宮本武蔵 04 火の巻 / 吉川英治
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(伊勢神宮の神官か、そこへ行ったのならすぐ分る、よし……)
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「天満へ行け、天満へ行け」
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ていても、もう非常な老齢のはずだ。たしか、関東に出て、晩年は上州のどこか山里にかくれたきり、世間へ出なかっ
「貴公、たとえば、今にも関東、上方の手切れとなった場合は、どの手につく」
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名古屋城、駿府城、越後高田城、彦根城、亀山城、大津城――等々々。
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ましたが、それはもう古い話で、数年前に越前の国へお帰りになっております」
「――越前の国まで、尋ねておいで遊ばしても、主水正様が、今も果たして
「それから、越前の浄教寺村をとび出し、やはり富田流から出て、中条流を創て
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生活をやりぬいたため、すっかり家産は傾いてきた。四条の道場まで、抵当に入っているので、この年暮には、町人の
「――されば、四条の吉岡道場も、相かわらず盛大にやっておるらしいが、其許は、
あった。屡※、こちらよりも訪れ、先生も時折、四条の拙宅へ立ち寄って下されたりなどして」
か現われて、彼の肩へとびついた。――ぜひぜひ四条の道場へ来て逗留してもらいたいというので、吉岡清十郎は自分の
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、清十郎に書かせ、これを携えて、中国、九州、四国などに散在している吉岡拳法門下の出身者を、歴訪して来たので
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こう誰かに呼ばれて、朱実は、たそがれかかる五条に近い寺町を冬の蝶のように、寒々と歩いている自分の影と
よい折りだ、その又八に、会わせてやろう。――五条まで行けば、今朝は、彼が先へ来て待っているかも知れない
を、ただ返り討ちにしただけでは腹がいえず、五条の人通りへ曝し物にし、わしへ生き恥掻かせてから殺す気じゃの」
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ちょうど阿弥陀ヶ峰の真下にあたるところで、清水寺の鐘も近く聞え、歌ノ中山と鳥部
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ゆうべおそく、関の追分で泊った二人なのに、その二人は今朝もまた、まだ朝靄のふかいうち
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朱実も、きのうまでは、そういう処女らしい情操では、伊吹山の下にいた頃から、可憐な野百合のにおいを持っていた。―
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出しておくれよ。水口までいくらだい。安ければ、草津まで乗ってやってもいいぞ」
に信用を改めて、それなら水口の宿場まででも、草津まででもかまわないから、馬は、ついでのある土地の者に頼んでくれ
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染の小袖を着ている男は、この附近の伊賀谷や甲賀村で尊敬されている忍者の旧家渡辺半蔵の甥なのであろう。
三之丞は、それから甲賀村の上を通して、大津の瀬戸へ出る馬門峠の途中まで一緒に来て
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京女がいい値で売られてゆくそうだ。むかし奥州の平泉に藤原三代の都が開かれた頃には、やはり京女がたくさんに奥州
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、お汝たちが、京都へ行った折に、これを堀川の烏丸光広卿のお手許まで届けてほしいのじゃが」
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よ、あの神馬小屋にいる馬は、よい馬ぞよ。加茂の競べ馬に出したら、あれこそ第一でがなあろうに」
てくれるものとみえる。――屠蘇は満々と流れている加茂の水、門松は東山三十六峰。どれ、身を浄めて、初日の出を待とうか
突き出した――その時ですらすでに、武蔵のすがたは、加茂の流れを横に突っ切って、鶺鴒でもとぶように洲や石のうえを
通には、すぐ眼のまえに現われた幾条もの加茂の水に、はたと困った。
