大菩薩峠 33 不破の関の巻 / 中里介山
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に、善良なる労働者である。彼等あるが故に、箱根八里も馬で越せる。越すに越されぬ大井川も鼻唄で越せる。荷拵えを
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のは単に長州の毛利だけではない、備州も来る、雲州も来る、因州も、芸州広島も来る。薩州の鹿児島までが、後詰とし
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た七兵衛は、松島も、塩釜もさて置いて、まず目的地の石巻の港へ、一足飛びに到着して見ました。
してしまうかも知れない。それにしても目的地は石巻に限っているから、船に進行力のある限りは、石巻到着は時間の
に限っているから、船に進行力のある限りは、石巻到着は時間の問題である――先着した時は、多少気長に待って
鉄を買い出しに来た商人のようなふりをして、石巻の港のとある宿屋に宿を取りました。
それから、石巻の港は河村瑞軒が設計したとかしないとか――尾上川の
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海岸線を一直線に仙台領に着した七兵衛は、松島も、塩釜もさて置いて、まず目的地の石巻の港へ、一足飛びに到着して見まし
近いところであることによって、仙台の城下はおろか、塩釜、松島、金華山等の日本中に名だたる名所は、一通りこの機会に見て
だが、塩釜も、松島も、金華山も、仙台の城下も、ここを根拠として
塩釜での盛んな景気の中を足早に抜け去って、早くも仙台の城下へ着い
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――四百十二里はヨタだね。それからすると、無論下野の二百七十四里もいけない。従って京の一千五百里もあてにならぬことの
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ところへ、銚子のお代りが来る。この酒が地酒だとばかり思っていたら、思いのほか口当り
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も――当節は貴金属がばかに値がいい、江戸の芝浦で、焼あとのゴミをあさって大物をせせり出して夜逃げをしてしまった
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ば、こちらから押しかけあそばしますてんだ――一年、宇治の蛍狩り――こがれ初めたる恋人と語ろう間さえ夏の夜の――とお
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話にならないことです――江戸ッ子のチャキチャキ、下谷の長者町の道庵先生ともあろうものが、木曾川くんだりの雲助にぶったくられるなんて、お
てしまったものと思われる。当時泣く子も黙るところの長者町の大先輩ともあるべきものを、一言の挨拶もなく、いきなりふんづかまえて、手前
下谷の長者町あたりでこそ、有名は有名に相違ないが、誰も道庵先生を金持だ
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ほんとうに熱い――女の執念が、道成寺の釣鐘をどろどろに溶かしてしまって、七日の間、人が寄りつけなかっ
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「本所の鐘撞堂の弥勒寺長屋に、おいらと一緒に住んでいた、あの時の
は、もしそうならそうだと言ってくれ――江戸の本所の鐘撞堂新道の、弥勒寺長屋に覚えはねえか、それとも、甲斐の
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かも知れませんが、不幸にしてこの馬子が、軽井沢の裸松と甲乙を争うようなしれ者であって、また同時に、この辺
