大菩薩峠 28 Oceanの巻 / 中里介山

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地名一覧

箱根

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の立てた策戦は、第一、聯合軍をして、箱根を越えしめてこれを討つということ、第二、幕府の優秀なる海軍を

東北地方

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が、天馬往空の悪い癖で、今度は河岸をかえて東北地方へでも飛び出し、兵部の娘がそれを追っかけて、例の夜道昼がけを

佐倉藩

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に従事するというのは、たとえ高崎藩であろうとも、佐倉藩であろうとも、生意気千万である。

銚子

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「しかし、この九十九里が飯岡の崎で尽きて、銚子の岬に至ると、また奇巌怪石の凡ならざるものがあります。それから

中央あたりのところを東北に向って、つまり飯岡であり、銚子である方面へ向って、静かに進んでいるのであります。

ば屏風ヶ浦となり、遠からずして犬吠ヶ岬があり、銚子の港がある。銚子の港の前面には、利根の長江が遮っている

ずして犬吠ヶ岬があり、銚子の港がある。銚子の港の前面には、利根の長江が遮っているから、まさかそれをよこぎる

ここを初めて見る田山白雲にとっては、その犬吠から、銚子に至る海岸の風物が、また一つの問題となるだろう。彼は外房の

彼は外房の風景と比較して、犬吠の岩と、銚子の海とに向って相当の見識があり、議論もあるだろうと思われる。

それとは別に、これより先、その銚子の海の一部分、外に向ったところの、俗に黒灰浦というところに

それは、この銚子の浜のうちの「クロバエ」という浦へ、先年、ある国の密猟船

鹿島

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利根の流れをズンズンと浪逆浦へ出て、多分、鹿島の大船津を目的とするものだろうと思われる。つまり、香取の神宮へ参拝し

という見込みが十分でしたから、御意によっては、鹿島へ行く舟のへさきを即座に変えて、潮来へじか附けにして差上げます

神宮へ御参詣をなさるんでございましょう。何しろ、香取、鹿島の神様ときては、武術の方の守り神様でございますからなあ」

てもらい、芭蕉翁の鹿島日記にても心を惹かれ、鹿島の町、末社の数々、二の鳥居、桜門、御仮殿――かくて、

しかし、鹿島は単に神宮だけでなく、裏へ廻って鹿島灘を見ることが、この行中

岩一つ、島一つもない。あるものは有名なる鹿島の荒灘の水が、豪然として人の快腸を洗うあるのみ

教えにたがわず、来て見れば、鹿島の灘は、わが腸を洗うに十分である。

なるほど、鹿島の海は経津主、武甕槌を載せるにふさわしい海だ――

、相指さして、一方は香取の山に登り、一方は鹿島の山に威を振うの光景を、田山白雲は、まざまざと脳裏にえがきまし

そこでまた、香取、鹿島の海で相呼応するこの神代の両英雄を、優れて大なる額面に描き

長者町

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たような面と思うも道理、これぞ江戸の下谷の長者町で、道庵先生の両腕とたのまれたデモ倉と、プロ亀でありまし

館山

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早馬を飛ばせて江戸へ注進に及んでいる最中でしょう。館山、北条あたりの海上からも、幾多の早舟が飛び出すところを見れば、船手から

高崎

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「高崎の紋ではないじゃないか」

土浦

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「まだ水戸へは行かん、土浦にはどうだ」

「左様ですね、土浦の方のことは委しく存じませんが、香取様の前には天真正伝神

諏訪

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大国主の神を威圧し、御名方主の神を信濃の諏訪に追いこめ、なおこの東国の浜に群がる鬼どもを退治して、天孫降臨の

出雲

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出雲に大国主の神を威圧し、御名方主の神を信濃の諏訪に追いこめ、

江戸

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譲渡しという大詰が、薩摩の西郷隆盛という千両役者と、江戸の勝安房という松助以上の脇師と二人の手によって、猫の児

かけ声が出ないのであります。しかし、その背後に、江戸の方には、勝よりも以上の役者が一枚控えて、あたら千両

病気で死んだんじゃねえんだ、乳を取られに江戸へ連れて行かれて、それっきり帰って来ねえんだ、いや帰してくれ

「そんならチュガ公のお母さんは江戸にいるだろう、江戸にいれば死んだときまりはしまい」

「そんならチュガ公のお母さんは江戸にいるだろう、江戸にいれば死んだときまりはしまい」

「ところがね、江戸へ連れて行かれて帰されなけりゃ、たいてい運命の程はきまっているよ」

チュガ公の母親が、乳を取られに江戸へ引いて行かれて、そのまま帰されないのは、乳だけの御用で

売下げを希望する者は、江戸の雉子橋外の御厩へ、特別のつてを求めて出願する……その

それが悠々として浦賀海峡の真中、江戸の湾口に横たわっているのですから、船を見るに慣れた浦人の眼を

ない。昨日出張の目附は、さだめて早馬を飛ばせて江戸へ注進に及んでいる最中でしょう。館山、北条あたりの海上からも、幾多の

が見れば見たような面と思うも道理、これぞ江戸の下谷の長者町で、道庵先生の両腕とたのまれたデモ倉と、プロ

横浜

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に於ては、英国人コブランという者が、明治の初年、横浜にビールの醸造所を設けたくらいですから、その以前に入って来ているに

大多喜藩

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高崎藩ならば、大多喜藩ならば、一番おどかしてもくれようと意気込んで来た一隊が、急に悄気

薩摩

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江戸城譲渡しという大詰が、薩摩の西郷隆盛という千両役者と、江戸の勝安房という松助以上の脇師と二人

