鳴門秘帖 04 船路の巻 / 吉川英治
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でくる言葉を、聞きそらしたように装って、いつか天満の河岸へ出てきた。お米は、河筋にある舟料理の小ぎれいな
天満の河岸で、やっと、うるさい紐をきって逃げたお米は、あれからすぐ
「先生、その万吉というのは、もしやあの天満にいた、目明しじゃありませんか」
薄暮の色がうッすらと沈んでいる桃谷の町端れ、天満の万吉の家の前にたたずむ侍が低く呼ぶ。
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それは、駿河台の墨屋敷で、固く、お綱と万吉の間に交わされた、あのこと
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「しかし、昨年大阪表で取り逃がした、法月弦之丞という江戸方の者、容易ならぬ決心をもっ
巻折にして、封じ目に糊をしめし、上へ、大阪安治川御屋敷留守居役便託としるし、そのわきへ、天堂一角――とまで太く
お米のことであった。きょう岡崎の港を出て大阪へ向った四国屋の舟には、お米と仲間の宅助がのって
しまった。幾ら泣こうが吠えようが、大阪へやることを許すのではなかった。女の涙ほど嘘のあるものは
た甲斐があって、川長のお米は、やっと、なつかしい大阪の町を、再び目の前に見ることができた。
たお米は、そこに、少しも変りなく賑わっている大阪の町を眺めて、なんとなく後ろめたい気持であった。
「やっぱり大阪は大阪だな、俺でさえ久しぶりに来てみれば、悪くないんだから
「やっぱり大阪は大阪だな、俺でさえ久しぶりに来てみれば、悪くないんだから無理は
大阪へ着いた以上は、もうどうにでもなれというような不貞くされを
「考えておくれよ、大阪へ来たんだからネ」
「こいつアいけねえ、どうも大阪へ入ってから、次第次第に気が強くなってきやがる……イヤ、なっ
た! 宅助お役目が大事でござんす、あなたに大阪でジブクラれると、まことに手数がかかっていけねえ。どうかすなおに陸へ
とかして、この宅助という監視の紐を、大阪の町で、迷子にしてしまわなければならないと苦思している。
うすうす知っていたじゃないか。私は、ただ、この大阪が見たくって」
をいったり慰めあったりして別れたお米が、フッと大阪から姿を消したのは、それ以来のことである。
いうし、知り人に会えば姿を隠す――そんな窮屈な大阪へ、一体なんのためにはるばると帰ってきたんだか、ばかばかしくって、
「ご苦労様でもばかばかしくても、私にとれば、この大阪が、無性に恋しくって恋しくって、夢にみる程なんだから、しかたが
「おや、その論法でゆきますと、それほどこの大阪にゃ、あなたを迷わす人情があるという理窟になりますぜ」
眼力で、グイと卦面をにらんでみると、あなたが大阪へ来たがった原因は、死ぬほど会いたいと思っている人間がどこかに
真顔になって、何も心配することはないよ。この大阪にはもとよりいず……ああ今頃は、どこを流して流れているかも
も見つからねえのだ。しかしいろいろな事情から推して、この大阪にまぎれこんだには違いないのだから、ひょっとしてこの辺へでも姿
いちど此家へ姿を見せたろう、イヤ、たしかにこの大阪へ帰っている訳だ。有態にいえッ」
相談してみたのだけれど、お米の母は、大阪へ来ていながら、家へ帰らぬ娘の放埒に腹を立って、とりなし
行った侍たちが、万吉も弦之丞も、たしかに、この大阪へ来ているはずだといったじゃないか」
「いいえ、そんなことはあるものじゃない。この大阪へ帰ったなら、たとえ人目を忍んでも一度はこの家へ来たに違い
大阪から南都へ出る街道口、そこには、伊勢や鳥羽へ立つ旅人の見送りや
人様にゃ分りますまい。その女というのは、この大阪にれっきとした店を張っている、ある料理屋の娘でして――へい
「この大阪で、姿を消してしまやがったんで、それを見つけださねえうちは、
弦之丞は、それから数日の間に、夜旅を通して大阪表へまぎれて来ていた。
ござりますが、東堀の浄国寺に添った所が、大阪へ来た時の住居になっておりまする」
「へえ。なにしろ大阪へ来てからも、まだろくろく顔を見せていねえ女房、ことによると
この大阪表へ来て以来、阿波の原士や例の三人組が、手分けをし
「近頃、岡場所のお取締りがきびしいため、大阪の川筋に苫舟をうかべ、江戸の船饅頭やお千代舟などにならった密売
かかったろう。横堀を越えて寺町の区域をぬけると、もう大阪らしい町家の賑わいは影を滅して、幾万坪ともない闇に、数えるほど
はふてくされていやがったんで、なんでも、一度は大阪へ帰してくれ、とこういってききません」
「で、大阪へやってきたのか」
万吉と弦之丞とが、一緒になって、この大阪へ来ているということは、お吉の口裏や、いつか、天堂一角が
