大菩薩峠 37 恐山の巻 / 中里介山

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地名一覧

ナポリ

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のですから、今、スペインのフラメンコをやり出そうとも、ナポリのタランテラを振廻そうとも、それが物になっていようとも、いなかろうとも、

上野原

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甲州の上野原で

大手門

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ついている。しかく英雄によって名残りを残す一城の大手門なのであって、「お花さん狐」にしてからが、その英雄時代

といえば表の方でなければならないし、昔は大手門であっても、台所門と名を変えた以上は、どうしても裏手

くらいですから、なみなみならぬ由緒を持っている。前の大手門を、台所門として移したと同時に、この松もここへ移し植えられ

関西

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佐幕の争いでありましたが、地理的に言えば関東と関西との勢力の争いであるし、もう少し遡ると、大阪へ定めた豊臣の

法隆寺

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聖徳太子の創建し給える大和の国の法隆寺は、日本文化の源泉地であり、世界最古の木造建築ということになっ

琵琶湖

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でもなければ※でもありませんでした。本来、琵琶湖の湖岸には左様に猛悪な猛獣は棲んでいないのですが、そうか

比叡山

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天めぐり、地は転じて、ここは比叡山、四明ヶ岳の絶頂、将門石の上に立って、洛中と洛外とを指呼の

神奈川

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拙が神奈川の神風楼について実地に調べてみたところによると、その跡かたは

知善院

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たような次第でげす。さてまた、この次に由緒ある知善院をたずねるのだが、今度こそ胆を抜かれねえように、臍下に落着けて

姉川

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た馬が逸走して、それを米友が追いかけて、ついに姉川の古戦場の川原まで行ってしまったことがある。その川原の真中まで馬を

「それから君、姉川の方面では、水争いがはじまっているのだ、百姓たちが、おのおの自分の

青山

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「根岸からだから、ホンの一足だ、拙者は青山から来ている」

石巻

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いったん追波の本流へ出て、鹿又から北上の本流を石巻まで舟でやってくれ給え、舟は本流へ出るまでは、今のあれで

あれでよろしい、それからは、最前仕立てて置いたあれで石巻までやってくれ給え、この辺はすでに仙台領だから、あの舟で行きさえ

下野

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、それは日中、渡頭を徘徊していたところの、下野の足利の貧乏にして豪傑なる絵師田山白雲に相違ありません。そうする

行って跪いて、天子様の万歳をお祝い申し上げる、それから下野の日光山にまいりますと、権現様の前へ跪いて天下の泰平をお祝い

興福寺

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を手放さない限りもないと聞きました。大和の奈良の興福寺の五重塔なども、すんでのことに取りこぼち、二束三文の値段

岩代

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が、否、黒塚は決して陸前の名取郡ではない、岩代の安達郡であると考証したものである。これには、さすがの喜田博士

武蔵野

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いうような次第だから、仙台からは数百里を隔てた武蔵野の中の貧家に生れて、よし、盗みの方にかけては博士以上

草津

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から、なにげなく上方へ向って旅立ちな――さよう、草津か、大津か――そんなところでは人目にかかる、こうと、いいことが

は甘いところで摺針峠のあん餅、多賀の糸切餅、草津の姥ヶ餅、これらをばお茶うけとしてよばれ候上は、右と左

薩摩

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「八重山ハ薩摩ノ国ノ南ノ方ニアル島デス、ソノ島ノ娘、タイヘン声ヨイデス、世界デモ一番

、マドロスさんの言うことは大きいからね、日本の国の薩摩の国の中に世界一番なんて、それは掛値があるんでしょうけれど、かり

相手じゃあがあせん。現に相州の生麦村に於て、薩摩っぽうが無礼者! てんで、毛唐を二人か二人半斬ったはよろしい

鳥を落している――会津よりも、長州よりも、薩摩よりも――豎子をして名を成さしめている、は、は、は」

ムキになってコキ卸して得意がる奴がある。たとえば薩摩というところは、よく一致して同郷人を担ぎ上げたがるところで、あすこへ生れる

たかって人間以上に箔をつける、あの一致する気風は薩摩の長所だ。それと違って、同郷だというと、むやみに啀み合い、ケチ

だ、藤田だと、始終血で血を洗っている、薩摩あたりに比べると絶大な損だ。わが土佐の如きも……」

江戸城

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あるが、おれだって、これで、ほかならぬ天下の江戸城の千枚分銅に目をかけたことのある武州青梅の裏宿の七兵衛だ

