三国志 08 望蜀の巻 / 吉川英治
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こんな所へ、江南の方から一舟が翔けて来た。波も風もすべて、南からこの北岸
ご諜報いたしおきたる通り、今夜二更の頃、それがし、江南の武将の首をとり、あわせて、数々の軍需の品、粮米を満載し
「湖北へお出ましの後、江南の情報が、しきりと変を伝えてきました。それによると、呉
江南の風雲は、なお測り難いものがあるが、西涼の猛威を、一撃に粉砕
いません。漢中に張魯あり、荊州に玄徳あり、江南に孫権の存在あり。加うるに、緑林山野、なお無頼の巣窟に適する地方
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官職の椅子も今は欠員がない。――ただここから東北地方の田舎だが、耒陽県の県令の職がひとつ空いておる。もし
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「貴下は、三千余騎をひっさげて、黄州の堺に進出し、合※にある曹軍の勢に一撃を加え、まっしぐらに敵
「もちろんだ。長安の堺には、充分な兵力と、誰かしかるべき良将を残して行こう」
襄陽の堺に関羽。
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「湘江の西、零陵(湖南省・零陵)から手をつけるのが順序でしょう。次
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「わが君が、一日も早く、九州のことごとくを統べ治めて、呉の帝業を万代にし給い、そのとき安車
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そのものをいう。そしてその戦場は、現今の揚子江流域の湖北省嘉魚県の南岸北岸にわたる水陸入り組んでいる複雑な地域である。
これは死地を設けていた伏勢ではなく、南郡(湖北省・江陵)の城に留守していた曹一族の曹仁が、迎えに来た
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許都、襄陽、呉市などから較べれば、比較にならないほど規模の小さい地方の一城市だが、
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アジアの屋根、パミール高原に発する崑崙山系の起伏する地脈が支那西部に入っては岷山山脈となり
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は、雨のように矢が飛んできたが、みな江波に落ちて藁のように流されてしまった。
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かくて、刻々と、暮色は濃くなり、長江の波音もただならず、暖風しきりに北へ吹いて、飛雲団々、
以下、随行の兵五百人を乗せて、荊州を離れ、長江の大河に入り、悠々千里を南下して呉へ向った。
「元日の朝、人目に立たぬよう、長江の岸へ出て待っておれ」と、打合わせた。
またたく間に、長江の埠頭まで来た。この頃、日はすでに登って揚子江の水はまばゆいばかり
先にゆく夫人の車と玄徳の一行は、長江の岸に沿って急いでいたが、またまた、呼び止める者があるので、
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巴蜀。すなわち四川省。
すでに首都の成都(四川省・成都)へ近づいてきた頃、道のかたわらから、
そのうえ彼自身、成都を出て、※城(四川省・重慶の東方)まで出迎えると、車馬、武具、幔幕など、ここを晴と
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に、攻囲の陣を払って、南徐の潤州(江蘇省・鎮江市)あたりまで敗退するのやむなきに至ってしまった。
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そこでまず二人は、関西の兵をうながす檄文を起草し、都下出発の朝、勢揃いと称して、曹操
馬騰の飛檄に依って、関西の兵や近くの軍馬は、続々、許都へさして動きつつあった。馬騰
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涼州の地は支那大陸の奥曲輪である。黄河の上流遠く、蒙疆に境する綏遠、寧夏に隣接して、未開の文化は中原
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荊州に着いて、玄徳に会うと、呂範はまず両国友好の緊密を力説してから、おもむろに縁談をもちかけた。
でお迎えしましょうし、われわれ侍側の者も、挙って、両国の平和のため、この実現に対して、どんな労でも取りますから」
談の成立を熱望しています。もし、この縁が結べれば、両国の平和のため、大慶この上もないことだ。ぜひ、一日も早く参られるよう劉