江戸三国志 / 吉川英治

江戸三国志のword cloud

地名一覧

久米川

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久米川の夜虹、狭山の怪し火、女影の里の迷路、染屋の逃げ水など、

けれど、女影ヶ原、久米川の流れ、北多摩の山裾などをたどり見ますと、おぼろにその方角だけは

江の島

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江の島の貝殻寄せ。亀市の活人形。長崎のビードロ細工。火事と血だらけな

で――その湯口のそばには、江の島の鮑取りみたいに、「法斎きちがい」を商売にしている鼻ッたら

江の島から藤沢の宿を駕で通して、大山街道の一立場、厚木の町へ

「今朝ほど江の島のお宿から、立ち寄ってつかわすという、有難いお手紙、大山街道から江戸表へ

「それでアアして、お気軽に、湯場や江の島などを歩いていらッしゃるのだろうが、こんな田舎へ、お越しがあろうと

「……そうだな、江の島に永らく御滞留だったのだから、所詮、この辺の生魚などはお口

神楽殿

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三峰神社の神楽殿では、今、湯立の舞の鈴と笛が太鼓につれて古雅な調べ

のすることなしに、ふと耳にはいって来たのは神楽殿の古雅な楽のしらべです。さっきは湯立神楽の静かな鈴楽でしたが

鎌倉山

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入れて三、四十人、ここにズラリと居ならんだ有様、鎌倉山の星月夜とはまいりませんが、貧しい大名などは及びもない一家族で、

番町

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「あれは番町のお旗本のお嬢様で、連れている猿みたいな小僧は、根府川のお関所

小日向

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かかるところへというあんばいに、小日向の高台から一本道を大股にここへ急いで来る燕合羽。

川越城

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川越城の本丸で、領主の秋元但馬守涼朝が、

浄音寺

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と見下ろします――ああ綺麗だ! 地境の隣にあたる浄音寺の境内から西がわの長屋の物干、質屋の黒塀のかげ、表通りを見れば忍川

浄音寺から水門尻へわたる捕手明り半円の灯の陣は、今、三枚橋と下谷の

落合

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 江戸西方の近郷を指折ってみても、板橋、落合両部、中野郷一円、ずっと離れて多摩川の武蔵境にしたところで、足

忍川

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いないが冬眠していたかれの習性が催促する。忍川という角の茶屋――外から見ると静かそうな二階があるので

ある女住居の家に捕われている。ここから申せばまず忍川をたどって水門尻の近辺と思えば間違いはないでしょう」

ひどい礼儀もあったものです。食べた杉箸を忍川へ抛り込み、空の丼をしゃアしゃアと馬春堂の手へ返して来

捕手と組子が、手に手に十手をしのばせて、忍川の川尻へ真ッ黒になって馳けて行く――。

ジューッ……と忍川の流れから白い煙が噴き揚ッたのは、おさらばのついでと景気よく

の長屋の物干、質屋の黒塀のかげ、表通りを見れば忍川の水門尻のあたりまで、点、点、点、点、鬼灯を咲かせた

人体は思い出せないが、目立つ方の秀鶴頭巾は、いつか忍川の売卜に応じたおぼえのある徳川万太郎にちがいない。

忍川の晩以来、どこも大嫌いな十手だの御用提灯だの、岡ッ引くさい

したものさ。それをお粂に買おうとして、忍川に家を持たせた。ところが、その家からも人情の芽は吹かない

赤坂

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「まず赤坂に屋敷のある吉宗公だろう」

天王寺

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ば日本のほこりと合点し、伊勢の玉纏横太刀や天王寺の七星剣などの古事はとにかくとして、天国出現以来の正宗、義弘

乙女峠

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青々とした芦の湖水の水と、湖尻の山、乙女峠、長尾の肩などが明け方の雲表にのぞまれて、自身は、暁風に

甲州

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もんか。――武蔵の国北多摩の奥で、秩父と甲州の山を後ろに背負って、前には、この相模灘みたいな広い原ッぱを控え

青梅の博労さんも話していた。昨日だったか、甲州から来た飛脚屋も、その通り魔に殺されかかったという話だったよ

行くてにあたる甲州の山と相模平野の間にかけて、白い雲の峰が高いのも、にわかに夏らしく

。そうだ、今年の秋は、次郎を連れて、この甲州の旅から木曾を歩いてみよう……」

翌日には、お蝶は相州津久井県の堺を出て、甲州の郡内に一歩足をふみ入れておりました。

「今も今とて、この甲州から足を抜くようにといさめて来たところだが、そういうとあの気性

あります。――その木賊と金峰を前にひかえて、甲州を落ちて来た四ツ目屋の新助と雲霧の仁三の一行が足をとめ

「私が甲州へゆく途中で、やはり、こんな深い谷あいで、大勢のものが集まって、祈祷

「では各※には、甲州から雁坂を越えておいで遊ばしましたか」

「――なぜ私は、甲州へなど逃げたんだろう。やはり江戸が何処よりも一番いい。通る人だって

「ウム、甲州で打合せをした事が、あれ以来、すッかり行き違いになって、鹿野山へ

「また、お手軽にゃ分るめえぜ。甲州でドジを踏んでから、仲間の連絡も支離滅裂だ」

、また再生の恩義もある。ことに、あの螢の飛び交う甲州の夏の夜自分に責められて、みずから毒を顔に浴びて自殺しようと

で、甲州から差立てられる時、金吾がひそかに、その助命の工夫を、釘勘に頼ん

秩父

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伊豆なもんか。――武蔵の国北多摩の奥で、秩父と甲州の山を後ろに背負って、前には、この相模灘みたいな広い原ッぱ

―ちょうど来月は秩父三ツ峰の大神楽もあるし、あれから秩父へも近いから、一ツ出かけて見ようかとこッちの相談もきまって、

地点は北武蔵野の一角、入間川を距ること遠からず、秩父から武蔵へ通う山境、鳥首峠が遙か西の方に見られる峡谷の一部落

南は多摩川を境とし、北は中仙道、西は秩父の連峰、東は江戸の町を境界に、今見るその絵図面にもグルリ

――痣――武蔵野――夕顔城――赤城――秩父――不明。

その最も力のある団体が、榛名、赤城、秩父、甲府にわたる無人の地を所さだめずに棲んで移る山岳切支丹族の仲間

のなかまは、その漂泊してゆくところの武甲の山や秩父の奥に、いくつもの耶蘇教会をもっている。だから、幕府が今

。――小仏の沢で会合した仲間達は、あれから秩父の天童壇へまいっているはずでございます。今夜はここでごゆるりと体

何も、秩父の奥や、世間を遠去かった山の会堂などで一生を終るくらいなら、一緒

た。その久助は、山岳切支丹族のなかまの一人で、秩父か赤城のやつらの会堂へお蝶をつれて行こうというので、その

 何処へって仰っしゃいますか? 木賊を越えて秩父の奥、秩父をすぎて中仙道、それから上総の鹿野山で落合おうというのが

仰っしゃいますか? 木賊を越えて秩父の奥、秩父をすぎて中仙道、それから上総の鹿野山で落合おうというのが仲間の約束で

から、日本左衛門もいずれその方角で……。じゃ、また秩父か何処かで、お目にかかる事になりましょう、何しろあっしのような日蔭

元より釘勘のからだにはひまがない。金吾はこれから秩父の道へ日本左衛門を追跡してゆくと言う。

ある。また、野を縫う道も西へ東へ、或いは秩父へ甲州路へ、幾すじとなく走っている。岐れている。

何者が報じたのか、この夕べ、秩父の山岳切支丹族の者が里へ下りたという風聞が御隠家の耳

「だが、親分はどうしたろうか。秩父へ越えるとすれば、当然ここを通るはずだが」

「秩父の町へ行きゃあ、どうかなるさ」

「あしたの朝になれば、秩父の町へゆく馬があるといったが、こんなスリバチの底のような所

「秩父の奥の天童谷という盆地でございます」

蝶の駕の行方もわからない。――と言って、秩父の諸方を探し廻った釘勘の断案では、どっちもこの奥秩父より先に

「秩父より越えてまいった旅の者でござるが、土地不案内な上に、御近辺

「おれは秩父へ出て行ったのさ。少し、たずねている者があってな。―

それこそ、自分たちが、秩父の神楽堂の下から双子の高原まで追いつめて行って、遂に迫ることのでき

「秩父の大宮か、武蔵の高麗村へ抜けたいと思うんですが、どっちが近う

降って来た雪みぞれに、さしもの火勢も衰えて、秩父あたりで怪し火と騒いだ噂もやみました。

「高麗の郷や、武蔵野や甲府や秩父や、ずいぶん歩き廻られたのに、まだこの上何処へ行こうと言われるのじゃ

います。切支丹族の者は絶えずこの鉄窓の中と秩父の山の間を往来しているのでございますよ。ですから、私は

「いいえ、不審とは存じませんが、あなた様は、秩父でも、この石牢へ来た時も、初めのうちはこのヨハンに向っ

茗荷谷

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十九の春まで、ころびばてれんの娘として、茗荷谷の異人屋敷に縛りつけられていたのを、その宿命の牢獄を破って、

なぜかといえば、そのばてれんは、茗荷谷の切支丹屋敷の鉄窓につながれているはずのヨハンに生き写しです。

は、私たち山岳切支丹族の仲間の者が相談の上、茗荷谷の牢獄から山へお迎えいたしたのでございます。……それもこれもお嬢様

江戸

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何しても、美人にはちがいないが、江戸の系統といえず、上方風ではなおさらなし、女ばかり常に見なれて

