宮本武蔵 03 水の巻 / 吉川英治
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頭を下げてそこの軒を離れた。坂を仰ぐと清水寺の崖道が見える――
もうその頃は、この清水寺の西門のふところは、人でいっぱいだった。参詣人や、僧や、物売り
嫁を奪って逃げた野郎を討つために、先ごろからこの清水寺へ日参をしておいでなさるんだ。――きょうがその五十幾日目
もう五年、どれほど捜すに骨を折ったことか。清水寺へ日参のかいあって、ここでわれに会うたることのうれしさよ。老いたり
「なんの、われらには、清水寺の諸菩薩が、お護りあるわ」
「おらが喋舌らなくても、この界隈でおとといの清水寺のことを知らない者はないぜ。――隣のおかみさんも前の漆
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機縁は遠い前からのことであって、この和尚がまだ大徳寺の三玄院で、味噌を摺ったり大台所を雑巾を持って這い廻ってい
その頃、大徳寺の北派といわれる三玄院には、常に生死の問題を解決しようと
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この道に志す輩は雲のごとく起り、京はおろか、江戸、常陸、越前、近畿、中国、九州の果てにまで、名人上手の少なくない
「三月には、江戸の徳川将軍家が、御上洛という噂。おまえ達はまた稼げるな」
「徳川様へ抱えられた柳生様は江戸で、一万一千五百石だって。ほんと?」
聴けば、江戸将軍家の上洛が近づき、その先駆の大小名がきょうも着くので、物騒な
子息の但馬守宗矩どのは、徳川家に召されて、江戸に行っているが」
「宗矩は江戸、利厳は熊本、そのほか皆不在と、よくいったのか」
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ここは笠置山の中にあるが、笠置村とはいわない。神戸の庄柳生谷といっ
四名も眼をあげた。その一瞬、笠置山の闇から城内の籾蔵の屋根のあたりへ、一羽の鷲が、星を
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かくれ場所となり得るので、ちょっと指を折っても、九度山には真田左衛門尉幸村、高野山には南部牢人の北十左衛門、法隆寺の近在には
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領主だって、ちょっとやそっとの牢人なら召捕るでしょうが――河内、大和、紀州の牢人が合体になったら、御領主よりゃあ強いでしょう」
「中国を出て、摂津、河内、和泉と諸国を見て来たが、おれはまだこんな国のあることを
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空也堂と本能寺の焼け跡とが道路を挟んでいる薄暗い町まで来ると、
又八は本能寺の大溝へ向いて、黙然と首を垂れていたが、わらわら駈け去って
本能寺の
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して右手の空にふくらんで乳房を持っているような三笠山の胸のあたりがここからは近い感じである。
を落している山裾である。彼を呼んだ男は、三笠山の山道のほうからその裾野へ出て来たらしく、
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「もうそこだよ、大手門は」
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こんどの訪問は、九州を遍歴して、先ごろから泉州の南宗寺へ来て沢庵は杖をとめていたので、そこから久しぶりに、柳生
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なぜならば――関ヶ原の役の後は、奈良から高野山にかけて、どれほど、沢山な敗軍の牢人たちが隠れこんだかわからない
ことに、奈良とか、高野山とかいう地帯は、武力の入り難い寺院が多いために、そういう牢人たち
、ちょっと指を折っても、九度山には真田左衛門尉幸村、高野山には南部牢人の北十左衛門、法隆寺の近在には仙石宗也、興福寺長屋に
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「方丈があいさつに出るところじゃが、つい昨日摂津の御影まで参ってな、まだ両三日せねば帰らぬそうじゃ。―
「中国を出て、摂津、河内、和泉と諸国を見て来たが、おれはまだこんな国のある
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「いや、お取次でもよろしい。……但馬の士宮本武蔵という武者修行の者、道場へ立ち寄り、門弟たちに立ち対える者
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悔やむことはすでに遅いが、関ヶ原くずれの身を、あの伊吹山の一軒家に匿まわれたことは、一時は、人の情けの温かさに甘え、
