大菩薩峠 22 白骨の巻 / 中里介山
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穂高、乗鞍等を雲際に望むところ。近くは犀川と、天竜川とが、分水界をなすところ。
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「あなたも御存じでしょう、番町の駒井能登守」
はどう気が向いたものか、絶えて久しく訪れなかった番町の自分のもとの屋敷の方へ、おのずと足が向いたのであります。
もまた、その考えで、人通りのほとんどないほどの朝まだきに番町を出て、こうして、下町方面へ、無意識に急いでゆくうちに、
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「そうして、甲州の上野原のどこで、その盲法師を見つけました」
ですから、それからそれと糸をたぐって、とうとう甲州の上野原で突留めました。上野原は報福寺、一名を月見寺と申しまして
糸をたぐって、とうとう甲州の上野原で突留めました。上野原は報福寺、一名を月見寺と申しましてな、お宗旨は曹洞、
小仏から陣馬を通って、上野原へ急ぐ一挺の駕籠。
、今日は、たそがれ時で、足もとの明るいうちには必ずや上野原の駅へ足を踏み入れようという時分、左手の山谿の間には、遠く
の関所を通って、小仏峠から小原、与瀬へとかかって上野原へ行くのが順なのを、五十町峠からこの道を取るのは、厳密
れたとはいえ、足に覚えのある者ならば、上野原までの道は、さまでは苦にならないはず。
の者は、おそれをなして早く戸を締める。ことに上野原の町ではちょうど、火の見柱の下で盗賊が狼に食われた前後の
「して、何用あって上野原へまいらるる。御身はいずれの御出生ぞ、うけたまわりたし」
「あなたは上野原の月見寺へおいでなさるそうですが、誰をたずねてあの寺へおいで
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とっての幸いです。というのはこのほど、両国の回向院に信州善光寺如来のお開帳があるということ。そのお開帳と前後して
開帳があるということ。そのお開帳と前後して、回向院の広場をかりて広大な小屋がけがはじまったこと。その小屋がけの宣伝ビラが、
あるが、ことにその眼の下に現われたのは、回向院の墓地でありました。乱離たる石塔と、卒塔婆と、香と、花
そこで、この連中は、打揃って、程遠からぬ回向院の境内に、お君の墓参りをして行こうと、花と香とを携え
は郁太郎を背負い、ムク犬はその間を縫うて、例の回向院の墓地の中に進んで行きました。
この一行が回向院の墓地へお墓参りに来た日、その境内の西洋奇術大一座がちょうど千秋楽
お松、与八、ムク犬の一行が、回向院の墓地についた時分は、ちょうど、千秋楽の追出しの時刻で、今しも、
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ん。丁度、甲州筋からおいでの方も、中仙道を和田峠からおいでの方も、塩尻を越えて木曾の旅をなさるお方も、
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「生国は下総国、猿島郡」
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だからこの女は、浜松に生れて、神尾家に奉公し、先代の神尾に寵愛されたことは
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「湯加僧正は、このほど、京都の智積院へ帰られたそうな」
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の仕事もよく手が廻ります。仕事の合間、与八は海蔵寺の東妙和尚について、和讃だの、経文の初歩だのというもの
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さてまたここは江戸の下谷の長者町。道庵先生は何を感じたものか、俄かに触れを廻して、子分
そうだ、そうだ、おいらも旅に出かけるんだった。長者町の先生が、おいらをつれて京都から大阪をめぐる約束になっているのだ
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その時分、神尾主膳は、もう栃木の大中寺にはおりません。
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、小名路の宿から本式に駒木野の関所を通って、小仏峠から小原、与瀬へとかかって上野原へ行くのが順なのを、五十町峠から
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人の壮士どもは、今しも、大得意になって、本所の相生町から三田の四国町までの間の彼等の道草、その途方もない
