宮本武蔵 05 風の巻 / 吉川英治
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「あの音曲などにしても、新しく琉球から渡来ってきた三味線を工夫したり、またその三味線を基礎にして今様
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「六条だぞ」
その紹由から、今誘い文が来たのですが、六条の遊び町を見にゆく気はありませんか」
「だまんなさい。いつぞや六条の往来に、高札を立てた折、確と、わしから双方へいいおいた」
。しかし武蔵どの、貴所はこの間、この小次郎が誌して六条へ建てたあの公約の高札表を、なにか、読みちがえてはおられぬか
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江戸表とは限らないが、人の噂に聞けば、関東の江戸表こそこれからの日本の覇府になるだろうという話だ。今までの
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四明ヶ岳の天井を峰づたいに歩いて、山中を経て滋賀に下りてゆけば、ちょうど三井寺のうしろへ出ることができる。
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「そうでもありますまい。毛馬堤からわしを四条の道場へ迎えてゆき、あんなに、わしの機嫌をとったではないか
「貴様は、四条の道場を出る時から、若先生のお供をして出たのか」
四条の河原近くには人家の灯もまばらに見えるが、祇園の樹立ちへ一歩
黒々とかたまって立っています。……それがみんな四条の吉岡道場の門人だといって、あの近所の酒屋でも商人家でも
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「金閣寺は」
「金閣寺も」
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自己の足を大地に踏み止めてみた時、道はすでに相国寺の大路端れに出ていて、半町ほど先には、ひろい川面の水が
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「いつぞや、五条で会ったことがあるな」
跫音がうしろから聞える気がするのだ。はや六条か五条に近い町ならびである。又八は胸をたたいて、
六条坊門の通りから五条のほうへ歩いてゆくと、町ではあるが、この界隈の夜という
――だが、五条に近い松原の辺りまで来ると、犬の群れは、突然、吠える方向をかえ
これを渡してくれといって立ち去りました。――ちょうど五条まで用達に出かけましたので、早速、お届けにあがったような次第で
も少し手伝っているらしい顔色をして、本位田又八は、五条から三年坂へ傍見もせず駈けて来た。
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ば沢庵どのへ告げてくれぬか。――お国元の但馬から寺中へ宛てて、なにか、火急なお手紙がまいりましたゆえ、南宗
では御坊には、泉州へ戻らずに、ここからすぐ但馬へ御発足あるか」
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の大坂や京都はもう古い都とされ、新幕府の江戸城を繞って、新しい町がどしどし建っているそうだ。――そういう土地へ
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そして、伊吹山のころから今もまだ、帯か袂か、どこかに付けているらしい鈴
にある朱実とはひどく違って来たように思われる。伊吹山の家や、よもぎの寮で、朝夕見ていたような処女の艶は
「伊吹山のふもとで育ったおめえが、恐いなんていうと、化け物のほうで顔負けするだろう
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だが遂に、中津川の宿場端れで、彼は、先へ行く武蔵の姿を見つけた。
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行った武蔵を慕って、又八は道を急いだが、草津まで行っても行き会わない、彦根、鳥居本まで来ても見当らない。
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「花ノ木村から一乗寺藪之郷――すなわち、貴所の死場所の下り松を経て――これから叡山
