大菩薩峠 11 駒井能登守の巻 / 中里介山
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水を呑んで来た宇治山田の米友だ。東海道には天竜川だの大井川だのという大きな川があるんだ、こんな山ん中のちっぽけ
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愚かな女じゃ、駒木野を越えたからとて、まだこの先に上野原の関所もあれば、駒飼の関所もある、関所よりもなお難渋な、小仏峠
「ああ、その雲霧仁左衛門という悪漢、それはこの上野原から出た奴にございます、この上野原のしかるべき家に生れた悪漢でござい
悪漢、それはこの上野原から出た奴にございます、この上野原のしかるべき家に生れた悪漢でございました」
を聞いただけで、駒井能登守の一行は例の通り上野原までやって来ました。上野原の宿へ着いた時も、先触がなかった
守の一行は例の通り上野原までやって来ました。上野原の宿へ着いた時も、先触がなかったから役員どもを驚かしました。
米友が失敗ったその一度は、上野原の宿で一行に出し抜かれて、無理な鶴川渡りをしてやっと追いついた事
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守は若くてそうして美男でありました。大森か川崎あたりまで遠乗りをするくらいの心持で、陣笠をかぶり馬乗袴を穿いて、
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。なんでもドシドシ兵を繰り出して長州から薩摩の果て、琉球までも踏みつぶしてやらねばならぬと意気込みを示した者も大分あったよう
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一行は、時事を論じたり、風景を語ったりしながら、小仏峠の頂上まで登ってしまいました。
向ふの駒飼といふ処まで二里八丁の道に候、小仏峠と共に此の街道中での難所に候、笹子を越え候はば程なく勝沼にて、
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なるべくならば神尾主膳と名乗りたくない、尋ねたならば、諏訪の家中で江戸へ下るとでも申しておいたがよろしかろう」
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「神尾殿、江戸からお客が見えるそうだがまだ到着しませぬか」
「行って見給え、江戸からのお客というのを途中で迎えて、それを案内してあの辺の
あることもあります。御役知は千石で、本邸は江戸にあって住居は甲府へ置く。
てやれと扇で差し示した方向は、女がもと来た江戸の方ではなく、これから行こうという甲府の方でありました。
もし連合いが甲府で亡くなるようなことになれば、わたしは江戸へ帰って親類の者やなにかに面が会わされませんから、ここで
れたのじゃ。それにつけても思うのは、このごろ江戸に起った貧窮組、浅ましいようでもあるし、おかしいようでもあるが、
「俺らは伊勢の国から東海道を旅をして江戸の水を呑んで来た宇治山田の米友だ。東海道には天竜川だの大井川
。お君でも傍にいてなだめたり諫めたりするから江戸へ来て以来はあんまり大きな騒ぎを持ち上げませんでした。大きな騒ぎを持ち上げない
は少し老けている――というものもありました。江戸から連れて来たのでは人目もうるさいし、人の口もあるから、
や風俗などにも少しく変つた事有之候、言葉もまた江戸より入り候へば甲州特有の言葉ありて面白く覚え候、昨日はまた甲州名代の
今日も女連の二人の者同じく江戸より出でて甲府へ赴く由にて此の宿へ着き申候、御身が甲府入りを
ことができるようにかなり重い病気、かなり永い患いにかかって江戸に残されているのです。その奥方に宛てて能登守が毎日のように
「大儀ながらこの手紙を、明朝の飛脚で江戸へ届けてもらうように、この宿の主人へ手渡し下されたい」
「そなたは、江戸からこんなところへ来て淋しいとは思わないか」
主膳と名乗りたくない、尋ねたならば、諏訪の家中で江戸へ下るとでも申しておいたがよろしかろう」
年の頃は三十ぐらい、色が白く、小作り、もとは江戸の髪結職であった者、それに誰が眼にも著しいのは左の
「お前さんは、これから江戸の方へ帰りなさるとも、また甲府の方へ行ってみようとも、もうわたしたちに