それはいよいよこの本所の相生町の老女の屋敷を引払わねばならぬ時が来たからです。噂
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「これはこれは、痛み入谷の金盥でございますな」
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「おかげさまで、この下の諏訪は、あんまり不景気ということがございません。丁度、甲州筋からおいでの
「諏訪の湖というのはどちらに当ります」
諸国をひきまわされたあげく、今ではこうして信州の諏訪へ来て物売りを致しておりますようなわけでございます。女というもの
。「今晩、九つ半過から、この道を通って諏訪の明神へおまいりをなさるのは、いにしえのお万殿ではありません、それは
、注連の張った杉の大木にめぐらした木柵。ここは諏訪の秋宮、この杉こそは名木根入杉。
諏訪からのぼって来た人は、峠の上のこの騒ぎで、五条源治の立場
諏訪の盆地は隠れて見えず、鉢伏と立科が後ろから覗き、伊奈と筑摩の
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思えば、空怖ろしいものがある。頼山陽の息子は、寛永寺の徳川廟前の石燈籠を倒して、事面倒になったことがあります
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、小屋を尻目にかけて悠々と闊歩して、例の相生町の老女の屋敷へ入り込みます。
壮士どもは、今しも、大得意になって、本所の相生町から三田の四国町までの間の彼等の道草、その途方もない、いたずら
ところが先日、相生町の老女の屋敷に久しぶりでお松をたずねてみたところが、お松も
それはいよいよこの本所の相生町の老女の屋敷を引払わねばならぬ時が来たからです。噂による
、むしろこの立退きと、焼払いをよろこんだようです。これで相生町の名物が、一つなくなったわけですが、危険区域が移転したような心持
さても、相生町の老女の屋敷は、構えが相当に大きかっただけに、天明までも燃えつづい
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いうのは、つまり甲斐と武蔵と信濃の三国にまたがる甲武信ヶ岳の方面かと存じますが、一方のハッコツが、どうしても見当がつき
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「でも、江戸を焼き払うほどの火にはなるまい」
その主謀者の方針は、江戸の市中はなんといっても相応に警戒が届いている。ことにこのごろ
ば、自然お膝元の歩兵隊が繰出す。その空虚に乗じて江戸の城下へ火をつけ、富豪の金穀を奪うて、大事を挙げる時の準備
の巣窟たるこの四国町の薩摩屋敷が焼打ちになって、江戸を追われたことも、いくらもたたない後のことであります。
して、中に老人の声一人ありける。近在または江戸などより、これを聞きに行く人多し。方十町に響きて、はじめは
「たずねる人があって、江戸を立ち出でてまいりました」
高杉晋作、天下第一の気概をいだいて、江戸に出でて書剣を学ばんとす。その師吉田松陰の勧めに従い、
も、遊戯とでも、なんとでもいって下さい。江戸の市中にある時は、これを夜行なったから誰も見たものが
さてまたここは江戸の下谷の長者町。道庵先生は何を感じたものか、俄かに触れを
神尾をこうして、再び江戸の方へ引張り出した有力な策士は、がんりきの百蔵であること
七兵衛は旅仕度をととのえて、わが家を立ち出でました。まず江戸をめざして行くのかと思うと、そうではなく、南の方へ向い
、とうとうこの連中を、上方から神楽師に仮装して、江戸へ乗込むものだと鑑定をしてしまいました。
「はい、江戸は芝の三田四国町というところを、たずねてまいりますのじゃ」
しかし、また、仮りにこうして姿をかえてまで江戸へ乗込もうという連中が、その行く先をアケスケに、薩摩屋敷だといってしまっ
七兵衛が、右の神楽師の連中に向って、私も江戸へ参りますから御一緒に、とさあらぬ体にいい出すと、神楽師の
こうして七兵衛は、江戸へ行くまでの十五里の行程を、この連中の観察と研究とを題目と
……宮方の役人とは寺社奉行のことか。ここは江戸を距ること僅かに十余里、お膝元も同様なところではないか、寺社
与八が、急に江戸へ出かけたくなったのもその時で、それは今になって、お松
まい……そう思い立つと、正直な心から、一刻も早く江戸へ出かけて、お松に念を押してみたくなったのです。
お松は、京都でも、江戸でも、この時代の不安な空気の中に住み慣れてはいましたが
実際、薩摩屋敷に集まるものの目的と行為は、江戸の市中を脅威したり、愚弄したりするために存在しているような
おくれる。徳川と薩摩とを握手させてはならない。江戸の市民をして、薩摩を憎ましめるように、薩摩をして、幕府を
