大菩薩峠 26 めいろの巻 / 中里介山

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地名一覧

箱根山

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山まで取入れ総構えとなし、東は海を限り、西は箱根山の尾先へ続き、その広大なることは日本無双、城中には矢種玉薬は山

青山

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たよ。これも昼火事でございましたね。火元は青山の権太原で、麻布三軒家から、広尾、白金、高輪まで、百二十六カ町と

箱根

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聞きとがめました。なるほど、ここは東海道筋の目貫と言い、箱根、熱海の温泉場の追分のようなものだから、湯治場かせぎの講釈師が

ほぼ究めつくしたから、今度は小田原を中心として、箱根、伊豆の要害を秘密調査にかかるものらしい。

酒匂川

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入道これを築き、そののち氏綱再粧して、北は酒匂川を総堀となし、南は三枚橋、湯本、箱根、石垣山まで取入れ総構えとなし

大坂城

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、恐れ多い願いではござりますが、向う三年の間、大坂城を拝借の儀お許し下さるまじきや、大坂城を三年間お貸し下されて、

の間、大坂城を拝借の儀お許し下さるまじきや、大坂城を三年間お貸し下されて、尾張藩眼前の難儀をお救い下さるならば、

てしまったから問題はありません。これがために、大坂城の御借用はもとより、木曾山お借上げのこともおじゃんになってしまいました」

神田佐久間町

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大きうございました。昼でございましたね、火元は神田佐久間町のお琴のお師匠さんの家と聞きました。あれが神田川を乗越し

八丁堀

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両芝居も、やっぱり残りませんでした。日本橋からさきは八丁堀、霊岸島、新川、新堀、永代際まで、築地の御門跡から海手、木挽町

駿河台

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の東京の騒々しい物音を数十尺だけ超越して、たとえば、駿河台、本郷元町台、牛天神、牛込赤城神社、谷中、白金、高輪台あたりか、

房総

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一けた間違えられた房総の半島がワキに廻って、当面の風景は、大山阿夫利山であり、話題

伊豆

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とする奥信濃の路とは違い、ここは明るい南国の伊豆、熱海街道の駕籠の中に納まって、女軽業の親方のお角が、

つくしたから、今度は小田原を中心として、箱根、伊豆の要害を秘密調査にかかるものらしい。

日本アルプス

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全く珍しいことです。日本アルプスの麓の、ほとんど人音絶えた雪の中で、よし温泉場とはいいながら、

閑々たる足どりで、両腕を胸に組んで歩き出します。日本アルプスの大屏風を背景にして、松本平を前に望むところ――孤影飄々

な期待もあって、兵馬は相変らずの調子で、日本アルプスを後ろに、松本平を前に、月明の夜、天風に乗じて人寰に

長江

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同じ天下でも支那のことは知らねえ、崑崙山や、長江の奥なんぞは知らねえ、アメリカのことも知らねえ、日本だけの天下では

蝦夷

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はまず……といったところで、薩摩の果てや、蝦夷松前のことは知らねえ、甚だお恥かしいわけのものだが、まず愚老の知っ

浅間

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兵馬の道づれの女は、浅間の温泉で、芸者をしていた女であります。

