大菩薩峠 16 道庵と鯔八の巻 / 中里介山
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なくして、その姿をさえ認めたものはありません。番町の本邸は鎖されて朽ちかかったけれど、新しい主を迎える模様は見えません
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両国橋を渡りきった米友は、回向院に突き当って右へ廻って竪川通りへ出ました。それからいくらもない相生町
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南条と別れた宇津木兵馬は、王子の扇屋へ帰って来ました。扇屋の一間には、さきほどから兵馬
のだか知りません。紅葉というのは出鱈目で、王子から江戸の市中へ出るらしいのであります。時は夕暮で道は淋しい
と同時に、これはまた板橋街道の方から連立って、王子の方面へ入って来る二人の旅人があります。
ものらしく、直接に江戸へ入らないところを見ると、或いは王子を通り越して千住方面へ出るつもりかも知れません。先に立ったのは
この二人は、板橋街道で打合せた通り、王子の扇屋を覘ったものであったに違いないが、その見込みが少しく外れ
にこの家に枕を並べて寝ね、翌朝早々に兵馬は王子へ帰りました。帰って見ればあの事件。
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あるのみでありました。足許の明るいうち、また故郷の浜松に舞い戻ろう、お絹はこうも思慮を定めました。しかし故郷へ引込むには
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注文の火薬製造機械は、和蘭のアムステルダムから帆前船に積み込まれたという通知もありました。
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下谷の長者町の道庵先生がこの頃、何か気に入らないことがあってプンプン怒って
ではありませんでした。その門前の賑やかなことは長者町はじまって以来の景気であります。ところが道庵先生の方は、相変ら
今まで十八文で売っていた道庵先生、長者町といえば酔っぱらいの道庵先生と受取られるほどの名物であった先生が、
ここに例の長者町の道庵先生の近況について、悲しむべき報道を齎さねばなりません
結びつけて、仕立下ろしの袂のある棒縞の着物を着て、長者町の屋敷をはなれました。本来、使そのものは附けたりで、恩暇を
をもらって、相当の土産物などを調えたりなどして、長者町に道庵先生を訪れました。
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はない、単に一種の女丈夫であるに過ぎない。たとえば筑前の野村望東尼といったような質の女で、生来ああした気象
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と、何をやり出すか知れたものではござんせん、本所の相生町の箱惣なんぞがそれでございますからな、首を刺されて両国
、浪人たちに怨まれて、両国橋に梟された本所の相生町の箱屋惣兵衛の家が、何者かによって買取られて、新たに
今日はこれから、あの家へ遊びに行ってやろうか知ら、本所の鐘撞堂で相模屋というんだ、よく覚えてらあ」
ここで米友の心持がようやく定まりました。本所の鐘撞堂の相模屋という夜鷹の親分の許へ、米友は御無沙汰廻りに行こう
その行先は、よく聞いておかなかったが、なんでも本所の鐘撞堂とか言っていたようだ、と言いました。
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何をやり出すか知れたものではござんせん、本所の相生町の箱惣なんぞがそれでございますからな、首を刺されて両国橋へ
たちに怨まれて、両国橋に梟された本所の相生町の箱屋惣兵衛の家が、何者かによって買取られて、新たに修復を
へ廻って竪川通りへ出ました。それからいくらもない相生町の河岸を二丁目の所、例の箱惣の家の前まで来て見る
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只浪花のみならず諸国に斯る挙動ありしが、就中江戸に於ては米穀其他総ての物価又一層の高料に至れば、貧人飢餓
も知れません。或いはまたお銀様の望み通りに、江戸へ向けて姿を晦ましたものかも知れません。とにかく、八幡村には
気の毒なのは駒井能登守であります。江戸の本邸に着いたまでは、ともかくもその格式で帰りました。
江戸へ着いてからいくばくもなくして、その姿をさえ認めたものはありません
か知りません。紅葉というのは出鱈目で、王子から江戸の市中へ出るらしいのであります。時は夕暮で道は淋しい。
兵馬と南条なにがしとがこうして王子を立って、江戸の市中へ向けて出かけて行ったと同時に、これはまた板橋街道の
かなり長い旅をして来たものらしく、直接に江戸へ入らないところを見ると、或いは王子を通り越して千住方面へ出るつもりかも
だ、甲府で失策った能登守という殿様は、いま江戸にも姿が見えねえのだ、そうして田舎芝居の盲景清のように、
甲州街道でお松の危難を助けて、江戸へ下った南条なにがしもまた、この老女の許へ出入りする武士のうちの重なる
南条なにがしは、お松を助けて江戸へ出て、それからこの老女にお松の身を托したということは