甲州

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「甲州の有野村――藤原ですって」

「お手紙でございます、甲州の有野村の御実家から、お嬢様のところまで頼まれてまいりましたが」

「それはそれは、甲州から日限仕立で、それは御大儀のことでござったな。幾日かかりまし

と、甲州からの仕立飛脚が言いますと、関守氏が、

甲州から来た仕立飛脚氏はここに於て、自分はここへ使に来た

仕立飛脚で甲州からやって来た人でさえも、話し込んでいるうちに、自分も甲州へ

来た人でさえも、話し込んでいるうちに、自分も甲州へ帰らないで、いっそ、この王国の中へ住み込んでしまおうかという気に

ずっと昔のこと、甲州の八幡村で、新作さんという若衆の許婚の娘が、水車小屋から帰る

「それは、甲州の豪族の娘で、俗にお銀様といって、なかなかの代物だ、

甲州の上野原で

「おやおや、これは大変、甲州の大旦那がおいでになったんだよ」

甲州の大旦那とは、お銀様の父、藤原の伊太夫のことであり

八ヶ岳

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を立ち出でました。天気が良くて、釜無川の沿岸から八ヶ岳の連峰が行手に聳えている。与八は歩きながら、お千代婆さんに向っ

ロンドン

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チーカ、ロンドン

パツカ、ロンドン

チーカ、ロンドン、ツアン

パツカ、ロンドン、ツアン

チーカ、ロンドン

パツカ、ロンドン

チーカ、ロンドン

パツカ、ロンドン

チーカ、ロンドン

パツカ、ロンドン

バツカ、ロンドン、ツアン

加賀

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名所めぐりができます――また言う、わたしの知っている加賀の金沢へ落着いて、そこで、この三百両のお宝を資本にして

叡山

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来たものではなく、むしろ、京白河の方面からこの叡山へ登って来て、多分、この辺で落合ったもの、それも偶然でなく

の隊士は、いったん山王下に留っていたが、徐々に叡山へ向ってのぼりはじめました。

関東

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ちゃいかん――という説を唱えたもんだから、関東のお役人に睨まれて、とうとう首を斬られてしまっとうだ」

そりゃ、饑饉ということは、関東にも、上方にもある! あるにはあるけれども、東北の饑饉に

勤王と佐幕の争いでありましたが、地理的に言えば関東と関西との勢力の争いであるし、もう少し遡ると、大阪へ定めた

徳川の勢力に対する三百年間の因縁がある。政治的には関東へ取られたが、経済的には、実力的には……文化的には、

が、同輩でもあり、敬称になる場合もあるが、関東では「どん」称は目下でなければ使わない。長松どんだとか、

だとか、おさんどんだとかいう場合でなければ、関東では「どん」称語を用いないことになっている。西郷どんだの

大江山

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あれは、白昼、天下の膝元へ大江山が出来たようなものだ。たかの知れた浮浪人どもの仕業と見ている

大江山に棲む鬼共が、帝京の地に出没して物を掠め、女をさらっ

上高地

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ハイキングが怪しいものであり、お雪ちゃんが、白骨、乗鞍、上高地の本場で鍛えた確実なステップを踏んでいることがわかります。

銚子

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取っつかまって腰投げを食い、完全に抑え込まれてから、銚子の黒灰の素人相撲では連戦連勝を、またこの白雲の助言によって土

長者町

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「下谷の長者町というところに巣を構えておりまして」

本所

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江戸の本所の弥勒寺長屋に、同じ釜の飯を食って以来、いや、もっと早く言えば