伊吹山下、一別以来、郷土わすれ難し、旧友またわすれ難し。はからずも先頃、吉岡
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伝えてくれ。来年一月の一日から七日まで、毎朝五条の大橋へ行って拙者が待っているから、その間に、五条まで一朝出向い
大橋へ行って拙者が待っているから、その間に、五条まで一朝出向いてくれいと」
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のうえから、今が妙齢の采女のように明るくてやわらかい春日山の曲線がながれていて、足もとは夕方に近づいていたが、彼方の
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、京はおろか、江戸、常陸、越前、近畿、中国、九州の果てにまで、名人上手の少なくない時勢となっている。それを、吉岡
こんどの訪問は、九州を遍歴して、先ごろから泉州の南宗寺へ来て沢庵は杖をとめて
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と、銚子をつきつける。
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「中国を出て、摂津、河内、和泉と諸国を見て来たが、おれはまだこんな国のあることを知らなかっ
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紅絹や、西陣や、桃山染や、お甲のにおいが陽炎のように立つ。――今頃
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「笠置寺から遠くないところじゃ。あれへもぜひ立ち寄って行かれたがよいな。もっとも
ことがあってから十日ほど後であった。附近の笠置寺とか浄瑠璃寺とか、建武の遺跡などを探って、宿も、どこか
があった。伊賀街道に当っているし、浄瑠璃寺や笠置寺へゆく人たちも泊るので、夕方になると、そこの入口の立樹
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ふいに、庄田が立って戸外の人影へいった。
諸国のうわさ話、わけても関ヶ原の合戦には、出淵も、庄田も、村田与三も主人について出たので、その折、東軍と西軍
庄田は、畳みかけて、
そう口走ったのは庄田喜左衛門であった。庄田のほかの出淵、村田の二人も、まだ何も自分たちは、その戦闘圏
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のである。江戸城に二代将軍がすわっても、大坂城にはまだ、豊臣秀頼が健在だった。――健在であるばかりでなく、
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奈良といえば興福寺――興福寺といえばすぐ奈良が思い出されるのである。城太郎も、その
奈良といえば興福寺――興福寺といえばすぐ奈良が思い出されるのである。城太郎も、その有名な寺だけ
そこは興福寺の天狗でも棲んでいそうな大きな杉林の西側にあたっていて、寧楽
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景気をほんとの泰平とは誰も信じないのである。江戸城に二代将軍がすわっても、大坂城にはまだ、豊臣秀頼が健在だっ
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、自分は今大和路にあり、これから約一年を伊賀、伊勢その他を修業に遊歴するつもりで予定をかえる気持にはなれない。
「伊賀を越え、伊勢路へ参ろうと思う。――貴公は」
伊賀の壺に、一輪の芍薬を投げ入れて、石舟斎は、自分の挿けた花
て、眸を上げると、真っ紅な夜明けの太陽が、伊賀、大和の連峰を踏んで、昇っていた。
伊賀の山々には、初夏が来ている。真昼になるほど空は透明性と紺碧
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立場にあるので、至って暢気者だ。きょうも友達と伊勢へ行くとかいって、帰る日も告げずに家を出ているのだっ
は今大和路にあり、これから約一年を伊賀、伊勢その他を修業に遊歴するつもりで予定をかえる気持にはなれない。しかし、
兵法家を求めて遊歴していたもので、それがふと伊勢の太の御所といわれる北畠具教の紹介で、宝蔵院に見え、宝蔵院の
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「甲賀にもいるそうだの」
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輩は雲のごとく起り、京はおろか、江戸、常陸、越前、近畿、中国、九州の果てにまで、名人上手の少なくない時勢となって
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(関東へつくか、大坂か)
禄もなし、他の職業につく見込みもない人々だ。関東の徳川幕府が、今のように隆々と勢力を加えてゆく現状では、
