新書太閤記 01 第一分冊 / 吉川英治
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尾州あたりはまだ地の利を得ておるものの――甲州、越後、奥州あたりの山武士のうちには、鉄砲とはどんな物か、
針や絹針を小さなたとうに包み、それを行商しながら、甲州、北越のほうまで歩いて来たのだった。
甲州の武田。
うわさによれば、渡辺天蔵は、恵那の山づたいに甲州へ落ちのび、例の小六が苦心して製作させた鉄砲を献物として
させた鉄砲を献物として、武田家へ取り入り、甲州の乱波者の組(しのび・攪乱隊の称)へはいったということで
「甲州へ潜り込んでは――」
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いて、この要害の地に、四隣を抑え、京都と関東の通路を扼して、内には兵を練り、新しい武器を蓄えて、織田
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清洲。那古屋。駿府。小田原――と歩く先ざきで、
駿府の今川だの、北越の城下城下などを、ずっと見て来て感じた
織田信秀や、三河の松平や、駿府の今川家などの、勃興勢力のなかに挟まれて、ぽつねんと、島の
「駿府のお館様よりお使いにござります」
駿府といえば、主筋の今川家。使客はめずらしくはないが、その日、
駿府の今川家の使者がここや岡崎や、小田原や甲府などへ頻繁に往来し
も早逝し、嗣子の竹千代は、人質として今、駿府に養われている有様だった。
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小牧、久保一色を経て、ようやく先の敵勢に追いつきかけると、道々、物見を
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いう時、領主の兵は、火の手を見るや、那古屋や清洲城から殺到して、眼の前で、敵を蹴ちらし、敵を斬り、そして各所
翌日、清洲城へ立つ時、弾正は鬱いでいる妻へ云い残した。
て、彼の居城、清洲を攻め、占領後、那古屋から清洲城へ移った。
清洲城には、その前から守護家の斯波義統が養われていた。義統の
の天主坊へ匿って、その日に軍馬を催して、清洲城へ殺到したのである。
藤吉郎も尾いて出た。小屋の中は鬱陶しいが、清洲城の奥なので、あたりは幽邃だし、遠くは城下を見晴らしているし
もし何らかの、兇事でも起った場合は、すぐ清洲城へ変を知らせて――と、二人は密かに諜し合わせ、二の丸の狼煙
何十年という間、昼間も燈明で煮物するほど暗かった清洲城の大台所に、朝も夕方も、かんかんと太陽が映しこんだ。爽やかな
清洲城の一年間の薪炭の使用料は、約千石の余を超えていた。領内
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大手門の方へ降ってゆく幅の広い坂道の辺りに、ただ戛々と、蹄の
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いちめんが火の海になるかならぬか? また、鷺山城と稲葉山城との、大乱が起るか否かの――大きな分れ目と思えば
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そこの蜂須賀村へはいると、すぐ何処からでも目につく笠形の丘がある。夏木立
想像もつかない。勿論、邸の主は、この海東郷蜂須賀村の土豪で、姓名も代々、蜂須賀といい、小六と称している。
「蜂須賀村の人数」
「人数の半数は、蜂須賀村へ帰って、留守をまもれ。残る半数の半分は、この村に止まって、
からふたたび舟便で海をよぎり、蟹江川を溯って、蜂須賀村まで帰ろうという道どりを取ったものである。
