鳴門秘帖 06 鳴門の巻 / 吉川英治
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駿河台の墨屋敷で、すでに焼け死ぬところを助けだしてくれた恩人! あの紅蓮の
同時にお千絵様と婚礼の式をあげ、昔にまさる駿河台の墨屋敷に納まろうという寸法、それが、彼の宿望なンだ」
、あの旅川周馬さ! おれかい! おれはやはり駿河台にいた組仲間の一人で、彼とは竹馬の悪友だ。けれど、腕
に礼拝するぜ。お上は御加増、御賞辞とくる。駿河台の世阿弥のあとに宅地をたまわり、栄光一身にあつまってくるンだからありがたい、
―それを旅川が不憫がって、自分の妻に立て、駿河台の元の屋敷に住むように――いや、それよりもっと栄耀をさせて
「ちッ、また優しさに狎れやがると、駿河台の穴蔵部屋で、ヒイヒイ叫んだような痛い目に会わしてくれるぞ。こういう
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をさし覗くと、がっしりした中年以上の武家、それは、大阪表から久しく姿を見せずにいた常木鴻山であった。
「――おう、旅川はもう大阪表へ来ていたのか」
筋が異様にひきしまってきた。読むと、周馬は今大阪の某所に潜伏しているとのこと、しかし秘帖をとり返そうとする阿波の追手
落ちあう場所は――大阪から河内裏街道をとって大津へ迂回するつもり――その方が人目に立つ
木賃宿でひどい永病いをやった揚句、大阪から影を隠したかれは、やがて、岡崎田圃のかまぼこ小屋に死霊と世間に
周馬の筆跡を状筥に厳封して、早飛脚を大阪の桃谷に立たせ、かれ自身はひとりで、いつもの深編笠、山科の村
大阪へ上陸った旅川周馬は、身辺の危険をさとって、わずかな縁故をたより
安治川屋敷の者たちは、未明、淀川を小舟でさかのぼって大阪の外に出、枚方の茶店で支度、津田の並木で周馬の来るのを
、大目付副使、ふたりの上使が立てられ、すでに今朝は大阪を出発した筈――もう多くの弁にも及ぶまい、すなわち、陰謀露顕
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と、萩の外から顔を伸ばして手招きをしている。
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淡路街道と丁字形になる追分から北へ走って、林崎のひろい塩田の闇に、潮焼小屋の竈の
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「この先はもう岡崎の田圃だ。人通りといえば南禅寺の坊さんか、家といえばかまぼこ小屋があるばかり。救いを呼んだところ
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にわかな役替えで、二条城へ移ってきたばかりの左京之介には、公務のうけつぎがつかえていて
が役替えになった。辣腕のきこえある松平左京之介が、二条城へ入れ代ったのは、ひッ腰の弱い公卿たちにとって、おそろしい脅威で
茶荘へふたりの密使が訪れてきて以来、次いで、二条城、或いは所司代の千本屋敷へ、江戸からの密書密使のたえまがない。
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お千絵はそこの窓から、毎日、加茂の水を見ていた。今も、侍女とは口もきかずに、
後も、そこにもたれて、この頃の癖のように、加茂の水をみつめていた。ピチ、ピチ、と小魚のはねる流れの瀞に
どうぞ、情けと思うて、私をここから帰して下さい。加茂のお屋敷を無断で出ては、左京之介様や鴻山様に、申しわけが
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擁して、ひそかに、京の堂上方、阿波の蜂須賀、宇治の竹内式部などと気脈を通じて、ある大事を着々とすすめているという
、一味のこらず、揚屋入りとあいなった。また、宇治の竹内式部へも召捕りの人数が向い、公儀より正式に徳島城へ向って
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三本木の仮橋を東へ渡って、少し町屋を離れると、岡崎の畷にかかるさびしい藪のあちらこちらにかまぼこ小屋の影が幾つか見えはじめた。
「この先はもう岡崎の田圃だ。人通りといえば南禅寺の坊さんか、家といえばかまぼこ小屋
「岡崎の港だ!」
何はともかく、本土に近い海路の咽喉岡崎の港――撫養街道を駆けぬけて周馬を追い越し、そこできゃつを引っ捕えなければ