ませんでしたが、深くたずねてみると、かれは、江戸の盗賊や掏模やけいず買いどもが集まる、今日の暗やみ市を機会に、一網打尽

ないようですが、金吾はいよいよ怪しんで、この真昼中、江戸も目抜きなこの辺にどうして、かれのいうような盗ッ人市などがある

まぎれこむとすぐに、おやじは今戸焼の竈を打ちこわして、江戸の外へ逃げ出す寸法なんで……、なぜかって旦那、まごまごしていれ

また強く要求している半面の社会というものが、当時江戸のどこかにも伏在していたに違いはなく、金吾は浅ましさに

されば、中には、当時の江戸ではまだ見たこともない、白金や宝石や異国の七宝珍貴な物

抜け買いの者からだんだん波及してきて、その捜索が江戸へ移るにつれ、当然、緑林に息を吸う以上その顔色をはばからなければなら

だな……こいつは悪くすると、また当座だけでも江戸から足を抜かないと剣呑かも知れねえぞ」

「なあに、江戸の場末には、ありがちなことさ」

稼ぎもたいがいは江戸ではやらない。

ここらはもう無論江戸の朱引外ですし、本街道にも外れていますから、めッたに

ごていねいにも、わざわざ江戸から師匠づれで来ている蔵前のお客様とかが、毎日、まずい一くさりをさらッ

「第一、屋敷は江戸じゃないそうだ」

きのう網代へついた江戸の便船のうちに、ちらとその姿を見せた目明しの釘勘と、かれ

「無論、江戸は近ごろ物騒だからよ」

、岬の魚見小屋から御一緒になって帰りました、江戸の伝吉という者でございます」

ちの話さえ纏まれば、お粂は熱海へ置きっ放して江戸へ帰った方が世話がねえというもんだ。じゃアこうしてくれ、もし

「では、手前と一緒に、すぐここから江戸へ帰ってくれますか」

いたお粂の耳にもそれはハッとひびきました。江戸なら知らずこの熱海で自分を丹頂の姉御とよぶものは一体たれなの

ッたく御苦労さまですよ、姐御の浮気がたたッて、江戸から、ワザワザ追ッ手役に参ったわけです。元来、駆け落ちの追ッ手なんて

「なにさ、どうせ当分は江戸から足を抜いているところ、かえっていい保養をしたというものだ」

しかし、それは熱海を九刻立ちで江戸へ急ぐ早飛脚の提灯とわかりましたので、またお粂を足元に見て

「親分は詮議がきびしいので、当分江戸へは帰らねえそうです」

家様のお手元へまいった手紙によれば、今日熱海から江戸へ着いて、新宿追分よりこの道を通ってお帰りになるという前ぶれ」

…自分で読んでも、これはなかなか面白い、一つ、江戸へ帰る日があったら、これを版木にかけて、書屋から出してやろうか

「それは大変な旧家だ。江戸にしてもまだ家康公開府以来二百年とはならないのに、一千年

玉のハマる宿場はたんとはないぞ。板橋や大宮じゃ、江戸に近すぎてあとくされが心配になる。まあ、軽井沢だな、軽井沢の遊女屋は

したことのないお武家様ですが、あれは一体、江戸のどなた様でございますか」

があるし、秤にかけて五十斤箱に詰めて、江戸へ出す荷ごしらえをしている者もある。

ているところを見ると、奥にいるあの二人は、ただ江戸から足を抜くばかりの目的ではなく、何かほかに仕事をもくろんでいる

江戸では、釘勘の捕物陣以来、兇賊狩のきびしい詮議に追われ、地方

江戸及び江戸の御府外を中心として、関東一円にわたるふつうの絵図面

江戸及び江戸の御府外を中心として、関東一円にわたるふつうの絵図面に、

とし、北は中仙道、西は秩父の連峰、東は江戸の町を境界に、今見るその絵図面にもグルリと朱の点線が打っ

率八の体のことは、御安心なすッて下さいまし。江戸に残っている仲間の者が、この間牢役人に手を廻して、うまくもらい

「じゃ、釘勘はあれから、一たん江戸へ引返したのだな」

が、そのうちにふと大山の宿で見かけたのが、江戸で見覚えのある四ツ目屋の新助、渋色の巻頭巾に目ざまし草の箱を

、熱海を去ッた後、一時の寄るべに窮して、江戸にいたころ贔屓にしていた染之助一座の幟を見かけ、その楽屋へ

さて、そこの賑やかな町といっても、江戸の両国や浅草とは比較になりませんが、古着や繭市の立つ町角

「――熱海から江戸に帰って、早速お目にかかりたいものと、根岸のお屋敷へ伺いまし

知った様子で――「あの半五郎というのは、時々江戸の近くへ出て来ては、よくねえ事をやる男だったので、

粂、実あおれ達も、例の一件で、当分江戸から足を抜いている体だ。一ツその用心棒格で、おめえの一座を

のぞいて見ると、その乳母をしたって行く目的よりも、江戸を離れよう、江戸から遠くへ身をかくそう――そうしたものに、追わ

、その乳母をしたって行く目的よりも、江戸を離れよう、江戸から遠くへ身をかくそう――そうしたものに、追われる気持に、

でも貼りつけておくがいい。おれには、関東一円、江戸の内外、いたるところに飛耳張目の手下があるから、きッとどいつか見つけるだろう

「生洲の魚じゃありませんが、同じ江戸のお奉行へ差立てるにしても、生のいいやつを送るのと死んだ

「やっかいだな。いずれ江戸へ差立てても、斬罪ときまっているだろうに」

江戸を離れた後、久しくふれない町の繁昌ぶりも、今夜だけは、お蝶に

、いやでもそのビラが目につきます。ことに、江戸という字がなつかしい。やはりここは甲府です。お蝶にも旅の空のたよりない

日本左衛門一まきの盗賊どもを、根こそぎ一網に召捕って、江戸へお土産にいたしますつもり、どうか、何分よろしくお力添えを」

江戸を離れたといっても大府のお膝下をさることわずか三十六里にたらない地

「最前、江戸の目明しの言ったことは虚言ではない」

江戸の両国や浅草とちがい、ここの繁華は夕方からなので、昼は馬糧

「江戸で……」

「なあに、江戸でさ」

「江戸で? ……江戸でとすると相良金吾じゃねえか。あっ……ちげえ

「江戸で? ……江戸でとすると相良金吾じゃねえか。あっ……ちげえねえ!」

「実は、その、江戸の親分のお使いでしてね」

「そこへ江戸の親分の言伝をしに行っただけの事なんで、へい」

「実はなんです、江戸の親分のいいつけで、その蔦屋にかくれているお蝶さんていう娘に、呼び出し

「江戸の親分や法達に、おれがお蝶のことなんぞを聞き掘じッたと

ただの女芸人と思っているのかい。これでも江戸では、丹頂のお粂といわれた姐御だよ。さあ、立派に

「わしかね? わしは江戸の大伝馬町に住む甲斐絹屋九兵衛というもんですがね、その甲斐絹の買出しに

「ええ、元より、江戸の生れですから」

の相談をすまし、その話の都合次第で、明日にも江戸へ帰るとするから、どうだな、そこまで一緒に来てくれないか」

。迎え酒というやつだ。だが、自棄はいけない、江戸へ行って、浜町の別宅に納まってもらっても、自棄酒は御法度ということ

ては困るが、その荷元の機屋というのが、江戸の者とちがって、おそろしい堅人なのさ」

がきのうとは変っております。第一、秦野屋を江戸の甲斐絹商人とばかり信じているお粂にはまさかそれが、相良金吾だ

「江戸の甲斐絹屋と言ったなあ口から出まかせで、おらあ日本左衛門とつき合いのある、

「やっぱり人間だ。江戸の女だ。悪党の上ッつらには染まっていたかも知れないが

に至っては、三都ともにその風おとろえ、ことに江戸には見ることはきわめて稀としてありますが、地方の良家の子女の

しきりと考えていましたが、その身なりから推して、江戸で会った者だろうとだけは想像がつきましたが、にわかに、何処で

出て、不思議な仕事をすることもある。たとえば、近ごろ江戸の切支丹屋敷の牢獄からヨハンの姿が消えたといううわさがある。また、

「ああ、それでは娘御は、江戸のお蝶どのという方ではないのかな」

粗相をおわびした上に、改めてお暇をいただいて江戸の尾州様へこれを届けるつもりです」

高麗村へ帰り、千蛾老人に仮面を見せて、さらに江戸へ行くべく心をせきましたが、月江の打身が容易に癒えないので

ございます。では、近いうちに、これを持って、江戸へ行ってまいります」

御隠家様のゆるしをえて、江戸の尾州家へ仮面をとどけるべく次郎が武蔵野へ下りた時、おりんも二人の

「それとすれや、もうとうの先に、江戸か上総へ行きついて、あべこべに、おれ達の遅いのを案じているかも

「皆さん、江戸の衆とみえるね。面白いことばかり言う」

「おれかね。おれは江戸の者だが、おめえはやはり山の衆かい」と、答えると相手は

「ほ……江戸、お前さん、江戸の者……」

「ほ……江戸、お前さん、江戸の者……」

「――と言うと、おまはんも、江戸の人かい」

「なつかしいなあ。江戸は何処だい」

「江戸の三孔と申しまして、太田持資入道の頃からある長い地底の抜け穴で

ている所に、嵐山という地名が書いてあるが、江戸の市街に嵐山などという所はない。何かの間違いであろう」

「はてな。京都ならば聞いておるが、江戸の嵐山とは何処であろうか」

「いや、江戸の嵐山などとは、見たこともない」

おりんは、それより前に、洞白の仮面を持って江戸へ上っていた次郎と共に、今では根岸の下屋敷の方へ預け

「江戸の中の嵐山。開府以前の武蔵野の原――そして羅馬の貴族ピオが最後

「ああ、ここがどうして江戸なのだろうか」

「どうして江戸でない事がございましょうか。内濠、外濠、幾つもの御門を通らなけれ

その林間から、江戸の市街がすいて眺められます。山を北にした東南向きの建て工合

は分りませんが、とにかく、千蛾老人の言った、江戸の嵐山というのはここの以外にはありません、また、常人には

て、みじめな彷徨いを続けた後流れ流れて、元の江戸へめぐり帰って来た褪せ窶れた姿が、歳晩の巷に見出されます。

江戸へはいると、草市よ羽子板市よと、あわただしく雑沓している都会の雰囲気が

――なぜ私は、甲州へなど逃げたんだろう。やはり江戸が何処よりも一番いい。通る人だって、口をきく人だって、私

が第一に、生れた家を訪れるように、お蝶は江戸へ着いた日に、もう浅草へ行っていました。

船まんじゅう」と俗によぶ売笑婦の巣船でした。江戸ではまたこの種類の売笑婦を「お千代舟」と言っています。

た頃に、高台から雪の下町を見ると、真っ白な江戸の全市に火の見櫓の灯が幾つも年の暮を見張るように灯されてあり

「江戸が恋しくなったから」

すると真昼にも、山屋敷の見廻りの隙を狙って、江戸の町へ出て行くようです。――しかし前と違って、明け方か、

鳴りをさせていた露店の主は、近ごろ古巣の江戸へ舞い戻って、三味線堀に長い顔をさらしている梅花堂流の馬春堂先生

「まったく、それじゃ分る筈がない、しかし、何時から江戸へ戻っていたのじゃ」

「あの女にゃいろいろな理があって、江戸へ戻る前までは血眼で探したもんだが、ここへ来てからは、

お蝶のことを耳に挾んでいて、暇あるごとに江戸見物に出歩くついでに、それとなく注意をしていたものと見えます。

「やっ、おめえは熱海で逢ったことのある、江戸のお粂さんという女じゃないか」

て、大川へ舟で逃げてから数日の間――江戸の額風呂や旅籠を転々として、あぶない逢う瀬をつづけて来ましたが

そうこうしている間にも、奥へは、頻々と、江戸の四方の番所や諜者からの密報がはいって来る。

豆腐(差入れ茶屋)で軽い旅支度をすると共に、遠く江戸を離れたのです。

荒川

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「ここにちがいない――荒川の畷は」

堺町

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せて、塗りのお駕に男芸者をたくさん付けて、堺町の勘三郎芝居へ連れて行って頂戴」

石神井

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川越街道の追分を過ぎて疎林をくぐると、石神井の流れが麦畑と草原とを縫って、あたかも、水銀の液を流したよう

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ピシッと萩の鞭が鵈る。

辰巳

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「へい、辰巳の金田屋でございます。紅梅河岸までお客を迎えに参りますところで」

八ツ橋

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法蔵院の前の八ツ橋を渡って、つつじを植込んである築山の細道、以前の七番堂の丘

甲府盆地

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この甲府にいる人々の動静を皆明らかに聞かされて、甲府盆地を鳥瞰したように知ってみると、一刻もじっとしていられた体

源次郎岳

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、左右の空に見た山をかぞえてみますと、源次郎岳、大菩薩、鈴庫、倉掛、乾徳山、みな一見識をもって、甲武の

伊豆

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鎌倉右大臣の――箱根路をわがこえくれば伊豆の海や――その伊豆の海はだんだんと困惑の足もとから暮れかけてきそうです

―箱根路をわがこえくれば伊豆の海や――その伊豆の海はだんだんと困惑の足もとから暮れかけてきそうです。

ことのねえ所だが、高麗村というと、やはりこの伊豆の田方のうちなのかな」

「ばかをいッてら、おじさん。高麗村がこの伊豆なもんか。――武蔵の国北多摩の奥で、秩父と甲州の山を

「伊豆へ行ッたという話ですが、変な所へ出かけたもんで、何

「伊豆へ……」と、万太郎は目を閉じて、

本所

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山屋敷の仲間の龍平の所へ、よく遊びに出かけた、本所の鶴吉という髪結よ、お忘れかい」

小仏峠

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小仏峠へ?