で、その口を曲げて、縮みあがるなよ。われわれは、蜂須賀村の土豪。お頭目の小六正勝様について、一党数十名で、こよい
「汝と同じ、尾張の海東郷、蜂須賀村の蜂須賀小六正勝というものだが、汝のような大人が村の近くに
「蜂須賀村へ。――屋敷において飯も食わそう。病も手当してつかわそう」
使われてみなければ、それも分らないことだけど、蜂須賀村の蜂須賀といえば、おらの村では、良くいわない。また、おらが
。天蔵は逃がしたが、その一味どもを成敗して、蜂須賀村へ帰るところだ。汝達の耳にまで、小六一門の名が、そのよう
「じゃあおじさん、何の約束なしに、おらを蜂須賀村まで連れてってくれるかね。――そしたら、二寺の親類の家
「二寺といえば、すぐ蜂須賀村の隣村だが、そこに知るべがおるのか」
、ともかく乗れ。二寺へ行きたくば二寺へ行け。蜂須賀村にいたければ、蜂須賀村におるもよし」
へ行きたくば二寺へ行け。蜂須賀村にいたければ、蜂須賀村におるもよし」
蜂須賀村へ引き揚げてから後でも、小六正勝は取り逃した甥の天蔵を、そのまま
という特質のある者が、次々に変装しては、蜂須賀村から消えて行った。
の部下で、仁田彦十といい、ついこの間まで、蜂須賀村のひとつ邸にいた男なのである。
「そこで、先頃、蜂須賀村へ密使が来たわけだ。で、道三様からの頼みというのは、
た、乱波の輩かと思われる。――恐らくは、蜂須賀村の衆であろう」
「森へ。――蜂須賀村の乱波どもが、こよい集まるという裏の森へだ」
「なるほど、あなたが観破っているとおり、私は、蜂須賀村の仲間と共に、この岐阜へ流れて来た一人にはちがいありません
それがしの言葉を素直に容れ、こよいの暴挙を思い止まって、蜂須賀村へ帰るとあれば、生命も助けよう。また、それがしから出来るだけの手当もして
「空しく、その方どもが、蜂須賀村へ帰るのは、一分が立たぬというなら、不肖十兵衛の身を、
として、連れて行くもよい。拙者が直に、蜂須賀村の小六殿へお目にかかり、ようく理非をわけてお話しいたそう。――どうじゃ
驚いて、梢から伸び上がった。蜂須賀村の者が火を放ったに違いない。森の二、三ヵ所から熾んな
ただ、もう二度と、蜂須賀村へ帰る意思のなかったことは、明白である。
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と悔む囁きも聞えたが、その時、末席にあった筑紫の客僧の某が、ひとり呟くようにいったことには、
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十二年間も留まっていたこの江西省饒州府の浮梁(現在の景徳鎮)を立って。
そもそもこの江西省の浮梁という土地は、日本まで遠く聞えている陶器の産地なので
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べつの名を「金華山」とも呼ぶように、まるで錦の崖だった。町と田野と長良川の
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「佐渡、そちが行け。那古屋はそちならでは、信長に代って、留守する者
と、おうけして、佐渡は那古屋へ赴いて、城代の任に就いた。
「殿には、佐渡の気ぶりを、ご存じないのであろうか」
「佐渡」
苦笑して――また、佐渡へ、
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「赤絵とあれば、堺の商人の手にでもかかれば、千金もいたすであろうに。……いや
(滅相もない。これは近頃、堺の茶道具屋から、千金に近い値で手に入れた物――)
(では、盗んだ野武士が堺の商人へ売りとばしたのが、転々して、御当家へ廻って来たの
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土豪ながらも四隣に屈せずにいられるのは、遠く、稲葉山の居城から、斎藤道三秀龍というものの睨みがきいているお蔭でもあっ