「浅間の、もとの主人まで送り届けるだけのことはします」

「ねえ、あなた、浅間へ帰ると言いましたのは嘘なんですよ、わたしは、あんなところへ

をもって、この女のために証明の役目も果し、浅間の元の主人のところへ落着けてやるまでは、旅の道草としても

のないことではないと思って、頼まれるままに、浅間へ送り届けることだけは、引受けたに違いない。

「それまでは考えていられない、浅間へ送り届けるだけで、拙者は御免蒙る、拙者には、拙者としての仕事

「どの面さげて、わたしが浅間へ帰れましょう、あれは嘘です、嘘よりほかには、申上げられようがありませ

「しらを切っちゃいかん、浅間の温泉場を沸き返るような有様にして、置去りにしたわれわれに一切の尻拭い

、お近づきが願えるほどのものではございませぬ……浅間におりました時に、御厄介になりましたのが御縁でございます

ではないが、君たちが行方を晦ましたために、浅間では大騒ぎだ。宇津木はいいようなものの、君の方は、主人と

だ。丸山、もうこれから中房まで行くがものはない、浅間へ引返そうではないか」

君の方に異存がなければ、これからわれわれと一緒に浅間へ帰ろう」

正直のところ、ああは言ったものの、君も一旦は浅間へ帰るとしても、末長くあの地にもいづらかろう、どうだ、われわれと

ああ、これは申しわけがない。軽井沢や、浅間の時は、十のものなら七までは先生の出し抜きが悪いかも

ったら……酔っぱらって、とうとうころげ込みやがった、軽井沢や、浅間の、ちょろちょろ水へ転げ込んだのと違って、天下の木曾川へ転げ込んだん

みちのく

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「東山道、みちのくの末、信濃の国、十郡のその内に、つくまの郡、新し

大手門

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に、御用の手先をスリ抜けて、真直ぐに走ると大手門の前へ出る。ますますいけない。引返そうとすればさいぜんのが追いかけて来る。

小金沢山

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天狗棚山があり、小金沢山があり、黒岳があり、雁ヶ腹摺山がある――ずっと下って景信があり、

東神田

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さんの家と聞きました。あれが神田川を乗越して東神田からお玉ヶ池、東は両国矢の倉辺まで、西は今川橋から石町、本町、

長者町

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ためしだから、わしに打明けて話してごらんなさい、わしも長者町の道庵だ」

中なる男は、かなり迷惑しているらしい。長者町の道庵だと名乗ったところで、長者町界隈でこそ押したり、押されたり

道庵先生――馬に乗った道庵先生、下谷の長者町の十八文の道庵先生」

かい、道庵先生はお医者の名人だ、下谷の長者町の道庵先生に限る」

九州

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ははあ、それは詩吟の一つの流儀です。御承知でしょう、九州の広瀬淡窓によって起された調子なのです」

琉球

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、お前ならどこまでもついて行けらあ、薩摩だって、琉球だって」

秩父

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な感じもしないではないが、翻って見ると、秩父の連峰、かりに名づけて武蔵アルプスの屏風が、笑顔を以て送るが如く

北海道

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巴でも南欧のものとなっている鮪が、日本の北海道の……蝦夷の東の海岸でとれるのは暖流のためです。そういうわけ

車窓から見ると、そこに地平線の立つ一カ所がある。北海道を除いて日本内地では、天と陸とが一線を引いて相接するところ

軽井沢

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顧望していた時に、道庵先生を見失い、ついに軽井沢の大活劇を演じて、辛うじて、道庵先生の命を九毛の危うきに

ああ、これは申しわけがない。軽井沢や、浅間の時は、十のものなら七までは先生の出し抜きが

ていることがかなり甚だしい。道庵は道庵だけに、軽井沢の夕暮の情調を味わうことも知っていれば、浅間の湯治場の祭礼気分

焼けた話ったら……酔っぱらって、とうとうころげ込みやがった、軽井沢や、浅間の、ちょろちょろ水へ転げ込んだのと違って、天下の木曾川へ

小田原藩

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小田原藩の足軽の一人が、傍らからマラソンでも見るような気分で、問いかけたもの

雲取山

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千九百六十米突の白岩山がある。二千十八米突の雲取山がある。それから武州御岳との間に、甲斐の飛竜、前飛竜が

ベルリン

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ないかというにそうではなく、欧羅巴で、ベルリンとか、ロンドンとかいう、世界で一二を争う大きな都は、みんなその北緯

