宮本武蔵 08 円明の巻 / 吉川英治

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地名一覧

岡崎城

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に、駕の外は暗く、そして松風の音だった。岡崎城の北郭から外郭の一帯は松が多い。さては、その辺をいま通って

関東

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ことばの様子では、御兄弟でもないようじゃの。関東のお方らしいが、旅の道を、どこまでお越しなされるのか」

と時勢は移り、――そしてその秀吉の亡い今は、関東大坂のふたつが、次の覇権を繞って、あしたも知れぬ風雲を孕ん

「関東者っ」

初めて解けた。――何かの間違い事だろう。わしは関東から来た者に相違ないが、決して、隠密などではない。夢想流の

北条安房の密命をうけて上方へ潜行す――と、関東の味方の者から疾く通牒のあったことだ。しかもここへ来る前、柳生

はぜひもござらぬ。大坂の御運がどうなるか。関東の勢威がどこまでゆくか。賢者でのうても、今は誰の目に

関東と大坂のあいだは、事実、それほど険悪なのである。そんなことにお

もっとも、その前に「関東の諜者」という疑惑の下に、九度山衆の手で殺められてしまえば

越前

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「てまえの師は、越前の人、川崎鑰之助と申し、上州白雲山に籠って、一機軸

いうもの。また、中国筋の者、遠いのでは、越前の浄教寺村からという客もある。

九度山

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「あの山伏は、おそらく九度山の一類だろう。兜巾や白衣を鎧甲に着かえれば、何の某と、

「九度山まで、引っ立てて歩くのも、途中がわずらわしい。馬の背に縛りつけて、蓆

「九度山の父から申しつかって、使いに参りました者にござりますが」

たか。申しおくれましたが、わたくしは、この麓の九度山に住居しておる隠士月叟の一子、大助めにござります」

ほどなく九度山の里だった。その里の民家からは少し離れて、小高い山の瀬に

母屋は、崖を負い、座しきから九度山の民家の屋根や学文路宿が低い彼方に見える。曲り縁の横は青々と

ちがいない。――案外、細川家よりの迎えよりも、九度山からのお迎えを、待っておろうも知れませぬぞ」

られる身ではなし――何で名だたる牢人衆などを、九度山へ迎え取りましょうぞ。もっとも、先でも来もいたしますまいが」

君より、年々莫大なお手当もひそかに貢がれ、この九度山を中心に、其許が手ひとつ挙げれば、五千六千の牢人は

紀州の領主浅野長晟は、そのために徳川家から特に九度山の監視をいいつけられているとも聞えている。相手が大物だし、つかみ

今思い合せると、この晩春ごろ、高野を下り九度山へ立寄って去った長岡佐渡の主従は、その八月の営みの準備のため

九度山の幸村、漂泊の豪士後藤基次、徳川家に取って、神経にさわる人間は

それと、さし当って、生命さえ案じられるのは、九度山へ引っ立てられて行った夢想権之助の身の上であるが、これは伊織の口から

月叟伝心――九度山の幸村は、あの時、権之助を一見すると、遉にすぐ、権之助の人となり

、愈※、小倉へ向って立つということを、きのう九度山で聞いた。

四国

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には、分るまいが、船をたくさん持って、中国、四国、九州のお大名方の御用をしたり、荷物を積んで、港々に寄っ

藩の上下に行われ、九州一円を風靡し、遠くは四国中国からも、風を慕って、城下に来て一年も二年も遊学

但馬

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(叔父の但馬も及ばず、祖父のわれにも優れたるやつ)

沢庵も、江戸を去り、近頃は、但馬の郷里ではないかという噂。

江戸城

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宝蔵院様でいらっしゃいますか。折悪く、兵庫さまには、江戸城へさし上す何やらのお目録とかを認め中で、失礼ながらお目に

「怪しげなる男、童子一名つれて、江戸城の軍学家北条安房の密命をうけて上方へ潜行す――と、関東の

丹沢

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相模川の果てまで行くと、厚木の宿から、大山、丹沢などの山々が面に迫って来る。