「それがしは、稲葉山の家人、難波内記にござる」
稲葉山の斎藤道三秀龍の密使は、いったい、どんなことを齎して来たのだろうか
紅葉した稲葉山は、小雨に濡れたり、陽に映えたり、折から秋も更けた頃だっ
木立の彼方に、秋の名残を燃え旺っている紅葉の稲葉山と、絶頂の城廓とが、くっきりと碧空に聳えて、斎藤一門の覇権を
彦十は飯粒のついている箸の先で、稲葉山の城を指した。
彦十が見る稲葉山の城と、日吉の眼に映じたそれとは、一つ対象ではある
鷺山と稲葉山と、川を隔てて、業のふかい宿命の父子は、今や睨みあってい
「では、いよいよ、義龍様を、稲葉山からお取除けと、ご決意を遊ばして」
、それは大事ない屋敷なのです。……なぜなら、稲葉山の斎藤義龍の家臣ではなく、蜂須賀党とは同腹の道三秀龍様方の
、おれらが揚げる火の手を待ち、道三様の敵義龍の稲葉山へ、まっ先に、攻めかかるがいい」
「ウウム。では、どうあっても道三様には、稲葉山を焼き立てるお心か」
「斎藤家御一門の崩壊の危機。稲葉山、鷺山、共に亡びんとするこよいの大事を防ぐためには――」
「戦争だ。お仕舞だッ。――鷺山も稲葉山も、亡んでしまえ。焼けた跡には、また草が出る。こんどの草
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へと下った。宿場の外れに野営して、翌日、岡崎の城下へ使いを立て、通行の許しを得、そこを立ったのがすでに
を得、そこを立ったのがすでに遅かったので、岡崎の城下を通ったのは、もう夜半近くだった。
れている。建武の年の新田足利の合戦をはじめ、岡崎の要害として、ここはいくたびか古戦場となって来たし、今
だが、ここで屯するには、もう一度また、岡崎の城へ届けに行かなければなるまい――と、小六が分別を与えて
の風にふかれて、元の――尾張を過ぎて岡崎へ来たのは、ここの城下に以前、父の弥右衛門の身寄りがいた
駿府の今川家の使者がここや岡崎や、小田原や甲府などへ頻繁に往来しているのでも、或る筋が
しかも、その城地の岡崎には、義元の直臣が派遣されて、領政税務すべてを管理して
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蜂を争いながら、日吉はどなった。
日吉は、誰に猿とよばれても、怒った例しはなかったが、
於福は、恐々、日吉のそばへ寄って、彼の肩へ手をのせた。
日吉も、於福も、仁王も、ほかの洟っ垂らしも、眼をかがやかして、そこら
――すると駒のそばにいた一人の侍が、日吉を見かけて、
日吉は、大人にでも、女の人にでも、すぐなつッこい顔つきを
日吉の声だ。
に呶鳴られると、彼の母は、そこから窓越しに、日吉のいけないことを、一息に訴えた。
日吉は、畏って、
「日吉」
日吉は、心のうちで顫いた。父のことばは、父のいう通りに思っ
日吉は、首を振った。
家は、貧乏百姓に似ず、間数はたくさんあった。日吉の母の縁者が住んでいた家だからである。弥右衛門の方には
日吉は、叱言をいわれないのが、かえって気味悪かった。
日吉はまた、頷いた。
先刻から、日吉の母は、膳ごしらえをして、良人の話がやむのを、隅の
乾栗も、納屋に蓄えてあるほどに、おつみも日吉も、たんと喰べたがよいぞや」
日吉は、よく魘された。
だが、日吉の母は、
日吉は、餅を喰べながら、奥を覗きに行った。いつになく、母が
とうもろこしの背が高くなった。日吉や村の悪童連は、毎日、庄内川で泳いだり、田で赤蛙を捕っ
その代り、日吉も、家にいれば、朝から夜まで、手伝いをさせられた。
日吉も、初めは、撲られる度に頭をかかえて、謝っていたが、
――日吉や。日吉や。
――日吉や。日吉や。
筑阿弥は、なおさらほろ苦い顔をしたが、日吉の寺入りには、反対しなかった。
明るいうちにと、光明寺の住僧は、日吉に支度させて、連れて出た。