江戸

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「わたしは、江戸へ帰りたいのです」

「それは事情が許しますまい、江戸へ帰るならば、帰るようにして帰らない以上は、迷惑が湧いて、

「一里二里も覚束ない足で、どうして江戸へ帰ります」

「何をおっしゃる――そなたを連れて、拙者に江戸へ逃げろといわれるのですか」

手にはかかっている――商売人の用いたがる手だ。江戸の吉原で、おぞくもこの手に引っかかって、苦い経験を嘗めたのは

は「南洋軒力水」と筆太にしるしてある。当時、江戸で有名な講釈師といわず、その下っぱにいたるまで、お角は名前を知っ

あなたの名を言ってみましょうか――お前さんは、江戸の両国の女軽業の太夫元、お角さんていうんでしょう」

。もしかした差しさわりで、今晩来なければ明日、つまり江戸へ着くまでの間には必ず、何か皮肉な仕打ちで現われて来るに相違

と、その弟子分になっている心水という二人が、江戸へ下るとてちょうど、この唐人小路へ来合わせたが、

「もうよろしい。七兵衛、お前は田舎にいながら、江戸の火事の焼け抜いた抜け裏まで知っているようだ」

でございます、それが、あなた、みんな糸をひいては江戸の市中を今のように騒がせ、追っては江戸の市中を焼き払おう

江戸の市中を今のように騒がせ、追っては江戸の市中を焼き払おうと企んでいる親玉でございますね、薩摩の西郷という

して、誰にも気がつかれないようにして、江戸の薩摩屋敷へ度々おいでなさるんだそうですから、屋敷内でさえ、西郷どん

が、西郷吉之助であることも充分に想定し、自然、江戸が薩摩を焼かなければ、薩摩が江戸を焼く、といったような結論を

想定し、自然、江戸が薩摩を焼かなければ、薩摩が江戸を焼く、といったような結論をつけて、七兵衛なりに、主膳に語り聞かせ

「薩摩と、長州は、本来、江戸には苦手なんだからな。関ヶ原以来の宿怨といったようなものが

理窟をコジつけてみても、さて、外勢力がこの江戸の土を蹂躙するような日を予想してみると、腹が立たないわけ

―ことに、ほとんど街道に沿うて――この街道は、江戸からいえば、大菩薩峠に通ずるの甲州裏街道であり、こちら方面からいえば、

わかり過ぎるほどわかっている。机竜之助の父の弾正が、江戸からの帰りがけに通り合わせて、捨てられてからまだ二時とは経たない間に

を拾い上げて、その時も今と同じように、弾正は江戸から馬で来て、拾うのは従者に拾わせたが、自分が抱き取って

「そうだっけな、何か江戸で悪いことをした奴があって、それを青梅の裏宿まで追い込んで

「江戸じゃいけねえのかい」

の着ように戸惑いしたのは、長州征伐の時の江戸の旗本の大部分のみとは限らないでしょう。

に従って、子孫が贅沢は覚える、諸式は高くなる、江戸の親玉もやりきれねえのさ。そこでふところが寂しくなると、人に足もと

でなくっちゃあ勤まらねえ、九太夫なんぞをやってごろうじろ、忽ち江戸の奴等と組んで、しこたまコムミッションを取ってしまわあな」

そうして尾州家は、十七歳の鈴木千七郎殿を江戸表へ差しつかわし、水野越前守殿の面前に立たせました」

富士山

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「それがわからないのです。さっきは、富士山の後ろの方から面を出したから、たしか、あの辺にいるのかも

「富士山の後ろって、お前……そんなお前、広いことを言っても、わかりゃしない

といって兵部の娘は、海を隔てて罪もない富士山を睨みました。

武蔵野

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は、ちょうどその日のその時分は、青梅の町はずれを、武蔵野の広い原へ向けて馬を歩ませておりました。