これから一乗寺藪之郷下り松の目的地へ行こうとするならば、武蔵の前には、ここ
、いずれを選んだかというと、彼の足は、一乗寺方面とは反対な方角へ向いていた。三つの道のいずれも選ば
果し合いの場所は一乗寺とだけ分って、広い一乗寺村のどの辺かは明白でない。それにまた
「それよりも、あなたは、これから、一乗寺の址とやらで、死ぬお覚悟でございましょう」
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代になってからは、もうその家業はやめて、この堀川で余生を穏やかに送っているわけですが」
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ように道まで赤くしていて、暖簾のうごくたび、東寺の塔の夕鴉が黒い火の粉みたいに遠く見える。
四つ、人数が七、八名ばかり一団になって、東寺のほうから旋風みたいに駈けて来るのが見える。
「東寺は」
「東寺の塔だって」
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の樹立の奥に見えた築地と屋根が、東山殿の銀閣寺であったらしい。ふと、振顧ると、そこの泉が棗形の鏡のよう
慌て者の松明は、一目散に、銀閣寺のわきまで駈け降りて来た。
この水はすぐそこの銀閣寺の苑内から流れてくる清冽なので、洞庭のそれよりも清く、赤壁の月
そっと縁側の方へ廻って行った。ここの家は、銀閣寺の別当某の閑宅であったが、ちょうど空いているというので、過
手早く身支度をし、庵の持主や、銀閣寺の僧や、世話になった人々へは、一筆ずつ礼の辞を置手紙に
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武蔵の影が、加茂の舟橋の中ごろまで渡って来た時である。こう呼ばわる声がする。
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その時、音羽の滝のうえの辺りで、こう誰か呼んだ声が、樹の声か
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要らぬことであろう。拙者はただ、そなたの語る平曲の熊野を聴いていただけのこと、それ以上なにを聴こう」
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「わしは、泉州の南宗寺の者だが、このお館へ来ている宗彭沢庵どのへ、急な御
て、なにか、火急なお手紙がまいりましたゆえ、南宗寺の者が持って伺いましたと」
と、待っている南宗寺の使いへいった。
の、牛の糞だのが、いっぱいに散らかっている。南宗寺の使いは驚いた顔したが、城太郎はもう客を置いて彼方へ駈け
「あのね、沢庵さんとこへ、泉州の南宗寺から、沢庵さんみたいな坊さんが、急用の使いに来て待ってるよ。
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「音羽山の夜はまだ肌寒かろう、胴着は縫えているか」
「うつけた女子よの、音羽山の奥まで行くのに灯りなしでこの婆を歩ます気か、旅宿の提燈
音羽山の奥といったが、いったいどこへゆくのだろうか?
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九条から堀川のほうへ又八は歩いてゆく。いかにも自分の身を持て余している
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の提燈はしきりに揺れ、しきりに明滅する。夕方、比叡のうえに見えた笠雲はもういっぱいに洛内の天へ黒々とひろがって、夜半
比叡の山かぜ
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がほしいと思ったことはありません。それよりも、九州の果て、長崎の文明、また新しい都府と聞く東の江戸、陸奥の大山
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た。そして足を踏み馴らしながら神前に戻って、拝殿の鰐口へ手をかけた。
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外は昼間よりもよく見えるのである。伝七郎の影は三十三間堂の下から約百歩ほど離れて、背のたかい一幹の松の根かたに
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「いるかと思ったら、きょうは、朝から大徳寺へ行ったんだとさ」