日吉は、うんと一つ、頷いたきりだった。けれど、垣の外へ出て
「おい。日吉。きのう途中でおまえのおっ母さんに会ったから、日吉もよくやっている
住僧の一人がいうと、日吉も欣しそうににこりと笑った。――母の悲しみはよく分らないが
は、すぐ日吉を引き摺って来て、香炉を突きつけた。日吉は、この本堂で暴れたのは自分だけではないし、自分がした
謝られると、住僧はかえってかっと怒った。日吉の天性の顔つきが、平気でいっているように見えたからである。
本堂の丸柱へ、日吉はくくりつけられた。
だが、日吉には毎度のことだった。辛いのは、翌る日になって友達が来て
日吉は、退屈してきた。
日吉には、分らない。その分らないのを、少年の旺んな智慾は、
日吉はただ一人で、愉快だった。染付の絵を見ていると、たましいは
また、托鉢から帰って来た二人の僧は、日吉が泣きしおれているかと思いのほか、前へ行くと、にやりと笑った
日吉は、ぽつねんと置き残されたが、物珍らしげに、室内を見まわし、
だがその日吉は、良人の居間で、先刻から頓狂な声を出しつづけていた。
相手に、茶の間へ、食膳を出していた彼女は、日吉の言葉づかいや、野良で出すような大声に、冷々していたが、
日吉は、何だか間が悪くなって、眼をきょときょとしずにいられなかっ
妻に算段させて、夜夜中でも、おつみや日吉に酒を買いにやらせるのだった。
と、日吉は家に帰されて来た。
日吉は顔を膨らせて、
と、日吉を見直した。
翌日、もう日吉は、次の雇主の所へ行っていた。
のお奈加は、間が悪くて、肩身がせまくて、日吉のうわさを人がいえば、すぐ、自分から先に、
が、ちっとも友達らしい顔もしてくれないのが――日吉にはさびしかった。
日吉は、それに対して、
於福が、近づいて来た。日吉は石井戸の蔭から身を起して、
於福は、日吉の耳たぶを引張って、歩き出しながら、
小さい日吉は、ずっと自分より大きな於福を、こう睨めすえて、どっちが年上だか分らない
日吉は、教えるように呟いて、
だが日吉は、後では胸がどきどきしていた。
まじりに、大勢であと片づけにかかり出すのだった。もちろん日吉も、追いまわしに使われて、その中でぐるぐる働いていた。
、木の枕をかって、薄い藁ぶとんをひきかぶっている日吉のほかは。
日吉は、物蔭で、
日吉は平然と――いや平然と見えるほど、危険を忘れていたのだろう。
で、天蔵は、日吉のその視線を払い退けるように、つよく睨め返して、
天蔵は呻いて、日吉に向けていた疑心暗鬼を、茶わん屋の家全体に向け直した。星の空
日吉が頷くと、同時に、天蔵は飛びかかって、
日吉の喉をぎゅっと締めつけて天蔵が念を押した。
日吉は、渡辺天蔵から吩咐けられた品を、家の中から持ち出して来るために
日吉は、告げた。
日吉は答えて、
年に似げない才覚、よく計ったと――日吉の仕方を、心では思いながら、むざむざ失う赤絵の水挿への執着に
於福は、自分一人で云い渡すのは、何だか日吉に対して不気味な気がしたので、ほかの雇人を連れて、一緒
呼ぶと、頭から藁ゴミをかぶって働いていた日吉は、
日吉は、怪訝な眼をして、
日吉は、茫然としていた。
日吉の耳には、ただ笑って囃されたような覚えしかなかった。けれど彼
「……おや。日吉じゃないかしら?」
日吉はそこへ来るとぺこんとお辞儀をした。歌をうたいながら歩いて来た
日吉は、とたんに、頭を掻いて、少し云い難そうに、
日吉は、理を話そうと思ったが、何だか面倒くさくなって、
置き捨てられた日吉は、ちょっとぽつ然として、尾濃の平野に暮れてゆく雲を見
と小猫のまわりに寒げに映している。小猫は、日吉のふところにがたがた顫えていたが、少し温んでくると、彼の顔を
て、猫と共に、飢えと寝床に行きはぐれていた日吉は、
日吉のふところを捨てて、そのほうへ飛びついて行った。日吉は、口にいっぱい唾液をためながら、猫の飯と猫に見恍れて