今日もその通りで、青梅を出でて、武蔵野のはじまるところを、新町というのへ馬を歩ませました。

青梅という町は、秩父連峰と、武蔵野の原との分岐点であります。秩父連峰を一つの長城と見れば、

ありましょう。青梅を出でてはじめて、本州第一の平原、武蔵野を見る。単に武蔵野とはいうが、関八州の平野は、武蔵野の延長に

見る。単に武蔵野とはいうが、関八州の平野は、武蔵野の延長に過ぎません。

お松は、今その武蔵野の地平線の立つあたりを、東北に向って馬を歩ませて行くのです。

とはないでしょう――そこで二里三里と進んで、武蔵野をわけて行くほどに、例の武蔵アルプスが遠ざかり行くにつれて、軒を離れ

大菩薩峠

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さんが諸方で頼まれてこしらえるより、もう少し大きいの、大菩薩峠の上へのぼせたほどのものでなくとも、かなり目に立つようなものを

薩摩

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の市中を焼き払おうと企んでいる親玉でございますね、薩摩の西郷というのが……」

「左様でございます、ただ、薩摩の人が西郷西郷っていうばかりじゃございません。ドコへ行っても、誰

が、いかに一代の人気を背負って立とうとも、なんの薩摩の陪臣が、という気性はドコかに持って生れているはずだから、

旅行中のことでございましたから、誰も、あれが薩摩の西郷だとは気がつきません、また御当人たちもああして、

「うむ、お前ならどこまでもついて行けらあ、薩摩だって、琉球だって」

「なんだ、意気地が無え、馬にも乗れねえ薩摩っぽう」

ました。神尾のはわざとあざ笑うわけではなく、本来、薩摩の陪臣としての西郷などを、眼中に置いていないのですから、

西郷吉之助であることも充分に想定し、自然、江戸が薩摩を焼かなければ、薩摩が江戸を焼く、といったような結論をつけて

充分に想定し、自然、江戸が薩摩を焼かなければ、薩摩が江戸を焼く、といったような結論をつけて、七兵衛なりに、主膳

「薩摩と、長州は、本来、江戸には苦手なんだからな。関ヶ原以来の

がついて廻るからな。あの時に、長州をして薩摩を討たせ、その後に長州を亡ぼそうという魂胆が、こっちに無かったとは

の三河武士の気骨さえ失わないでいるならば、なんの薩摩が、なんの長州が、歯が立つものか――

日本だけの天下ではまず……といったところで、薩摩の果てや、蝦夷松前のことは知らねえ、甚だお恥かしいわけのものだが

尾張藩

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許し下さるまじきや、大坂城を三年間お貸し下されて、尾張藩眼前の難儀をお救い下さるならば、木曾山三年間お借上げの儀も、まこと

と、鈴木少年家老は申しました、不肖ながら、それがしは尾張藩を代表して参上つかまつりました、拙者の申すところに一家中異議のあろうはず

江戸城

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「左様、その時、尾州を代表して、江戸城へ罷り出でたものが、尾州の家老鈴木千七郎殿でございました」

名古屋

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あり、名古屋味噌が辛く、宮重大根が太いところの尾張の名古屋を閑却しているのを、ヒドク憤慨していたところですから、一議に

東大寺

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ども、お像を神に祀られているのは、東大寺の鑑真大和上と、川越三喜だけだ、同じ藪でもこちとらとは、格

本州

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の方で捕れる魚ですが、それが日本では、この本州と、朝鮮にかけて、ちょうど、北緯三十六度あたりで捕れるようになっている

川中島

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いるのです。というのは、松本の芝居小屋で、川中島の百姓たちが大いに気焔を上げたのを見て、急に武者修行をやめ

安倍川

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ますと、あんまりよくおこって勿体ないものですから、これで安倍川をこしらえて、あなたに差上げようという気になったものですから、つい……

片手には縫取りをかかえ込み、片手にはお盆に載せた安倍川をどっさり持って来たものです。

炬燵櫓の上で、二人はお取膳の形で、安倍川を食べにかかりました。

つきつけられたところで、いやな気持はしないが、わざわざ安倍川をこしらえて来て食べさせるところが、お雪ちゃんらしいなと、竜之助も人間並みに

二人はこうして、さし向いで安倍川を食べながら、お雪ちゃんが、しかけて置いた鉄瓶の湯を急須に注ぎまし

安倍川を食べてしまうと、お雪ちゃんは縫取りを取り出して、例の胡蝶の模様を

川越

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川越三喜――なるほど、あれはわれわれの同職で、しかも武州川越の人なんだ。わしはこう見えても江戸ッ児だが、三喜も