天野村

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「――今朝立つ時誘ってくれるというで、天野村の口で待っていたに、何で黙って行っちまうだ」

加茂

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として佇んでいる間に、京の町々の屋根、加茂の水は、霧の底から薄っすらと暁けかけて来た。

佐渡

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佐渡は、通されて、閑雅な一室に坐り、供の縫殿介は、縁の

佐渡がいえば、

だが今、不用意のうちに、幸村へいった佐渡のことばは、必ずしも、不用意な言とはいえない。

佐渡の登山は、もとより主命なのである。故人の細川幽斎公は、太閤在世

巌流が佐渡に或る感じを持ち、佐渡が巌流に好意をもっていないことも明白な

と、佐渡へいい、他の家中の者をも誘って、あわただしげに、船の方

佐渡から、望まれると、

が、これは伊織の口から、長岡佐渡に洩らせば、佐渡の交渉ひとつで、何とか救いの道はつこうというもの。

巌流や佐渡とは、よしや顔見あわせても知らずに過ぎようとも、どうして伊織と

長岡佐渡のやしきへ落ち着いたことだろう。誰か後で、佐渡のやしきの様子を、ちょっと探って来てはどうか」

へ武蔵を迎えて飲んだという六名の仲間も、佐渡にいわれて探し歩いていた。

佐渡のそうした旨を受けた縫殿介と伊織は、御家老の名を以

佐渡は落着いて、

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「まあ、可哀そうな子。おっ母さん、堺まで連れて行ってやりましょうよ。もしかしたら、ちょうど年頃だし、お店

「堺って、この辺」

「堺の廻船問屋さ」

廻船問屋の店は、堺の唐人町の海岸にあって、三戸前の蔵と、何十艘の持船

また店は、堺のみでなく、長門の赤間ヶ関にもあるし、讃岐の丸亀にも、山陽の

主人の小林太郎左衛門は堺の店にはいなかったが、その従兄弟とかいう南蛮屋の某――

佐兵衛の顔。たくさんな見送人の顔。堺の町の顔――

ちょうどその頃。お通は、堺の港から赤間ヶ関へゆく便船に乗って、その船が、飾磨へ寄港した

「船の出る前、堺の小林へ使いをやり、朔日立ちと、確かめても来たのだから」

こよい寄る堺の太郎左衛門船。待ちかねていた武蔵の乗っている便船。それらしいのが

名古屋

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いる尾張の徳川義直公の聘に応じて、ともあれ一度、名古屋まで行くつもりである。

「多分、名古屋に住むことになるだろう」

「名古屋。尾張の名古屋か。おっ母が生きているうちは、そんな遠くへは行け

「名古屋。尾張の名古屋か。おっ母が生きているうちは、そんな遠くへは行けない」

また。名古屋の辻で、売卜をしていた男を、不審と見て、これも

この辺の藩士とすれば、岡崎の本多家、名古屋の徳川家であるが、そういう方面から、危害を向けられる理由が考えられ

千石

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もなく、われら重臣どもの協議で、六名に対し千石を給したいと存ずるがいかがであろうか」

宇治

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いる侍たちは、奈良から追われた牢人ばっかしだよ。宇治からも奈良からも、お奉行に趁われて、住むとこがなくなったから、

「せめて宇治あたりまで、牛の背で送って進ぜよう。ちょうど、ゆうべは丑之助も、御城内

て、中門から大手のゆるい坂を降り始めた。もちろん、宇治までは、一名の小侍が、口輪を把って駒に従いて行く。

在る。厩から一頭曳き出して、それへ乗ると、宇治のほうへまっしぐらに駈けていた。

河内

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、ついでといっては勿体ないが、紀州の高野山か、河内の女人高野という金剛寺か、いずれかへ行って、位牌を預け、かたみ

と、夜具の中に、横たえている身も熱くなり、河内の峰々や、金剛寺の草木が、夜半を吠えたけぶも、何やら、

「いつか河内の金剛寺でお目にかかった……」

塩尻峠

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朶の白雲が、瞼を流れた。――そしてそこに塩尻峠の山や、高野の草が見えた。――武蔵は戦ぐ風をふんで