「じゃ、四国屋の店は、この大阪にもあるんだな」
口癖のように――大阪が恋しい、大阪が恋しい、と嘆いていたお米を嘲笑って、
口癖のように――大阪が恋しい、大阪が恋しい、と嘆いていたお米を嘲笑って、
「はい、おかげ様で、大津の叔父も、大阪の家も、みんな変りなくやっておりますが、ただ、変り果てております
阿波へまいっていたそうだが、して、いつこの大阪へ戻ってこられたか」
、剣山の麓まで行って、啓之助をたぶらかして、とうとうこの大阪へ逃げ戻ってきたことなどを、それとなく話しながら、燃ゆるような恋を
大阪表に潜伏している間、そこの鯉屋には何かの世話になっ
明日の夜の今頃は、もうこの大阪を離れている。
「その代りに、お家様、あなたは大阪に止まって、今度の船でお帰りになるのはお見あわせなすって下さい。
「もしも大阪を離れないうちに、露顕するようなことにでもなると、わざわざ恩を
「――明日は大阪を立つつもりじゃ」
たから。はい、近頃ではお家様も、阿波よりは大阪のほうが住居みたいになってしまってな。さあ、ご遠慮なく、私に
大阪へ戻ってきては、また癆咳のほうがよくないのではないかな?
「お蔭様で大阪にも、ゆっくり滞留いたしました」
「手前が用事をいいつけて、先に大阪表へよこしておきました仲間にござります」
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へ着くめえ。どれ、だんだん東へ歩こうか……見える見える天王寺が。五重の塔のすてッぺんに、鴉があくびをしていやがる、その手前
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よほどな御事情でござりますか。ご存じの通り、御領地堺は、関のお検めがきびしい国で、めったな者は、みんな船から突っ返さ
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実は今夜――かれがこの運座へ誘われて、九条村を出てこようとすると、その途中で、久しく姿を見なかった、
時鳥は九条村でも珍らしくないから、ツイそっけない返辞をしたが、武骨な駕屋が、
て、夜来の疲れもいとわずに、ゆうべの駕で、九条村へ、薬を取りに帰って行った。
と、あの時、弦之丞を待ちぼうけていた九条の渡舟場から、啓之助と宅助に捕まって、脇船の底になげこまれ
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の見送りや、生駒の浴湯詣で、奈良の晒布売り、河内の木綿屋、深江の菅笠売りの女などが、茶屋に休んで、猫間川
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と海風のくるほうを眺めると、今、淡路の潮崎と岡崎の間を出てゆく十五反帆の船が目につく。
入れた、塩積船が出てゆくし、あなたからも岡崎の港へ、飛脚船や納戸方の用船などかなり激しく入ってくる。
のほうの気がかりは、お米のことであった。きょう岡崎の港を出て大阪へ向った四国屋の舟には、お米と仲間
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の浴湯詣で、奈良の晒布売り、河内の木綿屋、深江の菅笠売りの女などが、茶屋に休んで、猫間川の眺めに渋茶を
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表鳥居の参詣道をまッすぐに上って、岩船山の丘、高津の宮の社頭に立ってみると、浪華の町の甍の
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、あぶないのは、領内へまぎれこむ他領者だ――ことに江戸から目的を持って入りこむ奴じゃ。天堂一角の通知があったので、取りあえず
筑後柳川の諸藩をはじめ、京都の中心はもとよりのこと、江戸表の大弐などもしきりに、ひそかな兵備をいたしておるとか」
「江戸の奴が……江戸の隠密が……」
「江戸の奴が……江戸の隠密が……」
「渭山の城中に、なんで、江戸の隠密などがおりましょうぞ。夢をみておいでられたのであろう、
江戸へ行ったということだけは、たしかに聞いているけれど、以来、手紙一
のお取締りがきびしいため、大阪の川筋に苫舟をうかべ、江戸の船饅頭やお千代舟などにならった密売女が、おびただしい殖え方をいたし
お間違いでもあった。素姓は申しかねるが、吾々は江戸表の者、仔細あって大府の御秘命をうけ、某地へ志す途中、さる
「たしか、見返りお綱とかいう、おせっかいな江戸の女だったと思いますがね」
様は恩を楯にとって動かないが、お久良が江戸の生れだということに気づいて、恩という以外に江戸贔屓な、一種
「江戸から……」
「えっ、江戸からだって、まあ。そして何でこんな所に泣いているのだえ?