田中

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千住か、田中あたりか、真つ崎の森か、まさかこの順道をそのまま吉原へ入るの

高麗

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「高麗の郷高麗村の御隠家様でござります」

高麗の郷高麗村というのは、その峡谷の首村であり、御隠家様

武蔵一円の石神の司祭者、高麗の御隠家様とは何者か知らぬが、銭瓶の穴から持去った洞

高麗の郷、高麗村。それはすなわち、ここでした。

遠い昔、推古朝の世には、高麗の移民が野馬追いに疲れて腰をかけたかも知れないこの野中の玉石

「高麗の郷というのはこれからどう行ったらよいのか、お前は存じておら

男は狛家に仕える高麗村郷士のひとりで、三日にあげず、御隠家様の御機嫌取りと

高麗村郷士の男は、そこへ近づいてゆくと彼の手にある鍬と彼

丞に組み敷かれながら、目を閉じて念じましたが、高麗村郷士きっての猛者、この男の力には、さすがの月江も及びませ

笠の上に流れて来ましょう。ことに峡谷の山ふところ、高麗の郷高麗村の部落は、もう何もかも秋めいています。

からいうと、真の江戸ッ子の生えぬきというのは、高麗のコクリつまり朝鮮人ということにもなる」

峠を経て鳥首から天目山へわかれる山路と、また一方、高麗の郷高麗村の峡谷へ出る幾つかの道の追分になっている。

たので、それを追いつつ来るうちに、いつかこの高麗の郷へ下って来た三人でしたが、その土地も家も気づかず

「高麗の郷や、武蔵野や甲府や秩父や、ずいぶん歩き廻られたのに、まだこの

駒ヶ岳

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すでに月は箱根の二子山と駒ヶ岳の背に傾いている。時刻はあれからだいぶ過ぎて、もう夜明けにも程近い

小石川

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「は、小石川の同心組の近くまで参りました」

ここは小石川の窪地、丹下坂の切支丹屋敷。

いや、ヨハンがこんな所にいるはずはない。あの厳重な小石川の切支丹牢を破って出られるわけもないし、こういう山間に、こういう

覚束ないと考えて、矢もたてもたまらずに、彼も小石川を逃げだしたのだろうか。

「だけれど妙じゃないか、そのヨハンは、小石川の終身牢に捕われている人間、どうして私が日本左衛門に追い廻された

私たちは、その自由な山の教会へ、小石川の牢獄からヨハン様をお迎え申し、今また貴女様をお迎えに来たものです

まさかと、お信じなさらなかったでしょう、どう考えても、小石川の牢にいる私が、あんな所に祈祷をあげているなどという理屈は

に蛇の目傘のお蝶を怪しむものはなく、やがて彼女は、小石川の切支丹坂を下りて獄門橋まで一息に歩いて来ました。

お蝶です。――小石川の石神堂の穴から江戸城の秘孔を抜けて、そこに顔を出した

相模平野

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行くてにあたる甲州の山と相模平野の間にかけて、白い雲の峰が高いのも、にわかに夏らしく感じられて

相模灘

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波はごうごうと吠えています。はや、夜のとばりは相模灘をいちめんにとざしていますが、沖の一線は、月明りのように空が冴えて

飛鳥

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飛鳥! 屋根から袋地へ飛び下りました。

飛鳥といいましょうか、疾風迅雷、堂の両側からおどり上がって組みついて来た二人の者

嵐山

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「また、この三孔の線が結び合っている所に、嵐山という地名が書いてあるが、江戸の市街に嵐山などという所はない

、嵐山という地名が書いてあるが、江戸の市街に嵐山などという所はない。何かの間違いであろう」

ませんが、とにかく、千蛾老人の言った、江戸の嵐山というのはここの以外にはありません、また、常人には近づけぬ

しずかに歩き廻っていますと、吹上の最も奥にあたる嵐山の西の松山を、ザワ、ザワ、と微かな音をさせて、通っ

、ここ二十日余りの間に、夜ごと、船見山、嵐山、赤壁渓の附近、ずいぶんと隈なく捜索いたしましたが、いまだに、ピオの

ザザザザッ――と嵐山の上の方から、風の神でも降りて来るように、あわただしく熊笹の戦きが

「すると先頃から、嵐山の裾、赤壁の水辺などで、時折出会った怪しい者は、将軍家とその侍臣

山里、吹上、船見山、嵐山、すべて寂とした暗の底に沈みこんで、春の星ばかりが、模糊

関東地方

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なく、禁教の声と迫害の目に追われて、ひとり関東地方を流浪していた形跡があります。

草津

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が心配になる。まあ、軽井沢だな、軽井沢の遊女屋は草津へゆく江戸者がみんな財布を病気にするところだ。あそこの扇屋か二葉

熊川

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「熊川の岸でございますよ。ここを越えると拝島の裾でしょう」

彼等がもしその道を、熊川の方へとって来たらいやでも出会うのは必然です。

彼は、その月江を背におぶって、熊川の浅瀬をえらびながら、

二人は、見たことのない夢をみるように、熊川の浅瀬を渡ってゆきます。

薩摩

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の古葉は小出しがしてなくてお生憎様ですが、薩摩じゃ如何でございましょう」

「薩摩はどうも好き嫌いがあって売りにくい。じゃ、天下野にしてもらおうか」

鹿野山

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の辰の日とする。場所は河岸をかえて上総の鹿野山、場所は上総の鹿野山」

。場所は河岸をかえて上総の鹿野山、場所は上総の鹿野山」

日、時刻は宵の六ツ半から七刻の間、鹿野山の額堂に集まることだぜ。忘れねえようによく耳へとめておけ」

承知いたしました。じゃ親分、土用の辰に、上総の鹿野山で、またお目に懸ることと致します」

いいようにするがいい。いずれ土用の辰の日にゃ、鹿野山でお目にかかるからな。あばよ」

では、どうせ土用の辰の日には、鹿野山で顔をそろえる約束のあること、ここをひきあげて、一先ず上総の方へ足

した事が、あれ以来、すッかり行き違いになって、鹿野山へ行ってみても、親分の立廻った様子はねえんだ。そこで、

月光院

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「なんでも、後見の間部詮房とお傅役の月光院様とが庭でいちゃついていて、小さな将軍様に風邪をひかしたのが

江戸城

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どれも、式服を着けた武家ばかり――そして江戸城の正門へ一散に。

と双方、端的な会話を投げ合って、吉宗が江戸城へ鞭を上げてゆくと、万太郎も、笠を抑えたまま、大名小路の陰

、永らくこの狛家にかくまわれていたが、やがて、江戸城にも新将軍秀忠が移り、この地方にも諸侯の制度がきびしく布かれて

折、根岸の御家来衆の口から伺いますと、毎年江戸城の御本丸でお催しになる七夕の夜能に、ぜひとも、あの洞

歌を書いて遊戯する身でもありませんが、例年江戸城の本丸にその夜催される七夕の夜能に、ぜひともなくてはなら

市中の初春気分はいうまでもありませんが、江戸城の正年行事は元朝から始まって、登城の大小名の駕は大手の濠端を

「この江戸城の多門をくぐりましたのは、自分が元服した折に、父に連れ

「当江戸城のお庭を拝見させていただきたいのですが」

「何の頼みかと思うたら、江戸城の庭を観せてくれとはいと易い望みじゃ、幾日なりと滞在し

「はははは、江戸城の中の貸家さがしは神君御開府以来始めての珍事であろうな」

「さあ、嵐山とはどこであろうか。江戸城の庭と申しても、紀州や尾張殿の城内とは少し広いので、

。内濠、外濠、幾つもの御門を通らなければ、江戸城の外へは出られませぬ」

無論、要害堅固な江戸城のこと故、寝ずの番もあろう、黒鍬の者の夜廻りもあろう。

「江戸城の庭が拝見したいなどとは、元々、口から出任せの口実と思うた

のそねみと反感を持ち、新将軍の代がわり早々何かこの江戸城に不吉な妖兆を起こそうとする故意な悪戯であること。

、そちならば存じているかとも思われるが、当江戸城の内に於いて、異国人で誅殺された者の例があるであろうか

帰った後は、饗応の混雑やおびただしい供人も去って、江戸城がにわかに広くなったような気がしました。

費やしたと見えて、ぼやっとした朧月も、いつか江戸城の西の方――紅葉山の襟筋へ隠れかかって、どこともない有明

して、太田持資が築城以前からあったのをそのまま江戸城の最も奥まった所に祠ってあるというのは、こんなお粗末なものかと

この江戸城も、遠い昔は、やはり武蔵野の一部であったことを思えば、なんの

密議がまとまると、万太郎と金吾は、ふたたび例の間道から江戸城へ戻り、釘勘は次郎を連れて、お粂ひとりの留守をしている

咲き出るので、薬園奉行や黒鍬の小者は、そこを、江戸城の血塚とよんで、足ぶみ禁断の地としてあるという」

「場所が江戸城の奥のこと故、ここまで突き止めた狛家の先代も、どうする事も

「だけれど、それも江戸城だけの伝説じゃないかしら?」

「伝説かもしれません。おそらく現在の江戸城に棲むものは、何でそんな所に奇異な塚があるのか、疑って

もし、三日のうちに、ここへ帰って来なかったら江戸城の土になったものと思っておくれ」

こと。……がしかしどうして左様な蛮地の野草が江戸城の奥庭などに咲き出るものか、その儀ばかりは、この暁台にも、とんと想像

江戸城へ送られたその年が慶長十九年。ちょうど関東大坂手切れとなって、大

は深い吟味をうけた様子もなく、出陣の血祭に、江戸城の庭で斬られたらしい。死骸は小者の手に渡って、無造作に埋け

迷信は迷信を生む。以来、江戸城の三代、四代、五代、とかく奥庭で怪我をすると、塚のせい

お蝶です。――小石川の石神堂の穴から江戸城の秘孔を抜けて、そこに顔を出した彼女でした。

とおり塞がせてありますから彼に翼のない以上、ふたたび江戸城の外へ逃げ出す気づかいは絶対にない。

逃げて来た道は誤りません、およそ江戸城の十重二十重のかこみから出るにはここよりほかに逃げ口はない。なぜ

上野原

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「上野原の弥助が、一体、何を見たッていうんだい」

小仏から甲府に至るまでの宿場宿場――上野原、駒飼、勝沼、石和などの町で、彼の目にふれ、彼をし

駿河台

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度の事ではなく、あのお茶の水の崖上にある、駿河台の番屋からも、同じような事を知らせて来たことがあるんです

