三国志 11 五丈原の巻 / 吉川英治
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依って東進するようだったら憂うべきだが、西して五丈原へ出れば、憂いはない」
開始した。しかも選んだ地は、武功でなくて、五丈原であった。
孔明はその冒険を避けて、なお持久長攻に便な五丈原へ移った。
五丈原は宝鶏県の西南三十五里、ここもなお千里を蜿る渭水の南にある。
孔明は五丈原へ陣を移してからも、種々に心をくだいて、敵を誘導して
失っている。――汝、すぐ千余騎をひっさげて五丈原をうかがいみよ。もし蜀勢が奮然と討って出たら、孔明の病は
五丈原から漢中へ、漢中から成都へと、昼夜のわかちなく駅次ぎの早馬も飛ん
でいるとは聞えていたが、――なおまだここ五丈原にその到着を見なかった。
には及びません。まず夏侯覇にお命じあって、五丈原の敵陣をうかがわせては如何ですか」
もしこのままなお知らずにいれば彼は五丈原の前線に置き去りを喰うところであった。愕きもし、憤りもして、魏
はと見るに――さきに司馬懿の命をうけて五丈原の偵察に出ていた夏侯覇は、馬も乗りつぶすばかり、鞭を打ち続け
条もの奔流の如く、全魏軍、先を争って、五丈原へ馳けた。
すでにして五丈原の蜀陣に近づいたので、魏の大軍は鼓躁して一時になだれ
すなわち、蜀軍の大部分は、疾く前日のうちに五丈原を去り、ただ姜維の一軍のみが最後の最後まで踏み止まっていたものらしい
「初めの日、蜀の軍が、夕方からたくさんに五丈原から西方の谷間に集まりました。そして白の弔旗と黒い喪旗を立てならべ、
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朕自ら水陸の軍をひきい、討魏の大旆をかかげて長江を溯るであろう」
の水陸軍も、陸遜の中軍も、一夜のうちに、長江の下流へ急流の如く引揚げてしまった。
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「魏は関西の精兵を以て、長安(陝西省・西安)に布陣し、大本営をそこに
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「かつて魏王が大石山に狩猟をなしたとき、一匹の大きな虎がたちまち魏王へ向って飛びかかっ
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ば、はやはや甲を解き、降旗をかかげよ。然るときは、両国とも、民安く、千軍血を見るなく、共に昭々の春日を楽しみ得ん。――また
馬となり果てたか、ひとり汝にいうは張り合いもない。両国の軍勢も、しばししずかにわが言を聴け」
、呉も張蘊を答礼によこして、それを機会にむすばれた両国の唇歯の誼みは、いまなお持続されている。
蜀魏両国の消耗をよろこんで、その大戦のいよいよ長くいよいよ酷烈になるのを希っ
めて、漢中の営に帰ると、すぐ諸方へ人を派して、魏呉両国間の機微をさぐらせていたが、そこへ成都から尚書費※が来て、率直に朝廷
「魏呉両国間に、秘密外交のうごきが見ゆると、われへ報らせてきた者は、その李厳で
ど無傷である。加うるに江南以東の富力を擁し、充分、両国の疲弊をうかがってこれへ大挙して来たものとすれば、これは容易なことで
安をむさぼって守るを国是となさんか、たちまち、魏呉両国は慾望を相結んで、この好餌を二分して頒たんと攻めかかって来るや必せり
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たし、彼の急追も余りに無茶だったので、松山の近い岩角に、その乗っていた馬がつまずいたとたん、馬もろとも、