三国志 09 図南の巻 / 吉川英治
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「遠い遠い江南の大戦。ここの戦局には、何もかかわりはないでしょう」
江を下る百帆の兵船、陸を行く千車万騎、すでに江南を呑むの概を示して、大揚子江の流れに出で、呉都秣陵
地域を見るにいたり、いまや蜀というものは、江南の呉、北方の魏に対しても、断然、端倪すべからざる一大強国を
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官途から退き、この左慈の弟子となって、ともに峨眉山に入って、無限に生きる修行をなさらんか」
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臨江亭は湖北省にある。荊州はいうまでもなく湖南の対岸。――魯粛の使いは、
というものがありますからな。按ずるに、いま陸口(湖北省、漢口の上流)には、呉の呂蒙が大将となって、一軍団を
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胡の左賢王も、曹操が勢いの盛んなるを知っていたので、
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へ登った。そして遥かに、呉の陣を見わたすと、長江の支流は百腸のように曠野を縦横にうねり、その一つの大きな江
長江から峡水に入り、舟行千里をさかのぼって、孔明の軍は、ようやく、※
に嘱した。即ち玄徳の書簡をのせて、伊籍は遠く長江を下った。
その上、いよいよ広やかな河の合流点まで来ると、本流長江のほうから呉の兵船数百艘がさかのぼって来た。これなん一族の陸遜が
ば蜀もまた窒息のやむなきに至りましょう。いずれにせよ、長江波高き日は、玄徳が一日も安らかに眠られない日です。彼は両川
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遂に二万余人を失って、張※自身、かろうじて瓦口関(四川省)にまで落ちのびて行った。
宮室を造営し、百官の職制を立て、成都から白水(四川省広元県西北。蜀の北境)まで四百余里という道中の次々には駅舎を
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を見ながら、一面直ちに、その居府を、建業(江蘇省・南京)へ遷した。
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敗れたら、必然、そのあとは漢中の危機となることは、両国唇歯の関係にある地勢歴史の上から見てもあきらかなことですのに」
荊州の領土貸借問題は、両国の国交上、多年にわたる癌であったが、ここにようやく、その全部とまでは
う意思を抱いておられます。ねがわくは、相侵すなく、両国の修交共栄の基礎がここに定まりますように」と、魏王の書簡を孫権の座下
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魚の料理とは、貧弱ではないか。大王、なぜ松江の鱸をお取り寄せにならなかったか」
ては生きていなければ値打ちがない。何で千里の松江から活けるまま持ってこられよう」と、客の百官に言い訳した。
「大王、何尾ほど、ご入用ですか。松江の鱸は」
「嘘をおいいなさい。松江の鱸は、かならず腮が四つあります。そのほかの鱸は二つ
「いにしえから、松江の鱸を鱠にして賞味するときには、かならず紫芽の薑を
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。年々やまぬ越後上杉の進出に備えて、善光寺平野から甲府までのあいだを、その烽火電報によって、短時間のまに急報をうけ取っ