ました。町から町、辻から辻、江戸に於て本所、深川、永代、両国を、はてもなくつけつ廻しつ、さまよい出した経験

江戸

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「江戸へ行こうと思ってやって来たのだ」

「江戸へ、何の目的で?」

「何の目的ということはないが、江戸は天下の膝元ということだから、そこで修行をしたい」

た。前途というのは、仙台方面へ向けて、つまり江戸へ行くという目的の方向なのであります。

見られた御当人が、これから先、あの調子で、江戸まで往来が為され得ると考えたら大間違い。恐山から来たと言ったが、

江戸を出でて以来、中仙道をここまで百里にわたる旅路ですけれども、この途中ハイキング

ぜひこちらへいらっしゃいよ、ここならば京大阪は近いし、江戸へおいでになりたければ一足で海道筋です、わたしがついていますから

つ第二軍を実行させてもらいましょう。どうです、江戸のあのお医者の先生にも少し逗留していただいて、あの先生をひとつ

でございますが、あのお嬢様にお附添でまいりました江戸の女の方――さよう、お角さんとかおっしゃいましたな、あのお

も、考えてごらんなさい、あなた、甲府の城下でも、江戸の真中ででも、いつ、いかなる場合に於ても、犬に吠えられた

「中興の食行様は、江戸の巣鴨に住んで、油屋を営んでおいでになりました。富士のお

でなあ、人の気づかない意見を述べたものだから、江戸の方のお役人から睨まれてい申した。ある時、本当にそういう御

もなかったでごいしょうが、兵法を講釈のついでに、江戸のお城を攻めるにはどうしたらいいか、どこからどう攻めれば落し易い

果してこの二人は、江戸の中心地を目指して進んで行くのではなく、根岸から東北へそれて行く

不在中である。その留守宅へ、これらの連中は江戸の東西南北を遠しとせずして、定刻にほぼ集まっている。

神尾主膳は江戸に生れたけれど、江戸を知らない。知っているところは知り過ぎるほど知って

神尾主膳は江戸に生れたけれど、江戸を知らない。知っているところは知り過ぎるほど知っているが、知らないところ

江戸の場末といっても、自分の足のつづく限りに於て、こんな荒涼な

「あなた、ずいぶん、江戸の吉原で苦労をなさったそうですね」

ない、そう思うと一刻もいやだ――本来、おれは江戸へ出て武者修行をするつもりで来たのだ、こんな毛唐まがいの船の

「ははあ、武州か、じゃあ、江戸の圏内と言ってよかろう、幕臣とみなしてもいいじゃないか」

「江戸の幕臣とみなされることは、彼の名誉とするところじゃあるまい、むしろ、

「そうだろう。だが、東国といっても、江戸という意味じゃない。そこへ行くと、近藤、土方を出した武州多摩郡

江戸の女軽業師の親方お角は、道庵を待合わせる間の道草として、

、もう少し遡ると、大阪へ定めた豊臣の勢力と、江戸へ奪って(?)しまった徳川の勢力に対する三百年間の因縁がある。

人傑に対して、断じて「どん」称を用いることは江戸にはない。ところが、お角さんは土方歳三に向って、遠慮なく「

しては、道庵先生のお供兼用心棒として、江戸から中仙道を木曾にとって、上方のぼりをして、ここまで来たと

はやめた方がいい。君も知ってるだろう、このごろ、江戸の老中といって、権勢のすばらしいお役所から、役人が出張って、土地の検査

また何よりお手近い儀でござる、実は、愚老は、江戸から参上いたしたものでござるが」

「ははあ、江戸から遥々とお越しになりましたか」

「江戸の下谷に住居を致しおりましてな」

もなきこの荒れ寺を、よくぞお心にかけて、江戸よりわざわざお立寄り下された御好意に対し、留守をあずかる拙者の一存で、

江戸の本所の弥勒寺長屋に、同じ釜の飯を食って以来、いや、もっと早く

して通り過しました。町から町、辻から辻、江戸に於て本所、深川、永代、両国を、はてもなくつけつ廻しつ、

世間の人のすべてが遊行上人ではない。その後、江戸へ来てからも、誤解され通しで今日に至っている。

近江屋

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りきの百の野郎は、案内知ったる寝物語の里の近江屋の方の雨戸をトントンと叩いてみると、それに手応えがありました。

島原

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コレの威光で持てるんでげす。大将の近藤なんぞも、島原から綺麗なのを引っこぬいて、あちらこちらへ手活の花としてかこって置く