この音公は、軽井沢に於ける裸松のように、街道筋から毒虫扱いにされていると
いよいよ夥しく、第一、自分自身の正義観からしてが、軽井沢の時のようには働きがないから、投げつけてみたところで、大地に
それが今、眼前に現われました。つまり、軽井沢の勇者としての飯盛女の待遇もそれに過ぎなかったように、ここ
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方面から、海岸線を一直線に仙台領に着した七兵衛は、松島も、塩釜もさて置いて、まず目的地の石巻の港へ、一足飛びに到着し
であることによって、仙台の城下はおろか、塩釜、松島、金華山等の日本中に名だたる名所は、一通りこの機会に見ておこうと
だが、塩釜も、松島も、金華山も、仙台の城下も、ここを根拠として渡り歩いていれ
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梶川のともには、江戸からお角さんよりぬきの若い者もついている。自然この背後には宿
石田のために、せっかく越前の敦賀から踏み出して来て、江戸の家康の手にはせ加わって、会津の上杉征伐に向うつもりとばかり期待し
「貴殿という人は、江戸の内府を並大抵の人と見ておらるるのか。この点は我等より
たちは、世の中がこんなに悪くなったのは、それは江戸の幕府の方が堕落してしまっているからだと申します。その堕落し
もみんな正直にかえるのだ、そうしてその堕落した江戸の幕府というものも、どちらにしても長い寿命ではないから、その
残りでも――当節は貴金属がばかに値がいい、江戸の芝浦で、焼あとのゴミをあさって大物をせせり出して夜逃げをして
江戸から京大阪を通り越して芸州の広島まで、一日のうちに往って戻ること
濠が出来ているという城はほかにはなかろうぜ。江戸のお城でも、大阪の城でも、名古屋はなおさら、みんな平城で、
を前にしてはもっと漫々たる水が欲しいなあ。たとえば江戸のお城のお濠にしても、人夫が掘ったお濠には違い
。大阪はもっと水の都だ――この青葉城に、江戸や大阪のような豊かな水分がありさえすれば、それこそ日本一――水気
なあに――江戸のお城の、御本丸の紅葉山までも拝んで来たこの七兵衛だ、奥州
するばかりで、久しく試みなかった腕が鳴り――なあに、江戸の本丸、西の丸へでさえも御免を蒙れるほどのおれが、奥州
知っている人が聞けば、お金持の江戸のお医者さんがおかしい、お金持にも、お金持たずにも、今時そんな
里、柏原へ一里というところ、なおくわしく言えば、江戸へ百十三里十六町、京へ二十二里六丁というほどの地点に、今須
いう人は、もしそうならそうだと言ってくれ――江戸の本所の鐘撞堂新道の、弥勒寺長屋に覚えはねえか、それとも、
「江戸を出て、中仙道を通って、尾張名古屋の方からおともをして来
つまり、昨夜来、江戸の金持のものずきなお医者さんが来て、この関ヶ原で、研究のために
なにしろ、発起人が江戸で有名な金持のお医者さんで、それが道楽半分にすることだから、
そうして口々に、なにしろ江戸で有名なお金持のお医者さんが道楽半分になさることだ、金銭に糸目
天下に恐るるものは無い道庵先生ではあるが、この江戸で有名な金持のお医者さん――という一種特別なるデマには、道
半分になさることだから、金銭に糸目をつけねえ、何しろ江戸で有名なお金持の……」
江戸で有名はかまわないにしても、金持はよけいなことだ、道庵や
一伍一什を聞かされたお角さんが、いかにこの江戸で名代のお医者さんが、旅へ出ると小胆であり、無気力であるか
ていないどころではない、なり過ぎているのだ、江戸ではピーピーの大関のくせに、旅で大金持にされてしまっている
先生、先生もこうして関ヶ原まで来て、ウソでも江戸で有名なお金持のお医者さんにされちまってるんですから、あんまりしみったれ
江戸の大御所!
庵大御所の姿を現わし、それから本文には、近ごろ江戸で名代の金持のお医者さんが、道楽で関ヶ原に模擬戦を試みて大成功
江戸から人を食った金持のお医者さんが現われて、大御所気取りで関ヶ原の
江戸の大御所!