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その山と睨みあった。仰向けに寝ながら毎日見ていた鷲ヶ岳である。彼は何となくこの山を見ると闘志を感じるのだった。
かと思う。――いやいつのまにか彼は、鷲ヶ岳という山が石舟斎そのもののような気がして来て、遥か雲表から
には、夜気に煙っている疎林の中へ、嶮峻な鷲ヶ岳が裾をひいていた。――痛む足をかかえて寝ていた旅籠
行者ものぼらないという鷲ヶ岳の赤肌へ、武蔵は、抱きついていた。足がかりを捜して、足が岩
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博戯に千金を賭けて、夢中になっていた阿波、堺、大坂あたりの商人たちが、
堺の商人のひとりが、あわててそれを拾いあげたが、
と、堺の商人が袂をひいた。それまで唖のように他所を向いていた
ていると、そこへ入浴って来た相客の者で、堺の町人というものが、きのう阿波から大坂へくる便船のうちでは、実
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歩いていてみな、今の都には、羅生門や大江山はないが、そのかわり、女とみたらすぐ喉を鳴らす野武士がいる、浮浪人
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(――ゆうべさる方にて習い申しそろ儘、名古屋の石曳きうた書きつけて参らせそろ)
大坂、京都、名古屋、江戸――流浪の先を考えてみるが、何処に知己があるわけで
てきた。すでに吉岡家へ宛てての決戦状は、名古屋から飛脚に託して出してあるのだ。まさか、その期になって、足
すでに名古屋から吉岡方へ、決戦状は出してあるが、その後で、武蔵は、
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を占領し、五十鈴川の魚を漁って食らったりし、神路山へ鷹を放って小鳥の肉を炙ったりして、大いに武威を謳っている
神苑の太古の森も、五十鈴川の白い帯水も、神路山、朝熊、前山の諸峰も、鳥羽の漁村も伊勢の大海ばらも、すべて
城太郎はしばしの間、陽なたぼっこをしながら、霞む神路山の方へ欠伸をしていた。
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摂津、山城の二ヵ国を貫くこの大河を中心にして、日本の文化は大きな
え、お通さん、おれは聞きたいね――大坂城は摂津の海から見ても燦爛と光っているじゃないか。徳川家康は今、伏見城
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。その大規模なものだけでも、江戸城、名古屋城、駿府城、越後高田城、彦根城、亀山城、大津城――等々々。
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江戸城、名古屋城、駿府城、越後高田城、彦根城、亀山城、大津城――等々々。
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廻文を、清十郎に書かせ、これを携えて、中国、九州、四国などに散在している吉岡拳法門下の出身者を、歴訪して来た
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壺から、銚子へ移して、炉の火にあたためながら、梅軒はもう自分の知識を傾けて
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そういわれてみればこの辺りは伊賀、鈴鹿、安濃の山々のふところで、どっちを向いても山ばかりだし、その山
鈴鹿を越えて水口から江州草津へ――この道筋は、京都に上るには当然
「鈴鹿のほうへは、おれが行ってみる、てめえたちは、下道へ急げ」
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も伊勢の領民はなつかしいお方として、そのころの桑名の繁昌や善政を慕っている。
し、また見物の参考にもなるので、今も、桑名の城下から垂坂山へかかって来る道中馬の上にある旅人は、
「くさり鎌の上手がいると桑名で聞いたが」
――今がちょうど、桑名で聞き出したそういう一人の相手を、これから尋ねてゆく途中であった。
て来たお客を乗せて今着いたのじゃ。わしは桑名の馬子だがね」
「はあ、四日市へでも、桑名へでも」
上野から来る道へ。――また安濃谷へ行けば、桑名や四日市から来る道へ。――杣道や間道が、三つぐらいあるだろう。
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で焼く数よりは、戦が、意識しつつ、高野や叡山や皇都の物を焼いたほうが、遥かに大きな地域であった。
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大坂、京都、名古屋、江戸――流浪の先を考えてみるが、何処に知己があるわけではなし
「この頃、江戸の方へ盛んに京女がいい値で売られてゆくそうだ。むかし奥州の
江戸表になっている。徳川の二代将軍秀忠が、江戸の開府に、今一生懸命のところだからな。――だから京女がぞくぞく江戸