に、日吉はすぐ、それが弾正と知ったので、日吉でございますと答えた。それから、ちょうどよい折とも思ったので、
「日吉、御病気にさわるから、ごあいさつしたら直ぐ帰るんですよ」
、ああいう人じゃでな、あてにはならぬが、日吉もやがてよい若者になる程に、そしたら其女も、嫁入りさせよう。
日吉の声だった。
「おやッ。日吉じゃないか!」
日吉は、かぶりを振って、
日吉は、満足した。
、お嫁になんか、行かいでもよいから……日吉に、その金を遣って」
日吉は、かねよりも、も一つ欲しい物があった。
日吉は、すぐ察して、
燈明を上げ、小さい木皿へ、一つまみの粟と、それから日吉の齎した塩とを盛って、掌を合わせていた。
日吉は、それへ眼をまろくして、
に、殖えてゆくのは、犬の声ばかりだった。日吉は、外へ出た。
は、中村の家を出たきり、便りも知れなかった日吉であった。
しかし日吉は、その夢を離さなかった。なぜならば、自分の望んでいるものは
勿論、日吉にも、たくさんな慾望がある。殊に、もう十七歳の若者だ、胃ぶくろ
日吉は、諸国の町を呼び歩きながら、わずかな利で、生きて来た。
小突かれたことは、相手の誰であるに関らず、日吉を、むッとさせたに違いなかった。
頃を計って、日吉が手を離したので、槍の柄で、柳の葉を、払いながら
と、二度ほど日吉の罵る声も、飛んで来た。
小六の影を仰ぐと、日吉も、これはこの者どもの頭目だなと覚ったらしく、やや居住いを改め
さらに、眸をこらして見つめたが、見つめれば見つめるほど、日吉の眸も、闇夜に見るむささびの眼のように光って、反れようともし
日吉は答えない。
すると、日吉は、
日吉は急に、人なつかしい顔を示して、早速、中村のうわさでも聞きた
「日吉、ともかく乗れ。二寺へ行きたくば二寺へ行け。蜂須賀村にいたければ
日吉の小さい体は、林のように立ち並んだ槍と大きな男どもの間に隠れ
日吉は、
、その子、奉公人たちが、一同頭を下げる中を、日吉は松原内匠の後について、手を振って出て行った。
光明寺の山を仰ぎながら、日吉はそんなことを考えながら歩いた。
「日吉だろ。お前は」
日吉の身なりが小さいから御小人といったわけではない。大家に仕える小者の
今、日吉へ、手招きした薦僧もまた、汚れ腐った着物に、不精髯を生やし
日吉は、小馬鹿にしながら、戻って来たが、苦しい旅の味はよく知っ
日吉は、事もなげに、
日吉は、薦僧をおいて、一人で駈けて行った。
どんな密談が交わされたか、密書が開かれたか、日吉には知るよしもなかったし、知ろうとする気ももとよりなかった。
日吉は、考えてみたことがある。
小禽は、日吉の上で、囀っていた。だが日吉の眼は、小禽の啄んでいる木の実を見なかった。
何か一役持って、岐阜へ忍んで行くこととなり、日吉は、その七内の供をして行けと吩咐けられた。
日吉が、訊ねると、
日吉も、正直そう思った。
も、飽くまで誠意をもって、供をして行こうと、日吉は思いきめた。
日吉は、この夏、着て歩いていた、針売りの行商着をそのまま着
日吉が、七内に訊くと、
日吉は、七内の頭を疑った。
日吉が、美濃の国の土を踏む前に第一に抱いていたものは
日吉は眼をみはった。
な町の辻の商人宿に、宿を取ったが、日吉には、
日吉は、神妙に、銭にお辞儀して、すぐ裏町の汚い木賃へ行って泊り
の、雑多な者が泊っては入れ交わって行った。日吉の皮膚は、蚤虱にも鍛えられていたし、そういう人種の持つ
日吉はそこから、毎日、針売りに出て、帰りには塩物と米を買って
日吉も驚いた。
日吉がいうと、
叱られて、日吉は、
日吉は、前に懲りているので、返辞もただ頷いてするに止めておく
日吉は、残っていた。
日吉が、いつもの木賃から、行商に出て行こうとすると、裏町の辻に
――京針イ――といつもの声で流しながら、日吉はわざと、屋敷町の人目のない横丁へ曲って行った。
日吉は答えたが、ちょっと、様子を計っていた。
日吉は、目をみはった。