「きょうは、大徳寺へ行ったんだって」
わけではさらさらない。今日もそれを心にかけて、大徳寺の帰り途に光悦の家へ立寄り、武蔵の在否を訊ねてみたところ、
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(八幡)
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大文字山、志賀山、瓜生山、一乗寺山――と三十六峰の中腹を横に這って叡山の
志賀山と瓜生山の間ノ沢あたりで、お通から別れ去った宮本武蔵は、
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「オヤいけない、石山寺の上があんなに暗くなりました。一雨来ますよ。もっと奥へおはいり
赤く濁った瀬田川の水に、石山寺の残んの花もこれ限りのように流され、藤茶屋の藤のふさも砕け
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「叡山のうえが、曇って来ましたな。あの上にかかる雲は、北国から
叡山、一乗寺山、如意ヶ岳、すぐ背後の山は皆、まだ動かない雲の懐に
するので、これから暁の路をかけて、月の叡山に登ってゆき、志賀の湖の日の出を拝んで、それを鹿島立ちに、
上京の方面から叡山――志賀山越えの方角へ渡ろうとすれば、どうしても、この一路へ
―すなわち、貴所の死場所の下り松を経て――これから叡山の雲母坂へ通っております。それゆえ、雲母坂道ともいう裏街道」
屋根、森、眠っている大文字山、如意ヶ岳、一乗寺山、叡山――広い大根畑。
、一乗寺山――と三十六峰の中腹を横に這って叡山の方へすすめば、ここからそう時を費やさずに、目的の一乗寺下り松の
横へと、山の腹を縫ってゆけば、自然に叡山の方へ出てしまう。……もう登りはないから楽だよ、どこか
落人たちが近江越えにさまようた昔から、また親鸞や、叡山の大衆が都へ往来した昔から――何百年という間をこの辻
のほこりや芥の大河も遠く霞の下に眺められ、叡山の法燈鳥語もまだ寒い木の芽時を――ここ無動寺の林泉は寂と
「――叡山は浄地たり、霊域たり、怨恨を負うて逃避するものの潜伏をゆるさず
もの、また、もののあわれを知っているもの……。叡山は、汝を追う! 一刻もはやく、このお山を出て失せいっ」
を審に検分いたしておる。――実はその後、叡山に上り、根本中堂の講堂にては、一山の学生を集めて、その見聞と
達人だのと申すが、それでは、この小次郎が、叡山の大講堂で演舌した意見が、皆、嘘のように相成ってしまう
立て板に水を流すような小次郎の弁舌だった。叡山の講堂でも、この弁をふるって演舌したことであろうと思われる。
の母親――お杉どのといわれたな――。叡山の中堂でお目にかかったぞ。そしてつぶさにあの老母から、今日までの苦心
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二十三間の小橋と、九十六間の大橋をつないでいる中之島には、古い柳の木があった。
と、その中之島の茶店から駈け出して、小橋の欄干につかまりながら城太郎は、一方には指
諸所を捜したあげく、中之島の茶店で聞くと、その牛に乗ったおさむらい様ならば、きのう店の
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加賀の大納言利家から二百石ぐらいの仕送りをうけているのだと人は羨んで
の一ぷくの茶ほどよいものはない――と、これは加賀の大納言様も家康公もよく仰っしゃっていた言葉です。茶は養心
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の果て、長崎の文明、また新しい都府と聞く東の江戸、陸奥の大山大川など――遠い方にばかり遊心が動いています。
「朱実。江戸へ逃げないか……」
「え。……江戸へ?」
「そんなことで今の時代をどうして乗り切るか。たとえ江戸へ出てみても、江戸は今、諸国から腹の空いている人間が
どうして乗り切るか。たとえ江戸へ出てみても、江戸は今、諸国から腹の空いている人間が、眼を研いで集まっている
夜、瓜生山で再び会って、ふと出来心のように、江戸へ駆落ちする相談を決め、連れの母親を捨ててしまったことまで、ありのままに
が江戸表へ出て志を立てる気なら、おれも一先ず江戸まで共に行こう。また、おぬしのおふくろ殿には、改めておれも心から話し
たんだ。俺は、あの親友に縋って、これから江戸へ行って真面目に身を立てるつもりだ」
「おらあ、峠に飽々しちゃった。はやく江戸の賑やかな所へ出たいなあ。ねえお通さん」