ような、武蔵ッ児の、川越ッ児なんだ。川越はお前、今でこそ薯の産地だが、黄八幡の北条の旗風には

みますというと、三喜は、寛正の六年に武州川越に生れたとあります。医師となって長享元年に明国に入り、留まること

大阪

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なければ、どこでもようございます――京でも、大阪でも、いっそ、誰も知らない山の中でも、海の涯でも

甲州

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察するところ、例の南条力と五十嵐甲子男とは、甲州の天険をほぼ究めつくしたから、今度は小田原を中心として、箱根、

声が聞えるじゃないか、耳のせいか知らないが、甲州の猿橋の下へつるされたやえんぼうが、ちょうど、あんな声を出して

こりゃ何だい。駿河の徳間峠にしてからが、甲州の猿橋の時にしてからが、覚えがありそうなもんじゃないか

笠ヶ岳

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穂高、乗鞍、笠ヶ岳の雪が日一日と、この白骨の温泉の上を圧して来ますように

信濃国

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ものと見え、包みを解いて、中から取り出したのが信濃国の絵図。それを縁台の上へ繰りひろげて、あれからこれと、指で線

ロンドン

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にそうではなく、欧羅巴で、ベルリンとか、ロンドンとかいう、世界で一二を争う大きな都は、みんなその北緯五十度よりは

谷中

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たとえば、駿河台、本郷元町台、牛天神、牛込赤城神社、谷中、白金、高輪台あたりか、或いは市中の会社商店等のビルヂィングの高塔の

丹沢山

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に、孤風をさらして立つ。富士は、大群山と丹沢山の間に、超絶的の温顔を見せている――

恵林寺

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があって幾日かの後のことでありました。恵林寺の慢心和尚が、途轍もない大きな卒塔婆をかつぎ込んで、従者を一人もつれずに

「恵林寺の大和尚が、素敵もなく大きな卒塔婆をかつぎ込んで、西の方へ向いていらっしゃる

おそらく慢心和尚を知らない人はないのでしょう。それは名刹恵林寺の大和尚として、学徳並びなしという意味において知っているので

奥多摩

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のあたりを見下ろしている時分に、月がようよう上って、奥多摩の渓谷の半面を、明るく照らしたその光で見ると、七兵衛の眼にも

関東

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衰えたるをおこさんとして果さなかった。あの寺は関東の虚無僧寺の触頭、活惣派の本山。下総の一月寺、京都の

というのが、これは有名な太田道灌の子孫で、関東では弓矢の名家です、この三楽斎が秀吉の前に出て申すことに

薯の産地だが、黄八幡の北条の旗風には、関東も靡いたものだし、天海僧正様の屋敷だし、徳川の三代将軍も

。何しろ名医は名医さ、古河公方を中心にして、関東の平野を縄張りにしていたのだが、長谷村の一向寺というの

大江戸

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しかし大江戸の真中へ、ここから直線を引いてみたとて十五里とはないでしょう――そこ

塩尻

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ここで塩尻からの本道と合し、

大菩薩連嶺

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飛竜がある。御前と大岳を前立てにして、例の大菩薩連嶺が悠久に横たわる。

大岳山

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お前さん知っていなさるかどうか、この向うの檜原の大岳山の麓に、昔おっそろしい力の強い若い衆があってね、なんでも

が、その三十人力の力が出て働けるのは、大岳山の頭が見えるところだけに限ったもので、大岳山の頭が見えなくなる

、大岳山の頭が見えるところだけに限ったもので、大岳山の頭が見えなくなるところへ行くと、げっそりと力が減っちまうんだって

両国

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いう系図が現われて、信濃の中将になり、甲斐、信濃の両国を賜わり、この女房を具して任国へ下り、一門広大、子孫繁昌というめでた