岡崎

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岡崎の魚屋横ちょう。

露地を出ると、宵の岡崎は、夕凪のむし暑いほとぼりが冷め切れないうちにも、夏の夜の灯が

「その間、おぬしも、岡崎にいてくれるか」

「岡崎在の、八帖寺へ行って、訊いてごらんなされ。そこへはよく

教えられて、ではそこへと、武蔵と又八は、岡崎へ来たが、愚堂和尚はやはりいなかった。けれど、一昨年ぶらりとお

いる言葉が思い出された。――しかし武蔵には、この岡崎に、自分を敵視する者があることさえ不思議だった。何者なのか、

この辺の藩士とすれば、岡崎の本多家、名古屋の徳川家であるが、そういう方面から、危害を向け

亘志摩は、岡崎の本多家の内でも、重臣の列にあることは、分っていた

と知られ、また、事件を醸したからには、もう岡崎にも長居はならない。こよいのうちにも立退くのが賢明だが――

独り案じながら、松風の闇を、歩いて来ると、岡崎の町の灯が、街道の突当りに、ちらと見え出して来た頃、

日ごとに慕い歩いて行った。――その夜そのまま、岡崎に残して来た裏町の一庵も、そこの机も、一節切の竹

武蔵はまたも、取り残された。岡崎の場合とちがって、ここに至ると、彼も憤然とした。

武蔵、又八などが、岡崎を去って、立つ秋と共に、京都のほうへ移っていた頃、

九州

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、分るまいが、船をたくさん持って、中国、四国、九州のお大名方の御用をしたり、荷物を積んで、港々に寄ったりする

着任してみると、そういう期待は、果然、中国、九州の民間にも、各藩の剣人たちのうちにも持たれていたのが

通り、主家新免家は滅亡。われらも牢人して、九州落ち。……この豊前へ来て、一時は、馬の草鞋など作って、

。関ヶ原の戦に敗れた新免家の侍たちは、あらかた九州へ落ちて来た。

淀川

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「そうです。間に合えば、夜船ででも、淀川から帰りたいと思いますが」

姫路藩

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姫路藩の青木丹左衛門の子息城太郎は、すぐ使いを走らせて、讃甘の本位田

宴をもうけて、また、彼の人間をも見ようとする姫路藩の人々が、二十余名も、駕籠までもって、迎えに出ていた

は、宮本武蔵と申さるるお人が乗り合せておるはず。姫路藩の家中の者でござるが、一夜はお泊りと存じ、他の者も大勢

上野城

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に与え、その藤堂藩は、昨年、入部してから、上野城を改築し、年貢の改租やら治水やら国境の充実やら、目ざましく新政を布いて

三十三間堂

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無可と変名している牢人は、京都の蓮台寺野、三十三間堂、一乗寺村などで、相次いで吉岡一族の者を葬り、遂に、吉岡家

大徳寺

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、何で懸けておくのだろうか。――ほかになんぞ大徳寺物の墨跡でも懸けておいたらよかりそうなものなのに。

鎌倉

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ある。そして藤沢の遊行寺に、数日足を留め、鎌倉へまわって来た所、そこの禅寺で、はからずも自分以上に苦しみもがいて

又八は、江戸を追われてから、鎌倉へ来ていた。鎌倉には、寺が多いと聞いていたからで

、江戸を追われてから、鎌倉へ来ていた。鎌倉には、寺が多いと聞いていたからである。

するほかはないと――実は山を下りて、この鎌倉へ、そのお人の消息をさぐりに来た次第だが」

願いしてみよう。――と武蔵も誓って、ともども、鎌倉の禅門をさがし歩いてみたところ、誰も知っている者がない。

府中

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当日、府中火気厳禁の事。

「府中の寺院、町道場など、武芸者の立ち寄りそうな箇所へは、安積様、内海様

上田城

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、これとて綺羅な調度は何一つないが、さすがに上田城三万八千石の城主真田昌幸が次男の果て――そこはかとなく燻じる香木の