…いったい、こんなことしていて、何日になったら、江戸へ行けるんだろうなあ?」
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「――あっ? これは旦那様の印籠だ、伏見城の工事場でむごい死に方をなされた草薙天鬼様が持っていた品
いよいよ彼の酒気はさめ加減になってくる。伏見城の工事場でなぶり殺しになった武者修行の顔つきが、ふと眼のそばにちらつい
が、仔細をいえば、わしは上州下仁田の者で、伏見城の工事場で大勢の者に殺された草薙天鬼様の奉公人なのだ。
へ渡す中条流の印可の巻物を持って遊歴中に、伏見城の工事場で、大坂方の間諜とまちがえられて惨死した事情もお互い
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北陸の遠い山々から、琵琶の湖はいうまでもなく、伊吹もみえ、近くは瀬田の唐崎の八景まで一つ一つ数えられる。
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(なにが顕かじゃというて、清水寺の観世音さまほど、世に顕かな御ほとけはない。あそこへ、祈願を
清水寺のわきの山道をかなり登って来たのである。しかし婆は、息が
いえば、故郷ではひどい目に遭わされているし、清水寺の境内では、群衆の中で、唾せんばかり罵倒されているし
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京極の原に、市が立っていた。彼はそこへも行って、
の波に水想観を念じたもうに、折りふし、京極の御息女所、志賀の花園の帰るさを、上人ちらと見そめ給い、妄想起り
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いま烏丸光広の館に世話されているのだった。伊勢の荒木田神主から届け物を頼まれて来て、城太郎の方は年暮から―
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「出会ったが、武蔵の奴、どう思ったか、高野川から五、六町ほど連れ立って歩くうちに、不意に姿を消してしもうた
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「吉野の花をこちらへ移してほしいという手紙の返しですから、これは、眺め
「いいや、わしが行って吉野を連れてまいる――旗本ども、あの方々の席へわしを案内しやれ、
「いやいや、呼びに行くには及ばない。わしが唯今、吉野を連れてあちらへ行く」
と、光広もまた、吉野をかかえて離そうとしないのである。
「ではいずれが、花の吉野へわけいるか。この女の眼の前で、酒戦ないたそう」
「吉野を呼んで来やい」
吉野が茶の道に嗜みのふかいことは今さらのことではない。また、こう
脂粉の世界には初めて足を踏み入れたことでもあり、吉野の明眸にちらと射られても顔が熱くなって、胸の鼓動も怪し
榾の火が乏しくなると、吉野は傍らの炭籠のような物の中から、一尺ほどに揃えて切って
なるほどな樹があろうかと疑えて来るのだった。吉野は、焚べかけたひと枝を、光広の手にわたして、
そこで吉野が説明していうには、この扇屋の囲いの中にある牡丹畑は、
吉野もすすめられて、沢庵の歌のすこし下へ、
ませぬ。そこをお考え遊ばして、こん夜は、この吉野に、あなたのお体を預けてくださいませ。……吉野がきっとお預かりいたし
にかけた釜の口から、やがて松風が沸りだすと、吉野の心は、いつもの落着きに返って、静かに、茶の点前にかかって
「吉野にせよ、お通にせよ、女の気心のみは沢庵にも解しかねる。わし
「武蔵は、吉野という傾城にうつつをぬかし、きょうで三日も扇屋から帰って来ぬと
」というものについても武蔵は、その魅力を、吉野に見ているし、自分という実体の中からも多分に「女」に
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伊賀の四郎左か
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祇園神社の前に額ずいて、なにか祈念していた一群の者が、今、
今、起って来た祇園神社の拝殿のまえで、伝七郎はもう全身一点のすきもなく決闘の身仕度
あとへ、伝七郎はだまって腰をおろした。支度はもう祇園神社のまえですっかり済まして来たのである。伝七郎は、焚火の焔に手
牛のようにのそのそ歩いておりましたが、たった今、祇園神社の石垣をのぼって境内へはいりました。――拙者は、廻り道してここ
