大菩薩峠 13 如法闇夜の巻 / 中里介山
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東海道の天竜川のほとりの天竜寺で米友は、心ならずも多勢を相手にして、
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で扱っている虎砲十二磅砲というようなのは、伊豆の江川の手で出来たものであります。伊豆の江川は能登守と同じく
は、伊豆の江川の手で出来たものであります。伊豆の江川は能登守と同じく、高島四郎太夫を師とするものであります。
江川太郎左衛門が伊豆の韮山に立てたのは有名なる反射炉であります。江川がその反射炉を立てる
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――中山卿は長州で亡くなられたそうじゃ。大和の十津川から浪華を経て、長州へおいでになったが、そこで亡くなられた
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はあろうけれど、ここらあたりでそれを望むは、百年富士川の流れが澄むのを待つのと同じこと」
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ていました。もとは何千石のお旗本、今は甲府勤番の組頭、それにあの娘が貰われて行くことは、家にとって釣
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斬ってみたいが、女も斬る、ああ甲府は狭い、江戸へ出たい、江戸へ出て思うさまに人が斬ってみたいわい。ああ、
、女も斬る、ああ甲府は狭い、江戸へ出たい、江戸へ出て思うさまに人が斬ってみたいわい。ああ、人を斬った心持
甲府は狭い、一夜のうちに二人と人が斬れぬ、江戸へ出たい、江戸へ出れば、好みの人間を好むように斬ることができる
のうちに二人と人が斬れぬ、江戸へ出たい、江戸へ出れば、好みの人間を好むように斬ることができるのだ――今宵
遠慮せにゃならぬ。甲府の土地にはおられぬ、江戸へ出る工夫はないか。江戸へ出て思うままに人を斬らねば、
土地にはおられぬ、江戸へ出る工夫はないか。江戸へ出て思うままに人を斬らねば、おれは生きてはおられぬ
あって、牢から出られない。聞くところによれば、江戸で島田虎之助という先生の門人で直心陰を学び、それから宝蔵院の槍の
「友さん、いつお前江戸を立ってどうして甲府へ来たの。来るならば来るように、飛脚
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して、いろいろの説が出ました。御岳の奥、金峰山がよかろうというものもありました。或いは天目山を推薦するものもありました。
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て、足を田の中へ踏み込んで沼をこしらえたり、富士山を崩して相模灘を埋めようとしたり、そんなことばかりしているのであります
「富士山に限る」
大手を拡げたのがありました。それと同時に、富士山は甲斐のものである、それは古えの記録を見てもよくわかることで
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宇治山田の米友は、この時分に八幡宮の境内を出て来ました。米友は油を買うべく、町へ向って
でありました。米友は、今しばらく旅費に窮したから八幡宮に雇われましたけれど、いくらか給金が貯ればそれを持って、お君
がかなり有力な説になっていきそうでありました。八幡宮で行われる流鏑馬が久しく廃れているから、それを起そうじゃないかという説
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「長州には奇兵隊があり、薩摩には西郷吉之助のようなのがある、長州が本気で立てば薩摩が黙っ
ある、長州が本気で立てば薩摩が黙っていない、薩摩と長州とが手を握れば天下の事知るべし」
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、前のような惨憺たる苦心に及びませんでした。南禅寺の楼門でする五右衛門の手裏剣を柄杓で受けた久吉気取りに、棒に食い付いた
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江川はようやくにしてその土を、天城山の麓と韮山附近の山田山というところから探し出して、煉瓦を作りました。