江戸

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が住んでいる。しかも兵庫は、彼女がすきだった。江戸の日ヶ窪から柳生までの間の長い旅路に――また、祖父の石舟斎

江戸表から帰国する。その折を待って叔父と共に江戸へ下るか――それとも、直ぐにも一人で立つ考えか。

消息によれば、武蔵は近く幕府に仕え、一戸を江戸に構えることになろうとある。

去年の十月末に出した江戸の便りが、年を越えて今頃やっと着くほど、道中の駅逓も、宿々の

「今し方、江戸へ立った」

「え。江戸へ。……じゃあ、きのう頼んでおいたこと、兵庫様にも木村様に

「――とも知らずに、江戸の空へ、あのように欣んで立って行ったお通へ、聞かしとうも

そして遥々――江戸からこの大和路まで来た権之助と伊織を、労りの眼でながめて、

お通は、およそ二十日ばかり前、武蔵を訪ねて、江戸へ立った。――悪い時にはぜひもないもので、今、権之助に

―悪い時にはぜひもないもので、今、権之助に江戸の消息を聞けば、武蔵その者もまた、権之助の立つ前に、すでに江戸

ば、武蔵その者もまた、権之助の立つ前に、すでに江戸を去ってしまい、知己身辺の者にすらその行方は知れていないという

だ。――権之助が兵庫から訊ねられて、いつまでも江戸の話をしているので――伊織は辺りの草の花など眼に

それから、江戸の街々の変りようだとか、小野治郎右衛門が失踪のうわさだとか。

この大和の山里では、たまたま江戸から来た者とあれば、その者の一語一語が、すべて耳新しい社会

「おらは一度、江戸の柳生様のお邸へ使いに行って、夜半に途に迷ってた時

「江戸におりますか今は」

にはしゃいで、問わず語りに彼が喋舌るには――江戸から大和まで来る間、川の渡船に幾たびも乗ったが、海の船

中国だし、また、武蔵の名声も自分の名も、江戸にあって考えるのとは想像以上に、郷土や西国一帯には話題となっ

播州牢人、係累もなく少しばかり学問をこころざして、京都や江戸に学んだから、この土地で行く末は、良い塾でも持って落着きたいと

、夜歩きに出た旅人の浴衣の群れなど――さすがに江戸のような新開地的なあわただしさと違って、落着いた中に城下町風情が

を捨てて、こうなるまでには、――そこに、江戸の地を離れてから以後の話も残ってはいるが。

の屏風に、武蔵野之図を一掃に描き残したまま、江戸の地を去った武蔵は、あれからどう道どりを取って来たか。

又八は、江戸を追われてから、鎌倉へ来ていた。鎌倉には、寺が多い

否かを、武蔵も初めは疑ったが、又八が、江戸へ出てから会った憂き目の数々を聞くと。――そうか、それほど

苦しめたものだった。一頃は、鬼のように追い廻し、江戸では一つ家においたこともあるが、決しておれに心はゆるさない

武蔵野から、伊織を捨て、権之助にわかれ、また、江戸の知己すべてと袂別して、風のように去ったのも、薄々、この前駆

お杉ばばは、昨年、その小次郎が江戸から小倉へおもむく際、途中まで行を共にして、家事整理と法会の

沢庵も、江戸を去り、近頃は、但馬の郷里ではないかという噂。

へ来たことから察しると、春、柳生を立ち、江戸へ行った頃には、もう武蔵も沢庵もいなかった後で、わずかに

で、歳月をかぞえた。二歳としたら? ああ江戸の時分になる。

大仙寺

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そこの大仙寺には七日もいた。彦根の禅寺にも幾日か泊った。

下関

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「縫殿介さん。下関の廻船問屋、小林太郎左衛門の家を訊ねてみましたか」

ほどなく下関へあがる。

下関の廻船問屋、小林太郎左衛門の店はよく知っている。店の者に訊ねて

吉野

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吉野の桜も褪せたろう。道の辺の薊も咲きほうけて、歩くには少し汗ばむほど

