大菩薩峠 35 胆吹の巻 / 中里介山

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地名一覧

上野原

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駒井能登守の一行とすれすれになった当時、あの時は上野原の先の鶴川の渡し場で、グルグル坊主にされた。それからまた今度の道中で

宇治

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、我々三ぴんの飯の食い上げじゃによって、これより宇治と勢多とに陣所を構え、或いは案山子を立て、或いは偽物をつくり、さんざんに

伊予

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下津井に下って船により、四国遍路を済ませて、伊予の大洲から九州の佐賀の関に上陸、豊後路を日向へ向い、そこの

長者町

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でお茶うけに召上っていただきてえ。わしゃ、江戸の下谷の長者町で道庵といえば知っている人は誰でも知っている、知らねえ

泥試合を演じつつある御当人とては、当時、下谷の長者町で有名な、十八文の道庵先生その人であります。

九州

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船により、四国遍路を済ませて、伊予の大洲から九州の佐賀の関に上陸、豊後路を日向へ向い、そこの国分寺に伽藍を

日向の国分寺に戻り、それよりまた豊前、豊後を経て九州を離れて赤間ヶ関に上り、それからまた山陰、山陽の遍路がはじまり、再び四国

長岡

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なければならないという約束はなく、柏原からでも、長岡からでも、幾多の登山路はあるのです。春照村の上野からする登山

江戸

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を質に置いても出かけたもんだがね、近頃、江戸も役者の粒がぐっと落ちやした。役者の粒が落ちたんじゃねえ

どうか皆さんでお茶うけに召上っていただきてえ。わしゃ、江戸の下谷の長者町で道庵といえば知っている人は誰でも知って

というのは、自分から名乗るところによると、正銘の江戸の本場者で、しかも三都名優の舞台らしい舞台を若い時から見飽きている

時から見飽きているような口吻でもある。その本場の江戸ッ児が思いがけなくこう言って、わざわざみやげ物まで持って賞めに来てくれた

それじゃ、まあ、ごめん下せえまし、わしも若い時分は江戸の三座の楽屋へ入り浸って鼻高でも、よいみつでも、みな贔屓に

んだろう、戦の卵と同じわけさ、内乱だね。江戸は江戸で浪人者があばれ廻ったり、貧窮組が起ったり、江州の長浜へ

、戦の卵と同じわけさ、内乱だね。江戸は江戸で浪人者があばれ廻ったり、貧窮組が起ったり、江州の長浜へ来れば

、代官は代官でも、ちっと目方のちがった代官で、江戸の老中から特別に差遣わされた検地の勘定役人だ」

「江戸の役人であろうと、ところの代官であろうと、おいらには別に当り障りは

だ。こんど来た検地の役人というのは、今いう江戸の勘定役人で、市野某という者だ、北陸地方からずっと巡り巡りてこの近江

それでもこの一行のおそれるところは、途中、その江戸の御老中からの検地のお役人というのに出くわさなければいいがな、出くわし

そこでこの、虎狼も三舎を避けるはずの江戸老中差廻しの検地役人の一行が、この長持と駄馬とのために行手を遮ら

たということです。十四歳の時に村をあとに江戸へ出で、それからさまざまの憂き艱難を経て、ある時は相模の

比叡

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あって、湖辺の山に、例えば比良であるとか、比叡であるとか、見立てらるべき山々が、実景に見るそれよりも遥かに嶮山

草津

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入りという模様がえになったために、この際、草津の姥ヶ餅の別室で、安直、金茶の一行に一つの緊急動議が持ち出され

途端に、大へんなものに出くわしてしまいました。さては草津を要していた三ぴん連の先陣が、早くもここへ廻ったか―

薩摩

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を建て、五智如来をきざんで勧請し、それより大隅、薩摩、肥後、肥前と経巡ってまたも日向の国分寺に戻り、それよりまた豊前、

剣岳

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を摘んだり、雪の渓を越えたりして、越中の剣岳や、あの盛んな堂々めぐりを、いい気になってながめて来たくせに

名古屋

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を横取りしようとたくんだが、残念ながら物にならず、名古屋表に於ては、安直に大日本剣聖と向うを張らせておどかしたが、かえって

このワッショイワッショイは、あの名古屋の枇杷島橋で道庵を挟撃したそのファッショイ連とは違って、これは

奥州

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前にいるお嬢様のお家というのは、三井、鴻池、奥州の本間といったような家筋に、優るとも劣らない長者でおありなさる

大阪

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村雨女史のお座なりのおてんたらではあろうが、しかしこの大阪仕込みの勇者に会っては、宮本武蔵でも、鎮西八郎でも一たまりもない

「そりゃいかん、尾張の中村や、摂州の大阪だけの太閤秀吉ではない、この長浜は、太閤によってあらわれ、太閤は

東海、東山、西国三十三番、大阪より播州に進み、作州に入って津山城下より下津井に下って船により、

小谷

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、田原藤太が百足を退治したところ――浅井長政の小谷の城、七本槍で有名な賤ヶ岳。うしろへ廻って見給え、これが

京極

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この界隈すなわち――京極の故城址上平寺を中心にして、左に藤川、右は例の弥高から

