池田信濃守様の御同勢だと、こう思うんでござい
「いいえ、揚羽でございましたよ、備前の岡山で、三十一万五千二百石……」
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廓内を出たこのあんぽつは、下谷の長者町の方角を指して行くものらしいから、してみればこの駕籠の
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、(註、道庵先生はこんなことを言うけれど、事実長崎の生れであるや否やは怪しいものである。)高島のことはよく
「四郎太夫はエライよ。実は拙者も長崎の生れでね、(註、道庵先生はこんなことを言うけれど、事実
であるかと言ったところでお前、あれも今いう通り長崎の生れなんだろう、それにお前、医者の方であの男は打捨
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篤太夫、高松凌雲、箕作貞一郎、山内元三郎らをはじめ、水戸、会津、唐津等から、それぞれの人材が出かけることになりました。
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随行としては杉浦愛蔵、保科俊太郎、渋沢篤太夫、高松凌雲、箕作貞一郎、山内元三郎らをはじめ、水戸、会津、唐津等から、
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時分、四郎太夫に奢らせて、友人両三輩と共に深川に遊んだと思召せ、その席へ幇間が一人やって来て言うこと
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御用聞の小僧は丸くなって駈け出して、駒込七軒町の主人の店まで一散に逃げて来ました。
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論より証拠、今宵カンテラを点して、浅草の広小路で梯子芸をやっているその人が、宇治山田の米友であり
へ走ったりします。こうして米友は、淡島様から浅草寺の奥山へ逃げ込み、奥山から裏の田圃へ抜けました。田圃へ来
で腹はこしらえて来ているし、懐ろには、さきほど浅草広小路で集めた銭が充分に入れてあるから、さのみ貧しいというわけ
それは近頃、浅草の広小路へ出る梯子乗りの友吉というものであったらしいとのこと。よっ
は外へ出られねえんだ。なんでもこの間、浅草の広小路で撲ってやった侍の組だの、吉原で喧嘩をした
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「稲荷町に池田屋という呉服屋さんがあってよ」
「稲荷町の呉服屋さんじゃありませんよ、京都三条と言ってるじゃありません
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のが上野の森であろうとの見当から、ともかく、あの上野の森をめざして行こうとするつもりであるらしく思われます。
の道筋をよく知らないけれども、向うに黒く見えるのが上野の森であろうとの見当から、ともかく、あの上野の森をめざして行こう
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それからお松は、お君のために心配のあまり、神田の和泉町の能勢様というのへ参詣をすることになりました。
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高島四郎太夫の話を始めながら、懐中から取り出したのは千住の紙煙草入の安物であります。
金唐革というわけだ。その後はこの通り八十文の千住の紙の安煙草入、おれの持っているこれと同じやつ、これより
能登守のことをあまりよく知りませんから、八十文の千住の安煙草入から煙草を出してふかしていました。
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この真夜中過ぎた晩に、両国橋の上を、たった一人で渡って行く女の人があります。女一人
さすがに賑わしい両国橋の上も下も、天地の眠る時分には眠らなければなりません。
なければならない晩でありました。だから九十六間の両国橋の上に物の影があるとき、それが全く認められない程の晩
辻番でいちいちお聞き申してみて下さい、そうしてやはり両国橋へ出て、こちらの組と落合うようにして下さい。わたしはどうし
米友はその二声目を聞こうとして、両国橋の橋の手前へ現われました。目の前にやはり番所があります。
ちょうどその時であります、行手の両国橋の上で、
を顧慮している遑がありません。隼のように両国橋の上を飛びました。その時分に、橋の真中のあたりの欄干から
たようなやつが癪に触らあ、何だって今頃、両国橋をうろついてるんだ、駒井能登守という野郎にだまされて、それから
それから両国橋の上へ数多の提灯が集まったのは、久しい後のことではあり
塀の下に立っていました。ここから見れば、両国橋の側面は、その全体を見ることもできるし、橋の上の人の
いる竜之助は、血に渇いていました。たった今は両国橋の上で、斬って捨つべかりし人を斬り損ないました。そこに
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つづいて大岡、酒井、松平因幡守等の屋敷、それから新大橋であります。
来たのは、これから河岸を新大橋へ廻って、新大橋を渡って、弥勒寺橋の長屋へ帰るつもりと思わねばなりません。
しかし、ともかくここまで来たのは、これから河岸を新大橋へ廻って、新大橋を渡って、弥勒寺橋の長屋へ帰るつもりと思わ
「その両国へ出ないで、新大橋を渡って行きたいと思うのだが」
「新大橋……左様ならば、これを真直ぐにおいでなさいまし、わたくしもそちらの
ございませんが、これが勘のせいで……わたくしも新大橋を渡って本所へ参るんでございます、これからまだ一軒お寄り申す