佐賀町

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「なるほどお前は初心らしい。可愛い娘だ、わしはな、佐賀町の穀問屋で、そして大した金持の隠居さ。もう吉原だとか辰巳だと

八幡

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森を見ました、八幡の鳥居を見ました、菜種の花の路傍に小さい地蔵堂を見ました。

箱根

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すでに月は箱根の二子山と駒ヶ岳の背に傾いている。時刻はあれからだいぶ過ぎて、もう

敦賀

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族の者も、もう長崎に着いていましょう。そして、敦賀の港に、船を廻して待っていましょう。もうお姫様が幸福の

上町

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「上町の芝居小屋だ――岩井染之助の楽屋から出たんだとよ!」

「左様でございます。手前どもは上町の小屋に興行のお免許を願っておりました染之助一座の楽屋者に相違

川越

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八王子の宿を出て、今夜の九刻ごろまでに、川越の城下へ行き着こうとするものです。

「川越の城下までもつかしら」

岐れ道の石が教えるところでは、川越の城下までまだ、これより三里半。

取によるとか、織物農穀の産業もゆたかで、川越の城下の繁昌はなかなかであります。

その結果、襤褸つづらを荷駄にのせて、八王子からこの川越へ、夜逃げ同様に落ちてきたわけでありますが、頼って来たこの

「へ、ございます。金創にかけては、川越で一番という方で、御城主の秋元様からもお扶持があるくらい

居る者にだよ。……実は、私が八王子から川越に来る途中で、ひとりの怪我人があって、それを大勢で助けて来て

「この川越の城下には、もっと、繁華な所はないのか」

「居合を見せているのじゃな、ウム、面白い、川越の城下にもこんな繁昌な所があるか」

で大怪我をしている侍があって、それをこの川越までみんなして助けて来てやったそうだ」

「あ、親分も、この川越へ来ているんで?」

「この川越にお屋敷があるということは初耳でございますが?」

それでもまだ川越の城下では、曲独楽の嵐粂吉が舞台で倒れたという評判が大袈裟

を脱した先生と伊兵衛が、中仙道筋を歩き廻って、この川越に来合せたのは、あながち偶然なことではない。

、次の興行地へ旅立つ支度をしている間に、川越の景気を聞き伝えて、例のいかもの部屋の太夫元へ、粂吉一座を買い

の者も徒歩や馬や、思い思いな旅装いで、ふたたび川越から武蔵野の原をななめに抜けて甲州街道へこころざしました。

川越の宿や扇町屋あたりの噂から、わずかな手がかりを得て、ここに、ようやく

兄い、四ツ目屋の兄弟、お先に御免こうむります。川越ではやり損なって、ひどい味噌をつけましたから、こんだあ意地でもお

でそれ以来久しく消息を聞かずにおったところ、先頃、川越の秋元但馬守からちらと妙な噂を耳にしてな……」

彼は、川越の城下での事が、吉宗の耳にはいっていたと思うと、何

武蔵野

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にいたかと思えばあしたは奥州街道に、――ゆうべ武蔵野をゴソゴソ歩いていたかと思えば今朝は音羽の筑波屋あたりで、熱燗

と、もう、さして行く先は渺茫として海のような武蔵野の原――行けども草原、行けども草原です。

「武蔵野には坂がない」

「当所武蔵野の山尾根に、高麗村と申す部落がある由でござるが、絵図にも

ています。駕の簾戸から外を見れば、うららかな武蔵野の風物がゆるく、後へ後へと流れてゆく、

ましたが、絶えて橋というものを越えません。武蔵野に少ないものは橋でした。

分けて、上へ上がッて見ると、夜は深沈たる武蔵野の渺茫です。

が、今よりザッと一千年前の霊亀年間から、この武蔵野にお住居なされておる」

は当然、なんの仔細もあるまいというので、あの武蔵野にある各所の石神堂に、生き胆をとるべき人間の罠に懸るのを待っ

「慶長の昔、この武蔵野にさまようて来て、御当家にもしばらく止まり、その後、夜光の短刀を

来年はお祖父様も、きっと一緒に参りましょうね。この武蔵野には海がありません、お祖父様は海を御覧になったことが

「武蔵野に芒の伸びる頃もいいが海の趣もまた格別。来年はぜひこの久米

上方の戦乱や、異教迫害の火の手に追われて、この武蔵野へのがれて来たのじゃ。ピオは羅馬の貴人で、かの国では王族

これ、狛家千余年来の守護神であり、また武蔵野に散在する幾多の小さき石神堂の総元の社であります。

のか、影も見つからないんだもの。――この広い武蔵野で二人ばかしの人間を探すのは、二匹の虫を探すようなもんだ

丞が帰って行ったものでしょう。――風なき夜の武蔵野はこの一軒家の夢を守って、しっとり霞んでおりました。

があるほか、春秋一様な転変をくりかえしているに似た武蔵野の原にも時と人との推移があります。

府外を西北に去る平野といえば、そこは草茫々たる武蔵野の原のほかにはない。

ないこれだけの中だが、さて、尋ねてみると、武蔵野の広さがわかる。ことに、その方角を知っているのは、おれ達

いて、これも、雲霧の知らせによると、近頃、武蔵野の奥へ姿を見せたそうだ。――まだ油断のならないのは相良

今日もまた武蔵野の原をさまよう一ツの編笠がありました。

でした。――かの不思議な女駕に乗せられて、武蔵野の暗を夜ッぴて疾駆した揚句、郷士どもの嘲笑と共に、

武蔵野のあちこちに出没して、行来の旅人をおびやかす通り魔というのが、そもそも

女影の迷路をめぐり歩いて、十方何ものも見ぬ武蔵野の真ッただ中に立ちますと、何かしら、あまりに雲をつかむような探しものに

前を染めつつ、両手で顔を抑えたまま、盲滅法、武蔵野の暗を方角もつけずに走り去りました。

物騒なうわさが絶えないというので、夜旅をかけて武蔵野を横ぎる場合は、立場問屋で出立の時刻をさだめ、同じ方角へ向うものが

のを面白がッて、次郎は拭きこんだ大廊下を、武蔵野を駆けるように、家鳴りをさせてドンドンと戻って来ました。そして、

わずかなうちに、武蔵野の草もめッきりとのびている。

やがてこの一行が、かなり武蔵野の深くへかかった時、驚目に値する一人の女を見かけました。

、その半身が徐々に見え出し、やがて大きな輪をえがくよう武蔵野を駆け飛ばして来たかと思うと、程なく、一同の立ち止まっている先

の関久米之丞の住居がそれです。――そこは武蔵野の西端で立川の流れを越えれば八王子の宿に遠くありません。

この仮の顔は、彼女が武蔵野の草深い所から、夜旅をつづけて来た唯一の護りでありました。昼

「人違いであろう、拙者は武蔵野の郷士関久米之丞というもの、刀を引かッしゃい! 話が

光に、遠くは木曾信濃の群山、広くは東方にわたる武蔵野の原、帯と曳く多摩川の長流、あるいは清麗な美姫が蚊帳にかくれた

やがて武蔵野の碧空にも、赤とんぼの潮流が、旅人の笠の上に流れて来ましょう

出て平野の一端に来てみますと、見渡すかぎりの武蔵野の原は、尾花の銀鼠いろの一色にぼかされている。そして、その尾花

なんと静かな武蔵野の昼でしょう。

。キメのこまかい黒土の感触のよさは、素人園芸家も武蔵野の土を措いて他国にない味だと言っております、まるで菜根の肉

さ、千余年も前に高麗のコクリ族が、この武蔵野に移住して来た当時の品物だよ」

「だからこの武蔵野の草分けは、江戸太郎でもなし、太田道灌でもないし、徳川家康で

のない反抗でした。よしやその悲鳴が生き霊のように武蔵野の宙を馳けめぐるとも耳にとめる往来の人がありますまい。

灯を遠いうしろにして、満目、芒と露ばかりな武蔵野の一路をたどって来る佳人があります。

小仏の秋を惜しみ、高麗村の秋をしのびながら、この武蔵野まで帰って来ました。

。それに、決して道に迷うことはありゃしません、武蔵野といえば次郎の巣のようなものですからね」

そして、一歩武蔵野へはいると、秋草のしおらしさ、虫の音のおもしろさ、足のつかれも

、二人は一散に逃げ出しました。――逃げるに逃げいい武蔵野の原を。

をえて、江戸の尾州家へ仮面をとどけるべく次郎が武蔵野へ下りた時、おりんも二人の郷士をつれて、また、拝島の岡へ

「そこはやはり武蔵野でございます。拝島の岡と申しましてね、誰がもと住んでいた

自分が探ったところによると、ピオの最期の地は武蔵野のうちであって、この絵図面にしるしある場所とは、だいぶ違っておる

「それが、誰しも考え違えをし易いところで、武蔵野とは申しますが、今の江戸市中も、慶長の昔には、武蔵野

が、今の江戸市中も、慶長の昔には、武蔵野の一部であったに相違ございませぬ」

「高麗の郷や、武蔵野や甲府や秩父や、ずいぶん歩き廻られたのに、まだこの上何処へ行こうと

「江戸の中の嵐山。開府以前の武蔵野の原――そして羅馬の貴族ピオが最後の秘密を埋ずめた土地――」

村の月江の屋敷の庭にある石神堂、そのほか、武蔵野のおちこちに限りなくあるという石神堂が、この江戸城の奥にもある?