奥州

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「奥州にも気の短い奴がいる!」

「奥州にも気の短い奴がいる!」と田山白雲が思わず舌を捲いた

奥州へ来て、ところがらだけに、安達の一つ家といったような気分

、常識で考えても、あれからの自分の足で、奥州の安達ヶ原まで走れるはずはないから、いずれ江戸府内、近郊の寺に相違ある

これもやむを得ない、自分は今、名にし負う奥州の安達ヶ原の真中を歩かせられているのだ。

、どこかの隅で見つけないことはないのだが、奥州安達ヶ原とくると、ないといえば、石っころ一つない――土を

それそれ、奥州の涯は外ヶ浜というところだと聞いている。してみると、この安達ヶ原

の力に乏しい七兵衛とは言いながら、いかにまた土地柄が奥州安達ヶ原とは言いながら、田村麿の昔ならいざ知らず、今の世に「鬼

「そうだ、奥州は饑饉の名所だってえ話を聞いている、こりゃ、饑饉時の食物だ

なるほど、奥州仙台陸奥守六十二万石(内高百八十万石)のお城は豪勢なものだ。豪勢

は黒塚より何十里、何百里も奥へ進んでいる。奥州へ来て、広い原さえ見れば安達ヶ原だと思い、一つ家がありさえ

なんにしても七兵衛は、奥州へ来て、広い原をやみくもに歩かせられて、それが一途に安達ヶ原で

伊勢

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次に来るところのものは伊勢の海の風光でした。伊勢の海以来、米友は海を見たことがない。海を見たことが

姿に見えたことがある。今や琵琶の湖も、伊勢の海も、米友の頭の中ではごっちゃになり、今の時も、

富士登山

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ぬこと、もう晩秋といってもよい時分に、単身で富士登山をしての戻り道だということを聞かされてみると、与八も鈍感な頭

仙台藩

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ば旅券がなくても大丈夫だ。なお、念のために仙台藩の通券を一枚君に貸して上げる、これを持って舟で下ってくれ

甲賀郡

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「甲賀郡から参りました」

三条

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では、京都へ来たらぜひ拙者のところへ寄り給え、三条の新撰組の屯所と言えば直ぐわかる。だが、隊へ来て、歳

宇治

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が京大阪の根拠地に侵入する以前に、近江路、或いは宇治と勢多あたりに於て、眼に物を見せておかなければならぬ。

宝生山

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、せっかくの御期待にそむいて恐縮でござるが、長浜の宝生山の知善院というのは、当所のほかにはござらぬ。して、

諏訪

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へ、へ、へ、筋道とおっしゃいましても、甲州から諏訪へ出て、木曾街道を御定法通りに参ったんでございます、あなた様

松島

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そうして、松島の月見御殿の下に、盗人のひる寝と洒落こんでいるところを見出されて

富士山

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の人であって、不二講という教に入って、富士山に上り、さまざまの難行苦行をしたそうです。

の国は万国の秀霊であるということの信仰。富士山こそは天下泰平国土安穏の霊山であるから、この霊山を信じ、祈ることに

お婆さんは、自分の今度の旅行も、この故に富士山へ登山参詣をして来たその戻り道であるということを聞かされて、

下関

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して納め込まにゃなりやせん。長州の菜っぱ隊が、下関で毛唐の船とうち合いをして、日本の胆ッ玉を見せたなんぞ

下関までも

下関までも

下関までも

、いったい、この舟をどこまで漕ぎつけるつもりなのですか。下関といえば内海の果てでございます、それから玄海灘へ出ますと、もう

の、今のその漕ぎっぷりを見ていると、本当に下関まで、この舟を漕ぎつけて行く呼吸でした。下関までではございません、

本当に下関まで、この舟を漕ぎつけて行く呼吸でした。下関までではございません、玄海灘――渤海の波――天の涯、

「ねえ、米友さん、この舟は、下関や玄海灘へ漕ぎつけていただくのではございません、ほんの、この目と鼻

あんなに急に気が荒くなってしまって、さっさ押せ押せ、下関までも、と自暴に漕ぎ出してしまったのです、それに違いありません

竹生島

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方向へ漕いでまいりましては、決して私共の心願のある竹生島へ着くことはできませんでございます」