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。或いは天目山を推薦するものもありました。少し飛び離れて駒ヶ岳を指定するものもありました。
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は思われぬ、まあ聞いてくれ、こういうわけじゃ。長州藩では去年の八月、入京を禁ぜられてから、その許しを願うことと
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田の中へ踏み込んで沼をこしらえたり、富士山を崩して相模灘を埋めようとしたり、そんなことばかりしているのであります。
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米友がその不自由な足を引きずってわざわざ甲州まで来たのは、一にお君を求めんがためでありました。
「仰せの通り、家柄では多分、この甲州に並ぶ者がなかろうとのことでござりまする」
らしいということ。その首謀者は予て東北の方からこの甲州へ入り込んで、甲州の地勢を探っていたために囚われた二人の怪しい浪士
その首謀者は予て東北の方からこの甲州へ入り込んで、甲州の地勢を探っていたために囚われた二人の怪しい浪士であって、それ
は南蛮の国へでも流れついたようで、トンと甲州にいる気はしない。もし日本の者ならば、長崎の高島秋帆先生か
してみればこの部屋も、これは舶来の酒呑童子が甲州へ分家を出したのかも知れぬ、してみると我々は、さしむき渡辺
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打掛を着て、侍女を使うようになったのを、伊勢の国にいた朋輩たちが見たらなんというだろう。わたしは出世しました、
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お松のながめている絵図には、甲府城を真中にして、その廓の内外の武家屋敷や陣屋、役宅などが細か
甲府の牢屋は甲府城の東に方ってお濠と境町の通りを隔てて相対し、三方は
、歳は僅かに十七、我々とそう違わぬけれど、この甲府城の内外には及ぶものはなかろうとの剣術の達者があるという話を聞い
それから宝蔵院の槍の極意に達し、突にかけては甲府城の内外はおろか、お膝元へ出ても前に立つ者は少なかろうとのこと」
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「なるほど、これは妙なところへ落着いた。昔大江山の奥に酒呑童子が住んでいた、それを頼光が退治した。酒呑
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米友は急いでそのあとを追いかけて、この荒れたささやかな天満宮の社の後ろへ廻って見ると、後ろは杉の林であります。
がまるきり利けねえのだ。ムクが案内するから俺らが天満宮の後ろの森の洞穴の中から見つけ出して来たんだ、途中で冷たく
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を言い出すと、米友は必ず侮辱されてしまいます。前に両国の軽業の小舎へ訪ねて行った時も、美人連のために手ヒドク嘲弄されました
事があったとやらだが、でもみんな無事に帰って来て、両国でまた看板を上げてるのに、お前ばかりは帰って来ねえんだ。どうなったか
らせたいと思って、手紙を書いてもらって二度ばかり、両国のあの宿屋へ沙汰をしたけれども、さっぱりその返事がないから、わたしは
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「この甲府にも、わたしの親戚はあるけれど、誰にも言わないように頼みます
見廻しても、夜は真暗であります。真暗い中に甲府の城が聳えています。二の廓は右手の方に続いてい
して甲府の市中へ入ったということがわかり、甲府の市中へ入って八幡様へ参詣をしたということもわかり、
人が諸方へ飛びました。そうして甲府の市中へ入ったということがわかり、甲府の市中へ入って
ために生涯の幸福であり、且つまた若い神尾主膳はやがて甲府詰から出世をなさる人に疑いのないことなども話しかけました。市五郎の
ていました。もとは何千石のお旗本、今は甲府勤番の組頭、それにあの娘が貰われて行くことは、家にとっ
有野村から甲府まで行く間に、お君は一足毎に春の野原へ近づいて行く心持