ているのを知ったからである。ことにお久良は江戸に生い立っていて、二十歳ごろまで常木家に小間使となっていた。そして
だが、江戸に残っていた鴻山が、どうして不意にここへ来たのだろうか
安治川屋敷から東海道に、或いは、江戸に木曾路に上方に、つけつ廻しつ、折あるごとに討たんと計っ
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ところ――少し船が遅れましたので、今日は、高津のお詣りから黒門の牡丹園へ廻ってまいりました。これも高津のお宮
お詣りから黒門の牡丹園へ廻ってまいりました。これも高津のお宮のおひきあわせでございましょう」
高津の宮の森が見える閑素な八畳間に、四、五人の客が、
高津の宮の鳥居を出ると、坂下に、駕鉄という油障子が灯っている
高津の前を越えても、まだ走り続けるので、いったいどこまで行くのかと
参詣道をまッすぐに上って、岩船山の丘、高津の宮の社頭に立ってみると、浪華の町の甍の上に朝の
「いいえ、湯どうふ屋というんで、高津の名物。たいがいなものはそこで休みます」
高津の上の舞台では、
まさかそんな陶酔気分をいったのではあるまい。すでに、高津の舞台から、法月弦之丞の姿さえ見ているのだから、いかな耽溺家に
にクルクル飛んで歩きます。先一昨日だってそうでしょう。高津の宮へかかった時、わっしがお米を見つけたからこそ、だんだん糸に
「その手柄者は貴様ではない、高津の宮の遠眼鏡だ」
「高津の宮で、天堂様にお目にかかりましたところが、やあ宅助か
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の眼を失った船そのものは、流れに押されて天保山の丘へ着いている。
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大阪から南都へ出る街道口、そこには、伊勢や鳥羽へ立つ旅人の見送りや、生駒の浴湯詣で、奈良の晒布売り、
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ものは、そんなにいいもんでございますかね。わっしは能登の小出ヶ崎で生れて十の時に、越後の三条にある包丁鍛冶
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「なんじゃ兵庫! おお、益田藤兵衛! そちの面色もただではないぞ」
「兵庫は偉い! 藤兵衛もさすがだ」
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銚子の口と、盃のへりがカチと触れた。
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この手紙はどこの家から頼まれたかと聞くと、松島の水茶屋に休んでいる年頃の女で、返事はいらないといったが、
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クッついてまいります。ハイ、立慶河岸のお宅へも道頓堀の芝居へも、大津の叔父さん――なんていったっけ、そうそう、大津絵師
「あら、道頓堀の伯母さんの家が見える」
、比丘尼が踊りを踊ってるだろう? 嘘だ。じゃ、道頓堀の川ッぷちで、蔭間が犬に食いつかれてるだろう。そんなものは見えねえ
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小松の土手が、猫間川のほうへうねっている。この小松原は、さっき一度通ったような気もするが、念のために、かれは
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吹きの小僧にやられ、十四でそこを飛びだしてから、碓氷峠の荷物かつぎやら、宿屋の風呂焚き、いかさま博奕の立番までやって、トドのつまりが阿波
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西の丸、本丸、楼台、多門など――徳島城の白い外壁は、その鬱蒼によって、工芸的な荘重と歴史的な