庵は、若干の小遣銭を米友に与えて、お前も江戸は久しぶりだからその序に、幾らでも見物をして来るがよいと言い
という当はないのであります。ともかくも、久しぶりで江戸へ出たのだから、御無沙汰廻りをしてみようかと思いましたけれど、
て恩になったり、世話になったりしたところへ、江戸へ来てみれば面出しをしねえというのは義理が悪い。さて今日
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ないから、わたしのところへおいで、前と同じことに佐久間町にいるよ、ここからは一足だよ、わたしも此家の先生へ用が
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乗じ、諸国糸商人共へ相場状にて相進め、頻りに横浜表へ積出させ候につき、糸類悉く払底、高直に成り行き万民の難渋
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十三代の将軍温恭院殿(家定)の御台所は、薩摩の島津斉彬の娘さんであります。お輿入があってから僅か三年
であります。この老女は、その天璋院殿のために、薩摩から特に選ばれて附けられた人であるというのが一説であります。
背後には、将軍の御台所の権威と、大大名の薩摩の勢力とが加えられてあるわけであります。だからそこへ出入りする浪士
証拠だということであります。それでこの老女は、薩摩の家老の母親で、天璋院殿のためには外ながら後見の地位におり、
のだということであります。将軍の御台所も、薩摩の殿様でさえも一目置くくらいの権威があるのだから、ここへ出入りする
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で御身を殺しては、能登守殿にも申しわけがない、甲州から頼まれた人たちへも申しわけがない、これまでの苦心が仇になる
てもできないことであります。そうかと言ってまた甲州へ連れて戻るわけにはゆかず……結局、どうすればよいのだか
ねえのだが、兄貴だって同じことだろう。命からがらで甲州から逃げて来たんだ、ここまで息をつく暇もありゃしねえ、いくら人の
様がまだこちとらをお見捨てなさらねえのだ。俺らは甲州から持ち越した溜飲が、初めてグッとさがったんで、嬉しくてたまらねえ。と
若い娘がありました。これは疑問の余地がなく、甲州から男装して逃げて来た松女であります。老女が外出する時も
ここへ来るとお君のことが思い出され、甲州へ置いて来たお君の面影が、強い力で米友の心を押えて
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また、夜陰、小泉家から出た二挺の駕籠が、恵林寺まで入ったということを見届けたというものもありました。しかし、小泉
見届けたというものもありました。しかし、小泉家と恵林寺とは、常に往来することの珍らしからぬ間柄でありましたから、それ
鎖と縄を引張ったまま只走りに走って、塩山の恵林寺の前へ来ると、直ぐにその門内へ飛び込んでしまいました。山へも
街道でも門外でも騒いだように、恵林寺の門内へこの珍客が案内もなく飛び込んだ時には、一山の大衆を騒が
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「是より先、米価次第に沸騰して、既に大阪市中にては小売の白米一升に付銭七百文に至れば、其日稼ぎ
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甲府城内の暗闘とか勢力争いとかいうことは、それで一段落になりました
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「来月の半ばに下田を出る仏蘭西の船があるから、それに便乗することに頼んでおいた、
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それが京都と関東との御仲の御合体のためにとて御降嫁になったことは、その
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ことに気がつきませんでした。そうしてやたらに水天宮様ばかりを讃めているのであります。
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甲州街道でお松の危難を助けて、江戸へ下った南条なにがしもまた、この老女の
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ちを見廻しながら歩いているうちに、柳原を通り越して両国に近い所までやって来てしまいました。
「両国!」
、全身から冷汗の湧くように思って身を竦ませました。両国は米友にとっては、よい記憶のある土地ではないのであります。よい記憶の
両国に近いところへ来て米友が、むらむらと不快な感に打たれて堪らなくなった
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下谷の長者町の道庵先生がこの頃、何か気に入らないことがあって
「俺らの家か、俺らの家は下谷の方だ」
いたんだとさ、そうして今はなんでも下谷の方にいると言ったね、政ちゃん」
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はありませんでした。これを想像するに、或いはいったん甲府へ帰って、また神尾主膳の下屋敷にでも隠れるようになったものか