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は備わっているからである。(この頃はなんでも、兵庫の御影あたりで、誰やらの下屋敷にごろついているそうな)そういう噂は
が、即日、門下の中から五、六名の者が兵庫へ立ち、ようやく伝七郎をさがし当ててこの早駕へ乗せたのだった。
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見あたらない。白河あたりの寺院の屋根、森、眠っている大文字山、如意ヶ岳、一乗寺山、叡山――広い大根畑。
ある川が月光を裂いて里へ走っている。――大文字山の北の肩が、もう彼の上へ、のしかかって来るように近かった。
大文字山、志賀山、瓜生山、一乗寺山――と三十六峰の中腹を横に這って
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、高級な女性として敬愛を持っていたし、大坂城の淀君よりも、才色があって親しみもあるという点で、ずっと有名
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暁の路をかけて、月の叡山に登ってゆき、志賀の湖の日の出を拝んで、それを鹿島立ちに、江戸表へ下向して
の山なのでそう深かろうはずはない。それに京都から志賀の坂本や大津へ通う近道でもあるので、どこへ降りても市人
を念じたもうに、折りふし、京極の御息女所、志賀の花園の帰るさを、上人ちらと見そめ給い、妄想起りて、多年の行徳も
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の老爺を驚かせた宮本武蔵は、一夜を明かすと、鞍馬寺へ行って来ると断って出かけたまま、きのうは一日姿を見せなかった。
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四条の河原近くには人家の灯もまばらに見えるが、祇園の樹立ちへ一歩入ると、そこらは雪も斑で、足もとも暗かった
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。信長というおそろしく破壊的でまた建設者があらわれて、この比叡山にも大鉄槌を下したため、それ以後の五山は、政治や特権から放逐
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て問うと、いや、先頃から洛中洛内を見、きのうは鞍馬にも登って、もうこの京都にも少し飽いた気がするので、これ
きのう一日、鞍馬の奥の院へ行って、松籟の中に、黙って坐りこんで降りて来たの
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館が憶い出され、腫んだ足をひき摺って登った鷲ヶ岳の樹々の氷花が、ふと考え出されたのであろう。
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眼を射るのは、その丹波境の標高で、また、京都の西北の郊外を囲っている山々の襞をなしている残雪だった。
「案じ給うな。いくら燃え拡がっても、京都中は焼けッこない」
にちがいない。拳法先生の子清十郎ともある者が、京都の大路を、戸板で戻ったといわれては、あなたはとにかく、亡き
光悦といえば、今、京都の本阿弥の辻には、天下に聞えわたっている同じ名の人間が住ん
いた。今度のうわさを、大坂表で聞くとすぐ、京都へ足を向けて来たのも、べつになんの目的があるという
よくそういった早駕や馬の鞭が鳴って通る。京都、大坂の動脈になっている淀川の交通が止まるので、火急となる
大和の柳生石舟斎を訪ねるのだといって出たが、京都にはそれきり帰らず、消息もなかったのである。――一年
ここに見えないが、お杉隠居がなじみの旅籠で、京都に来ればここと決めてあり、ここへ来ればこの畑の中の別棟
「どこ暗くのう世間をうろついている物乞い坊主、今はこの京都に流れておじゃったか」
自分の生活も打ち混じって見て来ているが、この京都で誰それといわれるような大町人というものには、まったく縁のなかっ
町人という者になり変ってしまったのが、今の京都の大町人であり、また金力の所有者なのであった。
過去帳などもあるかも知れない。父の無二斎も、京都へ出た折は、一度訪ねて、祖先の供養を営んだことがある
は思いやられるのじゃが。――どうです、ひとつこの京都の隅あたりへ、ざっとした丸木で一庵をお拵えになって
ません。――また私と同じような家がらで、この京都の古い町人です」