この江戸城も、遠い昔は、やはり武蔵野の一部であったことを思えば、なんのふしぎもありませんが、彼

赤城

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その久助は、山岳切支丹族のなかまの一人で、秩父か赤城のやつらの会堂へお蝶をつれて行こうというので、その晩こっそり

忽ち、徳川家の武士の知るところとなって、曠野から赤城の山へ走ったが、途中、安中の城下で、井伊直政の家中の手

湯島

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お蝶は湯島の額堂でふるえていました。

名古屋城

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徳川万太郎が名古屋城で手に入れた「御刑罰ばてれん口書」。あれなども羅馬の使徒が

筑後

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筑後は門外に駕を待たせて、もう式台へ来ております。

追分

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川越街道の追分を過ぎて疎林をくぐると、石神井の流れが麦畑と草原とを縫って、

た手紙によれば、今日熱海から江戸へ着いて、新宿追分よりこの道を通ってお帰りになるという前ぶれ」

過ぎている。しかし、それから、山伏峠か正丸越えの追分はやがて一里弱にすぎない所で、それから先は、どうしても

銚子

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銚子がつく。

と、杯をすすめ、銚子を取る。

甲府城

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ふさいでいました。柳沢美濃守吉保の封ぜられている甲府城の外濠。

「ふーム、これが甲斐の少将といわれる柳沢様の甲府城か。二、三百石のお小姓からとんとん拍子になり上がって、一代で十五万

」と、濠を越した彼方に摩天楼のごとくそびえている甲府城の本丸を指さして、

加賀

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中仙道から北国路、善光寺平も過ぎました。道中は、加賀の藩のさる貴人というふれ込みで、前田家の関手形も持っている。

音羽

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少し道草をしてあとから追うから、先へ行って、音羽の筑波屋という定宿――おれの名をいやあ心得ているから、裏二

―ゆうべ武蔵野をゴソゴソ歩いていたかと思えば今朝は音羽の筑波屋あたりで、熱燗の湯豆腐に首をつッこんでいようという

きょうが音羽の護国寺では、蟹清水の開帳日。

たかというと、あなたもお忘れはありますめえ、音羽の護国寺前、筑波屋いう旅籠の二階で、惜しいことには一足ちがいで

の宿まで知らして来てくんねえか。宿は例の音羽の筑波屋だ。頼むぜ」

ローマ

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ば、ピオの通信が本国へ絶えた紀元千六百〇三年以来、ローマの人々が千里を遠しとせず探しぬいて来た王家世襲の宝刀、夜光

軽井沢

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じゃ、江戸に近すぎてあとくされが心配になる。まあ、軽井沢だな、軽井沢の遊女屋は草津へゆく江戸者がみんな財布を病気にするところ

近すぎてあとくされが心配になる。まあ、軽井沢だな、軽井沢の遊女屋は草津へゆく江戸者がみんな財布を病気にするところだ。あそこの

切支丹屋敷

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きて以来、彼が心ひそかに探っている目標がその切支丹屋敷であったのです。

には見せていない。で――それについて、切支丹屋敷の内部の者に、ぜひ訊き探ってみたいことがあるのだが、あすこ

られたのでございます。――という風に、あの切支丹屋敷の娘は、途々自分に話したが? ……

外の者はここを切支丹屋敷とよび、内部のものは山屋敷と呼んでいる。もとは宗門奉行の屋敷でし

世間で思う切支丹屋敷とはまるで違っている。

」と呼んで、幕府ではいい重宝に使って、生涯切支丹屋敷の飼い殺しとするのが例です。

は父二官の合鍵を盗み、父が管理している切支丹屋敷の土蔵から、金目の品物を持ちだして龍平に渡している。もっとも、男に

のため常に出入りするので二官が特に預かっている切支丹屋敷の土蔵の鍵。

現在、切支丹屋敷の牢獄に、たッた一人いる異国人とは、すなわち伊太利ローマの人、伴天連

切支丹屋敷の官庫。

「いつか私が、切支丹屋敷の蔵の中で親分にも話した通り、あいつと道中師の伊兵衛はグル

「で――話は急だし大変です。切支丹屋敷の一件が町奉行の手に移って、ぐずぐずしていると、ここも捕手

が早くついていたかといえば、手懸りは例の切支丹屋敷――官庫荒しの一件が逐一町奉行所の手へ移されたがためでし

「切支丹屋敷!」

え、馬春堂、おらどうも切支丹屋敷にゃ、ぜひ何かなくっちゃならねえと思うよ。なぜかって、現在、羅馬

「おめえと別れて、あれから切支丹屋敷の高塀を越え、中の様子をのでいていると、いきなりおれの小鬢

よくひらきました――切支丹屋敷の吉野桜。

思うつぼに、ヨハンは切支丹屋敷へ下獄されました。そして、折あらば二官に向って、羅馬王

「なんてえ奥深え屋敷だろう。ここから見りゃ、まだ切支丹屋敷の方がよッぽど歩きいいくれえだ」

、実はそれには、相良金吾、丹頂のお粂、切支丹屋敷のお蝶、目明しの釘勘、道中師の伊兵衛、徳川万太郎、こう六人の

左衛門の籖は、もう見るまでもありません。――切支丹屋敷のお蝶。

届くところにぶら下がッているのに、おれの引き当てた切支丹屋敷のお蝶ばかりは、どうしても、影もかたちも見せてくれねえ……

「切支丹屋敷のお蝶のやつが、どこへ影を消していやがるのか、さッぱり当て

「切支丹屋敷を逃げだした二官の娘、お蝶が持ち歩いているものと存じます」

「この質屋で姿を更えて行った女が、切支丹屋敷のお蝶ということが分った以上、何もあわてることはない」

それは、切支丹屋敷のお蝶でした。

切通しの晩、おれが夜光の短刀の手がかりをつけるため、切支丹屋敷のお蝶を捕まえているところを、邪魔したのはあれは誰だ? 

なぜかといえば、そのばてれんは、茗荷谷の切支丹屋敷の鉄窓につながれているはずのヨハンに生き写しです。

私が切支丹屋敷を抜け出る時に、ああ言って彼と別れたけれど、私ひとりで夜光の短刀

その乳母は彼女が十二の年に、切支丹屋敷の父から暇をもらって、甲府の家に帰っている。名は、忘れ

「ところで切支丹屋敷のお嬢さん。折入って、あなたにお話があるんですが、ちょっと私

切支丹屋敷のお嬢さんだって?

「御存知ないわけはございますまい。あの切支丹屋敷のヨハン様を」

ないような気がする。お蝶は信仰の生活を求めて切支丹屋敷を逃げたのではありません。

が血眼でさがしている出目洞白の仮面、あれは、切支丹屋敷のお蝶が持って、この甲府に来ております。そして、お蝶は多分今夜

にばかり気を走ッて、その大事な仮面を持っている切支丹屋敷の娘を逃がしちゃあいけませんぜ」

、不思議な仕事をすることもある。たとえば、近ごろ江戸の切支丹屋敷の牢獄からヨハンの姿が消えたといううわさがある。また、蜻蛉売りの

くりしたでございましょう。私はヨハンでございます。あの切支丹屋敷の牢にいた……」

お呼びするのは当りまえなことでございます。いつか、切支丹屋敷の牢の前でも話しました。あなたは、ころびばてれんの娘だなど

少し時日をさかのぼって、話はここに切支丹屋敷のお蝶の事にうつるとする。

切支丹屋敷の吉野桜の下で、父の二官がよく口笛に吹いていたの

「あれ、もしやおめえは、切支丹屋敷に居たお蝶っていう娘じゃねえのか」

けれど、いくら切支丹屋敷という別世間に育ったお蝶にでも、それから夜更けにかけて、橋

亡父の二官が公儀から役目の上に預かっていた切支丹屋敷の官庫の鍵です。

お蝶は驚いて走り出しました。しかし、この切支丹屋敷の中で生れている彼女のことなので戸惑いをすることなどはありませ

。天童谷以外な所で、あなたを容れる所は、この切支丹屋敷があるばかりです。……オオ雪が吹きかけます。お蝶様、ここへおはいり

「お前は、切支丹屋敷のお蝶じゃないか」

 ……その代りには、お金なら勝手を知っている切支丹屋敷の官庫から、幾らでも私が夜半に持ち出して来て上げるわ」

嘘ではない。おれが金に困っているので、切支丹屋敷の官庫の中から、何か持ち出して来ようという気だろう。イヤハヤ、娘心の

のお小遣いにして下さい。またなくなったらいつでも、切支丹屋敷から持ち出して来て上げますからね」

ても、今のは女にちがいない。男に化けた切支丹屋敷のお蝶とかいう女にちがいない。そうだ、早くこの事を」

「何と言ったッけ……そうそうお蝶だ、切支丹屋敷のお蝶という女だ」

「そうだろう、お前は切支丹屋敷を脱出した、ころびばてれんの娘だ。お前を容れる世間はなく、お前

「宗門役の御制度、切支丹屋敷の御設置などが開かれました後ならば知らず、柳営御創始当時に

「ヘエ、するとそこは、あの切支丹屋敷の近くなんですか」

「なぜというまでもない話だ。あの切支丹屋敷は、お前にとっては、怖ろしい故郷だぜ」

なぜかというに、彼は前日から命をうけて、切支丹屋敷のお蝶の体を、平河口の不浄門でうけとることになっていました

根岸

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の耳に入って、とうとう万太郎、その翌日は、上屋敷から根岸の別邸へ移されて、謹慎という、きびしい命をうけました。

が市ヶ谷の上屋敷を放逐された後は、当然一緒に根岸の別荘に移って、主人と共に起居しているべきでありますが、

ここは根岸の里。

「へい、恐れ入りますが、今宵はすぐ根岸のお住居へ、お引取り下さいますように」

「根岸のお住居へお帰り願いたい」と面を犯して突っ込んだのも、要する

が意見していたようですが、どうして、なかなか根岸へ帰る気ぶりはなく、今し方まで護国寺の前に居ましたが、そのうち、

から江戸に帰って、早速お目にかかりたいものと、根岸のお屋敷へ伺いましたところ、ぶらりとお出かけになったまま、幾日経っ

「ところで、その折、根岸の御家来衆の口から伺いますと、毎年江戸城の御本丸でお催し

て江戸へ上っていた次郎と共に、今では根岸の下屋敷の方へ預けてあって、その身辺のことは一切釘勘にまかせ

そしてまた、この根岸の下屋敷に、千蛾老人が亡い後の月江を引取ったのは、万太郎の

「根岸のお屋敷だって?」

その早朝、根岸の里にも飛報がありました。

鎌倉

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もとうとう、自分で身の処置をつけました。――鎌倉へ行って松ヶ岡(尼僧院)へはいるそうです。あそこへ駆け込めば、どんな兇状

隅田

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へ通うのでしょうか、日本左衛門を乗せた猪牙舟は、隅田の本流から神田川をさかのぼります。

関東

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せる王族ピオ(かれの名)の最期の地は、関東江戸市を中心とせる僻地なるべし。

 日本にて客死せる王族ピオ、かれの最後の地は関東江戸市に近き僻地なるべし。

に分れていた。彼は大坂の秀頼の許しと、関東の大御所の印可とをあわせて得て、日本に一大耶蘇会堂をたてる目的

、慶長十七年、旅先で、不慮の禍いに会って、関東の山へ姿を隠してからであった。

、ピオが山へ隠れたかというと、当時すでに、関東大坂の交渉は風雲険悪になりはじめて来て、その間に、やはり一人の

、やはり一人の耶蘇会の異国人が、密偵を働いて、関東の機密を、大坂へ通じた事件が発覚した。

つづいて、関東の老将軍家康は、突然禁教令を発し、多くのばてれんを斬り、教会堂

江戸城へ送られたその年が慶長十九年。ちょうど関東大坂手切れとなって、大御所の息右大臣秀忠は、関東の兵をすぐっ

大坂手切れとなって、大御所の息右大臣秀忠は、関東の兵をすぐって大坂へ発向しようという間際であった。

名古屋

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です。それは前々代、大納言義直卿の当時、名古屋の城下でとらえた一人の宣教師を斬った時、白洲で調べあげた写しで、

