剣の四君子 03 林崎甚助 / 吉川英治
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からあるという部落でいちばん古い杉木立がある。そこに熊野神社が祀ってあった。部落の名をそのまま林崎明神ともよんでいる。
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こう聞いて、甚助は空しく、常陸国へ志した。大永年間の人で、鹿島神流の中興の祖松本備前守を
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「伊勢守様も、もう都の空だよ。大胡城は去年、上杉勢に攻め落されて、石垣と焼け木杭しか残っていない。
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いる甚助の家へまで、近頃は、夜になると、最上川の水音より明らかに、彼の狂わしいしゃ嗄れ声が響いて行った。楡葉は
うちに、何思ったか社家の裏から馳け出して、最上川の畔に、衣をぬぎ捨て、月よりも白い肌、烏羽玉より黒い黒髪を、
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――茨組がやって来ました。木曾の宿々から善光寺いったいを荒して廻る茨組です。家財や金さえ攫ってゆけば立去るでしょうが
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遊歴して、自然、門流のひろまる一方、後年またさらに、鹿島神宮の武林に入って、天真神道流の研鑽に身をゆだね、元亀何年か
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は空しく、常陸国へ志した。大永年間の人で、鹿島神流の中興の祖松本備前守を初めとして、天真正伝神伝流の開祖、
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大川最上の流れに沿い、甑嶽の麓にあった。山形から十里余、楯岡の砦から北へ一里、土称林崎という
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黒伏嶽や高倉の山道を越えれば、一路伊達家の仙台に通じる。武強の隣藩と境を接して、連年、ここにも
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「母上が仰せられた通り、やはり京都に住んでいました。松永久秀殿の御内に潜んでいるらしゅう思い
を知るにあると申します。坂上主膳は、その後、京都に遁れてからも、風評のよくない男ではありますが、彼の
京都へ上るその途中だった。やがて木曾路へも近い一夜、信州岩村田の土豪
た。応仁の乱以後、室町幕府の紊乱につけこんで、京都に簇出した浪人くずれの無頼者の一団である。
しかし、その京都や浪華でも、近頃は取締りが厳しくなった。近畿や地方の都会で
な願いなので、田宮だけは供にした。やがて京都へ着いた。そしてあらゆる苦心と手引を経て、松永久秀の幕下にいる
彼の母は、京都から一先ず帰郷した甚助を迎えて、初めて、心から綻んだ笑顔を子
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晩年は奈良に住んでいたという説もあるし、鹿島で終ったという説