撫養街道を真一文字に岡崎の船関へ。
をという手配になった。そこで、わしはこれから岡崎の船関へいそごうと思う」
またたくまに岡崎の船関。
見張のきびしい岡崎の船関をやぶって、対岸水浦へ、矢のように逃げた小舟がある
常に気をつけている岡崎の船関で、今夜、時ならぬ警鼓がひびき、浦曲や鳴門の
ふりかえってみれば、剣山の険、岡崎の船関、鳴門の渦潮――、よくも、ここまで戻ってこられた
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勧修寺の池だった。
ある別な手紙があった。それは、中西弥惣兵衛が勧修寺の池のほとりで、挙動のあやしい非人をとらえて糺してみた結果、思いがけ
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病気は、江戸にいた頃から、少しずつよくなっていたので、墨屋敷以来の
更役になったので、それにつれて私たちまで、江戸のお下邸からこちらへ移ってまいりました」
「あのお武家様おふたりは、はるばる江戸から御密談で上ったお方でございます。江戸と聞けば、お千絵様
、はるばる江戸から御密談で上ったお方でございます。江戸と聞けば、お千絵様もおなつかしゅうございましょう」
南町奉行所の用命をおびて江戸から出張してきたふたりの上役人は、急に、振分からとり出した女
青くなって、取りに戻った江戸の与力両名は、ぜひなく、後の発見を用人に頼んで帰ったが、
「ではなおさら、弦之丞を無事に江戸へ帰すのは、お家の不利でございませぬか」
「あれは江戸の武士であっても徳川家の味方ではない。大義の正しいことを心得
を来たすものじゃない。ことに、弦之丞が詳密な報告を江戸にせぬまでも、もう御当家や堂上のもくろみは、うすうす徳川家の気どる
見せられない。なぜといえば、周馬! おめえはまだ江戸と気脈を通じている! ……」
もともと、かれは江戸で、お千絵様という女性を墨屋敷の穴蔵部屋へ押し込めていた当時
「オオ、それも江戸へやっては大変だ」
が最後の努力をかける焦点だ。あれを周馬の手で江戸へ持たれて、かれの野望に功名をとげさせては、自分の周囲にある
まで躊躇してはいられない。隙をうかがって勇敢に江戸へ向って立とう。
た白博多へ、ボロ鞘の大小を落してはいるが、江戸へ帰りゃあという意気がある。
肩つぎなしに江戸まで通しの利きそうな、雲助の達者を探し集めに。
じゃ、最後に周馬のやつが? ……こりゃ大事、江戸へ……蜂須賀家の致命傷だ……ウム、なるほど、それで……そうか
て以来、次いで、二条城、或いは所司代の千本屋敷へ、江戸からの密書密使のたえまがない。
「やっ、周馬め、秘帖をつかんで江戸へ」
に三挺の駕を雇ってきて、家を明け渡し、江戸へ帰ったという話。
ほとぼりのさめたところと隙を狙って、江戸へ走ろうという魂胆。――なぜかまた、本田某は周馬の口に乗せ
江戸に限りのない栄達を夢み、お千絵に思いの遂げられるのを夢みして
「江戸へ着くまでの間には、なんとか始末がつくだろう。オ……駕
「お千絵殿、江戸にいたころから見ると、だいぶ頬がやつれましたなあ」
へも廻ったぞ。わしは、召捕りのために向った江戸与力中西弥惣兵衛じゃ。いずれにしてものがれぬ場合、お手数をわずらわさず
はございますまい、けれど手前はここ数年来、かれが江戸へまいれば江戸へ、上方へくれば上方に、寸刻も離れることなく、影
、けれど手前はここ数年来、かれが江戸へまいれば江戸へ、上方へくれば上方に、寸刻も離れることなく、影と形のよう
、実は、自分の一個の存念で、このまま、江戸へは帰らぬ覚悟でござります」
寝ざめのよくない心地がする。ぜひ、貴殿もいちどは江戸へ御帰府あるようにおすすめいたす。いや、お願いする!」
江戸に籍をおく身であって、一面、反幕府派と称せらるる皇学中心
します……、お、お千絵様をつれて、どうぞ江戸へ……」
「どうぞ思いなおして、お千絵様のために、江戸へ帰って上げて下さいまし」
。ゆるしてくれ、このわがままを。何と思いなおしても、江戸へ帰る気にはなれない拙者だ。で……それよりは、お前たち姉妹
「弦之丞様、もうなんにも申しますまい。江戸へ帰ってくれともお頼みいたしません。ですけれど、たとえ旅から旅で
江戸へ差立てになるかと思ったお綱は、京都町奉行所の仮牢を、
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冷然と、高台寺の黒い峰の背を指さして、
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払われている湧井道太郎――四、五日まえに、柳川の使者についてきて徳島城にいあわせた。