相違ございませんが、十七年の昔をさかのぼれば、尾州名古屋の富の小路に御槍組頭で七百石をおとり遊ばしていた相良勘解由様

「そうか、じゃお前は、父上の時代に、名古屋の屋敷に奉公していた仲間だったのか」

八丁堀

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て作りは十手と同じこの獲物を持つものは、無論、八丁堀の捕役か、奉行手先の捕方に限ったもので、

あらあ! おめえの手で日本左衛門が召捕れるくらいなら、八丁堀や奉行所の人間どもは、あすから飯の食いあげになるだろう」

雷門

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がブラ下がっています。茶屋町の横丁はもう片日影で、雷門の通りからチラホラと曲がる人かげも、そこに縁なき男どもばかりで、枯柳が

それを赤い帯あげの中にくるみ込んで、宵の町角を雷門の方へ出てゆくと、あとの四ツ目屋も戸をおろして、

カッとした気味で、耳にも入らず早足に横丁から雷門の裏小路へぬけてしまう。

目白台

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「目白台へ上がって行ったかと思いますが……何しろ私は、お粂の方

兵庫

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兵庫くずしの姿を目あてに、七番堂から馳け出した釘勘の跳足

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たあげくか、その翌日には、お蝶は相州津久井県の堺を出て、甲州の郡内に一歩足をふみ入れておりました。

両国

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さて、そこの賑やかな町といっても、江戸の両国や浅草とは比較になりませんが、古着や繭市の立つ町角を中心に、鄙びた遊

東両国で見たあの曲独楽かしら、それとも、浅草の地内に興行していたあれかしら

切支丹屋敷にいたころは、よく父の二官をだまして、両国や浅草のいろいろな小屋をのぞいて歩いたが……

江戸の両国や浅草とちがい、ここの繁華は夕方からなので、昼は馬糧倉のように蒸れて

御用がすんだらその帰りに、屹度、浅草の観音様やら、両国の盛り場やら、お膝元の町々を、のん気になって、見物しているでございま

下谷

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のさめたように娘の足どりは少し早めになって、下谷裏町から本郷台の方角へ向ってゆく。

くる小川に添った片側町の露地で、野暮にいえば下谷の源助店、丹頂のお粂がひとり暮らしの住居であります。

ながら、笠のつばを上げて顔を見せたのは、下谷溝店で同じ長屋のわるさ仲間、道中師の伊兵衛でありました。

へわたる捕手明り半円の灯の陣は、今、三枚橋と下谷の二手へ列を乱して、吹かるる螢の如く散々に追って行きます

「溝店だ? ……へええ、いよいよなつかしい。下谷だね、そうすると」

「はーて、こいつは益※いぶかしい。下谷の溝店で売卜者というと、おれにも心当りがあるんだが

が急な用達にでも出かける時のように、大川端から下谷方面へ、踵を飛ばして駈け出しました。

一方、野槍を小脇にもって、下谷の方へ駈け去った小童は、あれから何処へ行き着いたか?

長崎

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長崎に、温泉の山に、大村の刑場に、殉教の美しい血を惜しまなかっ

江の島の貝殻寄せ。亀市の活人形。長崎のビードロ細工。火事と血だらけな絵巻をならべて、数珠を持った坊主頭

むらさき色のビードロです。その当時にあっては、長崎の者か蘭法医でもなければ見知らない、小さな薬の瓶。

ことは日本幕府の記録が示すとおり、村人に見つけられて長崎の宗門方に渡され、やがて江戸表護送となって、前後十数回

附近ということが、ほぼ限定的に分っているのに、長崎天草までは乗渡って来た羅馬の人も、よくここまで足をふみ

「御当地初御目見得、長崎流曲独楽廻し嵐粂吉、近日、賑々しく小屋びらき仕り候」

それをまねたのが京童の貝独楽、ひなの銭独楽、長崎の漢土独楽、それから雨後の竹の子独楽、できるわできるわ、手品独楽、

「船の便なら、長崎奉行に申しつけて、蛮船の都合万端、よきように取計ろうて進ぜよう」

ぬ。私が使いにやった切支丹族の者も、もう長崎に着いていましょう。そして、敦賀の港に、船を廻して待って

「しかるに、数年前に、手前が長崎表へ公用で参りましたせつ、その捺草を所持いたして同地の蘭

水戸

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明るい夕空と白い星が一ツ見えるのみで、しめ切ってある水戸の外にも、格別、かれの神経を要する気配はないあんばいです。

「じゃ、こんどの将軍様が、水戸から出るか、紀州から出るか、尾張から出るか、てめえ知っているか

「水戸様は館林をかついでいるし、間部は紀州をかつぎ上げている。そこへ

、真ッ平、願わくばそんな風よ、向きをかえて、水戸へでも紀州へでも吹いて行け。

七男殿も、いつまでそうしてはいられまい。水戸殿を介して越前家から養子に欲しいという話があるが、どうで

、またまた尾州家と確執を起こすのは苦しい事であり、水戸派、紀州派の諸臣に対しても面白くない成行きを見そうなの

の信ずるところでありましたが、将軍継承問題では、水戸とも暗闘があったところなのに、継職早々、またまた尾州家と確執

いい、何事も、聞き流しにしておくがよかろう。いずれ、水戸か、尾州か、吉宗に心よからぬ大奥雀の悪戯じゃろう」

京都

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戦国の余燼をあげていたころに渡来して、かの京都耶蘇寺の焼亡後、西国の切支丹大名にもよるべなく、禁教の声と

京都公卿浪人

「はてな。京都ならば聞いておるが、江戸の嵐山とは何処であろうか」

陣の当年で、神君の御発令により、大久保忠隣が京都の耶蘇教会堂を取り毀し、諸国に邪教禁止のおふれを布かれてから三

に身を寄せて、やがて、普通の伝道者のように、京都へのぼった。

和歌山

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見えませんが、これは万太郎とは莫逆の友だち、紀州和歌山城の宰相頼職朝臣の世嗣、すなわち、紀伊家の吉宗です。

甲府

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らの相談にも口を出して、やっと取り極めたのが甲府で十日百七十両三歩という嫌に切りつめた約束。