今一生懸命のところだからな。――だから京女がぞくぞく江戸へ売られて、角町だの、伏見町だの、境町だの、住吉町だ
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なに高津の真言坂を降りて農人橋のほうへ行ったと。そして橋は越えず
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伏見城の修築だった。
この伏見城の土木へ日稼ぎに来る労働者の数だけでも、千人に近かった。
つぶって運命の断層をとび越えるような悲壮をもって、この伏見城の土木へ働きに出たのだった。そしてこの夏から秋までの炎天下で
にした鉄扇を、笠のひさしにかざして、熱心に伏見城の地勢や工事のさまを眺めていた。
て、じいんと鼓膜が馬鹿になるような熱さだった。伏見城から淀のほうへ背のびをしている雲の峰は、しばらくうごきもしなかった。
伏見城では、新政策や武家制度を組んでいるが、この大坂城では、
ならば、佐々木小次郎なる者はもう死んでいる人間だ。伏見城の工事場で打ち殺されてしまった人物ではないか。――しかもそれが
も燦爛と光っているじゃないか。徳川家康は今、伏見城を始め諸国に十幾つも巨きな城を築かせているというじゃないか。
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又八は、友達の武蔵と戦場から落ちのびたこと――そして伊吹のあたりに潜んだこと――お甲という年上の女にかかって、数
「合戦の後、しばらく伊吹のある家に匿まわれて、傷の療治をしていましたが、その
ほんとに今夜泊ったあの武者修行が、四年前に、伊吹のもぐさ屋のお甲の家に匿まわれていた小僧でしょうか」
元は皆戦場かせぎの野武士を生業にして伊吹の辻風典馬や野洲川の辻風黄平の手下と、公らに名乗って働い
一瞬の姿に記憶をよび起した。その姿にはまだ、伊吹の麓で袂の鈴を鳴らしていた頃の、世間に傷つかない処女らし
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ちょうど阿弥陀ヶ峰の真下にあたるところで、清水寺の鐘も近く聞え、歌ノ中山と鳥部ノ山にかこまれて、ここの
いつもの晩のように、清水寺のほうで鐘が聞える。もう寒行はすんで初春もちかいが、師走が押しつまる
でいることは考慮に入れないのである。一念にただ清水寺の観世音菩薩の名を地へ呼び下して、
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といえば、彼の歿後までも伊勢の領民はなつかしいお方として、そのころの桑名の繁昌や善政を慕っ
ものを授けられて、卜伝の正流は東国にひろまらずに伊勢へ残った。
なかった。そこで父の死後、彦四郎は郷里の常陸から伊勢へ赴き、具教に会ってこういった。
しかなく、元々その器でなかったから、卜伝流はやはり伊勢のほうに広く行われ、従ってその余風からこの地方には兵法の達人上手
鍛冶の梅軒を訪ねて行かっしゃるより、松坂へ行けばこの伊勢で聞え渡っている上手がおりますがな」
「伊勢へ来て荒木田様を知らねえでか。ホ、ホ、ホ、ホ」
―だがあの女房のいうには、良人の梅軒は、伊勢の荒木田とかいう人の家へ行っていて留守だという。
伊勢へ来て、荒木田様を知らないのか、とさっきも笑われたことだ
神路山、朝熊、前山の諸峰も、鳥羽の漁村も伊勢の大海ばらも、すべてが自分の下にあった。
数年、倦むことなく、教育しているせいか、この伊勢では、豊臣秀吉が関白として天下を掌握しようが、徳川家康が征夷大将軍
「お通さん、伊勢を立つの。おらも一緒に行こうね。――もうここの掃除は飽き飽きし
並木を見ながら、やんわりと大きな帆が風をつつんで、伊勢の海のうちでも穏やかな海岸線を悠長にすすんでいた。
松坂まで行けば、この伊勢の出身者で、近ごろの鬼才と称われる神子上典膳のいることは分っているが
「城太さんは、伊勢から自分の背中につけて来たものを忘れたんですか」
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あれから伊賀へ出、近江路へ下り、美濃、尾州と歩いてここへ来たので
そういわれてみればこの辺りは伊賀、鈴鹿、安濃の山々のふところで、どっちを向いても山ばかりだし、
「伊賀谷へ出れば、伊賀の上野から来る道へ。――また安濃谷へ行けば、桑名や四日市から
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「四日市で早めの午、亀山で夕方、あれから雲林院村へ行くと、もうとっぷり夜になりますだが」
「旦那、安濃郷の雲林院村というと、鈴鹿山の尾根の二里も奥だが、そんな辺鄙なところへ
ご縁があるとみえる。実は、過日お留守に、雲林院村の尊宅へうかがって御内儀とお会い申した――宮本武蔵という修行中
「おれは、関の宿からちょっと引っ込んだところの雲林院村にいる宍戸梅軒という者だが、すこしわけがあって、この街道を、
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(こうしている間に、祇園神社から清水堂へ初詣りをして、それから五条大橋へ行くとしよう)
