大菩薩峠 14 お銀様の巻 / 中里介山
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「代官町から荒川の筋、たしかに身延街道でございましょう。野郎共を三人ばかり、後を
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のうちの無宿者の一隊は、どうやら山を越えて秩父の方へ逃げたものと、信濃路へ向ったものとがあるらしいという
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また右にしては鶏冠山、牛王院山、雁坂峠、甲武信ヶ岳であります。
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眼には入りません。南は富士の山、北は金峰山、名にし負う甲斐の国の四方を囲む山また山の姿を一つも
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た。お松とその伯母さんという人を米友は、江戸から笹子峠の下まで送って来た縁があります。
て、北陸の浪士であるとのこと。能登守とは江戸にある時分、砲術を研究していた頃の同窓の友達であったと
支給を与えて悔ゆることがないのでありました。江戸の水、常磐香の鬢附、玉屋の紅、それを甲府に求めて得
の紅、それを甲府に求めて得られない時は、江戸までも使を立てて呼び求めます。
括りつけたので、ちょうど伊勢から東海道を下った時、江戸から甲州へ入った時と同じことの扮装でありました。
「これから江戸へ帰ろうと思うんだ」
「これから江戸へ、お前が一人で?」
「その代り、こんど江戸へ出たら辛抱するよ」
の餞別までくれました。そうして、遠からずわたしも江戸へ帰るからあっちでまた会おうと言って、米友のために、二三の知人の
江戸で芝居という芝居を見つくしたと自慢するのもありました。寄席と
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一つ起りました。その催しというのは、府中の八幡宮の社前で、盛大なる流鏑馬を行おうということであります。
馬場の一面には、八幡宮の鳩と武田菱との幔幕が張りめぐらされてあり、その外は竹矢来であり
のならぬ立場に至ってしまいました。右の方は八幡宮の屋根までは距離が遠いし、前は馬場、後ろは控えの小屋、どちら
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「そんならば、あの、こちらの大菩薩峠を越ゆれば、そこが武蔵の国でございます」
「なるほど、大菩薩峠を一つ越せば武州へ入るのじゃわい、道のりにしてはいくらも
袖切坂を登ってしまうと行手に大菩薩峠の山が見えます、いわゆる大菩薩嶺であります。標高千四百五十米突の大菩薩嶺
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催しが一つ起りました。その催しというのは、府中の八幡宮の社前で、盛大なる流鏑馬を行おうということであります。
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「そなたの家は甲州で並ぶもののない大家、それでもあのくらいの松はあるまい、あのくらい
であるということです。二人は相携えて上方からこの甲州へ入り込んで来たということです。
能登守が笑って言うには、「あの連中は、ありゃ甲州の天嶮を探りに来たのじゃ、甲州の天嶮を利用して大事を成そう
連中は、ありゃ甲州の天嶮を探りに来たのじゃ、甲州の天嶮を利用して大事を成そうという計画で来たものじゃ。いくら今
いくら今の世の中が乱れたからとて、あの二人の力で甲州を取ろうというのはちと無理じゃ、けれどもその志だけは相変らず威勢
彼等は甲州の天嶮と地理を探って、何か大事を為すつもりであったものらしい。
たので、ちょうど伊勢から東海道を下った時、江戸から甲州へ入った時と同じことの扮装でありました。
を慕って送って来るムク犬を無理に追い返した米友は、甲州の本街道はまた関所や渡し場があって面倒だから、いっそ裏街道を突っ走ってしまおうと
甲州の人間は、人気の荒いことを以て有名であります。今日の催しとても
寺へ御参詣のことと思われました。長禅寺は甲州では恵林寺に次ぐの関山派の大寺であります。ここに能登守が
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参詣のことと思われました。長禅寺は甲州では恵林寺に次ぐの関山派の大寺であります。ここに能登守が訪ねて来ること
長禅寺を脱けて道もなき裏山伝いを、ひとまず甲斐の恵林寺へと行くのであります。
守に教えられた通り、これより程遠からぬ松里村の恵林寺へ落ちて、暫らくそこに隠匿ってもらうのである。その間に、心し
はそれを側目に見ただけで、その夜のうちに恵林寺まで急がねばなりません。
恵林寺へ行く宇津木兵馬と前後して、八幡村の小泉家へ入った駕籠の後ろ
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であったから意外に感じないわけにはゆきません。伊勢の古市の町と、駿河の国の三保の松原とで篤と見参したこの
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年が明けて、松が取れると、甲府城の内外が遽かに色めき立ちました。
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登ってしまうと行手に大菩薩峠の山が見えます、いわゆる大菩薩嶺であります。標高千四百五十米突の大菩薩嶺を左にしては、小金沢、
見えます、いわゆる大菩薩嶺であります。標高千四百五十米突の大菩薩嶺を左にしては、小金沢、天目山、笹子峠がつづきます。それをまた右
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。それをまた右にしては鶏冠山、牛王院山、雁坂峠、甲武信ヶ岳であります。