八重山

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「オ嬢サン、コレカラ日本ノモノヤルデス、マズ南ノ方カラヤリマショ、八重山ヲヤリマショ」

「八重山って何です」

「八重山ハ薩摩ノ国ノ南ノ方ニアル島デス、ソノ島ノ娘、タイヘン声ヨイデス

果して八重山という日本の国の辺鄙の島の中に、そんな音楽の天国があるもの

――ただ、盛んに唄い出すマドロスの咽喉を見て、八重山の女の世界的だという咽喉を想像するよりほかはないのですが、想像

大阪

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関西との勢力の争いであるし、もう少し遡ると、大阪へ定めた豊臣の勢力と、江戸へ奪って(?)しまった徳川の勢力

喜多とを、このまま無事にやり過ごしては、未来永劫、大阪の名折れになる、海道を我物面に、横暴にのさばり返って西上して来る

の聯合軍に、眼にもの見せてやらなければ、大阪の名折れである――そういうところから義憤を起して、大阪を代表して

の名折れである――そういうところから義憤を起して、大阪を代表して、立ちもし、立たせもしたところの豪傑が、河内屋太郎兵衛

限りはない。十八文の江戸ッ子の道庵風情に、大阪を引掻き廻された日には、先祖の河太郎に対しても相済まない

の引掻き廻しも怖いが、お角親方なるものは、大阪をはじめ、全関西の興行界を席捲するのはらを抱いて乗込みかねぬ奴で

でもけっこう見物だね。それから、もう一つは、大阪の城内から将来した最も由緒ある豊臣太閤秀吉の坐像がおありだそうだ

日光山

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跪いて、天子様の万歳をお祝い申し上げる、それから下野の日光山にまいりますと、権現様の前へ跪いて天下の泰平をお祝い申し上げるのです

仙台城

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の目的でありましたが、他のもう一つは、仙台城内の秘宝を覘って、九分九厘のところで失敗した裏宿の

甲府城

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、かの地に潜入して、ついに幕府のために捕われ、甲府城内の牢屋に繋がれていたことは既記の通りであります。そうし

根岸

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木綿が呑んでいたところの胃の腑の程度ですから、曾て根岸の三ツ目錐の屋敷で、裏宿の七兵衛が、鎧櫃に詰めて置いて、

神尾主膳は、根岸の控屋敷の居間で、顎をおさえながら、机によりかかって、二日

ている。内々で手分けをして探してみたけれど、根岸の宅へも戻っていない、さりとてとり押えられたという気配もない。杳

両国

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な寺の棟らしいのが見える。してみると共同墓地かな。両国の回向院ででもあるのかな。回向院ならば自分もよく知っている、どう見直

「は、は、は、こりゃあ珍しい、両国の親方じゃないか」

。町から町、辻から辻、江戸に於て本所、深川、永代、両国を、はてもなくつけつ廻しつ、さまよい出した経験を有するこの男にとって

仙台

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もう南部領にでもなっているのではないか。仙台領と南部領とは、かなり入組んでいると聞いたが、領分が違っ