なたの名を言ってみましょうか――お前さんは、江戸の両国の女軽業の太夫元、お角さんていうんでしょう」

から、がんりきがいい心持をしていないらしく、時々、両国の控え宅へおとずれて見える時も、どうも気がさして、なんだか、自分のほ

た。あれが神田川を乗越して東神田からお玉ヶ池、東は両国矢の倉辺まで、西は今川橋から石町、本町、室町まで、伝馬町の牢屋敷も、

「では申し上げちまいますが、それは、あの実は、両国の女軽業の親方のお角さんから拝領の品なんでございます」

います、もうこの羽織は着て行かれません、この羽織を両国へでも着て行ってごろうじませ、それこそ焼き殺されてしまいます、ああ、

山形

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聞くような、悲痛の思いが人の腸を断つ……山形の臥竜軒派では、これをこう吹いて……

京都

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の触頭、活惣派の本山。下総の一月寺、京都の明暗寺と相並んで、普化宗門の由緒ある寺。あれをあのまま

それが、ある大納言に見出されて京都へ上り、首尾よく勤め上げて、また信濃へ帰ろうとする時の話――

水戸

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「わっしですか、わっしは常陸の水戸在のものでございますよ」

ているし、お面もよそながら拝んでいる、私は水戸の山崎、山崎譲ってたずねれば、七兵衛がよく知っていますよ」

勤王と幕府とわかれているようだが、勤王系統と、水戸の系統とは、切っても切れぬものがあるように、内心では

あって、男ぶりがよくて、腕が出来ている。水戸の藤田東湖のようなむずかし屋でさえ、水越の弁舌には参ってい

大津

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大津の宮に

福島

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木曾の福島の宿屋で、今晩は道庵先生が大声を発しております。

宮ノ越から福島まで一里二十八町

という順序で泊りを重ね、ようやくここ木曾の中心地、福島の駅路についたというわけです。

の国の落合というところの百姓でございますが、この福島へ馬を買いに参りました」

「望みの通り、この福島で、三歳の毛附駒のこれならというのを買うには買い求め

、上松の茶屋へ奉公に出しまして、それで、この福島で馬を買いましたが、奉公とはいえ、十七になる娘に身売り

この偶然の因縁から、道庵先生は、福島の宿駅から、少なくとも美濃の国まで通し馬に乗ることの便宜を、報恩

翌日、大得意で道庵先生が、馬に乗って福島の宿駅を立ち出でることしばし、

そこで宇治山田の米友が、木曾の福島の町をまっしぐらに飛び出しました。

米友はこの十分の責任感で、木曾の福島の駅を西に向って道庵を追いかけましたけれど、かなりのところで

現に、この福島から、上松に至るの間には木曾の桟はしがある、御岳山がある

下谷

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おいらの道庵先生――馬に乗った道庵先生、下谷の長者町の十八文の道庵先生」

じゃねえかい、道庵先生はお医者の名人だ、下谷の長者町の道庵先生に限る」

大宮

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大宮はここと聞けども

日本橋

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の牢屋敷も、両芝居も、やっぱり残りませんでした。日本橋からさきは八丁堀、霊岸島、新川、新堀、永代際まで、築地の御

品川

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、わたしのあとをつけてみたのは、薩摩屋敷から品川へ出て、東海道の道筋を微行といったようないでたちで、同勢僅か

東京

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日――例えば初冬から早春に至る間の快晴の日、東京では秒速七八米突から、十米突ぐらいまでの北西の風が帝都

今日でも、復興の東京の騒々しい物音を数十尺だけ超越して、たとえば、駿河台、本郷元町台、

高尾

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がある――ずっと下って景信があり、小仏があり、高尾がある。

神田川

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お琴のお師匠さんの家と聞きました。あれが神田川を乗越して東神田からお玉ヶ池、東は両国矢の倉辺まで、西は今川橋

両国橋

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は、息の根が止まるかと思いましたよ、命からがら、両国橋まで逃げのびて、そこでやっと、息をついて命拾いをしたような始末