石川五右衛門の生立 / 上司小剣
地名一覧
地名をクリックすると地図が表示されます
。文吾も時々それを小耳に挾んで、大和へ越え、伊勢に通ふこの街通筋が、日によつて通る人の數に、大層な
は、文吾の育つた村の街道を歩かない。大和から伊勢へ、伊勢から大和へ、伊賀路の物靜かな麥秋の頃を、
の育つた村の街道を歩かない。大和から伊勢へ、伊勢から大和へ、伊賀路の物靜かな麥秋の頃を、六十六部が
は五年目々々々に行はれる村の行事で、伊賀から伊勢へ、さう遠くもないところを、ぐるツと※り道して往復七日
の評定が、三日目の辰の刻に始つた。伊勢から伊賀へほんの隣り國ではあるけれど、古市は東南へ寄つてゐるので
地名をクリックすると地図が表示されます
父は、由緒ある武士石川左衞門の後裔で、先祖代々伊賀の郷士であつたが、だん/\に家が衰へて、多くあつた山林
、人の眠りを誘ふやうであつた。靜かな伊賀の山里の、村人は皆午睡の夢を貪つてゐるのに、文吾の
攫はれたりする噂が、よく耳へ入つたけれど、この伊賀の國だけは、さういふ難儀から暫らく免れてゐた。ところが、此頃毎夜丑三つ
を信じて、「これはきつと近いうちに、この伊賀にも戰があるに違ひない。それをお大師さんが教へて下さるのぢや
。それは五年目々々々に行はれる村の行事で、伊賀から伊勢へ、さう遠くもないところを、ぐるツと※り道して往復
家柄よりも物持ちを貴ぶ風は、山城大和から此頃この伊賀の國へも吹き込んで、田地持ち山持ちが上座になほるのを憤つてゐる源
を、この古市あたりの女は少しづゝやつてゐた。伊賀の奧から出て來た文吾は、それが珍らしくて、女に教はり/
「さいぜんの敵打ちや、あんたは伊賀の山椒賣りの子や思うて、侮つてたら、えらいことしなはつたなア
が、三日目の辰の刻に始つた。伊勢から伊賀へほんの隣り國ではあるけれど、古市は東南へ寄つてゐるので、達者
地名をクリックすると地図が表示されます
の和尚さんは、伏見から取り寄せた駿河屋の羊羮で、宇治の玉露を淹れて飮むのを樂んでゐた。紅を刷いたやうな
いふもののことをよく知つてゐたし、此頃宇治で出來た玉露といふお茶のことをも、母に聞いてゐた。
地名をクリックすると地図が表示されます
「誰れぢや。……奈良枝か。」
「奈良枝、……奈良枝。」
「奈良枝、……奈良枝。」
「誰れぢや……奈良枝か。」
「奈良枝、……なにしてる。」
「奈良枝、……奈良枝。」と、また先刻からの版木で捺したやうな聲が聞えると
「奈良枝、……奈良枝。」と、また先刻からの版木で捺したやう
「奈良枝、てんごしいなや。」といふ和尚さんの聲が、其の黒い穴
な氣がした。あの娘の名はたしか磯菜で、奈良枝ではなかつたがなア、とも思つた。して自分もうつら/
地名をクリックすると地図が表示されます
ので、達者な足で、久居から林へ拔けて、上野へ出ても、一日では兎ても行かれない。二十里あまりの道程