向とすれば、いずれの藩の役人か。自分はすべて仙台領とばかり信じて、ここまで来ているのだが、川一つ向う

ない。今ああやって、早舟でやって来る役人が、仙台領の人であるならば仔細はないが、南部領の人であって

従うのコツを覚え込んでいる。仙台領へ来ては、仙台領の人となりきったつもりでいるが、まだ南部領の人となった心構え

郷に入っては郷に従うのコツを覚え込んでいる。仙台領へ来ては、仙台領の人となりきったつもりでいるが、まだ南部

向って出立してしまいました。前途というのは、仙台方面へ向けて、つまり江戸へ行くという目的の方向なのであります

の目的でありましたが、他のもう一つは、仙台城内の秘宝を覘って、九分九厘のところで失敗した裏

ば旅券がなくても大丈夫だ。なお、念のために仙台藩の通券を一枚君に貸して上げる、これを持って舟で下っ

置いたあれで石巻までやってくれ給え、この辺はすでに仙台領だから、あの舟で行きさえすれば旅券がなくても大丈夫だ。

られない縄抜けの身となって、着のみ着のままで仙台領を脱走して来たのです。

「でも、仙台領からの頼みで、どうでも馬さ一匹頼んで飛ばさにゃならねえ

、大切の罪人を仙台領から追いこんだのだなっし、仙台様と南部様の御威勢で、鬼が怖いということあるかと、

、鬼さ出ようと、蛇さ出ようと、大切の罪人を仙台領から追いこんだのだなっし、仙台様と南部様の御威勢で、

来たという旅の人は、このおれを追いかけて来る仙台領の追手ではないか。

仙台では、仏兵助という親分の手で、一旦おれは捕われたのだ

「仙台の仏兵助のために、おれは安達の黒塚へ追いこまれた、仏と

本来、自分がこういう羽目になったことは、仙台の城下へ足を踏み入れて、青葉城の豪勢なのに見とれた時から

なるほど、奥州仙台陸奥守六十二万石(内高百八十万石)のお城は豪勢なものだ。豪勢

、田山白雲先生に見せてやりたいばっかりに、この七兵衛が仙台侯の御宝蔵から盗み出したと思召せ。

奥州仙台でも名代の仏兵助という盗人の親分がいて、こいつがおれを

へ縦横に線を引いてみて、現在の地点が、仙台からおおよそどの方角に、どのくらい離れているということの測定にかかって

つをやっと持ち出したようなものだ。ただ、この際、仙台を起点としての自分の足心で標準を定めてみるばかりだ、と

だと明言してしまったものである。そうすると、仙台の国学者小倉博翁をはじめ、藤原相之助、浜田廉、宗形直蔵というような

そういうような次第だから、仙台からは数百里を隔てた武蔵野の中の貧家に生れて、よし、

あって、自分がとうの昔に卒業している。現に仙台以北、南部領の地点へ足を踏み込んでいる自分の周囲が、安達ヶ原で

今までの錯覚を、ここで清算し、その安達ヶ原は当然、仙台より西の部分にあって、自分がとうの昔に卒業している。

はずのないおれの動静を感づいた彼奴は何者だろう。果して仙台の仏兵助なる親分そのものが、自身で出向いて来たのかな。

盛岡

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というのは、南部の盛岡の城下で、つい数日前、人を斬って逃げた者がある。

が利いているのだということ。もう一つ別に盛岡の城下で、身分の軽からぬものを斬って立退いたものがある、その

だが――第二の事件、別に盛岡の城下で、身分の軽からぬものを斬って捨て、行方をくらましたと

大津

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少し逗留していただいて、あの先生をひとつ長浜から、大津まで送りがてら、お雪ちゃん、拙者をはじめ、同志を募集して湖上遊覧の

ございますが、あの先生が、それまで待っていらっしゃるかしら。大津に、お連れの方がお待兼ねになっていらっしゃるようでございます」

げなく上方へ向って旅立ちな――さよう、草津か、大津か――そんなところでは人目にかかる、こうと、いいことがある、

「関ヶ原から、昨晩は大津泊りでいらっしゃいました」

「大津――」

「はい、大津の宿で、はじめてそれと伺いまして、なるほど、がんりきの目は高い

で、再挙を試みたが、さいぜん申し上げる通りの用心堅固、大津まであとをつけて、やっとの思いでこの一腰を拝領に及びました、

来ていること、しかも、自分と眼と鼻の間の大津に宿を取っているということまで、嘘かまことか喋って行って

お角は、道庵を待合わせる間の道草として、大津から八景めぐりを試み、この日ちょうど、唐崎浜の一つ松の下へ

。これよりさき、十四代将軍が上洛の時、膳所と大津との間に待受けて、将軍を要撃しようとした浪士連がある。

たのだという。もう一つの説は、あれは大津の藩士たちである。これよりさき、十四代将軍が上洛の時、

片づけさせてしまいましたが、ほどなく馬に乗って、大津の方へと急がせて行く土方歳三――沖田総司が一人ついている

は、湖面から来るなごやかな風に面を吹かせて、大津の方面に向って急がせて行く。なお残された新撰組の隊士は

また、唐崎浜に待たせてあった舟に乗って、大津へ戻って来ました。

筋を同行することにして、お角は上の如く大津に宿って、わざわざ八景めぐりをしながら、胆吹山へ紛れこんだ道庵先生

福島

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この宿屋は、たしかに秀吉長浜時代の加藤虎之助とか、福島市松とかいった人たちの邸をそのまま残したものであろうかと