とにかく、お蝶はそうして、甲府へ行こうとしています。

「甲府へゆけば、小さい時、私に乳を飲ませてくれた乳母やが

まぎれ込んだ妖花の一輪を、存分になぐさみ揉みにじッて、甲府か猿橋あたりの廓にでも売り飛ばそうという腹にちがいない。

のある所でございますよ。旦那様方も、これから甲府の方へおいでになるなら、いやでもそこに足を止めるでしょう」

ない旅のしかたをしつつ、ともかくも、彼女の姿を甲府の柳町に見るようになったのは、それからだいぶ日数を費やした後

、日本左衛門におびやかされている気持でしたが、繁昌な甲府の城下にまぎれこむと、何か気強い気がして、いつかその恐怖も

十二の年に、切支丹屋敷の父から暇をもらって、甲府の家に帰っている。名は、忘れもしない、お咲という

ます。ことに、江戸という字がなつかしい。やはりここは甲府です。お蝶にも旅の空のたよりない意識がどこかにひそんでいます

か、郡内の手前というと、あの小仏の近くからこの甲府まで、お前さんは私のあとについて来たんですか」

その最も力のある団体が、榛名、赤城、秩父、甲府にわたる無人の地を所さだめずに棲んで移る山岳切支丹族の仲間の

ふさいでいました。柳沢美濃守吉保の封ぜられている甲府城の外濠。

様子をみると、例の暗殺の目あてをもって、この甲府へ入り込んで来る途中、期せずして落合ったものと思われます。

「だから、この甲府でみんなが落合ったのを幸いに、一人一人の手分けをやめて、力を

へ急いで来た謂れ因縁は、その本人よりも先に甲府へ来て手ぐすね引いて待っている尺取の十太郎が百も二百も知りぬい

釘勘がこの甲府へ急いで来た謂れ因縁は、その本人よりも先に甲府へ来て

「ふーム、これが甲斐の少将といわれる柳沢様の甲府城か。二、三百石のお小姓からとんとん拍子になり上がって、一代

「甲府町方衆詰所通用口」

、では何という、尾州家の万太郎様が、この甲府へ参っておられるとか」

「この甲府と存じます」

「甲府は分っておるが、そのお宿は」

「そのお約束が結べました上は、手前はこれから甲府の町をザッと一廻り見物と出かける事にいたしましょう。その上で方針

彼が甲府町方の役所を辞して、もとの濠端へ引返して来ますと、思いがけなく

「お蝶と日本左衛門とが、この甲府へ来たのをそちは知らないのか」

「そうか、面食らわせてやろうと存じて、不意に甲府に来てしまったのじゃ、はははは、だいぶ探し廻ったとみえるな」

」と、濠を越した彼方に摩天楼のごとくそびえている甲府城の本丸を指さして、

「日本左衛門を初め手下の奴らも、残らず甲府へ寄り集まっている様子です」

から江戸表へ差立ててあるので、幸先もよいし、甲府は二人に地の利をしめていると思える上に、万一の時に

にすると、ちょうど同じ刻限、釘勘が去ったあとの甲府町方の役宅へ、急を訴えて来た家主があります。

ある? 火事と喧嘩はお江戸のものだが、この甲府にもそいつがあるとはたのもしいな。どこだ火の手は?」

けれど、お粂の嵐粂吉が、この甲府の柳町の小屋を打ってまだ日の浅いうちに、先生が安価な折

甲府町方奉行所

「だから、おれはこの甲府へはいる前から、ちっとも気をゆるしちゃいなかったんだ」

人相書が廻っているのですから、それから察して、この甲府という地相は、自分たちにも暗剣の方位にあるんじゃないかと

小仏から甲府に至るまでの宿場宿場――上野原、駒飼、勝沼、石和などの町で

で――辻ビラをたどってこの甲府まで来てみると、ここでは七日の長興行というので、

のものがよぶところをみると、それは半世紀前の甲府代官の陣屋跡かも知れません。

、どうも思い切ったことができないので、実はこの甲府へ来る前に、いったん江戸表へ引っ返して、市ヶ谷にある尾張様のお

の仮面、あれは、切支丹屋敷のお蝶が持って、この甲府に来ております。そして、お蝶は多分今夜あたり、どこかで日本左衛門

いると、彼には幾つもの分身があって、この甲府にはいって来た人々の動静をいちいち見て歩いているようです。

この甲府にいる人々の動静を皆明らかに聞かされて、甲府盆地を鳥瞰したように知ってみると、一刻もじっとしていられ

知らねばこそですが、この甲府にいる人々の動静を皆明らかに聞かされて、甲府盆地を鳥瞰した

逢うのはみんな日本左衛門の手下、この甲府に入りこんで、飛耳張目となって町をうろついている者達です。

「何しろ、早い仕事をしなくッちゃ、この甲府にも長ッ尻はしていられない」

甲府荒川のほとり、城下の南郊です。遊行念仏の名道場一蓮寺の藪から

「てめえが島から帰った後、甲府あたりの寺に巣を食ッているというこたあ耳にしていたが

「それで、おれにこの甲府を立ち退けと言いに来てくれたか」

「いや、こうなればおれも意地だ、この甲府を退くにしても、柳沢や万太郎や釘勘の奴らに、一

にちがいねえや。どういう風の吹廻しか、この頃はこの甲府へ、いやに物騒な親分ばかり集まりましたね」

「こりゃ今度、おれが甲府へ来た手土産のかわりだよ、すくねえが納めておいてくれ」

脛が、人の想像外な線を描いて、一夜に甲府を駆けずり廻ったにちがいありません。――そしてその目的には何か

濁橋ぎわ蔦屋内、お蝶様。これが一通。……甲府お町方御役宅内、徳川万太郎様。……それから西小路庄右衛門様方、

ようがすか。……明日の晩、九刻ごろ、甲府の南、城下端れ、荒川べりの寺町――分りましたか、そこの

九兵衛というもんですがね、その甲斐絹の買出しにこの甲府へきております。それで荷元との話がつく間、この近く

「そうです。甲府町方の目をくらますため、日本左衛門がこッそりとかくれている穴です

折角、この甲府まで来てみたけれど、もうさがしあぐねて、とても逢われぬものとあきらめ

「――実をいうと、この間の晩、甲府の或る裏町で、おれはお蝶を殺すばかりにしたのだ。そこ

た機に、九兵衛はここへ一同を集めた手前、この甲府にいることは危険だから、一日も早く、柳沢家の勢力外の

を取ッちめたら明日を待たず、今夜のうちに甲府境を出てしまおう」

たのは、前夜、しかも深更になって、柳沢家の甲府町方役宅へ、徳川万太郎宛にとどいた、無名の飛脚からです。

へ託した後、金吾や釘勘と共に、即日、甲府から秩父路へ向っています。

や釘勘の消息はさらに聞かなくなりました。――甲府から奥秩父にはいる道は、甲武信の山脈の折り重なっている有名な嶮路で

「だけれど、あれから後、甲府の町で、蜻蛉売りの久助という者から、いろんな話をすっかり聞いて

村へ連れてくるようにと私の吩咐けをうけて、甲府へ行ったのでございましたが、日本左衛門に寝込みを襲われて、

「ウーム、それで甲府から、この地方に逃げ込み、昔の神楽師仲間にはいって、姿をかくし

柳沢家へ人数のくり出しを頼み、日どりを諜し合せて、甲府と高麗村から挾撃的に捕手を出し、寒さを冒し天童谷をうかがっ

た秦野屋九兵衛の話したところによって、釘勘から甲府の柳沢家へ人数のくり出しを頼み、日どりを諜し合せて、甲府と高麗

「高麗の郷や、武蔵野や甲府や秩父や、ずいぶん歩き廻られたのに、まだこの上何処へ行こうと言わ

うまうまと秦野屋に誘い出されて、あの甲府の信玄堤の畷で、突然、相良金吾に出会った時、どういう気持か

と、猶予なく、おきまりの軍鶏籠に乗せられて、甲府表から江戸町奉行へ差立てになり、阿弥陀街道から笹子、小仏を揺られて来

松山

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ていますと、吹上の最も奥にあたる嵐山の西の松山を、ザワ、ザワ、と微かな音をさせて、通ってゆく者

佐賀

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「なるほどお前は初心らしい。可愛い娘だ、わしはな、佐賀町の穀問屋で、そして大した金持の隠居さ。もう吉原だとか辰巳

奈良

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薬師の横丁をのぞくと、菜飯、奈良茶飯、木の芽田楽、蒲焼など、軒並びの八間が団扇をハタかせて、

深川

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しかしその時――深川河岸の方からと永代の川番所の方から、紺色に黒ずんだ宵の

頃はもう、とっぷりと陽が暮れて、大川を隔てた深川の屋根の上から、黄色い宵月が顔を出しています。

浅草

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浅草界隈に、見かけない娘――今までたしか三度もこの前を行き戻りした

裏にも表にも、落葉のあるく音がします。浅草もちょッと横丁へ入ると、提灯の出入りするくらいな淋しさ。おまけに、

溝板をふみ出すと、急に明るい大通りがあらわれる。文字どおりな浅草の宵、目に痛い繁昌ぶりです。夜霧と明りの滲み合っているところ

やがて、浅草の灯に別れると、酔のさめたように娘の足どりは少し早めに

な「ばてれん口書」の一帖だけでも取り返そうと、浅草の四ツ辻に立ちました。

サッサと足を速めだしてゆく、その足どりの様子では、浅草観音堂を中心とした盛り場を程遠くないようですが、金吾はいよいよ怪しん

笑った声を消して、その姿は、表の石段から浅草の灯の巷へ向って、夜の鳥かとばかり早く走り去ってしまう…

いつか、浅草の四ツ目屋へ、珊瑚を売りにきた、紫頭巾の娘の目

今日浅草にいたかと思えばあしたは奥州街道に、――ゆうべ武蔵野をゴソゴソ歩い

かの浅草の巷をあるく時の眼ざしや日本左衛門の手をのがれた素早さや、

、そこの賑やかな町といっても、江戸の両国や浅草とは比較になりませんが、古着や繭市の立つ町角を中心に

東両国で見たあの曲独楽かしら、それとも、浅草の地内に興行していたあれかしら。

たころは、よく父の二官をだまして、両国や浅草のいろいろな小屋をのぞいて歩いたが……

江戸の両国や浅草とちがい、ここの繁華は夕方からなので、昼は馬糧倉のよう

ませぬ。そして、御用がすんだらその帰りに、屹度、浅草の観音様やら、両国の盛り場やら、お膝元の町々を、のん気になって

を訪れるように、お蝶は江戸へ着いた日に、もう浅草へ行っていました。

ないよ。釘勘のおじさんが来なければ、これから浅草まで急いで行って、あの事を早く知らして来なければならない」

「もう来そうもないから、これから浅草の釘勘の家まで一走り行って来よう。いいでしょうお嬢様」

でありましたが、後に南の附属となってから浅草千束村の桐畑に移っていました。

浅草艶語

市ヶ谷

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、あとの困り方を想像しながら、ひとり興がりつつ、市ヶ谷御門外の屋敷へ急がせてきたところ。

市ヶ谷御門外の尾州家、部屋ずみの万太郎が住居は、邸内北がわの別棟

いくつも世間にころがっているはずはねえ。ありゃあ、おれが市ヶ谷の上屋敷から持ち出して故意と市ではたいた品物、それも、ほンの意趣

尾張中将の放縦なる若殿徳川万太郎の側付き、その万太郎が市ヶ谷の上屋敷を放逐された後は、当然一緒に根岸の別荘に移って

忘れはしませぬ! 去年市ヶ谷御門外の上屋敷へ忍びこんだかれが、洞白の仮面箱を持ち去って

そして仮面は、あのために迷惑している市ヶ谷の兄の屋敷へ送り返し、自分は心やすく夜光の短刀を探してみよう。

「で、市ヶ谷のお上屋敷では、中将様を初め御当主の殿様も、たいそうお心

てはならない洞白の仮面が、果たしてその晩までに市ヶ谷の上屋敷に届けてやることができるかどうか。

はこの甲府へ来る前に、いったん江戸表へ引っ返して、市ヶ谷にある尾張様のお長屋のものに、それとなく聞き探ってみると

よりの当惑は、仮面の処置です。それは一刻も早く市ヶ谷上屋敷の尾張義通――万太郎の兄なる人、および憂苦に閉じられている

様からくれぐれもお頼みをうけて来た大事な品、市ヶ谷の上屋敷とやらへお届け申してあげるまでは、おまえに大変な責任が

にわけを話してその了解を得た後は、江戸表市ヶ谷の上屋敷に届けてくれるように――という希望が添えられてある。

千住

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千住か、田中あたりか、真つ崎の森か、まさかこの順道をそのまま

目白

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そこへは時々、百舌、山雀、文鳥、ひわ、目白、さまざまな小鳥がブチまけたように下りて来て、日ねもす歌っている。

「じゃ、目白の鶉ヶ岡へでも持って行って、どこかへ埋け込んでしまう

と思うとその姿は、目白の台へ急いで鶉ヶ岡の二本松――夏ならば茗荷畑、秋

身が一途に案じられて、木立に暗い坂道をあえぎあえぎ、目白の台へかけのぼって行く。

目白の石神堂で、釘勘という苦手に追いかけられて、すっかり泡を食っ

とした目的のあるものの如く、音羽を経て、目白の台へスタスタと上ってゆく。

を取逃がし、そのまま来る折もなく気になっていた目白の石神堂。

「先頃さる者が、目白の石神堂へ取落とした品、それを高麗村のお使いが持ち去ッ

「あの後の成行きは、目白の近所で、ぼつぼつ様子を探って来たんだが、まさかおめえの体

と、目白の石神堂から郷士たちの持ち去ッた仮面箱のことをききほじると

目白の丘の石神堂、高麗村の月江の屋敷の庭にある石神堂、

釘勘はかつて見た、目白の丘の石神堂を思い合せて、ふしぎな念に衝たれていました

上野

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ているべきでありますが、ここは忍川の水門尻、上野のお成街道を横切ってくる小川に添った片側町の露地で、野暮

まま御行の松の先から横丁へ影を隠して、やがて上野のすそから山下の通りへ出ました。

「七刻頃になると、上野の方から一人、茶屋町の方から一人、草履ばきで、十手を持っ

阿佐ヶ谷

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大根の耕作にありますが、いわゆる武蔵野名物は草神楽、阿佐ヶ谷囃子のおはやしの一人でして、柄にもなく笛が上手。