「わてら、阪者のちゃきちゃきじゃがな、江戸の大御所たら、しゃらくそうて、どもならん」
から御沙汰のない名じゃがな、どだい、家康はんが、江戸の大御所たら名乗りなはるからして理に合わん、十八文の藪医者はん、
「わて、どだい、生れは阪もんやがな、江戸の田んぼで修行しやはった押しも押されもせん折助仲間の兄はん
倉はん、プロ亀はんたちと、よう腹を合わせて、江戸の大衆、みんなわてが縄張りやがな、わてが無うては新版屋はん、飯が
今時、阪もんの天下やがな、そのわてが本陣へ、江戸の大御所たらいうて乗込む、十八文はん、どないな目に逢わせたら、
なあ、太閤はんかて阪者じゃがな、徳川はん、江戸で政治なはりやったからて、経済では大阪が天下じゃがな、蔵屋敷の
も阪者やがな、あないな気骨ある役人、今のお江戸におまへんがな、中井竹山先生たら、履軒先生たら、緒方洪庵先生たら、みな
のようなものが、大きな如輪杢を持ち込んで、これに江戸一流女軽業と書いて下さい、なんていう程度のものに過ぎないのです。
以下を呼ぶのではなく、主膳の地位として、江戸の旗本以外のものを、すべてを又者と呼んでいるらしい。
豚の吼えるような声、それを聞いていると、当時江戸で有名な芸人の芸風を物真似でしゃべり出している。それを上方弁のアク
「どうだい、もう一度、二人で江戸へ行こうか」
「江戸へ出ると、苦労が絶えねえわな」
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その少年、岡崎の郊外で、友のために腕立てをした岡崎藩の美少年、梶川与之助と
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あろうものが、そんなはずはないにきまっている。雪の大野ヶ原だの、飛騨、信濃の白骨、安房峠だのを、噴烟の中から
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を動かすことになっている。蒸気船は現在、皆さんが横浜その他で見る通りだが、まだ皆さんは、目下、西洋で行われて
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に、箱根八里も馬で越せる。越すに越されぬ大井川も鼻唄で越せる。荷拵えをさせては堅実無比であり、駕籠の肩を
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て、醒ヶ井、番場、高宮、越知川、武佐、守山、草津と、大声をあげあげ呼売りをして歩きました。
が、ここに清次が金儲けをしながら呼売りをして、草津の宿まで来た時分のことです。
草津の町の名代の姥ヶ餅に足をとめて、しきりにお砂糖を利かせた
タカを括り、道庵主従をあとにしてこうして草津まで先着して、いい気持で餅を食べているところへ、のろま清次のこの
しかし、さすがに際物のことで、草津を過ぎると、パッタリ瓦版の売行きが減じました。けれども清次自身、それは
けれども清次自身、それは無理のないことだと諦め、草津に至ると、さっぱり瓦版の残部を琵琶湖の水に投じてしまい、さて売上高を
も時間もある、それを取外してはならない、瓦版が草津へ来てパッタリ売れなくなったように、潮時というものは、何事にも
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銀杏加藤の奥方は、この点に於ては、名古屋城の内外で藩主をも憚らぬ見識か、或いは虚栄かを捨てることができませ
ところが銀杏加藤の奥方に限って、名古屋城の内外を通じて第一等の美をうたわれる、それを衷心から誇りと
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ますかい。早い話が、生麦の事件でござんさあ、薩摩っぽうが勇気凜々として、毛唐二三人を一刀に斬って捨てたのは
の金でござんさあ、この罰金四十四万両というものを、薩摩っぽうが毛唐を二三人斬った罰金として、公方様から毛唐の方へ
楯を突こうというほどの代物だから、それ、今時、薩摩や長州がどうあろうとも、こっちは仙台陸奥守だというはらが据わっている
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――単なる一友人であるところの石田のために、せっかく越前の敦賀から踏み出して来て、江戸の家康の手にはせ加わって、会津の
「彼は、上杉征伐に従うべく、居城越前の敦賀を出て、この美濃の国の垂井の宿まで来た時分に、
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この城を名古屋に移すまでの治乱興廃を考え、従って五条川がここを流れ、天守台はあの辺でなければならぬ、斯波氏のい
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さほどの義心侠血に燃ゆるわが道庵先生が、名古屋よりはいっそう懐古的であり、ある意味に於ては、天才信長の真の発祥地
、家康の第四子忠吉より義直に至って――この城を名古屋に移すまでの治乱興廃を考え、従って五条川がここを流れ、天守台は