上、その形勢を見れば、暴悪の徒を蓄えて、江戸の上下を脅威愚弄した傍若無人ぶりに、腹の立つのも無理のない
いうものもありましたが、また一方には反対に、江戸の市中を焼き払われないようにと、心中におそれを抱くものもありまし
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小石川の切支丹屋敷に近い御家人崩れの福村の家では、福兄とお絹とが
。こう思い出したから、駒井は足の向きをかえて、小石川の方面へとこころざしたものです。
駒井甚三郎の父母の墓も、先祖の墓も、小石川の伝通院にある。一族、親戚の墓も多くそこにあるはず。
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、槍、穂高、乗鞍等を雲際に望むところ。近くは犀川と、天竜川とが、分水界をなすところ。
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隠れて見えず、鉢伏と立科が後ろから覗き、伊奈と筑摩の山巒が左右に走る。遠くは飛騨境の、槍、穂高、乗鞍等を
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として芝の三田の四国町まで来ると、そこに薩摩、大隅、日向三国主、兼ねて琉球国を領する鹿児島の城主、七拾七万八百
しかし薩摩の士の風俗をしているからとて、必ず薩摩のさむらいだと限ったわけ
しかし薩摩の士の風俗をしているからとて、必ず薩摩のさむらいだと限ったわけはありますまい。この薩州屋敷では、このごろ、
たちの行くところは、無論、芝の三田の四国町の薩摩の屋敷でありました。
志士浪人の頭に、同時にひらめくのは、いつも徳川と薩摩との仲をよくさせてはならないということでありました。
徳川家と薩摩とは、姻戚の関係もあったりして、どうかすると黙契が成立し
、どうかすると黙契が成立しそうになる。もしも薩摩が徳川をたすけることになると、せっかく倒れかかった徳川の家に、有力な
、そうなっては天下の改革の時がおくれる。徳川と薩摩とを握手させてはならない。江戸の市民をして、薩摩を憎ま
握手させてはならない。江戸の市民をして、薩摩を憎ましめるように、薩摩をして、幕府を脅威せしめるようにしかけなければ
。江戸の市民をして、薩摩を憎ましめるように、薩摩をして、幕府を脅威せしめるようにしかけなければ、大事をあやまるの形勢と
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「府中の六所明神様でひっかかりを得ましたものですから、それからそれと糸
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とが身動きをしたのか、またそうでなければ、桔梗ヶ原から塚魔野へ、意地の悪い鴉が飛んで行く羽風であったかも
立科から桔梗ヶ原へ向けては、灰色の空をしきりに鳥が飛ぶのに、地上の荒
どこだろう。昨日塩尻峠を越えたばっかりなのに――桔梗ヶ原か、五千石通りか……
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「しかし、つまらん、江戸城の本丸まで届く火でなければ、放けても放け甲斐がごわせぬ、徒ら
ほどの火を出せ。本丸から火を出して、グラついた江戸城の礎を立て直すほどの火を出してみろ。小盗賊のやるようないたずらは
そこで、この一座の対話が、江戸城の本丸へ火を放ける、その実際の手段方法にまで進んで行ったのは
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この女房というのがすなわちお万殿で、もとは、美濃国岩村の城主遠山勘太郎が妻、信長のためには実の伯母です。岩村の
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代将軍を父に持ち、豊臣秀頼を夫として、大阪の城に死ぬべかりし身を坂崎出羽守に助けられ、功名の犠牲として
んだった。長者町の先生が、おいらをつれて京都から大阪をめぐる約束になっているのだ――京都でも大阪でも、唐で
大阪をめぐる約束になっているのだ――京都でも大阪でも、唐でも、天竺でも、無茶苦茶にあるいてくるのだ。トテ
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火放け強盗はおろかなこと、この屋敷から或る時は甲州へ向けて一手の人数が繰出される。或る時は下総、或る時は野州あたり
「そうして、甲州の上野原のどこで、その盲法師を見つけました」
たものですから、それからそれと糸をたぐって、とうとう甲州の上野原で突留めました。上野原は報福寺、一名を月見寺と申し
ましては、痛ましいほどの御寛大のお言葉でございます。甲州へおいでになる道中におきまして、毎日、日課として、こまごまと
せたのが、誰あろう、この駒井の罪だ……甲州において、人もあろうに、あの君女を愛したということが…