日吉には、書物など、見るのも珍しかった。――しかし、長押を仰げば
を占め、頬杖をついた。そして、庭前に屈まっている日吉の方を、書物の文字を見るような叡智な眼で、しげしげ見てい
日吉は、なお、真面目に、
と、日吉に一瞥をくれ、
、十兵衛は、弥平治の眼と共に、もいちど日吉の姿を見直して、
と、日吉は、
と、弥平治は、日吉のけろりとした顔に、力負けしたように、
が、日吉は、二人の顔いろなど気にかけているふうもなかった。自分はただ合宿
日吉は、指の飯つぶを舐めながら、飛んで来た。
何処へだろう? 日吉には行き先も分らなかった。何しろ暗い。
常在寺の門前まで来て、日吉はやっと気がついた。蜂須賀七内をはじめ、岐阜に入り込んでいる乱波の
て、四方を睨めまわしていた一人がいった。――日吉の跫音へである。
「日吉か」
その日吉の声に、周りの四、五名と何か首を集めていた蜂須賀
日吉が、そこへ行って、遅くなった詫びを云いかけると、
眼ばかりではない。辺りの眼は皆、愕然と、日吉の顔に集まって、
日吉と。
日吉は、見ていた。
日吉は慌てた。
日吉は栗の実の一粒みたいに、梢から跳び下りて駈け出した。この暴風
日吉は、どなって町を駈けに駈けていた。
そんな中を、日吉は――恐らくは無我夢中なのだろう――つつまれた昂奮のまま、予言者の
日吉は、少し退って、
空厩に藁をしいて、馬の代りに、日吉はぽつねんと、遠い囃子を聞いていた。
な男がいきなり覗き込んだので、びっくりして、一応みな日吉の顔を見まもった。
箒を休めて、日吉は辺りを見まわした。
日吉は、ようやく見つけて、
日吉は、一走り、どこかへ走って行き、すぐ土のつかない草履を取って
日吉は、
日吉はぼんやり眺めていた。そして、今の双方の挨拶を聞いて、
だから日吉は、きょうのお客の人数には驚かなかったが、これから半年もいること
日吉は、梧桐の幹から、背を横へ辷らして、びっくりした眼をひらい
日吉はまた、蹌めいた。
そういうと、小伯は自身で、日吉の気持をたずねてみた。
疋田小伯は、日吉へ、呼びかけた。
日吉は、小伯の顔を見て、
日吉は、かぶりを振った。
変っているな――と、疋田小伯は日吉の顔をながめていたが、
日吉は、ぞっとした。
、若干かの金子まで、嘉兵衛は能八郎の手から、日吉へ授けて、いうのであった。
松下家の裏門から、その晩、日吉は出ていった。
「なんだ。日吉なら日吉と云やあいいに、幽霊みてえに、元気のない声を出しやがって
「なんだ。日吉なら日吉と云やあいいに、幽霊みてえに、元気のない声を出しやがって、どう
先刻から俯向いて、叱言を聞いていた日吉は、
日吉は、急に腰を上げて、
日吉のすがたは、西春日井の部落から枇杷島のほうへ向って、のそのそ歩いていた
草の実や、露によごれている日吉の着物にも、やがて、陽がかんかんと照りつけてきた。
漫然と、独り云って、日吉は河原の畔の草むらに、坐りこんだ。
日吉も、幾年のあいだ、巷のうわさを信じ、貧しい国土と、不幸な国主
日吉は、草の中から、首を上げて見まわした。
その両岸から起って、川波を呼び立てているのだった。日吉が、立ち止った時、一頭の放れ駒が河の中ほどからザブザブと駈け狂っ
日吉は、頷けなかった。
――日吉は思わず、
日吉は、そう思った。
立ち廻って、信長へ近づく機会を半日も待ち構えていた日吉であった。
日吉は大声で、何か叫んだ。
日吉の眼には、遮る槍も見えなかった。
早口だった。半ばは夢中だった。けれど日吉が、
は信長の心へ、十分に届いた。信長はむしろ、日吉の言葉以上に、日吉の真実を買った。
十分に届いた。信長はむしろ、日吉の言葉以上に、日吉の真実を買った。
唯々として、日吉は、行列の最後方に尾いて歩いた。それすら彼は夢心地になる
日吉は、初めて、そういう往来の真ん中を歩いた。そして行列の前方に、遠く
渡って、行列は城門へ蜿蜒と隠れて行く。――日吉は、生れて初めての、橋を越え、門を潜った。