小倉城

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細川忠興、忠利と、もう小倉城も二代にわたる国主の府となっていた。

て、そこから見える――夜空にも白く仰がれる――小倉城へ向って、頭を下げた。

兵庫

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に、また、橋廊下を越えたりして、そこから遠い兵庫の部屋へ訪ねてゆく。――兵庫は縁に腰かけていたが、

て、そこから遠い兵庫の部屋へ訪ねてゆく。――兵庫は縁に腰かけていたが、

「兵庫どのが、お見えにならぬが、胤舜が参ったこと、お伝えくだされた

である。それも、忌日や法事などでなく、どうも兵庫をつかまえて、兵法を談じたいのが目的らしいのだ。そしてあわよくば、故人石舟斎

それを悟ったか、兵庫は、彼の訪れにもここ二、三回、

きょうも胤舜は、なかなか帰る気ぶりもなく、やがて兵庫が、席に見えるのを、何となく期待しているらしい。

兵庫の耳へ入れたいというのはこうだ。この柳生ノ庄から一里ほど

客が帰ると、助九郎は、さっそく兵庫の部屋へ出向いた。兵庫は聞いたが、一笑に附して、

が帰ると、助九郎は、さっそく兵庫の部屋へ出向いた。兵庫は聞いたが、一笑に附して、

がついたきっかけも、江戸表から一通の飛脚状が兵庫の手に届いて、兵庫がそれをお通に見せようと姿を探し出したことから

表から一通の飛脚状が兵庫の手に届いて、兵庫がそれをお通に見せようと姿を探し出したことからであった。

兵庫の問いに、

少し間を措くと、兵庫は大きな息をしていう。

の胸には、武蔵という者が住んでいる。しかも兵庫は、彼女がすきだった。江戸の日ヶ窪から柳生までの間の長い

まで枕辺について世話してくれた間にも――兵庫はお通の性質を見とどけていた。

だが、兵庫は、他人の幸福を密に奪おうなどという野心は抱けなかった。彼の

はないが、お通が選んだ男性というだけでも、兵庫は、武蔵の人物を、想像できる気がした。――そして何日かは

と、兵庫が、わが事のように、その手紙を持って彼女の部屋へ訪れたところ

兵庫も、また、

こう兵庫が、念を押すと、

と、お通は辞退したが、兵庫も強いてすすめるので、

と、声には出さなかったが、兵庫の眼はいっていた。坂の途中で散った梅のにおいが、その

梅のにおいが、その辺りまで微かにうごいて来た。兵庫はたまらない寂しさと――同時にその苦しい気持とは反対な彼女の幸

彼女のすがたは、城下の道へ小さくなって行った。兵庫はいつまでも立っていたので、彼のみをそこに置いて、辺り

兵庫は初めて、寂しさを顔から払った。お通を失った瞬間の空虚を、

兵庫も、何がなし、ひしと胸にこたえ、率然と、いった。

しさに、ただ胸が膨らんで口もきけなかった。兵庫はもう先に立っている。丑之助はちょこちょこ追いかけた。

兵庫の声までが、ここにはいると違うような気がした。正面脇の

兵庫も取る。

の羽目板でも蹴ったような響きを発し、どんと、兵庫の肩を跳び越えた。

兵庫は、身を沈めながら、左の手で、その足を軽く掬った。―

業と自己の力で、竹とんぼみたいに旋ったまま、兵庫の後ろへもんどりを打った。

兵庫が、此方からいうと、丑之助は振向いて、

木剣を振りかぶって、今度は鷲の子のような勢いで兵庫へ対って来たが、兵庫が、ひたッと木剣の先を向けると、

くやし涙を眼に溜めているのである。兵庫はじっとその様子をながめ、心のうちで、

「不埒な奴だ。この兵庫の肩を躍り越えたな」

丑之助は、兵庫の顔を、しばらく見つめていたが、観念の体をあらわして、

と、兵庫へつく手を、荒木村の方へついて、さて、静かに、斬られる

兵庫は信じない。

兵庫が、膝を打って感じ入っていた時である。道場の外から木村

読み終ると、兵庫は何か、気の急く面もちで、急にいった。

兵庫の身はもう外に在る。厩から一頭曳き出して、それへ乗ると

兵庫は、駒を止めた。柳生城から小一里も来てからであった。

と兵庫は潔く顔を横にふることはできなかったに違いない。

さあれ兵庫の胸は、彼女の多幸を祈る気もちでいっぱいなのだ。武士にも未練