期を越した太閤の長浜時代の陣屋とか、加藤、福島の邸あとの広間とかいったような大まかな一室なのです。

奈良

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存外宝物を手放さない限りもないと聞きました。大和の奈良の興福寺の五重塔なども、すんでのことに取りこぼち、二束

甲府

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「でも、考えてごらんなさい、あなた、甲府の城下でも、江戸の真中ででも、いつ、いかなる場合に於て

、さてこれから、お婆さんは徳大寺様と一緒に、甲府へ行くということになりました。

つきの侍と、お婆さんとは、ここを立って甲府の方へ向けて、田圃道の間を歩み去りました。

その行きがけの道づれに宇津木兵馬をも拉して去り、はからず甲府勤番支配駒井能登守の邸内に逃げ込んだことも既報の通りであります。

、かの地に潜入して、ついに幕府のために捕われ、甲府城内の牢屋に繋がれていたことは既記の通りであります。

、この、おとなしい湖畔の町だけには、もはや再び、あの甲府城下、弥勒寺長屋時代の陰惨な絵巻を繰りひろげて見せたくはないものだ。

釜の飯を食って以来、いや、もっと早く言えば、甲府城下の如法闇夜の時以来、あの覆面の怪物の夜な夜なの出没の幻怪ぶり

京都

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「三志様は京都へおいでると、必ず御所の御門のところへ行って跪いて、天子

ない――その旅行ぶりが、彦九郎に似ている。また京都へ行って、御所御礼を怠らない勤王ぶりが、高山彦九郎にそっくりである

のために一身を捧げて東奔西走している。その間に京都へ上って皇居を拝し、御所御礼をして宝祚万歳を祈ること二十一回

「今の京都は近藤勇の天下だよ、イサミの勢力が飛ぶ鳥を落している―

「活躍どころか、今の京都は彼等の天下だ、敵ながら、なかなかやりおる」

怖るるところがない。たとえば、会津の藩の如きでも、京都守護職の大任を受けておりながら、藩士の一人が僅かに土佐藩

それと、もう一つ――京都の巨椋の池で、鳥を撃ったものがある。ここは伏見奉行の

「では、京都へ来たらぜひ拙者のところへ寄り給え、三条の新撰組の屯所と言え

か急に肩身が広いような気になってしまった。京都へ行ったら、ぜひひとつ、訪ねてみることだねえ、魔除けになるか

「今、京都に新撰組というのがあるが、それが、このカムルチの存在とよく

長崎

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「教祖の角行様は肥前の国、長崎のお方でございます、御本名は藤原邦武と申されました。応仁

物の毒薬を飲む――君も知ってるだろう、おれは長崎で蘭医の修業をやりそこねた書生くずれなんだ、そこで、仏頂寺

水戸

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、百姓をかく増長せしめた近来での大親玉は、水戸の光圀だ――