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て行きました。なんでもドシドシ兵を繰り出して長州から薩摩の果て、琉球までも踏みつぶしてやらねばならぬと意気込みを示した者も
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なんぞと言われておりまする。猿橋から大月、大月には岩殿山の城あとがございまして、富士へおいでになるにはそこからわかれる道が
のような山、これが武田の勇将小山田備中守が居城岩殿山、要害としても面白いが景色としても面白い。備中守信茂はたしか
こんな話をして小山田備中の城、岩殿山の前をめぐりながら進んで行く。
ても山ばかり、よくもこう山があったものじゃ。岩殿山が要害なばかりではない、甲州全体が一つの要害じゃ、小仏なり、
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でございます。お祖師様を信心致しますから、それで身延山へ参りてえと思って出かけて参りましたんで」
「身延山へ参詣する者でございます、途中で悪い奴に遭ってこんな目に逢わされて
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守以外には封を受けたものが一人も無い。まんいち江戸城に事起った時は、この城がいかなるお役に立つやも計り難し。
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「それはそうに違いない、川中島の掛引は軍記で読んでも人を唸らせる、実際に見ておいたら
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「大阪の与力大塩平八郎の事件などがそれじゃ、あれは跡部山城守殿が大塩を見る
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を山の中に送り込む当局者の気が知れない、駒井を甲州へやるのは舟を山へ送るのと同じで、しかもその舟も、旧来
外国向きのことに、あんな青二才を使えるものではない、甲州の山の中へ入って、摺れからしの勤番の中で揉まれて来るの
それから大急ぎで甲州の方へ歩いて行きました。
十人の人足が曳々声を出してそれを担ぎ上げました。甲州に入っての勤番支配の権威は絶大というべきものです。この街道を通る
から敬服しておられた。徳川家の世になって甲州の仕法は、いっさい信玄の為し置かれたままを襲用して差支えなしという
て差支えなしということであったが、ただ一つ、甲州の軍勢が用いた毒矢だけは使用相成らずと東照権現のお声がかりであっ
なる。後に太閤の世になってから、太閤がこの甲州へ来て、信玄の木像を叩いていうことには、お前も早く死んで
少しく変つた事有之候、言葉もまた江戸より入り候へば甲州特有の言葉ありて面白く覚え候、昨日はまた甲州名代の猿橋といふのを
一本の柱も無く組立て候事が奇妙に御座候、甲州は評判の如く荒き処あり、途中も心して見聞致し居り候。
ゆきません。甲府勤番支配は、ある意味において、甲州の国主大名と同じことだと言ってお絹から聞かされました。神尾の
の百蔵という男、御苦労さまにわたしたちを附け覘ってこの甲州へ追蒐けて来たが、あの猿橋で、土地の親分とやらに
「我々のは、甲州を治めに行くので、征伐に行くのとは違う、それ故、弓矢の
の譜代の家来でもなければ臨時の雇人でもない。甲州へ行こうというのは、必ずしもこの人の附添が目的なのでは
、米友はお君に会いたくてたまらないから、それで甲州へ行く気になったものであります。
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「左様、八ヶ岳にも雪が深いし、地蔵岳も大分被りはじめたようだから、それが
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「俺らは伊勢の国から東海道を旅をして江戸の水を呑んで来た宇治山田の米友だ
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兵隊を出してどうする気だ。そんなことをするよりは印旛沼の掘割りでもした方がよっぽど割がいいぜ」
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「もと四谷の伝馬町にいた神尾主膳からの使でございますと言ってごらん、そう