民営になりまして、紺灰座問屋というのが、この京都に三軒とか許されていたものだそうです。その一軒が、
(猶予を与えて、もし逃げ出されては、ふたたび京都で彼をつかまえることは出来ないから)
といえば、武家も憚かる厄介者であったが、今の京都の大町人は、そんな者を少しも厄介には思っていない。打
京都の町を、半分も捜してあるいた。すると、あるお社の
今の京都の繁昌は、特殊な発達と、変則な好景気に浮わついていた。それ
そこで徳川家康の眼鑑で、京都所司代にもって来たのが、板倉勝重だった。
三十騎、同心百名を付せられて、この勝重が、京都の睨み役に任命された時、ちょっとした話が伝わっている。
まさか逃げもすまい。もし、京都から姿を晦ましたら、京都中に高札を建てて汚名を曝してやればよかろう」
とても、この期になってまさか逃げもすまい。もし、京都から姿を晦ましたら、京都中に高札を建てて汚名を曝してやれば
、戦のような騒ぎになるのじゃないかときょうの京都は、その噂で持ちきりなのだ。――そんな騒動の中へ、ヨボヨボ
申しあげませんで。……どうぞこれにお懲りなく、また京都へお越しの折にはぜひとも」
納めてくれ。また、三年後か四年後か、京都へ出たらおまえの家へ泊りに来よう。
洛中洛内を見、きのうは鞍馬にも登って、もうこの京都にも少し飽いた気がするので、これから暁の路をかけて
この辺りの山なのでそう深かろうはずはない。それに京都から志賀の坂本や大津へ通う近道でもあるので、どこへ降りて
日本の覇府になるだろうという話だ。今までの大坂や京都はもう古い都とされ、新幕府の江戸城を繞って、新しい町
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今まで食べずにおられようか。午と夜食をかねて外で奈良茶のめしを済ましてきました。わが身まだなら急いで茶漬なと
、近所の店で求めて来た品らしく、一巻の奈良晒布を出して、これで肌着と腹巻と下紐とを急に縫って
なぜならば、城太郎少年は、奈良の観世の後家からもらった鬼女の笑仮面を、こんどは烏丸家へ帰ら
なにしろ無事な顔を見てうれしい。いつか、大和路から奈良へゆく途中で、城太郎からおぬしの手紙を受け取ったが」
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たことはありません。それよりも、九州の果て、長崎の文明、また新しい都府と聞く東の江戸、陸奥の大山大川など―
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でそう深かろうはずはない。それに京都から志賀の坂本や大津へ通う近道でもあるので、どこへ降りても市人の踏んだ
をのせ、大津へ下山されたがよかろう。そして牛は大津の渡船場なりあの辺の問屋場なりへ置いて行ってくれればいい――と
いるから、その牛の背を借りて、病人をのせ、大津へ下山されたがよかろう。そして牛は大津の渡船場なりあの辺の問屋場
大津の商人が荷をのせて来た牝牛がある。その商人は牝牛を寺
「おばば――牛の背も辛かろうが、大津まで行けば何とか思案がつこうで、も少しの辛抱。……朝
「三井寺といえば、大津じゃの……。そこより他に、裏道はないか」
降りる小道があるで、そこをかまわず降りて行けば、大津と坂本の間へ出るがな」
ひと足先に、大津へ出、瀬田の
おぬしはすぐ、これから足に草鞋をつけて、坂本と大津の間へ降りて行ったおふくろを捜し廻れ。――あのおふくろを貴様は
よりも、おいらは、お腹が減っちゃったい。早く、大津へいって朝飯を食べようよ」
の町の上へ、戦のように立ちのぼっていた。大津の宿駅は、湖北から石山までぼかしている朝がすみと、その熾な煙の
、お通と城太郎のふたりも、志賀山越えの道から、この大津の屋根を眺め、湖畔へ向って、希望の足を躍らせているはず
さえくれれば、下りのお客が荷物を積んで、いつか大津の問屋小屋へ帰えって来ることになっているんだから」
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のう。……それより自分で旅宿へ来ればよいに、住吉のこともあるので、間がわるいのじゃろ」
「たれがそのような嘘をいおうぞ。住吉の浜で、おぬしと別れるとすぐあの浜で亡くなったのじゃ」
けれど、去年の暮、我慢のならないことがあって、住吉へ遊びに行った出先から、独りで逃げてしまったんですの」
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にはなるが、田中の里から曲って高野川に沿い、大宮大原道をすすみ、修学院のほうへ出て下り松に至る――という道