新・水滸伝 / 吉川英治
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時遷は、腹のうちで「まず、目ぼしはついた」と、取ッて返した
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銚子を向けた肱の端で、西門慶は、わざと卓の象牙の箸を、
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“河北、治レバ天下治リ。河北、乱ルレバ天下乱ル”
えたいと存じておりましたところ、つい先ごろ、山東、河北の密貿易仲間の者から、耳よりな儲けぐちをチラと聞きこみ、こんな大ヤマを
山東、河北の旅商人が取引にあつまる市場、駅路に隣接しているので、俗に、
いる司令であるのみならず、その配下には、山東、河北、江西、湖南、両准、両浙、各省の軍管区から選抜された「
喪旗はとりでの春を革め、僧は河北の一傑を語ること
「では、おふた方とも、今日まで、河北の玉麒麟をご存じなかったのですか」
―それまでをいわなくても、玉麒麟といえば、河北はおろか、四百余州知らぬ者はないはずだがの」
何か花を挿す習慣を身につけていたので河北の人は彼を、一枝花の蔡慶とも呼びならわしていた。
「河北に漢あり、鉄臂膊(蔡福)はそのお一人とうけたまわる。漢は度胸
世事の盲か、軍人なら軍人のもぐりだろうぜ。山東、河北では、三ツ子ですらが知ってらあ。義にあつく、お情けぶかく、だれ
に辺疆を侵しては、山東、山西をおびやかし、河南、河北を掠め、またあらゆる手段の下に、いつかは物資文化の花ゆたかな宋
河北田虎 江南方臘
それで田舎茶屋を稼ぎ歩いていますうちに、燕南から河北では一番の大金持ッていう旦那のごひいきになりましてね、久しぶりに
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途々の露払いもえらい騒ぎで、見事な勅使仕立て船で、黄河から支流の渭河へ入り、ずッと華州へ下って来るそうで」
黄河の上流にあたり、渭水の下流に位置し、旧き呉や楚の国と
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呉用はほっとしながらも、わざと悠々、関内へ入って行く。たちまち、目も綾に織られるばかりな大名府の殷賑な
その日とは、姿を変えた石秀が、北京府の関内へ、首尾よく潜入しえた当日なのだ。
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その迅きこと、霧に駕し、雲を排い、飛鳥にことならず、といわれていた通りである。
女は、崖の下へ逃げころんでゆき、飛鳥もおろか、すぐ谷川のすそへ見えなくなってしまったが、李逵は、あきらめ
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「わずか十里の郊外、七宝村と申す静かなところですが」
かくて趙の長者と馬を並べて、魯達が山紫水明な七宝村へ入ったのは次の日のことだった。
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がいい。おれは、師匠の王進先生を尋ねてこれから関西の旅につく」
はい、状元橋の西詰めで、大きな肉舗を構えていらっしゃる関西きッてのお顔ききの……」
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「それのみか、門前町から山上の途中でも、見晴らしの亭を打ちこわし、附近の娘どもを見れ
「関取のお宿は、迎恩橋のそばで、門前町でもいちばんの大旅館ですが」
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「大きに、そうだった。北京市は河北第一の大都会。四方の県や州へたいしても、威信を失わ
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悲心、長江の刑旅につけば、
「わかりました、長江の水賊ですね」
へ、その片手を伸ばしかけた。――するとこのとき、長江の上流から矢のごとく流れてきた一隻の快舟があり、ざ、
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ひく音がきこえる。その音は、この片田舎に似あわず、京都の声色があった。主はたれぞと問うと、もと長安の歌い妓