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「塩尻峠の上でちっとばかり怪我をしたから戻って来た、また厄介になるぞ
はて、ここはいったいどこだろう。昨日塩尻峠を越えたばっかりなのに――桔梗ヶ原か、五千石通りか……
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その鮮やかな小手先の芸当に、驚異の目を※ったロンドンの市民のうちに、十九世紀の偉人ジョン・ラスキンがあったことを誰が
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月というものを見たのは、いつのことか。伊勢の阿漕ヶ浦というところで見たのが、あれが最後だろう。いや、
「まあ、伊勢からおいでになりましたのですか」
「伊勢から来たというわけでもないが、伊勢には暫くいたことがある
「伊勢から来たというわけでもないが、伊勢には暫くいたことがあるのだ」
「わたくしは伊勢のうまれではございません、どこといってうまれた国は……まあ、
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いずれも、黒い着物を着て、博多の帯をしめたところは、あたりまえの旅芸人のようにも見えますが、少し
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ほどなく、根岸の御行の松に近いところへ、かなりの広い屋敷を借受けて、そこへ移り住ん
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に似た婆さんは、箒と水とを携えて、伝通院の墓地へ通るのを見受けます。日が漸くのぼりはじめて、寺では梵唄
に打込むと共に、疾風の如くこの店をかけ出して、伝通院の境内に姿をかくしてしまいました。
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の方も、中仙道を和田峠からおいでの方も、塩尻を越えて木曾の旅をなさるお方も、伊那の方からおいでの方
こちらの座敷では、明朝塩尻までの馬の相談にいって来た久助が、どこで聞いて来たか
で、五条源治の立場あたりに食い止められているんだろう。塩尻からは、まだここへ通りかかるほどの早立ちの客がなかったものと見てよろしい
ようもあるまい。十種香の謙信でさえが、「塩尻までは陸地の切所、油断して不覚を取るな」と戒めているでは
もなく鶏の声が耳に入るのを覚えました。塩尻の宿の、夜明けの肌寒いのを覚えると、傍にすやすやとおだやかなお雪
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ではなく、南の方へ向いて、ほどなく武州の高尾山へつきました。七兵衛は、高尾山の飯綱権現を信仰して、時々おまいりを
て、ほどなく武州の高尾山へつきました。七兵衛は、高尾山の飯綱権現を信仰して、時々おまいりをしては護摩を焚いてくることがある
その時、高尾山の麓の茶屋では、半ぺん坊主が一杯飲みながら、
高尾山ではこうして、山を崩したり、木を伐ったりして嬉しがって
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を射るという筆法が当ったんで。つまりそれでとうとう甲州街道の上野原というところで、めざす相手を射留めたという次第でございます……」
それから最後に弁信法師の手引によって救われた甲州街道のうちの一つの隠し道であります。
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膝元の市民にとっての幸いです。というのはこのほど、両国の回向院に信州善光寺如来のお開帳があるということ。そのお開帳と前後し
ような夢の国の世界が現われたのではなく、尋常一様の両国回向院境内の世界ですけれども、人気と、眩惑と、根づかれの空気にのぼせ
前に戻って、ここにまだ疑問として残されているのが、両国の女軽業の親方お角の、このたびの、旗揚げの金主となり、黒幕となった者
そのお角の留守中、裏両国のしもたやへ、
お角は、前の日のように、娘分のお梅をひきつれて、向両国の興行場へ出かけ、お銀様には一人で留守居をさせておきました。
黒衣覆面の男の装いして、両国のお角の宅を出し抜き、こうしてここまで辿って来たお銀様。ここでまたも
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青丹よし、奈良の都に遊んだこともなく、聖徳太子を知らず、法然と親鸞とを
「その昔、奈良朝のころに、帝の御病気のお召しにあずかった坊主で、医者
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見て、驚いてしまいました。その人は、もとの甲府勤番支配、駒井能登守に相違ないと思ったからです。