から、怠りがちであった里程表を、この辺から、名古屋を起点にはじめてみますと、
名古屋より清洲へ一里半
名古屋にいる時にもうすでに、関ヶ原に関する史料を相当にととのえて持っていまし
ぜ。江戸のお城でも、大阪の城でも、名古屋はなおさら、みんな平城で、お濠というのは人夫の手で掘りあげた
その一人をしか幻出することのできないらしい性癖は、名古屋に来てから暫く影をひそめたものですけれども、決して絶滅したわけで
でも加藤と名乗る家は少ない数ではなし、また現に名古屋に於ても、自分の家より俸禄の高い地位の上な加藤家はいくら
そうして、朝な夕な名古屋の名城を見るごとに、この城こそ我が家の先祖肥後守清正が、一代
徳川の名古屋ではない、加藤の名古屋でなければならない、この気位が、物心覚えて
徳川の名古屋ではない、加藤の名古屋でなければならない、この気位が、物心覚えてから一日も、銀杏加藤
に買うものはなく、かえってそれよりも、この奥方が、名古屋の城内城下を通じて第一等の美人であって、また現在姥桜となっ
費用で済むわけのものではない。道庵先生、多少名古屋に於て信者から草鞋銭をせしめて来たとはいえ、千両箱を馬につけ
一つは、昨晩、あの岡崎藩の美少年が侍いている名古屋の御大身の奥方が、昨夜の出来事のために、見るも痛ましく悄げてしまっ
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出してもヒケは取らねえ、奥州の青葉城、うしろに青葉山を控えて、前は広瀬川がこの通り天然の塹壕をなしている。城下町と
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ことで、まして徳川期となっては、公道を宮と鈴鹿の方面にとられてしまって、蜀山や一九の輩をしてすら、
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心配も、七兵衛には少し縁遠い。ただ、名にし負う奥州仙台陸奥守六十八万石の御城下近いところであることによって、仙台の城下
立派な貫禄で、どこへ出してもヒケは取らねえ、奥州の青葉城、うしろに青葉山を控えて、前は広瀬川がこの通り天然の
なあ。ここに水沢の気があれば、天下の運勢は奥州の伊達へ傾いて来るのだが――
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路で、清冽なる玉泉をもって名のある、平和な美濃路の一要駅が、今夕、この流言によって、多少とも憂鬱の色に
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江戸から京大阪を通り越して芸州の広島まで、一日のうちに往って戻ることができる―
城はほかにはなかろうぜ。江戸のお城でも、大阪の城でも、名古屋はなおさら、みんな平城で、お濠というのは人夫
関八州の水が張りきっているという感じがするね。大阪はもっと水の都だ――この青葉城に、江戸や大阪のような豊か
はもっと水の都だ――この青葉城に、江戸や大阪のような豊かな水分がありさえすれば、それこそ日本一――水気が不足
手も足も出そうとはすまい、この上は、彼が大阪へ到着した際に於て、みっちり思い知らせて、取って抑えて、グウ
徳川はん、江戸で政治なはりやったからて、経済では大阪が天下じゃがな、蔵屋敷の立入りたら諸侯はん、みな大阪商人に頭があがり
これが、京都を出て大阪へ向う時は、単に「のろま」の名題だけでは満足しなくなって、
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の惣録――開山は道元禅師の二世莪山和尚。今須の城主長江八郎左衛門重景の母、菩提のために建立――今、伏見の
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思うように計り給え、拙者は拙者として、このまま会津征伐に馳せ加わるのみじゃ」
「無礼千万な奴、会津征伐に加わるために東下すると聞いたが、どこへ行くのだ」
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無限に生産のできる品なのだ。現に自分の故郷の甲州なんぞでも、山畑の隅々までも手飼いの蚕のために桑を植えてある
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チーカ、ロンドン
パツカ、ロンドン
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「はい、はい、恵林寺の和尚様からのお引合せで、御当家様へ御厄介になることになり
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道は、先夜――机竜之助と淫婦お蘭が、美濃の金山へ下りた道と同じことであります。そこを、百と清次は悠々と
そうして、例の街道を楽々として、美濃の金山へ突破してしまいました。
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だが、塩釜も、松島も、金華山も、仙台の城下も、ここを根拠として渡り歩いていれば、普通に
