日本名婦伝 細川ガラシヤ夫人 / 吉川英治
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たのが、今では舅の細川藤孝は、丹後の田辺城にいて、あの地方における重鎮であった。また、良人の忠興は
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を留守にのこして行った。――小笠原少斎・稲富伊賀・河北岩見の三人であった。
小笠原少斎・稲富伊賀・河北岩見の三将は、それぞれ手分けして、裏表の門を固め、
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忠興の弟、興元も奉じているし、良人の友人で高槻の城主たる高山右近も入教している基督教であった。
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光秀がまだ名もない一介の漂泊人として、越前の朝倉家に寄寓していた頃、藤孝も、三好・松永などという
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であったのが、今では舅の細川藤孝は、丹後の田辺城にいて、あの地方における重鎮であった。また、良人
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(例)本能寺
暁からの本能寺の煙が、まだ太陽の面に墨を流しているうちに、凶乱の
元よりそれは、本能寺の事変の際、藤孝・忠興の細川家の父子が、私情をすてて大義
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「では、大坂城へは、おはいりになられませぬか」
上杉攻めの軍旅におわすものを、何でこの身が、大坂城へ質として足を運ぼうぞ。――三成の使者は、生命惜しくば
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大人に劣らない振舞をしている。十五歳には、河内の片岡攻めに、城乗り一番の槍を入れて、信長から感状をもらっ
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細川忠興は、三男の忠利を、江戸に質子とし、次男興秋と、嫡男の忠隆をつれて、家康の陣
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を受け、わけて明智光秀は、破格な寵遇をうけて、亀山城の主とまで立身した。――今生では報じきれない君恩をうけて
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藤孝は、信長へ近づき、信長は将軍義昭を立てて、京都へ軍をすすめ、それがやがて信長の覇業の一礎石となったので
さすがに女ばかりの奥の丸にも、もう京都の空の煙が、日本中を変革している大事変だったことが
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と、嫡男の忠隆をつれて、家康の陣に加わり、宇都宮に出陣していた。