喧嘩をしたとか、しないとかいう男……甲府をしくじってから切腹したとか、行方不明とかいわれていた駒井
「甲府の勤番支配をしていた男、神尾主膳と喧嘩をしたとか
お長屋にひとりで留守をしているのは、以前、甲府までも主人のおともをして行ったことのある近習役の阿部一学
「お前はこの寺にいたのか。ナゼ甲府を出る時に、だまって出ました」
、とうとう、駒井も、神尾も、両倒れの体で、甲府を引上げるようになってしまったから、お絹としては、未練と
この女は、甲府にいる時分から、駒井に気があったのは事実で、ついにそれが
ができました。しかし、お角は、この騒ぎは、甲府の一蓮寺の時のように、大事にはならないと見て取りまし
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に薩摩、大隅、日向三国主、兼ねて琉球国を領する鹿児島の城主、七拾七万八百石の島津家の門内へ乗込もうとする。音に
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元治元年に京都で暗殺された佐久間象山の門生が二人――ちょうどこの宿屋に泊り合せ
「奥方は京都へお越しになりましたことを、御存じでいらせられますか」
、堂上方のあるさむらいを始終ひきつけていたとか、京都へいった後、ずんと年上な、評判の色悪の公卿さんに籠絡され
て京都から大阪をめぐる約束になっているのだ――京都でも大阪でも、唐でも、天竺でも、無茶苦茶にあるいてくる
に出かけるんだった。長者町の先生が、おいらをつれて京都から大阪をめぐる約束になっているのだ――京都でも大阪でも
「湯加僧正は、このほど、京都の智積院へ帰られたそうな」
半ぺん坊主は、京都あたりから来た風来坊主で、高尾の寺に籍があるわけでもなん
主としてつかえた老女は、本国へ帰る途中、ひとまず京都に滞留するのだということです。
お松は、京都でも、江戸でも、この時代の不安な空気の中に住み慣れて
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当時の佐久間象山は、水戸の藤田東湖と共に一代の権威。諸侯も礼を厚うして、
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ば無頼漢になってしまう。これより先、江戸三剣士(千葉、桃井、斎藤)の一人斎藤篤信斎弥九郎が、その門弟のうちから十
ない。おれも今までずいぶん、命知らずと戦った、また千葉の小天狗栄次郎殿や、練兵館の歓之助殿(斎藤弥九郎の次男歓之助、
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さてまたここは江戸の下谷の長者町。道庵先生は何を感じたものか、俄かに触れを廻し
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栄誉源法松山
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が背中を向けたのは、そのころ名代の刺青師、浅草の唐草文太といういい男です。お角の刺青が彫り進むと共に、
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が強くなるに乗じて、この連中の行手にあたって、日本橋の呉服町のある町家の軒から火の手があがって大騒ぎとなりましたが、
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ました。こんなことを考えながら、七兵衛は、その晩は高尾の坊へとまることになりましたが、そこで四五人づれの奇異なる
半ぺん坊主は、京都あたりから来た風来坊主で、高尾の寺に籍があるわけでもなんでもないが、この近所へ草庵
「高尾では、あの杉苗をいったいドコへ植えるんだと、この間、まじめ
高尾の山で、七兵衛と泊り合わせた神楽師の一行が、ちょうどここへ来合わせ
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この際、両国橋の橋向うに、穏かならぬ一道の雲行きが湧き上った――といえば、
黄昏時になると、ようやく風が強く吹き出し、四人づれが両国橋を渡りきって矢の倉方面に出た時分には、バラバラと砂塵が
一人の男衆を連れたお角は、両国橋の宿を立ち出でました。
「有野村のお大尽様に、両国橋から参りましたとお伝え下さいまし」
両国橋の女軽業の親方お角は、その夕方自宅へ帰って来ると、早く
おかしかったのはその翌日の朝、両国橋の女軽業のおちゃっぴイの一人が目の色をかえて、お
心中があると騒ぎだしたのは、この朝、両国橋に男物と女物との下駄が半分ずつぬぎ捨ててあったのを、通りがかりの
余憤容易に去らず、これは昨晩、金助が両国橋まで一目散に逃げて、さてその下駄を突っかけようとして見ると、片一方だ