金華山へ行って見たところで、野飼いの鹿がいる、猿がいる、それ
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なきに於ては是非に及ばぬ儀でござる故に、急ぎ関東へ参陣あらせられるがよろしい」
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した溝臭いちょんがれ声が耳について、プンプンしながら根岸の宅へ戻って来ると、今晩は珍しくお絹が待っていて、しかも上機嫌
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足を洗って、座敷へ通って見たが、いつもある有明の燈火が無く、兵馬が手さぐりに近づく物音にも、お雪ちゃんはいっこう驚かず
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単なる一友人であるところの石田のために、せっかく越前の敦賀から踏み出して来て、江戸の家康の手にはせ加わって、会津の上杉征伐
「彼は、上杉征伐に従うべく、居城越前の敦賀を出て、この美濃の国の垂井の宿まで来た時分に、石田三成
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に相違ないが、もう一人の方は、これも確かに岡崎藩の美少年には相違ないが、これだけは風采が全く変っている。
の一行に先立つこと、ほんのしばしの間――万事はかの岡崎藩の美少年としめし合わせてしたことという筋道は、米友にもよくわかります。
岡崎藩の美少年は、何はともあれ、斬られて斃れているのをのぞきこんで叫びまし
岡崎藩の美少年も、これより以上はいかなる手段をとっても、この二人から聞き得る
、こういうことを垂井の宿へ一同が引きあげた後、岡崎藩の美少年に向ってひそかに銀杏加藤の奥方が打洩らしつつ、何ともいえ
岡崎藩の美少年は、この事情を聞いて全く慰めかねている。慰める唯一の手段と
岡崎藩の美少年は、いずれにしても容易ならぬ事件が出来したものだなと
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という風流の呼び名とはなっている。試みにその由来を両国屋という宿屋で尋ねてみると、次のような一枚の絵入りの刷物をくれる。
江濃両国境寝物語 両国屋」
江濃両国境寝物語 両国屋」
両国の宿屋では、軒を隔てて、こんなもだもだの宵の口――車返しへ通ずる表街
「お前、知ってるだろう、両国の女軽業の親方のお角さんのことさ」
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の城邑となり――関ヶ原の時にはしかじか、後、福島正則が封ぜられ、家康の第四子忠吉より義直に至って――この城を
の男であり、しかも郷党の先輩、加藤の虎や、福島の市松の手前もあり、投げられてそのまま、ぐんにゃりとしてしまうこと
あった。秀秋は高台院の猶子で、太閤の一族、福島正則ほどの大名でもこれと同席さえすることのできなかった家柄である
て、石田三成の大吉大一大万の旗を作り、次に福島正則が白地に紺の山道、小西行長は糸車か四目結――黒田が
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飛ぶが如くに西の方――つまり木曾川から岐阜、大垣の方面、道庵主従が目指す旅路の方面と同じではあります
行は六角堂を乗出して、真直ぐに北へ行けば一宮から岐阜へ出る街道を、左に取って、長束から稲葉伝いの大垣街道を打た
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京都のある方面の、仏法僧の啼く山奥へ医者を担ぎ込んで、私闘の創を
これが、京都を出て大阪へ向う時は、単に「のろま」の名題だけでは満足
の賢なるには如かない――そう思いついた清次は、京都を出ると直ぐに、それを実行することを忘れませんでした。彼
ですから、真偽のほどは存じませんが、常盤御前が京都から落ちられて来た時、この土地で、追剥のために殺されて
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はお話にならないことです――江戸ッ子のチャキチャキ、下谷の長者町の道庵先生ともあろうものが、木曾川くんだりの雲助にぶったくられる
下谷の長者町あたりでこそ、有名は有名に相違ないが、誰も道庵先生
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家屋敷を持っているが――こんどそこの当主が肥後の熊本へ旅立ちをする。都合によっては長くかの地で暮すようになる
過日、枇杷島橋の勝負は、かんじんのところで肥後の熊本五十七万石、細川侯の行列らしい道中で、うやむやにされてしまったが
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なるほど、水戸の武田耕雲斎が、手兵を引具して、京地を目指して乗込んで来ると
相州、野州、房州、総州の諸大名が、みな残らず水戸様に率いられて来る!