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深夜。長江の秋だ。
時、下僕の捨次郎は、その楊景福を負って、長江や玄海の千里の船路を、日本まで連れて来たのであった。
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隣邦の中国では、大同に兵乱があり、遼東が騒いだりしていたが、元の国号を革め
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呼ぶように、まるで錦の崖だった。町と田野と長良川の水の際から、突兀と急に聳え立っている絶頂に、一羽の
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と、あるから、遠い昔や、江戸の治世になっては、諸人往来のため、二百八間の大橋が架ってい
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瀬戸村は近いし、尾張付近は陶器の産地である。そんな物はもとより何も彼
その松坂を去って、郷里の尾張へひき移り、この土地の瀬戸村で産出する陶器をはじめ、諸国の窯の製品も扱って、那古屋、清洲、
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そう丹後は考えたので、一応きいてみたのであるが、
「丹後、そちは、対面の席に居並んでおれ。――また、そこへ行くまで
客殿の前まで来ると、尾いて来た道空、丹後の二家老を、後に見、
眼で――道三は何か、丹後に意をのみこませた。
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浜松の町端れを、至って暢ンびりと、相変らずな顔して歩いている
嘉兵衛之綱は、馬込からそう遠くない浜松の曳馬城に、飯尾豊前守をたずねて帰る途中だった。
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ものの例外でなく、晩年の秀吉は悲劇の人だ。大坂城の斜陽は“落日の荘厳”そのものだった。私はむしろ、彼の苦難
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北陸から、京都、近江とまわって、一わたり世間の風にふかれて、元の――
義龍がいて、この要害の地に、四隣を抑え、京都と関東の通路を扼して、内には兵を練り、新しい武器を蓄え
文化的には、ここは沃野をかかえ、嶮山を負い、京都諸地方への交通路を扼して、天産に恵まれ、農工も旺んだし―
将来であろうが、とにかく、理想をそこに置き、他日、京都に入って、足利将軍家を擁し、自身、天下に臨もうとする――その
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岐阜へ。岐阜へ。
岐阜へ。岐阜へ。
があった。その七内も、何か一役持って、岐阜へ忍んで行くこととなり、日吉は、その七内の供をして
だが、岐阜の里は、山水明媚な城下だった。町並びも麗しかった。
様。あなたこそ、どうしてそんな商売をして、この岐阜にいるんですか」
、日吉はやっと気がついた。蜂須賀七内をはじめ、岐阜に入り込んでいる乱波の衆が、戌の下刻に集まることになっている
いるとおり、私は、蜂須賀村の仲間と共に、この岐阜へ流れて来た一人にはちがいありませんが、しかし、心はあの
。しかも、この結果によっては、今夜のうちに、岐阜の里いちめんが火の海になるかならぬか? また、鷺山城
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駿府の今川家の使者がここや岡崎や、小田原や甲府などへ頻繁に往来しているのでも、或る筋が読めた。