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の唄ばかりでも味気なかンべ。その赤丸の印の小樽には泰安酒が半分ほどまだ残っているだよ。飲むなら飲まッせ
ところで、この小樽の酒を、湯隆がどう巧みに、徐寧に飲ませ、時遷にもやり
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黄土大陸は大宋国といって、首都を河南省の開封東京にさだめ、宋朝歴代の王業は、四代の仁宗皇帝につがれて
禁門の大将軍洪信は、おびただしい部下の車騎をしたがえて、都門東京を立ち、日をかさねて、江西信州の県城へ行きついた。
、天師さまの方から、鶴に乗って、ちょっくら、開封東京の空へ、飛んで行かれたんだろう」
かに思われた。そんな爛熟末期の相は、※梁東京の満都の子女の風俗にさえ目にあまっていた。
無職である。だが、この東京には、親代々からいた旧商家の息子で、姓を高、名
に浴したが、そうなると、矢もたてもなく、東京へ帰りたくなった。が、帰っても、さっそくの職はなし、さて
人情にもつうじている風流子であるとは、この開封東京の都で、たれ知らぬ者もない評判なので、彼は、
「そうだ。おやじは知らんか。もと開封東京のお方で、王進師範と仰っしゃる人を尋ねてきたのだが
者で、史進と申しますが、もしや当地に、もと東京におられた禁軍の師範王進というお方がおいでではございます
「わたくしたちは、もと開封東京の者でございますが、重い税にくるしめられて、商売もなりたたず、
落ちつく先もなくては困ろう。わしの弟弟子は昨今、開封東京の大相国寺にあって、智清禅師と衆人にあがめられておる。この
を眉に払って、大満悦な態となり、すぐさま開封東京へさして出立した。
そしてふたたび、東京さしての旅また旅をかさねてゆくうち、はからずも、ここ瓦罐寺
し。……といって、あれ持たずには東京へ行く意味もない」
たり寄ッたりの身の上だな。しかしわが輩はこれから、東京の大相国寺へ行くんだが、史進、あんたはどうする?」
一方は日ならずして、時の花の都、開封東京にたどり着き、さっそく大相国寺の智清大禅師をその山門に訪うて、
東京城の関外へ出てから二日目、小さな宿場町へ黄昏れ頃つくと、
と、何かすでに、ここでの会合を東京で諜し合せておいたことらしく、眼くばせくれると、端公らは、ただちに
男だ。おのれ一人助かってはいられない。逃げれば、東京に在るいとしい妻や舅などに、この大難の身代りをさせるような結果
ねえぞ。どうせてめえたちも、お役がすめばすぐ開封東京へ帰るンだろう。よくわが輩の顔を覚えておけよ」
はかさねて、林冲に別れをのべ、風のごとく、開封東京の空へ引っ返していった。
は、長身青面の壮士、楊志の旅とともに、開封東京の都へ移って行くことになる。
「おや、東京の楊志が、平軍卒に貶されてきたのか」
「ところで、もと東京の殿司制使楊志が、流されて一兵卒に落され、今日も
君のお祝にと、あんなにまで、おびただしい金銀珠玉を東京へ送らせてやったのに、その途中で群盗のため、すべて強奪さ
よりも、その高価な宝を、どうして無事に、東京のお父さまのもとまで届けさすことができるか。そのご要意のほうが
府の梁中書が、十万貫てえ金銀珠玉骨董を、開封東京へ、密々に送り出すはずですが、よも、ご存知でござんすまい」
――時々、声がひそまるのは、密議らしい。北京から東京への道すじを、例の時価十万貫の生辰綱(誕生祝いの荷梱
ていうのが大将株でしょうか。こいつはなんでも、東京の役人試験に落第した書生くずれだそうで、以下、摸着天の杜
期シ、又モ十万貫ノ不義ノ財貨ヲ密カニ都門東京ヘ輸送セントス。天冥、豈コノ不義ヲ許スベケンヤ。
なんか、二十日も前から啼いていますわ。いったい、東京へ送り出す父の誕生祝いの品々は、荷拵えばかりなすっておいて、どうなさる
蔡氏の父蔡大臣の誕生祝いの品を護って、東京までつつがなく送り届けてほしいのじゃ。もちろん、軍兵は望み次第に付けてやる」
なるべく野盗の眼を避けて、お引きうけした以上は、東京の蔡大臣がご門前まで、無事、おとどけ申したい存念にございますれば
いけません。どうも拙者には、不向きな役です。東京行はご辞退申しあげまする」
しずくを地に見つつ喘ぎあるいた。日頃ひと口に、開封東京とやさしく呼び馴れてはいたが、いざ一歩一歩を踏み出してみた千里