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「それからお前、いつぞやお前はお君のところを尋ねに両国まで来たことがあったね」
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「いいかえ、わたしはこれから甲府へ行って、お前を引取るような家を探して直ぐにまた迎えに来る
たいけれど、今はそんなことをしてはいられない。甲府へ行ったら、わたしは人を頼んでお前を迎えによこすから、わたしも
お銀様は無事に屋敷を脱け出し、有野村を離れて甲府をさして闇の中をヒタ歩きに歩きました。その途中、無事で
ようやく甲府の町へ入ろうとする時分に辻番がありました。荒川を渡って元
へはそれがまだ入っていませんでした。さて、甲府の町へ入るには入ったけれど、どこへ行こうという当はありませ
たこともお銀様は、もう忘れてしまいました。甲府のこのごろの物騒なことも有野村あたりまで聞えていないのではなかっ
ことに心をきめたお銀様が、案内を知った甲府の町の道筋をお城の方へと歩いて行くと、子供の泣き声
の前の森は穴切明神の森であることも、甲府の地理に暗くないお銀様には直ぐに合点がいったのです。
甲斐の国、甲府の土地は、大古は一面の湖水であったということです。冷たい水
古来の伝説であります。最初に言い出した地蔵様は甲府の東光寺にある稲積地蔵で、次に山を蹴破ったのが蹴裂明神で
この二仏二神のおかげで、甲府の土地が出来たのだというのが古来の伝説であります。最初
してみれば、兵馬さんはこの甲府の市中のいずれかに隠れている。どこに隠れているだろう。果して
「兵馬さんはいるよ。うむ、うむ、この甲府の中に、それはな、思いがけないところへ逃げ込んでいるから、まあ今
「まあ、兵馬さんがこの甲府の町の中にいらっしゃる? それはどこでございます、おじさん」
に言った躑躅ヶ崎の出鼻から左は高山につづき、右は甲府へ開けて、常ならば富士の山が呼べば答えるほどに見えるところで
その当座、机竜之助は辻斬に出ることをやめました。甲府の人は一時の物騒な夜中の警戒から解放されることになりました
けれども、甲府のあたりの町の人にはこれが幸いでありました。その当座、
満足しました。竜之助は、このお銀様によって甲府の土地を立退くの約束を与えられました。
年が明けて、松が取れると、甲府城の内外が遽かに色めき立ちました。
れたはずの明山侯が、何の必要あって突然この甲府へ来られるのだかということは、勤番支配も組頭もみな計り兼ね
どういう訳か知らないが、この頃、甲府の城へ御老中が巡視においでになるという噂でありました
を収拾するためにこの甲州街道を通って上洛する途中、この甲府へ泊るのだろうと見ている者もありました。その他、いろいろに
人であることを了解していました。能登守を甲府へ廻したのは、或いはこの明山侯の意志ではなかったかとさえ
を擡げはしないかと思いました。かねて能登守を甲府へ廻しておいて、今日その機会が到来したために、明山侯が
の水、常磐香の鬢附、玉屋の紅、それを甲府に求めて得られない時は、江戸までも使を立てて呼び求めます。
ともに今まで面を会せる機会がありませんでした。甲府にいるということをすらおたがいに知ってはおりません。
当座の仕合せ、この上は一日も早く全快して、ひとまず甲府の土地を立退かねばなりませぬ」
があって面倒だから、いっそ裏街道を突っ走ってしまおうと、甲府を飛び出して石和まで来ました。
「甲府から来たんだ、今夜はどこへ泊ろうか、まだわからねえんだ」
「お前、甲府へ何しに来たの」
「俺らは去年、人を送って甲府へ来たんだ」
かということが、米友には大いなる疑問であります。甲府へ興行に来た間違いからお君がひとり置き捨てられたのは、聞いて
米友はなるほどと思いました。郡内にも甲府にも絹商人ではかなり大きいのがあるから、何かの縁でそれ
も、どうやら立消えになったようであります。それで甲府の内外の人気もどうやら気抜けがしたようであったところに、はしなく
甲府の市中にもこのごろは辻斬の噂が暫く絶え、御老中が見えると
一国の選ばれたる人と馬――あとの一日は甲府勤番の士分の者。それに附随して神楽もあれば煙花もある、
太鼓の会がありました。それで甲州一円の人が甲府の市中へ流れ込みました。最初の二日は、名は流鏑馬である
かの山の中から出て、裏山伝いをドシドシ歩いて甲府の方へ出て行くのは、やはり流鏑馬をめあてに行くものと見なけれ
足は、驚くべき迅さを持っていましたけれど、甲府へ近づいてからの二人の足どりは世間並みでありました。
わけではなかろうけれど、ドチラにしてもこの面で、甲府へ真昼間乗り込もうとするのは、あまり図々しさが烈しいと言わなければならぬ
二人は流鏑馬を当て込んで、また性も懲もなく、この甲府へ入り込もうとするらしい。どのみちこの二人が当て込んで来るからには、ロクな目的
、二人をじっとさせておかないのみならず、まだこの甲府に何か仕事の仕残しがあればこそ、この機会を利用してその片
木蔭に腰をかけた兵馬は、そこで息を吐いて甲府の町の中を見下ろしました。
甲府へ来てから兵馬はいろいろの目に遭いました。僅かの行違いから、
に潜んでいるだろうという心残りが一層、兵馬をして甲府をこのまま見捨て難いものにするのでした。
甲府で世話になったいろいろの人に名残もあるけれども、長い間めざす敵
ってもらうのである。その間に、心してたえず甲府の動静をうかがうことができると思えば、その名残はさほど切ないものでは
けれども、これは永久に甲府を去るの門出ではない、自分は能登守に教えられた通り、これ
た要害山の後ろから、帯名と棚山との間を越える甲府からの裏道に沿うて、しかし、それもなるべく路を通らないつもりで、
しては、あんまり粛やかに過ぎる。さては病人を甲府の町へ連れて行ってその帰りであろうと兵馬は、そうも思って
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それよりも先に、両国橋で女軽業の一座を率いていた親方が、どうしてこんなところの