東から来るのは武田耕雲斎だけじゃない、水戸の中納言が、武田耕雲斎を先陣として乗込んで来るのだ。いや、
一方の毛利はよいとしても、東軍の総大将が水戸様はおかしいじゃないか。
のむし返しが関ヶ原で行われるという理窟にはなるが、水戸徳川は、むしろ長州はじめ勤王党のお師匠格である。
東は水戸様が出馬し、西は長州侯が出陣し、東西の国持大名が轡
、関ヶ原で合戦がある――片や長州毛利、片や水戸様。
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、雲州も来る、因州も、芸州広島も来る。薩州の鹿児島までが、後詰として乗込んで来る。それが関ヶ原で再度の天下を
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はない、備州も来る、雲州も来る、因州も、芸州広島も来る。薩州の鹿児島までが、後詰として乗込んで来る。それが
江戸から京大阪を通り越して芸州の広島まで、一日のうちに往って戻ることができる――こういう説明が
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磐城平方面から、海岸線を一直線に仙台領に着した七兵衛は、松島も、塩釜もさて置いて、まず目的地の石巻
守六十八万石の御城下近いところであることによって、仙台の城下はおろか、塩釜、松島、金華山等の日本中に名だたる名所は
も、七兵衛には少し縁遠い。ただ、名にし負う奥州仙台陸奥守六十八万石の御城下近いところであることによって、仙台の城下
だが、塩釜も、松島も、金華山も、仙台の城下も、ここを根拠として渡り歩いていれば、普通には優に
なるほど、いい景色だなあ、たいしたものだなあ、さすがは仙台様だ――といったような、赤毛布が誰もする通り一遍の
、七兵衛は今日しもまた漫然と、すでに概念は見つくした仙台の城下の賑やかなところへ立戻ろうとして、塩釜神社の下まできた
何といっても仙台の城下は東北第一の都であるから、人を見るには、あれ
での盛んな景気の中を足早に抜け去って、早くも仙台の城下へ着いたけれども、
へ入るともなく足を踏み込んだ七兵衛が、そこでまた仙台芸妓の一群が取りすましてやって来たのにぶっつかりました。
いい女をつるし斬りに斬ってしまった、その祟りで、仙台には美い女が生れねえということなんだ、だから……」
来ねえんだそうだ、というのはそれ、昔、仙台様のうちの誰かが、高尾というすてきないい女をつるし斬りに
「仙台てところには、美い女は生れて来ねえんだそうだ、という
七兵衛には必ずしもそれを肯定するわけにはゆかない。仙台だとて、決して婦人の容姿は他国に劣ったものではないのだ。
耳でもって名物を味わうことはしていない、せっかく仙台へ来たことに、「さんさ時雨」を聞いてみないことには
、それ、今時、薩摩や長州がどうあろうとも、こっちは仙台陸奥守だというはらが据わっている。
、この七兵衛に見せてもらうわけにはいくまいか、奥州仙台へ来れば、誰でも拝見のできるところを拝見して、誰も感心
奥州仙台、陸奥守六十八万石のお城、ただここで、こうして拝見して
御本丸の紅葉山までも拝んで来たこの七兵衛だ、奥州仙台であろうが、陸奥守であろうが、枉げて拝見の許されねえという掟
丸へでさえも御免を蒙れるほどのおれが、奥州仙台六十八万石が何だ――
「明日はいよいよ、仙台石巻の港へ着くそうでございますね」
です、アルバトロスもいます、鯨もお友達です、明日は仙台石巻へ着けば、そこに七兵衛おやじも待っていましょう、田山先生も乗込ん
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「拙者は、紀州和歌山の藤堂仁右衛門」
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さして置いた例の杖槍を手に取ると、かねて甲府城下の霧の夜の闇で演じた独り芝居の時の如く、仰向けに転ん
を演じた真正の型というものは、まずその昔の甲府城下の霧の闇の夜のほかにはありませんでした。
、弥勒寺長屋に覚えはねえか、それとも、甲斐の甲府の城下の闇夜の晩……」
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そうして、その実行の第一着として、大津の町の外れから、塀であろうと、垣であろうと、軒であろう
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「近ごろ百姓を増長させたのは、あの千葉の佐倉宗五郎という奴だ」
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聞えるところは、あっちを取入れたり、こっちを焼直したり、いま長崎で敵討をはじめたかと思うと、唐の南の方へ繰出して、
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のはそれ、昔、仙台様のうちの誰かが、高尾というすてきないい女をつるし斬りに斬ってしまった、その祟りで、
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と、なかなか面白い。伝うるところによると、近来、武州八王子あたりから天狗小僧なるものが出現して、遠く美濃尾張あたりまでの聯珠界
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ここに将軍の執権師直氏よりも、東京市外大久保の植木屋池田氏よりも、なおいっそう強烈なる注意人物を自分の背後に持っ
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ここに将軍の執権師直氏よりも、東京市外大久保の植木屋池田氏よりも、なおいっそう強烈なる注意人物を自分の
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今日はどこからの帰り途か、神尾主膳は馴染の、浅草の馬道の本屋の前に現われました。