こち徒の極楽だ。なんとか生命だけ保って、開封東京に着きさえすれば、まさか帰りはこんなこともあるめえ。もうもう来世は
…と、仰っしゃるなら、もしや以前は、開封東京の殿帥府にお勤めの」
「おれもおぬしも、ともに開封東京にいた者同士よ。まずこの面の金印(額の刺青)を見
だった。一箇の魯智深を逮捕するのに、開封東京の王城下は震駭して、都民も寝られなかったほどである。しかも
を騒がせ、大相国寺の菜園を荒らし、おまけに開封東京から姿をくらましたお尋ね者の花和尚魯智深だろう。……だからてい
開封東京の大臣邸では、蔡大臣の誕生日となっても、梁家から祝賀
、一人のこらず、十日以内に、縛め捕って、東京へ押送せいとの厳達でおざるぞ」
国もとも濠州の同村、行く先は東京、商売は棗売り。つまり東京へ売り捌きに行くとある。……おかしいなあ、名主が交じって、とは
あんばいに。……それで国もとも濠州の同村、行く先は東京、商売は棗売り。つまり東京へ売り捌きに行くとある。……おかしいなあ、
た。「――ご辺のお名まえは、夙に都の東京でも名高い。さるを何で、高※(宋朝の権力者)に厭まれ
、旧奉行は官職を解かれ、旅装して、ただちに開封東京の問罪所へ出頭すべし、との厳令なのだ。
田舎とは生れが違うよ。死んだおやじがまだ都の東京で盛んに商売をやっていた時分は、わたしも朝湯寝化粧だった
「その東京で一ト頃流行った開封竹枝でも」
ご苦労だがな、従兵一小隊をつれて、急に開封東京まで行ってもらいたいのだ。この公文を殿帥府までお届けすればよい
いない。考えてみると四十日余りの不沙汰だ。開封東京といっては早くても二ヵ月余、もし天候にめぐまれなければ三月
「公命で開封東京まで行って来ます。いずれまたすぐ帰りますが、どうも何だか、
翌日、武松は県城を離れて、はるか東京の空へ旅立ったが、彼の気がかりとしていた饅頭売りの兄
「また、開封東京のみやこ童の間にも、
「江州から来たのさ。これから開封東京へ行く途中だ」
そのほか多くの捕虜とを一トまとめにして、開封東京の朝廷へつき出し、それによる恩賞と名誉とをもって、このうらみを
「うむ、いずれみな、檻車に乗せて、開封東京の朝へ差立て、皇帝からお褒めをいただくわけだが、しかしそれまでは
「聞きゃあ東京者ですとさ。別嬪ですぜ。いや何よりは、唄、弾奏、軽い
水芸はまだほんの序の口。いたらぬ芸にはございまするが開封東京は花の都の教坊で叩きあげた本場仕込み。いささか、そんじょそこらの大道芸
「なんでも、お互いが開封東京にいた頃からの古馴染みですとさ。そいつを知ってたら、おかしらも
おしでないよ。根ッからの田舎廻りなら知らぬこと、開封東京の芸人には、おまえさんみたいな三下に小屋を荒らされて、縮み上がって
だったのである。――で、怖らくは、開封東京でも一門の持て余すところとなり、軍司令官兼民政奉行となって、この
ここは開封東京の首都、※城の九重。
ここに。――この捷報は早くも開封東京の※城の宮門へ飛脚されたので、天子徽宗は大いによろこばれ
ない先祖伝来の宝があります。てまえも亡くなった父と東京見物に参ったさい、徐寧の家で見せて貰った薄ら覚えが残って
似ず張りきって、一ト足さきに山をおり、開封東京の空をさして立って行った。
ご無沙汰をしちまいましたが、願がかなって、やっとこんど東京へ出て参りましたので、今日はこれをお届けにあがりました
「いや、えらいこってすぜ。なんでもこんど開封東京の都から、天子さまのお使いで、内殿司の大臣とかいう大官
という者だった。日かずもまたたく、彼は帝都開封東京の※城に着いた。だが、宮内府の一門にたどり着くやいな、
家事のあとを託して、三名はその日のうちに東京へ急いだ。
「いや、東京の蔡大臣が、蒲東の大刀関勝という者を抜擢し、彼に大軍
た。――さらには、薛永、時遷などを、ひそかに東京へ派して、蒲東にある関勝の家族たちをも、ひそかに、梁山泊へ
、お案じには及びません。関勝の投降いらい、開封東京の蔡大臣は、北京府へたいして、とかく弱腰な指示をとっているよう
思うところがあって、俄に、宋朝廷の都、開封東京へ行くことになった。
山東に古い地方官吏の子であるが、まだ一ぺんも東京は見ていなかった。それにしても、いちど冤罪の罪で
燕青とふたりだけで、まずその日、ひと足先に、帝都東京の街中へ下見に入った。
「へえ、そのご東京を飛び出しましてね」
でしてね、へえ、都一の李師々大夫にも会えて東京へ来た効いもあったと、たいそうなご満足。ですが、ゆうべは