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「もう、勘弁ができねえ、こいつら甲州街道の川越しの人足ども、あんまり人をばかにしやがるない、ここは手前たちの川
越えをしたということ。性質の悪いことにおいて甲州街道の雲助は定評がある。その雲助を、あんなことを言って罵ってしまったから
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甲府の神尾主膳の邸へ来客があって或る夜の話、
も大分被りはじめたようだから、それが風のかげんで甲府の空を冷たくするのであろう、なかなか寒い」
とは、見縊られたもまた甚だしい哉。二百余名の甲府勤番がそれで納まるか知らん、駒井を頭にいただいて唯々諾々とその
を言えば駒井の上に出でるものはいくらもある。言わば甲府勤番は苦労人の集まり、粋人の巣と言うべきだ、容易な人間でその
「駒井も駒井だが老中も老中だ、いったい我々甲府勤番を何と心得ている。なるほどいずれも相当にしたい三昧をし尽し
は言っておられぬ。もっと男らしい手段はないか、甲府勤番の反の強さを見せつけて、駒井の胆を奪うてやるような
を制して駒井能登を圧倒するのじゃ、そうして、甲府勤番には骨があって、彼等如き若年者で支配などとは以てのほか
御役知は千石で、本邸は江戸にあって住居は甲府へ置く。
が五十人ずつあって、五百石以下の勤番が二百人は甲府の地に居住しています。支配は二人であることもあり一人は
甲府の勤番支配は三千石高の芙蓉間詰であります。その下には与力
駒井能登守が甲府へ入ることを悲しむ連中は、こんなことを言います、
幕府は駒井の人物を見抜いてワザと甲府へ納めるのだ、甲府は天険であって、まんいち徳川幕府がグラつき出す時は、そこが唯一の
こんな一説もあります。幕府は駒井の人物を見抜いてワザと甲府へ納めるのだ、甲府は天険であって、まんいち徳川幕府がグラつき出す時
、行先ではまた神尾あたりの、あんな悪感情に迎えられて甲府へ乗り込む若い支配の前途も多事でないことはありません。
甲府の城内へも、いつ出かけていつ到着するという沙汰なしに出かけました
「甲府の方へ参りまする、どうかお通し下さいまし」
其方は今より三月ほど前にこの関所を越えて甲府へ出たことがあるように覚えているが、これはその時の手形
それではお書換えを願いたいものでございます、急に甲府まで参らねばならないんでございますから」
そんなことをしてはおられません、わたしの連合いが甲府にいて、急にわずらいついて、大へん危ないのでございますから、どうぞ、
もと来た江戸の方ではなく、これから行こうという甲府の方でありました。
お聞き入れがなければそれまででございます、もし連合いが甲府で亡くなるようなことになれば、わたしは江戸へ帰って親類の者や
へ行ったのは女連、途中どこかで追いつかなければ、甲府で落ち合う。その時は、がんりきとあの後家様をつかまえて、思う
ならないけれども、どのみち行く道筋は甲州街道で、落着くところは甲府、先へ行ったのは女連、途中どこかで追いつかなければ、甲府で
もある、これを知ってか知らずか、女一人で甲府まで乗り込もうというのは、大胆と言おうか、愚かと言おうか」
「これから先のこと、甲府へ入るまでにきっと、あの者が再び現われることがあるに違いない、その
に飛んでもない相手を引受けたものです。市川海老蔵は甲府へ乗り込む時にここの川越しに百両の金を強請られたために怖
してもらいましょう。それから兄貴、お前が俺を出し抜いて甲府へ立たせたあの御新造と娘は、ありゃあ今どこにいる」
には甲府の城下へ一足お先に着いているから、甲府まで送り込んでしまえば、俺の肩が休まるんだ。百、お気の毒だ
日は安心ができる、二三日安心している間には甲府の城下へ一足お先に着いているから、甲府まで送り込んでしまえば、
「へえ、それはこのたび、甲府の勤番御支配で御入国になりまする駒井能登守様と申しまするお方
でございますと言ってごらん、そうして主人の勤め先の甲府へ参る途中でございますが、女ばかりで泊るところに困っておりますから
「甲府詰の主人神尾方へ参る途中の者、女連にて宿に困る……
甲府へ行けばこの人は、自分の元の主人の神尾主膳の上へ立つ
たは、みんなあの殿様のおかげ、それにあのお方は甲府の勤番支配といって、うちの殿様よりはズット上席のお方、神尾