根は百姓、御府外多摩郡阿佐ヶ谷村の産でして、業とするところは練馬大根の耕作にありますが

家のあたりをながめると、ここは武州阿佐ヶ谷村の百姓家、ただの田舎家と変りがない。

「やはり、おれ達の、阿佐ヶ谷神楽の仲間で、しかも笛がうまかった。なんといッたッけなあ

が村へ帰って来たから、何分よろしく頼むぜ。阿佐ヶ谷村なんて肥臭え土地へは、何も好んで帰りたくもねえが、生れ

ねえ。昔とッた杵づかだ、おれも一ツその阿佐ヶ谷神楽のお仲間に入れてくんねえ、え、いいだろう。いやか、いや

、吾を忘れておどり立ちましたから、伊兵衛は元より阿佐ヶ谷神楽の連中も、あっと、総立ちに仰天して、たれの気転か、

「ところが、此家へは阿佐ヶ谷神楽の連中という触れ込みで来たわけだ。向うの離亭にゃ、まだ

「あの奥に泊めてある阿佐ヶ谷村の神楽師ども、田舎能の真似ほどはするであろう。あれをここ

阿佐ヶ谷神楽の連中でございましょう。百姓芸人でも白足袋の嗜みはありますが、

「おお、それよ、阿佐ヶ谷村の者達。ただ騒然と飲んでおッても面白うない。何かさかな

曲が終りますと、夜宴の無礼講はここにくずれて、阿佐ヶ谷連中の能がかりを皮切りに、赤い顔をならべた郷士たちが、野趣横溢

の空虚には、燭も白け渡って、杯盤の狼藉と阿佐ヶ谷神楽の者が五、六人残って、そこにウロウロしているばかり。

その晩、高麗村の峡谷から命からがら逃げ出して来た阿佐ヶ谷神楽の仲間の残りは、運わるく、二子の池のほとりでこの女

彼はあの晩、阿佐ヶ谷神楽の連中が、野舞をしているかがり火を見ました。

、道中師の伊兵衛に相違ありません。伊兵衛は例の阿佐ヶ谷組の神楽師の仲間にまじって、いかにもいい気持そうに、また得意

「そのはずでございます、あいつは元、阿佐ヶ谷神楽の笛師の方が本業なのでございますから」

護国寺

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きょうが音羽の護国寺では、蟹清水の開帳日。

を約束の場所にしたのはこッちの都合で、護国寺じゃ、毎年きょうと極まっている開帳日です。伝吉のやつもうっかりして

今日が開帳だとは気がつかなかったので、ただ護国寺の境内とだけお報らせしたのは誤りでした。けれど、そのお

道中師の伊兵衛の荷物をもって一足先に、この護国寺のすじ向うにある、筑波屋へ泊りこんでいる馬春堂でありました

「護国寺の札堂――あの辺は」

「あいにくと今夜は、護国寺のなんで、ばかに混み合いますもんですから、どうも不調法ばかり仕りまし

、どうして、なかなか根岸へ帰る気ぶりはなく、今し方まで護国寺の前に居ましたが、そのうち、馬春堂と伊兵衛が筑波屋を

いつぞや、丹頃のお粂と相良金吾とが、護国寺前のつくば屋を去る時、その夜、ある地点までふたりの行動をつけ

というと、あなたもお忘れはありますめえ、音羽の護国寺前、筑波屋いう旅籠の二階で、惜しいことには一足ちがいで、

武蔵境

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板橋、落合両部、中野郷一円、ずっと離れて多摩川の武蔵境にしたところで、足達者というほどなら、もう七刻ごろには

蔵前

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ごていねいにも、わざわざ江戸から師匠づれで来ている蔵前のお客様とかが、毎日、まずい一くさりをさらッては、どッと、あたりお構い

また、あちらの座敷に陣取っている師匠と蔵前のお旦那が、晩酌のすさびに音じめを直したのでしょう。爪弾きで

「じゃお蝶ちゃん。私はちょっと、蔵前まで用達に行って来るからね」

にわかに慌てた足どりで、三筋町から新堀端に沿い、蔵前の通りをまっすぐに出て、見付から横山町の抜け道にはいります。

浜町

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どこへ連れてゆくのやら、浜町のお成橋。

も買出し以外は番頭まかせ、いやらしいことをいうようだが、浜町の方の別宅に、ひとりくらいの女気がほしいと前から心がけていた

だ。だが、自棄はいけない、江戸へ行って、浜町の別宅に納まってもらっても、自棄酒は御法度ということにしてもらい

頃か、お千代という眉目のすぐれた売笑婦が、浜町の菖蒲河岸に舟をつないで、嫖客を招くに水上から、

やがて、辿りついた所は、浜町の片端れ、その辺りまだ空地や空井戸や古池などが多く、大川端を

が、さり気ない態を作って、率八の家の裏手から浜町の屋敷地の方へスタスタと足を早めだします。

ので、男か女かの判断に迷いながら、今日、浜町へ帰る率八に尾いてゆくお蝶を、またその後から尾けて行って

もしそうだったら、灯ともし頃を合図に、大川と浜町の陸から、例の所へ人数をよこすように親方が言い残して行きまし

「その時は、おいらも捕手と一緒になって浜町へ行くよ。ちょうど明りの灯く時分に」

ちょうどその前後に、菖蒲河岸から浜町附近の露地を流して来た二人連れの虚無僧がある。

た形で彼方の川洲、此方の露地、或いは狭い横丁から浜町の屋敷地にまで引き摺り廻された揚句、果ては組々の人数もちりぢりになっ

大久保

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、あれは関所のお船手と、早川番所につめている大久保加賀守小田原の人数です。

た冬の陣の当年で、神君の御発令により、大久保忠隣が京都の耶蘇教会堂を取り毀し、諸国に邪教禁止のおふれを布かれ

日比谷

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またもや、日比谷の方から砂を蹴立てて来た一列の騎馬に怒鳴られました。

館林

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「紀州から出すか、館林から出すか、尾張から出すか、このけんかだ」

「水戸様は館林をかついでいるし、間部は紀州をかつぎ上げている。そこへまた、尾張

新宿

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まいった手紙によれば、今日熱海から江戸へ着いて、新宿追分よりこの道を通ってお帰りになるという前ぶれ」

巣鴨

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「そうだろう、おれが巣鴨へ行った帰り途、ちょうど庚申塚の先であの女を見かけたんだが、

大宮

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あれくらいな玉のハマる宿場はたんとはないぞ。板橋や大宮じゃ、江戸に近すぎてあとくされが心配になる。まあ、軽井沢だな、

中仙道の川口方面へ出るという鋳物商人、大宮へ行くという繭買いの男、野田粕壁地方へ所用でゆく人々、六

にわかな御遊行、前もってお報らせがございますれば、せめて、大宮の宿までお迎えをさし出しましたものを」

「道々、炭焼の者などにも問い訊したなれど、大宮の宿へ出た様子もないとの事、そこでもう一応、尋ねたい

たちに訊ねてみると、その編笠の浪人らしい者は、大宮へは下らずに、間道をとって、芦ヶ久保へ抜けたらしいと

「秩父の大宮か、武蔵の高麗村へ抜けたいと思うんですが、どっちが近うござい

八王子

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ツの籠を取り巻いて、旅回りの惨めさをかこちながら、八王子街道を落武者のように元気なく辿っていました。

数頭の馬の鈴、賑やかな話し声、そして八王子組の駅伝問屋の提灯が七ツ八ツ。

と、そこで立ち騒いだ八王子組の駅伝人足が、わッと逃げ腰になろうとすると、

この旅人や小荷駄の一行は、その日の昼、八王子の宿を出て、今夜の九刻ごろまでに、川越の城下へ行き着こう

中で一番あたま数の多い一組は、五日市から八王子を三日ほど興行して、これから中仙道を打ちに廻ろうという旅役者。

ている一組は、厚木を焼け出されて以来、五日市、八王子の宿と流れあるいて来た御難つづきの旅役者の一行です。

でも無理に、五日市や八王子で、変梃なお道化を三、四日売ってみましたが、予期

その結果、襤褸つづらを荷駄にのせて、八王子からこの川越へ、夜逃げ同様に落ちてきたわけでありますが、頼っ

家に居る者にだよ。……実は、私が八王子から川越に来る途中で、ひとりの怪我人があって、それを大勢で助け

は、今小屋にかかっている嵐粂吉一座の者や、八王子の宿場問屋を出て来た者が大勢一緒だったから、何の事

。――そこは武蔵野の西端で立川の流れを越えれば八王子の宿に遠くありません。

「今日、何気なく、八王子の宿まで参りましたせつ、意外なことを耳にしたので、

「ある女が、それを持って、八王子の千人町へあらわれたのでござる」

鬼女の仮面をたずさえて、八王子の千人町に姿を見せた怪しげな娘は、同所の田能平という

その眼元にウットリと気を奪られていましたが、八王子への急用は忘れたように、

。その証拠には、オオ、今も今とて、これから八王子まで参ろうとしているではございませぬか」

「え、次郎が八王子に居たッてかえ?」

「え、八王子へ」

灯ともし頃の八王子の町を、下げ髪の美女が銀毛の駒に乗り、その供とし

でも、まだ後ろを振顧れば、八王子、小仏村、小原、駒木根あたりの灯は近く見えて、越えようとするこれ

八王子千人町の夕暗から、絶えず、この二人が背後にいたことを気付か

丞は、いつかここへ駒をよせた月江と共に八王子の町に向い、あれから小仏越えにかかって自分の野望を遂げようとし

八王子の宿の灯を遠いうしろにして、満目、芒と露ばかりな武蔵野

今夜、月江は八王子の宿に泊って、あしたの朝早く、馬を雇って武蔵野を横切ろうと

高尾

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暮れ、星を見れば駒木根川へ落つる水の音と、高尾に棲むという閑古鳥の鳴く声のほか、絶えて往来を見ないの

は行ったものの、彼のえらんだ道は、俗に高尾越えという裏街道で、まるで方角ちがいであったからぜひもない。

小岩

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「どういたしまして、私はあれから、峠の小岩村まで用達に行きまして、ゆうべは下頭小屋で夜を明かしてまいり

お茶の水

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猪牙船がそのお茶の水の真ッ暗な水上をすべって行くと、寝ていた黒い頭巾の男

「お茶の水の底へ降りて、夜になるのを待っていれば、きっと親分が

「意外、ここはお茶の水の谷底だ」

「実は少し心当りがあって、ゆうべから夜通し、このお茶の水を漕ぎ廻っていたのですが、夜が明けたので、桐畑の

「して、そちが今日、次郎と共に、お茶の水を下って来たのはどういうわけじゃ」

のことでございます。神田川の土手下から妙な侍がお茶の水の崖へ這い込んだという、番屋からの知らせがありましたので、

たのは、一度や二度の事ではなく、あのお茶の水の崖上にある、駿河台の番屋からも、同じような事を知らせ

稲荷町

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店の近くと見えます。三味線堀に沿ってあれから、稲荷町の方角へ足を向けて行くと、

隅田川

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て後から続くと、今戸橋から北に寄ったそこは隅田川の三角洲、川口から向う河岸には三囲りの土手を見、すぐ右側

、土間のうしろの戸を押しました。裏はすぐに隅田川の満々とした水で、

と、竈場の裏から隅田川の水際に添って行くほどもなく、そこは、厳重な陣屋門と言っ

洞白の面箱を引ッさらってゆく男の影が、隅田川に薄陽を落した夕靄をかすめて逃げて行く。

隅田川に近いせいか、捕手の声が水と木の間に嵐のような音響を

れ、日本左衛門の手下のため、袋だたきに会わされて、隅田川へブチ込まれた釘勘が、痛手を養って衰えぬ姿を、ここに

へ洞白の仮面を買いもどしに行った折、材木置場から隅田川へ追い落したあの男の風態ではなかろうか?

神田川

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が、代地手前の河心から舳を左に曲げて、神田川の口へはいろうとした所で、

いう男の櫓は、そこから舳を曲げて幅の狭い神田川の中へすべり込んで行く。

か、日本左衛門を乗せた猪牙舟は、隅田の本流から神田川をさかのぼります。

「――すると、前夜のことでございます。神田川の土手下から妙な侍がお茶の水の崖へ這い込んだという、番屋からの

彼は、神田川の火除け地まで駆けると、脛のききそうな辻駕を拾って、

両国橋

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今、脚の高い両国橋の暗い陰から、ギイッ、ギイッと櫓臍を鳴らしてこぎ上って来ました

ギイーとわかれて、一方は両国橋の脚の蔭へ、率八という男の櫓は、そこから舳を

永代橋

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ところでその晩、川見廻りの役人に怪しまれて、永代橋の川番所へ、繩に曳かれて行ったのは、お蝶を乗せた

京橋

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釘抜きの勘次郎の手先部屋は、以前は京橋のお竹蔵でありましたが、後に南の附属となってから