駒井能登守去って以来の甲府は、神尾主膳の得意の時となりました。けれどもその得意は、
甲府城内の暗闘とか勢力争いとかいうことは、それで一段落になり
それは、甲府の破獄以来のことを知ったものには、指して言いさえすればすぐ
目の前に立ったのは、甲府の牢内にいる時と、その牢を破ってから後も、苦楽を共
「わかってみれば何でもないこと、あれはな、甲府におられた駒井能登守殿じゃ」
この室内の模様は、前に甲府の邸内にあった時と、ほぼ同じような書物と、武器と、それ
その以前、やはり不意にこの男が、甲府の駒井能登守の邸を夜中に驚かしたことがあったように。
ことを話し合いました。人物の評をしてみたり、甲府以来の世間話をしたりしました。兵馬はこの人のいつも元気で
「何の真似だと言ったって兄貴、お前と俺らが甲府でやり損なった仕返しが、どうやらここでできたというもんだ、自分
ここへ連れて来た女というのは別じゃあねえ、甲府にあって一問題おこした例の、能登守の大切の大切のお部屋様
引いてるんだ。あの時、二人で提灯をぶらさげて、甲府の町のやつらを噪がせて、天狗だとか魔物だとか言わ
緒から引き出して話をする。そもそも兄貴とおれとが、甲府のお城のお天守の天辺でしたあのいたずらから事の筋が引いてる
晴らしてえという当の相手はどこにいるんだ、甲府で失策った能登守という殿様は、いま江戸にも姿が見えねえ
た仕事をしたものだ、けれども、その手前が、甲府から持越しの意趣を晴らしてえという当の相手はどこにいるんだ
甲府の躑躅ヶ崎の、神尾主膳の別邸の広い庭の中に盤屈している馬場
からでありましょう。吠えてみたところで、今やこの甲府の界隈には、自分の声を理解してくれるものがないと諦めて
甲府以来、その消息を知ることのできなかった二人が、ここで思いがけなく面
甲府における駒井能登守の失脚をよく知っているお松には、一層
、飛び出したことを思い出しました。あの時の女主人は甲府へ行っているはずだけれど、あの若いこましゃくれた旦那はどうしているか
で行くのであります。そのことを思い返すと米友は、甲府を立つ時に、なぜ駒井能登守を打ち殺して来なかったかと、歯
の者がやって来ました。そのなかには、曾て甲府の獄中にいた南条と五十嵐との二人の姿を見ることができます
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それが京都と関東との御仲の御合体のためにとて御降嫁になったこと
「ないことがあるものか、京都を逃げたのもお前だろう、それからお前、国々を渡り歩いていたと
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もなし、そうかと言って、それに対抗するには上野の山内でも借受けて、和蘭芝居の大一座でも買い込んで来なければ
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本所回向院、谷中天王寺、音羽護国寺、三田功運寺、渋谷渋谷寺の五ヶ寺に於て炊出しを命ぜられ普く貧民に之を与へ、其
、本所回向院、谷中天王寺、音羽護国寺、三田功運寺、渋谷渋谷寺の五ヶ寺に於て炊出しを命ぜられ普く貧民に之を与へ、
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先づ救民小屋造立の間、本所回向院、谷中天王寺、音羽護国寺、三田功運寺、渋谷渋谷寺の五ヶ寺に於て炊出しを命ぜられ普く
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なせる事は日を追つて熾なりしが、其頃品川宿に於て施行を出すを左右と拒みたる者ありとて忽ち其家を
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ありて小吏等万般説諭なせどもなかなかに鎮まらず、或は浅草今戸町その外処々の辻々へ貧窮人等が張札をして区々の
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ました。勘定奉行にして陸海軍奉行を兼ね、勝も大久保も皆その配下に働いたものであります。この火薬の製造所とても、西
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に江戸へ入らないところを見ると、或いは王子を通り越して千住方面へ出るつもりかも知れません。先に立ったのはやや背の
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ました。そこで道庵の差図によって米友は、日本橋の本町の薬種問屋へ薬種を仕入れに行くのであります。
坐っていましたが、米友に向って、暇ならば日本橋まで使に行って来てくれないかということでありました。米友
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惣なんぞがそれでございますからな、首を刺されて両国橋へ曝されて、やっぱりこの通りの張札をされたんでございます
これより先、浪人たちに怨まれて、両国橋に梟された本所の相生町の箱屋惣兵衛の家が、何者かによっ
ままで、サッサと人混みを通り抜けて、他目もふらずに両国橋を渡って行く挙動は、おかしいというよりは、確かにものすさまじい挙動であり
両国橋を渡りきった米友は、回向院に突き当って右へ廻って竪川通りへ