ましたけれど本意でないことがいくらもあります。自分の甲府へ行こうというのは、神尾の殿様だとか、駒井の御支配様
に候、笹子を越え候はば程なく勝沼にて、それより甲府までは一足に候、さすがに峡と申すだけの事はありて、中々
ば少しく快方との事、やや安心は致し候へども、甲府入りを致したしとは以ての外に候、少々快方に向ひたればとて心
て甲府へ赴く由にて此の宿へ着き申候、御身が甲府入りを致したしとの書状と思ひ合せてをかしく存じ候、右の婦人
今日も女連の二人の者同じく江戸より出でて甲府へ赴く由にて此の宿へ着き申候、御身が甲府入りを致したし
殿様であると、こう思わないわけにはゆきません。甲府勤番支配は、ある意味において、甲州の国主大名と同じことだと
その間に兵馬のことを考えています。いま甲府の牢内に囚われているという兵馬を助けんがためには、神尾主膳
であると思わないわけにもゆきませんでした。同じ甲府へ行く旅にしても、身分も違えば目的も違う、この後、
「あの、わたくしどもが甲府へ参りまするのは、冤の罪で牢屋につながれている人を助け
、それでわたくしどもは甲府へ参りますのでござりまする、甲府へ参りまして、神尾主膳様からそのお願いを致すつもりでございますが…
そのお方をお助け申し上げたいと、それでわたくしどもは甲府へ参りますのでござりまする、甲府へ参りまして、神尾主膳様からその
という旗本と出逢うかも知れぬ、それはこのたび、甲府へお役になった拙者の知合いだ、たぶん我々が峠へ登る時分に
、このたび甲府勤番支配を承った駒井能登守の手の者、甲府へ赴任の道すがらでござるが」
「我々は、このたび甲府勤番支配を承った駒井能登守の手の者、甲府へ赴任の道すがらでござるが
「お乗物の中へ物申す、拙者は甲府勤番支配の与力渡辺三次郎、失礼ながらお名乗りを承りたい」
「拙者事は、同じく甲府勤番の組頭神尾主膳でござる、今日は私用にてこのところを通行致す故、
お前もひとりで貞女暮しは淋しいことだろうとか、殿様も甲府ではまた罪をお作りになったことでございましょうとか、お松
あるにかかわらず、今日はもうケロリとしてしまって、甲府から迎えに来たというお武士を引張り上げて、あの通り御機嫌よくもてなし
「昨夜はどうもお騒がせをしました、あの甲府から神尾主膳様がお迎えにおいで下すって、お供の衆もたくさんついて
お前さんは、これから江戸の方へ帰りなさるとも、また甲府の方へ行ってみようとも、もうわたしたちにかまわないで、自分の気儘に
、どうぞ納めておいて下さい。それから、もしお前さんが甲府へ行っても、今までの調子で心安立てに、殿様のお邸なんぞ
一本立ちで甲府へ行って見せるとも、峠を越せば甲府まで一日で行けるということだ、小遣だって何もそのくらいのことに
よしよし、これからは一本立ちで甲府へ行って見せるとも、峠を越せば甲府まで一日で行けるということだ
、お前が聞かないふりをして行ってしまえば、もし甲府へ着いた時に、君ちゃんの在所がわかってもお前には知らせ
や、お前さんには何も恨み恋はねえんだ、甲府へ行ったらお目にかかりましょうよ」
で甲府へ行くんだ、俺らがどういうわけでひとりで甲府へ行くようになったのか、いま投げてやった包み物に聞いてみる
「お松さん、お松さん、俺らはこれからひとりで甲府へ行くんだ、俺らがどういうわけでひとりで甲府へ行くようになっ
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ても及ばないところにその着眼と規模とがあって、長崎の微々たる小吏でありながら、諸侯の力を借りずに独力でもって
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の古戦場というのがあること、太鼓岩、蚕岩、白糸の滝、長滝などの名所があるということ、それから矢坪坂の座頭転がしの
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とする時、信長は蒼くなって慄え上った、ちょうどその京都へ出ようとする途端に謙信が病気で死んだ時は、信長はホッと息
人の手並を見せてくれんと、まさに兵を率いて京都へ来たらんとする時、信長は蒼くなって慄え上った、ちょうどその
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取ってつくづくと眺めていました。表には「江戸麹町二番地、駒井能登守内へ」と立派な手蹟で認めてあります。