兵庫は編笠をかぶり、助九郎は法師頭巾に似た物を顔に巻いている。

お供は荒木村の丑之助。――近ごろ丑之助は、兵庫に愛されて、前よりも屡※城へ見えるが、きょうは二人の供

二人の供について、背に弁当の包みを負い、兵庫の換え草履一そく腰に挟んで、なりの小さい草履取――という

兵庫がいったので、助九郎はおかしくなって笑い出した。

何かにつけ、兵庫は彼の機敏なことに感心したが――また、その気の利くこと

兵庫は、青空を喰うように、野天の弁当を楽しんだ。

兵庫も、側から注意した。

人の輪に紛れて、彼方の野試合を眺めながら、兵庫は、

と、兵庫はいった。

同時に、丑之助もまた、兵庫や助九郎に悟られぬように、そこから駈け出して、興福寺の塔の

ふと、兵庫はつぶやく。

所へ行って大声で泣きたいのだ。――権之助が兵庫から訊ねられて、いつまでも江戸の話をしているので――伊織

――が、思わずも時を過ごしたので、兵庫も助九郎も、陽脚に気がつき、

兵庫は、彼の頭を、ぐいと抑した。伸び過ぎる麦の育ちを踏ん

天野山

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サズ」は、法城の掟みたいになっているが、この天野山金剛寺では、坊舎で酒を醸酒っている。

武蔵野

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「おじさん。この前会ったのは、武蔵野の原でしたっけね」

武蔵野の西郊を相模川の果てまで行くと、厚木の宿から、大山、丹沢など

武蔵野から、伊織を捨て、権之助にわかれ、また、江戸の知己すべてと袂別して、

大坂城

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秀頼公のその御書は、太閤さまの御影と思えとて、大坂城のあるお方より、わざわざ下された物とて、粗末にもならず、懸

佐渡は怪訝ったが、まったく大坂城からの貢ぎがないとすれば、落魄れた大名の末路はこうもあろうか

興福寺

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皆、やがて町中のひろい野原に流れこんだ。野のそばに興福寺の伽藍があり森が囲み、塔が聳えてみえる。

「興福寺の塔の下まで来い。助太刀など連れずに来い」

や助九郎に悟られぬように、そこから駈け出して、興福寺の塔の下まで行った。

興福寺の門前から、右と左に別れかけたが、権之助はふと戻って、

「きのう柳生兵庫様達と、興福寺の前で別れた時から、間もなく、後になったり先になったり

志摩

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と、志摩は口重く、

と、志摩へ挨拶しかけると、いやいやまだお早い、帰りは誰か、町の口まで

東大寺

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東大寺前と、猿沢の池の畔に、高札を立ててある通り、道に志す

高野山

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を幸いに、ついでといっては勿体ないが、紀州の高野山か、河内の女人高野という金剛寺か、いずれかへ行って、位牌を

貧賤では心もとない気もするが、ここが駄目だったらともかく高野山へ預けに行こう。

門前町

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門前町の何屋かの内儀さんである。親切に先へ立って、

姫路城

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丹左が子ではない。父の丹左も、ようやく元の姫路城へ、帰参かなって、この春からは、以前のとおり池田家の藩士

奈良

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奈良の宝蔵院と柳生ノ庄の柳生家とは、地理的な関係からも、遠く