「近いと言ってもこの甲府に近いところ、それはこれから三里ばかり離れた有野村というところの
として、お松がいま持って出た掛物は甲府のお城の絵図面であります。今日、宝物の風入れに、お
お松のながめている絵図には、甲府城を真中にして、その廓の内外の武家屋敷や陣屋、役宅など
の橋渡しで都合がよく運びました、これでわたしもワザワザ甲府へ来た甲斐があると申すもの、主膳殿もこれから身持ちが改まって
へ引籠った時分には一層慕わしく思われたお師匠様が甲府へ来ると、またがらりと変ったように思われるのがお松には
甲府の牢屋は甲府城の東に方ってお濠と境町の通りを隔てて相対し、三
甲府の牢屋は甲府城の東に方ってお濠と境町の通りを隔てて
高島四郎太夫を師とするものであります。能登守は甲府へ赴任の最初から、ここへひとつ、江川と同じようなものを建て
だ、男も斬ってみたいが、女も斬る、ああ甲府は狭い、江戸へ出たい、江戸へ出て思うさまに人が斬ってみ
――今宵斬れば明日の晩は遠慮せにゃならぬ。甲府の土地にはおられぬ、江戸へ出る工夫はないか。江戸へ出
「ああ、甲府は狭い、一夜のうちに二人と人が斬れぬ、江戸へ出たい、
その翌朝、甲府の市中がまた沸き立ちました。それはまたしても辻斬があった
濠を渡ると境町の通りであります。甲府の城を右に、例の牢屋を左に、その中の淋しい通りです
不思議でならないことは、その静粛にしてしかも物騒なる甲府の町の夜の道筋のいずれかを、子供が泣いて歩いているらしい
その霧のような靄に包まれた甲府の町の夜は、この時静かなものでありました。その静かな
甲府に徽典館というものがありました。これは士分以上の者、また
、歳は僅かに十七、我々とそう違わぬけれど、この甲府城の内外には及ぶものはなかろうとの剣術の達者があるという話
「この甲府にいるにはいる」
「ナニ、左様な人が甲府にいると? それならば教えを受けたいものだ、ぜひ」
「甲府にいるにはいるけれど、居所が変っているから、お紹介をするわけ
「居所が変っていると? およそこの甲府の附近であったなら、どこでも苦しくない、行って教えを受けようじゃ
「畢竟、この甲府の牢屋の中にいるのだから我々には会えん、また先方も出
「甲府の牢屋の中に、まだ少年でそしてそれほどの剣道の達者がいると
それから宝蔵院の槍の極意に達し、突にかけては甲府城の内外はおろか、お膝元へ出ても前に立つ者は少なかろうとの
そろしい闇と靄の晩にも泰平無事なのは、甲府のお牢屋の番人の老爺であります。
この成金で、そうして天下泰平であった甲府の牢番も、勤めに在る以上、やはり相当の責を尽さねばなりませ
だからな、四方の山から雲が捲いて来て、甲府の町を取りこめたんだ。暗えなら暗えで、我慢の仕様もあるけれど
こんな口小言を言いながら、闇と靄の中の夜の甲府の町を、例の毬栗頭で、跛足を引いて棒を肩にかついで
走れば不狂人もまた走るというのが、この晩の甲府の町の巷の有様でありました。段々の襟のかかった筒袖を
甲府に来て以来の能登守は、政治向きのことにはほとんど口を出し
「友さん、いつお前江戸を立ってどうして甲府へ来たの。来るならば来るように、飛脚屋さんにでも頼ん
「お察しの通り、我々は余儀なく甲府の牢を破って、追い詰められ、心ならずも御当家へ忍び入り申したる
た。君もまた、駒井甚三郎が能登守といってこの甲府の城にいるということは気がつかなかったろう。しかも知らずして
「君はここにいたのか、この甲府の牢内にいたのか、それとは少しも知らなかった、今宵牢
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押立てて、およそ四百人の総勢で周防の三田尻から、京都へ向って出帆したというものだ」
するけれど更に御採用がない、この上は兵力を以て京都へ推参して手詰の歎願をするほかはないと、久坂玄瑞、来島
旗を立て、隊伍を乱さず上って行くのだから、京都も騒がずにはいられないのじゃ」
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甲州にいる気はしない。もし日本の者ならば、長崎の高島秋帆先生か、信州の佐久間象山先生あたりの部屋を見るようだわ
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甲府の牢屋は甲府城の東に方ってお濠と境町の通りを隔てて相対し、三方はお組屋敷で囲まれている。
の東裏へその姿を見せましたが、そこへ来ると境町の方からズシズシと数多の人の足音が聞えました時に、竜之助は
濠を渡ると境町の通りであります。甲府の城を右に、例の牢屋を左に