江戸城

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江戸城譲渡しという大詰が、薩摩の西郷隆盛という千両役者と、江戸の勝安房と

香取

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鹿島の大船津を目的とするものだろうと思われる。つまり、香取の神宮へ参拝して、潮来出島はあと廻しにして、鹿島神宮を志す

そこでまた、香取、鹿島の海で相呼応するこの神代の両英雄を、優れて大なる額面

天城山

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あたりから来た大鷲が、浦賀海峡を股にかけて、天城山へでも羽をのばしたかも知れません。

名古屋

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そうとは知らぬ道庵先生と米友、今頃はもう名古屋の市中に入って、また出来損いの「大岡政談」でも見ている

マニラ

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。諸君、エライ占星師にはそんなことは決して珍しくない。マニラは曖昧である、フィルミクは当てにはならぬ、アラビイは怪しげな調子で

開成所

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造船所がしかるのみならず、講武所も、兵学伝習所も、開成所も、海軍所も、幕府の新しい軍事外交の設備、一として小栗の

鹿島灘

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。それから先に、風濤の険悪を以て聞えたる鹿島灘があります。ただ九十九里だけが平々凡々たる海岸の風景。長汀曲浦と言いたい

ここは音に聞く鹿島灘――今、目に見て白雲の心が躍りました。

水、霞ヶ浦の水郷に漫遊した白雲の眼には、鹿島灘の水を、同じものとは見ることができません。

ではない、旅行通を以て任ずるやからでも、まだ鹿島灘を見ないやつがいくらもある、よほどの変り者でなければ、あれまでは行か

、高天茫々たり、海洋茫々たり、山岳茫々たる時に、鹿島灘の怒濤の土を踏んで、経津主、武甕槌の両神がこの国に現われ

房総半島

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それは一口に房総半島とはいうけれど、駒井の根拠地である洲崎の鼻から見れば、ここは数十

霞ヶ浦

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上総の海、下総の海岸を経て、利根の水、霞ヶ浦の水郷に漫遊した白雲の眼には、鹿島灘の水を、同じものと

鹿野山

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ない。しかし、ここまででさえ上って来て見れば、鹿野山よりも、鋸山よりも、清澄よりも、まだ高いらしい。

関東

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の両英雄を、優れて大なる額面に描き、これを関東、東北の主峰にかかげてみたいとの願望が、油然として白雲の

鹿島神宮

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神宮へ参拝して、潮来出島はあと廻しにして、鹿島神宮を志すものらしい。

先生、あんたは剣術の方の先生でございましょう、それで鹿島神宮へ御参詣をなさるんでございましょう。何しろ、香取、鹿島の神様とき

大江山

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「大江山のスッテンドウジが、黒灰の浦に来ているのを見て来たよ、ほんとう

けだし、スッテンドウジというのは、大江山の酒呑童子のことで、それはとうの昔に、源の頼光と、その

高崎藩

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榊新田の古陣屋は、高崎藩が、この海岸の守護を承って、千人塚に砲台を築いた時分の

「ナニ、高崎藩で黒船を引揚げる?」

なくして、海の事に従事するというのは、たとえ高崎藩であろうとも、佐倉藩であろうとも、生意気千万である。

高崎藩ならば、大多喜藩ならば、一番おどかしてもくれようと意気込んで来た一隊

甲府

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ている仕事でございます、しかも作業の発頭人は、もとの甲府勤番支配駒井能登守殿であるらしいことが、意外千万の儀でございました

その旗印の下に仕事をしているのが、以前の甲府勤番支配駒井能登守らしいと言われて、彼等は夢を見たよう

仙台

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氏より以来、徳川八代の時に最も力を入れ、南部仙台の種馬、和蘭進献の種馬、及び、天竺国雪山の白牛というのを

水戸

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ますか。水戸には、なかなか使える先生がありますよ、水戸へおいでになりましたか」

「剣術は何流をおやりになりますか。水戸には、なかなか使える先生がありますよ、水戸へおいでになりました

「まだ水戸へは行かん、土浦にはどうだ」

下谷

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ば見たような面と思うも道理、これぞ江戸の下谷の長者町で、道庵先生の両腕とたのまれたデモ倉と、プロ亀

奈良

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鹿島神社の神鹿が悠々遊んでいたのを、後に奈良に移植したのだという松林帯を入りて出で、砂丘を見

上野

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相州横須賀の造船所が、主として小栗上野の方寸に出でたものであることは申すまでもない。

その人品骨柄を聞いてみると、それが小栗上野であったようにも思われる。

ですから、石田三成に謀叛人の名を着せようとも、小栗上野をその名で呼ぶには躊躇しないわけにはゆかないはずです。

大久保

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勝でも、大久保でも、その手足に過ぎないし、講武所も、兵学所も、開成所

浦賀

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ものです、それが、こんなあんばいに海岸に流れつくと、浦賀あたりの役人がそれを見て、あれこそ毛唐が毒を仕込んで、日本人

。これについて面白い話は、嘉永六年にペルリが浦賀へ来た時分、アメリカの水兵どもがこの中身を飲んで、空罎を

も変ですから、或いはオホツク海あたりから来た大鷲が、浦賀海峡を股にかけて、天城山へでも羽をのばしたかも知れませ

遠くではあるが、ここからは眼と鼻の先、浦賀海峡の真中に、三本マストの堂々たる黒船が、黒煙を吐いたまま

それが悠々として浦賀海峡の真中、江戸の湾口に横たわっているのですから、船を見るに