すぐ、その眼を、徳島城の脚下にうつした。
さらに、強くなれ、強くなれ! とそこで、徳島城を踏みしめた。
と阿波守はやぐらを降りて、徳島城の西曲輪へ向った。
にかけない重喜も大名だが、それの邪魔にならない徳島城もさすがに広い。
は殺さぬ掟――間者を殺せば怪異を生むという徳島城の凶事を、そこもとは好んで招き召されたな」
かかる間に、地震ならぬ地震のあった徳島城の殿中は暮れた。
より多くの侍がつめたが、妙に、その晩は徳島城に鬼気があった。陰にみちた人の心が鬼気をよぶの
て、脇船の底になげこまれた時のこと。また徳島の町端れに暮らしていた月日の間にも、たえず忘れ得ぬ悩み
「それではいよいよ徳島城や剣山の奥へ、隠密にいらっしゃるお覚悟ですか」
西国からも諸大名の密使が、ある打合せのために、徳島城へ集まろうとしている。この秋にこそは、いよいよ天下多端、風雲
そういう不平はあったが、はるばる徳島から来た助太刀を断ることもならない。また、三位卿の手出しが
てある。このつづらは、すなわち京の堂上梅渓家から、徳島城へ送るべく、四国屋に託されたものだった。
「京の梅渓家から徳島へ依託されました三ツの葛籠がございます。それも明日の便船
ぞ。ではお米、くれぐれもそのつもりで、さびしかろうが徳島まで一日ひと晩の辛抱じゃ……」
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、着々とすすむにつれて、筑後柳川の諸藩をはじめ、京都の中心はもとよりのこと、江戸表の大弐などもしきりに、ひそかな兵備
「京都の梅渓右少将様からお頼まれしてある、その三ツの荷葛籠
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も、大津の叔父さん――なんていったっけ、そうそう、大津絵師の半斎か、あそこへ行くとおっしゃっても、宅助やっぱりお供しなけりゃ
ハイ、立慶河岸のお宅へも道頓堀の芝居へも、大津の叔父さん――なんていったっけ、そうそう、大津絵師の半斎か、あそこ
、当座の間、どこかへ二、三日落ちついて、大津の叔父さんに来て貰おうと思うのさ」
「お米さん、大津絵師の半斎へ、なんていう手紙を書いたんで?」と、糺して
死んでも嫌――川長へ戻るのも嫌――大津の叔父の家へ行くのも嫌――というお米の意志は、
大津の打出ヶ浜で、あの雷の落ちた晩に、雨宿りをしてい
……エエト……そうだ、法月弦之丞という、いつか大津の時雨堂に潜っていた虚無僧なんで」
「はい、おかげ様で、大津の叔父も、大阪の家も、みんな変りなくやっておりますが、ただ
宅助は肚の中でおかしく思いながら、お米は今夜大津の叔父の所へ暇乞いに行って、明日の晩は、自分と四国屋
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ふうだった。――もう蠣の季節でもないが、奈良茶の舟があったので、宅助を誘うと、だいぶ昨日と先
や鳥羽へ立つ旅人の見送りや、生駒の浴湯詣で、奈良の晒布売り、河内の木綿屋、深江の菅笠売りの女などが、茶屋
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長崎じこみの技だけあって、そのテキパキとした始末と早さには
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、雪のせ笹の金紋を印した三つの青漆葛籠が山形に積みかさねてある。このつづらは、すなわち京の堂上梅渓家から、徳島城
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「連れの万吉という者が、京橋南詰の鯉屋と申す船宿から借りうけましたもの」
幾分かましである、と思いなおして、ふたりは、そこから京橋口まで、思いがけないムダな道を歩くことになった。
をなだめ、こんがらかった二人の気持をほぐすことに努めながら、京橋口の船宿へ帰ってくる。
湯漬を一椀かっこんで、宿の亭主に小舟を頼み、京橋口から猫間川をのぼって、小橋村黙蛙堂の家へ馳せつけた。
ここは、京橋口の船宿、鯉屋の二階。