徳川の宗家にとって害物であるところのものは、水戸以上のものはない。

水戸は徳川の一家でありながら、最初から徳川の根を枯らすことばかりやって

神尾主膳が水戸を毛嫌いをしていることは、今に始まったことではないのです

ものだが、いまに見ていろ、徳川を売るのは水戸だ――

を引く一橋が本丸に乗込んだ。思い通り天下を乗取って水戸万歳のようなものだが、いまに見ていろ、徳川を売るの

農民におべっかをつかって、下に親しむように見せかけるのが水戸の家風だ。その実、家中は党を立てて血で血を洗って

はない。ただ、むしゃくしゃと、そう感憤激昂して、水戸を毛嫌いしている――

神尾は、やみくもにこういうふうに邪推して、水戸を憎がっている。しかし、この男としては公然とそれを唱え

ぶつかってしまったので、それがちょうど、百姓を呪い、水戸を憎んで、悪気が全身に充満していた神尾のことですから、

「無礼者! 貴様は水戸の百姓か」

です。抜いてただ威すだけならまだしも、百姓を呪い、水戸を憎む一念が、つい知らず、その抜いた脇差の切先まで感電して

「無礼者! 貴様は水戸の百姓か」

「斬られたのは、水戸の百姓だ」

「斬られたのは、水戸の百姓」

根拠のある説ではないが、斬られた方を、水戸の百姓ときめてしまったのがおかしい。

いう道徳律もある。今、ここで通りかかった百姓は、果して水戸在の百姓であったかどうか、分ったものではない。ただ通りかかっ

啀み合い、ケチをつけたがる風習の土地柄がある、たとえば、水戸の如きは、あれだけの家格と人物を持ちながら、到底一致することが

金沢

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ができます――また言う、わたしの知っている加賀の金沢へ落着いて、そこで、この三百両のお宝を資本にして、

と、この女との縁はここでは切れない。加州金沢へ落着きたいと言っているが、とにかく安心のできる人里までは送り届けてやら

女は、こうして行けばひとりでに白山へも登れるし、金沢へも出られると心得ているらしいが、さて、明日からの旅の実際

。それから、馬が通うか、通わないか、山駕籠を金沢まで通して雇えるものか、雇えないものか――そのへんもひとつ確め

千葉

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ささやかな道場を構えていたものだが、それも、千葉や、桃井や、斎藤に比ぶれば、月の前の蛍のような

下谷

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「江戸の下谷に住居を致しおりましてな」

「下谷に……」

「下谷の長者町というところに巣を構えておりまして」

「ははあ、下谷の長者町……」

深川

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。町から町、辻から辻、江戸に於て本所、深川、永代、両国を、はてもなくつけつ廻しつ、さまよい出した経験を

表参道

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通例だれもがする小高野から鞠場へかけての胆吹の表参道であります。

東京

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となり、ひとのみち教団へ潜入すれば渋谷の高台へ東京第一の木造建築を押立てるくらいのことは、仕兼ねないと見なけれ

渋谷

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作れば西田天香となり、ひとのみち教団へ潜入すれば渋谷の高台へ東京第一の木造建築を押立てるくらいのことは、仕兼ね

巣鴨

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「中興の食行様は、江戸の巣鴨に住んで、油屋を営んでおいでになりました。富士のお山

銀座

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もありそうなことではあるが、当時にあっても銀座といえば、やっぱり京橋から二丁目あたりの地名ではあるが、電車も、

方面へ移転したという話は聞かない。では、銀座の間違いではないか。銀ブラ――道庵先生でさえハイキングをやる

日本橋

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金座といえば、一昨年焼ける前まで、日本橋の金吹町に在ったはずだが、それが、三輪方面へ移転した

千住

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とのほかに、百姓地が多くある。それからまた、千住から三輪街道のあたりは、かなりの百姓街道になっている。

人間は、怖ろしい絶叫をしながら、もと来た方向、つまり千住大橋の方へ向って無二無三に逃げ出したのです。

と、千住三輪街道は、往くさ来るさの人が眼の色を変えて騒ぐ

千住三輪の街道というものは、神尾が通行するために特に作らせた

そうだ、ここは俗に千住の小塚ッ原、一名を骨ヶ原という――仕置にかけて人間を

上野

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その奇怪の亡状――上野の山内にまで及んでいるということだ、もはや堪忍が成り難い、当然

土方歳三が、武州日野在から出て、上野の松坂屋へ丁稚奉公に入れられたのは、十六七の頃でも

わたしが知ってからの歳どんは、上野松坂屋へ丁稚奉公をした生意気でおしゃらくな歳どんからはじまる。よくある

市ヶ谷

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天然理心流というあんまり知られない流名を学んで、市ヶ谷あたりに、ささやかな道場を構えていたものだが、それも、千葉

八王子

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に、千人同心というのを、その武州多摩郡の八王子宿に置いて、日光の番人だけをすればいいことにして置いた

とは同郷のよしみがござんしてね、あいつは、武州八王子の近いところ、甲州街道筋の生れでござんして……」

京橋

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はあるが、当時にあっても銀座といえば、やっぱり京橋から二丁目あたりの地名ではあるが、電車も、バスも、円タクもない