の政所とか、淀君とかを筆頭として、京極の松の丸殿もそれに並ぶ五妻のうちの一人でした。一人の

甲州

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相当にお金も要ることとおもいましたから、今日飛脚を甲州へ立ててもらって、お金を取寄せることにしました。とりあえず道中の路用の

「甲州を立つ時に、父がわたしのために路用だと言って、あのお角

「甲州の八幡村の小泉の家で、わたしに逆綴の帳面の初筆をつけさせ

を経て身延に詣でて見ると、そこは早や故郷の甲州である。身延の対岸の帯金村に四十五日を送った後に、故郷の

あろうと想像され、そうして碓氷を越え、道を甲州にとって甲府の金手町の教安寺というのに九十一歳の時にきざん

三上山

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見えわかず、と太平記にもある、あれだ。それから三上山、近江富士ともいう、田原藤太が百足を退治したところ――浅井長政の

立山

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が早い、もう、やがて追いつく、鷲は、あれあれ越中の立山の方へ向って逃げるが、逃げ間に合わない、あの分では、米友さんが

伊勢

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は尤もなお心づかいでございますが、この胆吹山や、伊勢の鈴鹿山が、名ある盗賊のすみかであったことも、もはや過ぎ去った昔の

「伊勢の国の鈴鹿峠の下の関の宿から、お安くない御縁を結んだ、あの

北陸地方

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今いう江戸の勘定役人で、市野某という者だ、北陸地方からずっと巡り巡りてこの近江の国に入り込んだのだが、本来この市野某と

比叡山

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「ごらんなさい、あの比良ヶ岳から南へ、比叡山の四明ヶ岳――その下が坂下、唐崎、三井寺――七景は雲に隠れ

と見れば、比良ヶ岳、比叡山の上に、真黒な雲がかぶさり、さしも晴れやかに光っていた琵琶湖の湖面

関東

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を退治せんがための目的でもなし、またどこまでも関東の大御所気取りで、胆吹の山の草の根分けても、石田の行方を探し求めん

て、得やかて、大御所気取りしやはって、関東から攻め上りなはる十八文はん向うに廻して渡り合うは、きれもん、この安直のほか

大江山

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、この洞窟の中に山賊が棲んでいたのです、大江山を追われた酒呑童子の一族が、ここを巣にしていたのです

佐渡

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見えて、幾多の堂宮、仏体、巻軸が残っている。佐渡を離れる時に、

姉川

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中に幾つか点々として見える。そのつづき、弥高から姉川の方へ流れる尾根を後ろにして宏大な屋敷あと、城跡と言った方

中心にして、左に藤川、右は例の弥高から姉川にかけての小高い地点、土地の人が称して「お城跡」という部分

愛宕

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の涯の山々が比良比叡――それから北につづいて愛宕の山から若狭越前に通ずる――それからまた南へ眼をめぐらすと、あの

彦根城

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あの小高い木の間に白い壁がちらちら見える、あれが井伊掃部頭の彦根城だ。それからまたずんと南寄りに、石田三成の佐和山の城あとが一段高く、

山形

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宇治山田の米友は、山形雄偉なる胆吹山を後ろにして、しきりに木の株根を掘ってい

於て、このあたり静かな、そうして、後ろには山形雄偉なる胆吹山が傲然として見張りをしている、新開墾地の

大津

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て胆吹山へお参りをしたら、その足で、江州の大津の鍵屋伝兵衛といってたずねておいで……」

いうわけでしたら先生、大津でお待ち申しておりましょう、大津の鍵屋というへ宿を取って、わたしたちはゆるゆる八景めぐりでもして

気の向くようになさいまし、そういうわけでしたら先生、大津でお待ち申しておりましょう、大津の鍵屋というへ宿を取って、

下谷

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皆さんでお茶うけに召上っていただきてえ。わしゃ、江戸の下谷の長者町で道庵といえば知っている人は誰でも知っている

、ひとり泥試合を演じつつある御当人とては、当時、下谷の長者町で有名な、十八文の道庵先生その人であります。

仙台

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日本中をそうして検地をして歩くのだが、仙台とか、尾張とか、それからこの江州へ来ても、彦根藩あたり

佐賀

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より、四国遍路を済ませて、伊予の大洲から九州の佐賀の関に上陸、豊後路を日向へ向い、そこの国分寺に伽藍を建て

甲府

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れ、そうして碓氷を越え、道を甲州にとって甲府の金手町の教安寺というのに九十一歳の時にきざんだ七観音

上野

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でも、幾多の登山路はあるのです。春照村の上野からする登山本路をとるとすれば、ここへ出るのも決して脱線で

浅草

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ます。たとえば、国を出て東海道を東下りの道中、また浅草の広小路で梯子乗りの芸当をやっている時も、えらい騒ぎを持上げたこと

国分寺

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より大隅、薩摩、肥後、肥前と経巡ってまたも日向の国分寺に戻り、それよりまた豊前、豊後を経て九州を離れて赤間ヶ関に上り

佐賀の関に上陸、豊後路を日向へ向い、そこの国分寺に伽藍を建て、五智如来をきざんで勧請し、それより大隅、薩摩、