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盛んに京女がいい値で売られてゆくそうだ。むかし奥州の平泉に藤原三代の都が開かれた頃には、やはり京女がたくさん
の都が開かれた頃には、やはり京女がたくさんに奥州へ売られて行ったものだが、今ではそのはけ口が江戸表になっ
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いる淀川の水は、そのまま長流数里、浪華江の大坂城の石垣へも寄せていた。――で、ここら京都あたりの政治的な
よけいに権威を誇示して見せている秀頼や淀君の大坂城と、関ヶ原の役から後、拍車をかけて、この伏見の城にあり、
太閤時代の旧観にさらに鉄壁の威厳を加えて、一衣帯水の大坂城を睥睨していた。
聞いておる。――その人の消息を知りたければ、大坂城へ参って、富田主水正という人物をたずねてみるとよい」
では、新政策や武家制度を組んでいるが、この大坂城では、人材を糾合して、牢人軍を組織しているらしかった。もとより
を、二十人も連れて通りなさる。――今では大坂城の京橋口に御番頭として詰めてござるが、順慶堀の川ざらい
友で、共に他日を期している仲。また今、大坂城での錚々たる一方の将、薄田隼人兼相とは、あの男が、漂泊時代
の薄田兼相に身の振り方を依頼してあるところ。大坂城では、禄を問わず、抱え入れようとしている折だし、貴公のよう
見上げるように、この辺はもう早い日蔭になっている。大坂城の巨大な影が夕空をおおっているからである。
い? え、お通さん、おれは聞きたいね――大坂城は摂津の海から見ても燦爛と光っているじゃないか。徳川家康は
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、その二人は今朝もまた、まだ朝靄のふかいうちに、筆捨山から四軒茶屋の前へかかり、やっとその頃、自分たちの背中から昇りかけた
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が展けている。その上に前山、すこし東に方って朝熊山が見え、それを繋ぐ山と山との肩の間から、群山を睥睨するよう
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河のすがたが二股に裂けていた。一すじの淀川が中津川と天満川とに岐れるところである。その辺りにチラと灯が見えた。
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でも、江戸城、名古屋城、駿府城、越後高田城、彦根城、亀山城、大津城――等々々。
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の石垣へも寄せていた。――で、ここら京都あたりの政治的なうごきは、微妙に大坂のほうへすぐ響き、また大坂方
大坂、京都、名古屋、江戸――流浪の先を考えてみるが、何処に知己が
「いや京都」
「――京都?」
「京都には、吉岡拳法の遺子、吉岡清十郎という人がいるそうですが、
「京都へのぼったら、ぜひ一度はどの程度か、吉岡清十郎と立合ってみたいと
「何でもないが、京都の人間だから、京都の吉岡を悪くいわれれば、やはりおもしろくはない」
「何でもないが、京都の人間だから、京都の吉岡を悪くいわれれば、やはりおもしろくはない」
(なんでもその髷を切られたほうの侍は、京都の吉岡道場の高弟だっていっていたが、あんなのが高弟じゃ吉岡
、朝飯をたべるとすぐ、お甲とふたりで、先へ京都へ発ってしまったという。
いないらしい。おまえの養母も、粋をきかして先へ京都へ帰ったし……」
じゃないか。正月までには癒るよ、元日までに、京都へ帰ろう」
の言伝があったのよ。待ち遠しいお正月……ああ早く京都へ帰りたい。五条の橋へゆけば、武蔵様が立っている」
ああは豪語して去ったものの、よもや二度とは京都へ足ぶみ致すまいと思っていたのに――よくよくな慢心者――
京都にある硬骨な弟子のうちには、清十郎の行状にあいそをつかして、
(ともかくお耳に入れて、すぐさま京都へ引っ張って来い)
すこし機嫌を悪くして、遽に腰を上げ、天満から京都へのぼる船はどこから出るのかと道を訊いた上、
(ひとつ、京都で研がせよう。大坂はどこの刀屋を覗いても、雑兵の持つ数物ばかり
植田良平と三名の門人が、寒そうに従いて、京都の方角へ夜をかけて歩いて行く姿が見出される。
ことばに甘えて、しばらくのあいだお世話にあずかるとして、京都までこうして話しながらお供いたそう」
代表されていた永禄の頃には、上方では京都の吉岡と大和の柳生の二家が、まずそれに対立したものと
までには十日あまりの余日があるので、これから京都へ出向く旅のつれづれに、ひとつ試してみようという気持で。
ここから京都まで、四十里とはあるまい、すこし踵を飛ばせば、三日を費やさ
さばさばするだろう。またそれくらいな、自信がつかめなければ、京都の土を踏んで、吉岡方との試合に、どうして勝目がある
幾つも巨きな城を築かせているというじゃないか。京都、大坂、どこの大名や金持の邸をのぞいても、住居はぴかぴかし