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には真田左衛門尉幸村、高野山には南部牢人の北十左衛門、法隆寺の近在には仙石宗也、興福寺長屋には塙団右衛門、そのほか御宿万兵衛と
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奈良の町はもう後ろだった。東大寺ともかけ離れている。月ヶ瀬街道は杉木立のあいだを通って、その杉の
近くなる気持なのだ。さっき、湿々として、うす暗い東大寺の横を通って来た時、襟元にポタリと落ちた雫にも、きゃっ
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「あれ、四条の若先生、いけませんよ、顔をかくしても、わかっておりますよ
「黒茶のお羽織は、四条の道場にかようお武家衆好み。この遊里まで、吉岡染というて、流行っ
それを真似て、女歌舞伎というものの、模倣者が、四条の河原に、何軒も掛床をならべ、華奢風流を争って、各※
「四条の吉岡道場まで、おじさんの手紙を届けに行ってもらいたい」
「じゃあこれを、四条の道場へ抛りこんで来ればいいんだね」
、おめえんちにいるだろう。あすこへ行けば分るって、四条の吉岡道場の人に聞いて来たんだ」
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「八幡っ」
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は、なおさらのことであった。奈良の現状では、正倉院が何だか知らないものはほとんどだが、槍の宝蔵院とたずねれば、
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の下には、高瀬川の水がせせらいでいた。三条の小橋から南は、瑞泉院のひろい境内と、暗い寺町と、そして茅原だっ
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懇望されて肥後へ高禄でよばれて行った麒麟児の兵庫利厳などという「偉大なる蛙」をたくさんに時勢の中へ送っている。
守宗矩も、無事御奉公をしているし、孫の兵庫も、肥後の加藤家を辞して、目下は修行して他国を歩いている
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出て来たのは、叡山の僧兵にすればさしずめ旗頭にもなれそうな骨格の大坊主である。武蔵
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は、近ごろになって、時々それを考える。どうもあの姫路城の一室で三年間も書を読んだ後の自分というものは、前
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、吉岡一門ばかりが、随一でもあるまい。たとえば、この京都だけにも、黒谷には、越前浄教寺村から出た富田勢源の一門
はあり、弟子の数は何といっても、日本一の京都において、随一といわれるほどあって、その内容はともかく、外観で
ので、まだ天下に泰平を布く政綱もなかったし、京都だけの市政にしてからずいぶん不備で大ざっぱな法令で間にあわせられている
の旧府、あらゆる名将と強卒のあつまるところ、さだめし京都にこそは、兵法の達人上手がいるだろうと思って訪れて行って、
こう見ると、東山から望むところの京都は、関ヶ原以前のように、決して風雲は急でないのであった。
おらが六ツの時に、牢人しちゃって、それから京都へ来てだんだん貧乏しちまったもんだから、おらを、居酒屋へあずけて
―惜しい。武蔵は、彼の居所がわかるなら、これから京都へ戻ってもと思うのであったが、その術もない。
「京都」
そして武蔵は奈良へ。――城太郎はまた京都へ。
「ま……。京都にいらっしゃると思ったら」
ているが、このごろ時折、往来を歩いていても、京都や奈良の女性がはっと美しく眼に――というよりは肉感にひびいて
ある。思うに城太郎はまだ武蔵の本当を知らないし、京都にいたころから弱い武者修行と聞かされているので、自分の師匠
へおまえも逃げろ。また、わしが突き殺されたら、元の京都の居酒屋へ帰って奉公せい。――それを、ずっと離れた小高い所で
旅に出ていたとはいえ、おそらくは、京都の四条道場での自分とのいきさつを、耳にしているに相違ない
赫々と覇威を四海にあまねくしても、その大坂、京都のつい鼻の先にいながら、この人物は、
呟いて、何十年間の道境三昧の廬を出て、京都紫竹村の鷹ヶ峰の陣屋で、初めて、大御所に謁したのであった
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「おやじ、永いこと世話になったが、奈良へ立とうと思う。弁当の支度をしてくれ」
「こういたそう。わしは奈良へ先に行っている。居所は、槍の宝蔵院で聞けばわかるよう
そして武蔵は奈良へ。――城太郎はまた京都へ。
「奈良の宝蔵院に行って訊けばわかるんだよ」