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て、酒菰に肩をつつみ、周馬の潜伏している土佐堀の蔵屋敷へ向って飛んで行った。
水桶のかげに、犬のように寝ている中に、土佐堀の櫓韻、川面からのぼる白い霧、まだ人通りはないが、うッすらと夜
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郷の七人衆の原士、あの方々も寛永の昔、島原の一揆戦がみじめな敗れとなった時、天草灘から海づたいに、阿波
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教えてくれないかも知れぬが、どうして、この京都へくるようになったのでしょう?」
あなた様のお体を預かっている松平左京之介様が、京都の所司代にお更役になったので、それにつれて私たちまで、
か才気煥発の風がある。それに今度は、難治の京都へ移って、所司代の要務をみることになったので、かれは寝る
の議がまとまらないので、かれは、所司代として京都へのぞみながら、まだ充分に、反幕府の癌と睨む公卿たちへ手を
よくお話になりませぬが、なんでも、これから京都町奉行所の方とお打合せをするための人相書だそうでございます」
うすうす徳川家の気どるところとなっておる。その証拠には京都の所司代が役替えになった。辣腕のきこえある松平左京之介が、二条城
この間から、俺が黙って様子を見ていれば、京都の山科在へ、二、三度、妙な手紙を出したらしい」
そういう空気が京都に濃くなった。
「――今日を期して幕府の大命雷発、京都では公卿の間に、いっせい所司代の陰謀しらべが開始され、上下騒動
「大事は破れたッ……ああ京都……王室の御迷惑、諸卿の難儀……罪は有村にある」
もあり、第一資格のない自身として恥入りまする。京都の左京之介様、また江戸表でも将軍家をはじめ、貴殿の肉親の人々
江戸へ差立てになるかと思ったお綱は、京都町奉行所の仮牢を、たった一晩の牢舎でゆるされて出た。
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てくれば、もう、反逆人どもの機先を制して、徳島城をはじめ天下の野心家どもを、一網に取りくじいでいい時分だが」
こういって旅装をしなおし、従僕次郎ひとりを連れて、徳島の城下へ出かけて行った。
わしの処置を知っているのはお前だけだ。面白かろう、徳島の城下へ行って評判するか」
、弦を放っては万事休す。――で、わしは徳島城へやってきた、何でもかでも、阿波守様に、
徳島へついてみると、城下はすばらしく景気だっていた、出丸廓の竣工
陣が、幾組もいく組も、灯に彩られた徳島の町々を渦にまいて流れていた。
徳島城の奥用人たちは、手をひろげて、ひとりの興奮した老人を
狼狽と困惑は、徳島城を暗澹にした。
四、五日まえに、柳川の使者についてきて徳島城にいあわせた。
周馬のことを城内へ報じるため、中のひとりを徳島へ帰して、三位卿まッ先に急ぎだした。
の竹内式部へも召捕りの人数が向い、公儀より正式に徳島城へ向って、大目付副使、ふたりの上使が立てられ、すでに今朝は
「もう徳島城の御陰謀も、幕府のほうへ知られました今日、ほかの、
徳島城の城地没収、二十五万石取潰しの審議が老中議判となった時、
後に、秋元家から徳島へ帰ったが、幽閉は解かれず、籠居およそ四十二年、三十五歳から
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落ちあう場所は――大阪から河内裏街道をとって大津へ迂回するつもり――その方が人目に立つまいと思う。で、途中
、さまでに急がなかった不覚を悔いて、鴻山は、大津へ出る本街道を逆に醍醐から、西笠取のほうへ、それらしい影を
大津時雨堂の夜が思いだされる。銀五郎は自分の望みが達しられた今日、
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に黒子、他に特徴なし、年二十四、当時無宿、江戸浅草孔雀長屋人別、紋日の虎五郎娘、女賊見返りお綱。
「浅草孔雀長屋の女スリ見返りお綱、旧悪の兇状はのこらずお上のお調べ
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そして、仮の住居、住吉島の屋敷へ飛んで帰った。
孫兵衛はその時、住吉島の家で自分と入れちがいに影を消した、ふたりの虚無僧を思いうかべ