なんです。世間と自分への言い訳だけにでも、京都の御所をしつらえたり、人民をよろこばしたりもしていますからね。
「いやその代りに、お通さんがこれから先、京都の方へ立ち廻られた時、ついでに頼み申したい用事もあるのじゃ
「頼みというのは、お汝たちが、京都へ行った折に、これを堀川の烏丸光広卿のお手許まで届けてほしい
鈴鹿を越えて水口から江州草津へ――この道筋は、京都に上るには当然な順路であるので、武蔵はつい先頃、通った
年暮の京都にはもう門松が立っていた。
惧れはないものとして、ただ一片の知らせを、京都の吉岡清十郎へ飛脚で出しておいたまま、追手のなんのと、いら
していたし、武蔵からの挑戦状で、あわてて京都へ帰ってみれば、祇園藤次が逐電してしまうやら、また家政の癌
いえば、その叔母ぐらいな者しかないので、きのうこの京都へ足を入れると、ふと思い出して訪ねてみたのである。
の用事があってという次第ではございませぬが、京都へ参りましたことゆえ、ふとおなつかしゅう存じまして」
たが、あの子も、後では悔いて、きっとこの京都あたりに、ばばの後を追うていると思いまする」
、わしの旅舎はすぐそこの三年坂の下、いつも京都に来ればそこに定めてある。汝には、用もないから、何処
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名古屋城、駿府城、越後高田城、彦根城、亀山城、大津城――等々々。
三之丞は、それから甲賀村の上を通して、大津の瀬戸へ出る馬門峠の途中まで一緒に来て、つぶさに道を教え、
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「あんなのがいるから、奈良や高野にも火事があるんだ」
は相当に肌寒いが、駄賃馬に乗っている客は、奈良晒のじゅばんに袷一重、その上に袖無羽織をかけてはいる
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「いや、ゆるされい。まず自身から名乗る。それがしは、蒲生浪人の赤壁八十馬、という者。ごぞんじないか、塙団右衛門、あれ
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「住吉の社家の息子さまは、この船にござらっしゃらぬか」
「てまえどもは住吉の門前で、ご参詣にもよし、座敷の見晴らしも至極よいお部屋がござい
、すこし、船に暈ったとみえる……。とにかく、住吉へでも行って、よい宿を見つけよう」
ともいえずお甲は一行十人ほどの中に交じって住吉の旅館に落着き、一同の遊んでいる間に、自分だけ一人で駕を
「……じゃあ仕方がない、住吉へ行くから駕を連れて来い」
「この住吉には、唄い女はいないのか」
藤次は、一体何のために、この年末この同勢が、住吉へなど来ているのかと疑った。お甲にいわせれば自分を
住吉の浦は、眼のおよぶ限り、白薔薇をつないだような波である。
「ほかの浜にはないが、この住吉の浦にだけはあるんですって」
ひろひに行かむ住吉の
「住吉にはまだ、わすれ水、わすれ草などという物もあるんです」
もちと、きょうは歩行い飽いた。したが、さすがに住吉の社、見事な結構ではある。……ホホ、これが若宮八幡の
と祈願をこめたりばかりしていて、今日も、この住吉だけで、ほとんど一日暮れてしまいそうだ。
へ取ッついた。植田良平も馬の尾を追って、暗い住吉の並木を駈け出していた。
いうまでもなくこの一群は、今朝から住吉を中心として、渡海場から小猿を携えて市中へ入ったれい
けれど、住吉の浜の旅籠では、病人が病気を作った原因をうすうす知ってい
れて、角町だの、伏見町だの、境町だの、住吉町だのと、こっちの色街の出店が二百里も先にできてしまっ
自分の体を金に換えようとしたことだの――住吉からここまで逃げて来た途中であるということだの――その程度
人には話すまいと思って独り悩んでいた住吉での恥かしいことを、朱実のからだ中の怒りと悲しみは、どうして
、やっと巡り会うたぞやい。これも、つい先のころ、住吉の浦で不慮の死を遂げなされた権叔父の霊のひきあわせでがな
まして、養母の手でむごい運命へ突きのめされた――あの住吉の浦から今日に至るまでのことなどは、どうしても口に出
じゃ。また、いつもの気ままが出て、わしを振捨てて住吉から去んでしもうたが、あの子も、後では悔いて、きっと
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「伊賀谷へ出れば、伊賀の上野から来る道へ。――また安濃谷へ行けば、桑名や四日市から来る
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ぞくぞく江戸へ売られて、角町だの、伏見町だの、境町だの、住吉町だのと、こっちの色街の出店が二百里も先
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淀の京橋口の柳はだらりと白っぽく萎えている。気の狂ったような油蝉
十人も連れて通りなさる。――今では大坂城の京橋口に御番頭として詰めてござるが、順慶堀の川ざらいに