奈良といえば興福寺――興福寺といえばすぐ奈良が思い出されるのである。城太郎も、その有名な寺だけは知ってい
奈良といえば興福寺――興福寺といえばすぐ奈良が思い出されるので
城太郎は、いい気もちだった。居眠ッているまに奈良へ着いてしまう気でいる。時々、石へ乗せかけた轍がぐわらっと
「おらかい? おらは、奈良の宝蔵院まで行くのさ」
「わたくしには、何処という的もございませぬが、奈良にはこの頃多くの牢人衆が集まっていると聞き、実は、どうあっ
「奈良へはまだ遠うございますか」
があって、奈良へ参るというのだが、近ごろの奈良へ若い女子一人で行くのは、どうであろうか。わしは心もとなく思うが
「この女子は、多年捜している者があって、奈良へ参るというのだが、近ごろの奈良へ若い女子一人で行くのは
奈良といえばすぐさびた青丹の伽藍と、鹿の目が連想され、
なぜならば――関ヶ原の役の後は、奈良から高野山にかけて、どれほど、沢山な敗軍の牢人たちが隠れこんだ
ことに、奈良とか、高野山とかいう地帯は、武力の入り難い寺院が多いために
一かどの権式も生活力も持っているが、これが奈良の裏町あたりへゆくと、ほとんど、腰の刀の中身まで売りはたいたよう
そう聞かされてみると奈良へ行くのも、甚だ不気味なことになる。
奈良に、微かな手懸りでもあるならば、どんな危険をも厭うことでは
であろう、最前から、申しそびれていたが、これから奈良へ行かれるより、わしと共に、小柳生まで来てくれないか」
漫然と奈良へゆくより、お通はこの柳生家の方に一つの希望をつないだ
奈良の地へ来ては、なおさらのことであった。奈良の現状では、正倉院が何だか知らないものはほとんどだが、
この奈良の地へ来ては、なおさらのことであった。奈良の現状では
奈良の宿
でいた。つい近年、徳川家の手代大久保長安が、奈良奉行所を設けた一廓も近くであるし、中華の帰化人で林和靖の
自分は、観世なにがしと呼ぶ能楽師の後家であるが、この奈良には今、素姓の知れない牢人がたくさん住んでいて、風紀の悪い
―それと関ヶ原牢人のくずれが入り込んで来たため、この奈良の町でも、新任の奉行などでは取締りようもない有様だという
――ほかでもないが、この奈良の春日の下で、自分たちで今、興行をもくろんでいる。興行と
が、このごろ時折、往来を歩いていても、京都や奈良の女性がはっと美しく眼に――というよりは肉感にひびいて来る時
声といっしょに刎ね起きている。武蔵も、今朝は早く奈良を立つつもりと、階下の女主人へも告げてあるので、旅装い
後家は、武蔵に対してほのかに名残りを惜しみながら、この奈良へ来た時は、ぜひまた幾日でも泊ってもらいたいと繰返して
、五日前から泊っている宮本という男が、きょう奈良を離れるらしいから、途中で待ちうけるのだと申すではございませんか」
宗因饅頭の女房は、青眉のあとを顫かせて、今朝奈良を立つことは、生命をすてに立つようなものであるから、二
、宝蔵院のお坊さまばかりでなく、所々の辻口に、奈良の牢人衆がかたまって、きょうは宮本という男を捕まえて、宝蔵院へ
も、宝蔵院のほうでは、あなたが人をつかって、奈良の辻々に落首を書いて貼らせたと、ひどく怒っているそうです」
奈良の町はもう後ろだった。東大寺ともかけ離れている。月ヶ瀬街道は杉
用意して来た奈良晒布を一反も裂いて、坊主たちは、槍を拭いていた
した覚えはない。ただすこし手荒ではござったが、奈良の大掃除をしただけのことです」
「今帰った役人たちは、奈良奉行大久保長安の与力衆でな、まだ奉行も新任、あの衆も土地に
じゃ。イヤ、よろこんだのは、門下の坊主どもと、奈良の奉行所。それからこの野原の鴉じゃった。アハハハハ」
「――よい機、この機に一つ、奈良の町の大掃除をしてくれよう。こう考えて、胤舜に策を授け
奈良ばかりじゃないぜ
ではお前さん達も先へ出立するがよい。わしも奈良へ戻るとしよう」
関ヶ原の戦後、すぐ近い奈良の町は、あのとおり浮浪人に占領され、浮浪人の運びこんだ悪文化に
「いつか、奈良へ来る途中、いろいろ親切にしてくれたから」
「そうだそうだ、奈良の後家様のうちでもらったんだ。紅葉が染めてある。そして、
似ている。そっくりといってもよい。あの奈良の観世の後家から、城太郎がもらって来た狂女の仮面と。
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笠置山の中にあるが、笠置村とはいわない。神戸の庄柳生谷といっている。
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「宗矩は江戸、利厳は熊本、そのほか皆不在と、よくいったのか」
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が乱雑に建てこんでいた。つい近年、徳川家の手代大久保長安が、奈良奉行所を設けた一廓も近くであるし、中華の帰化人
「今帰った役人たちは、奈良奉行大久保長安の与力衆でな、まだ奉行も新任、あの衆も土地に馴れん
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そうそう、これは失礼をしておった。それがしは、もと蒲生殿の家人で、山添団八」