は、奈良から追われた牢人ばっかしだよ。宇治からも奈良からも、お奉行に趁われて、住むとこがなくなったから、山ン

「月ヶ瀬にいる侍たちは、奈良から追われた牢人ばっかしだよ。宇治からも奈良からも、お奉行に

奈良奉行として、徳川家の大久保長安が着任してから、関ヶ原の乱後

「奈良から追われた牢人だよ。この先へ行くと、山住居してたくさんいる

瞬く間に、柳生ノ庄に近く――いや柳生よりも奈良に近い街道まで、息もつかずに来てしまった。

「はい。般若野から、奈良まで見て来るといって出られましたが」

「されば、今日あたりは、奈良にも稀れな日和ですから」

彼方の高畠には、坊舎や神官の住居がみえ、奈良の町屋は、その先の低地に昼間も霞んでいた。

旅が好きなのと、自分もこの寺に参ると、奈良、鎌倉以後の、画やら仏像やら漆器やら、いろいろ名匠の作品を見せて

先頃、知らせを受けていた怪しげな関東者を、奈良で見つけ、やっと紀見の上で、生擒ったのでござる。人なみ優れ

京都

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女を、どこかで見た覚えがあるぜ。多分、京都だと思うが」

「京都にはちがいあるまい。見るからに山里の女とはちがう」

その驚きのうちには、京都でも然るべき家がらの母堂といわれる妙秀尼やまた、本阿弥光悦と

家家中の一行は、先月、陸路を小倉から立って、京都に入り、三条車町の旧藩邸に逗留して、そこで病歿され

主従は、その八月の営みの準備のため、あれから京都へ廻って、その経歴と顔の古い関係からも、一切の奉行を勤め

は、播州牢人、係累もなく少しばかり学問をこころざして、京都や江戸に学んだから、この土地で行く末は、良い塾でも持って

向う見ずに道を求めてさまよっていた時代――京都の妙心寺の禅室へ足しげく通っていたことがあって――その頃

三宅軍兵衛の直弟子のうちに、以前、京都の吉岡家にいた者があり、また、本多家の子弟のうちに

、御城下で、無可と変名している牢人は、京都の蓮台寺野、三十三間堂、一乗寺村などで、相次いで吉岡一族の者を

その京都へはいつ着くことやら、禅師の旅は気まかせだった。雨に降りこめ

京都はもうそこだ。妙心寺の禅洞ふかくかくれてしまわれたら、再びまた、

又八などが、岡崎を去って、立つ秋と共に、京都のほうへ移っていた頃、伊織は長岡佐渡に伴われて、海路

やるのか。とんと分ってはいない。――しかし、京都の近くにいるものなら、豊前の小倉へ下るには、きっと姫路の城下

「――では城太さん。京都の花園妙心寺へゆけば、確かなことが、知れましょうね」

の旧知を始め、妙心寺の愚堂門下にずっといる本位田又八。京都三条車町の細川邸の侍たち二、三名。

それから、半年ほどの京都滞在中に、何かと知り合いになった者や、彼が拒んでも

そうした病の経歴がなくはない。数年前、京都の烏丸光広の館にいた頃も、幾月かを病に臥したこと

と、自分の責任のように答えたのは、京都の藩邸にいて、武蔵が船便で朔日に立つと聞くと共に早馬

知らず、この巌流の眼から見れば、彼がかつて、京都で虚名を売った――吉岡一門との試合、わけて、十二、三歳

大津

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大津の町。

岡山

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「船では行かれまい。なぜならば姫路でも岡山でも、山陽の各藩では武蔵様が通過の節はぜひ一泊を

松山

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子を負った旅の夫婦者は、城下端れの松山をさして、足を早めかけた。

城下の外へ急いだ。小倉と門司ヶ関のあいだの松山へ、喘ぎ喘ぎ、登って行った。

上野

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ほど東――梅の樹の多い月ヶ瀬の辺りは、伊賀上野城の領地と、柳生家の領と、ちょうど境になっているが、

に与え、その藤堂藩は、昨年、入部してから、上野城を改築し、年貢の改租やら治水やら国境の充実やら、目ざましく新政を

伊賀上野城は従来、筒井入道定次の所領であったものを、家康が没取し

「荒木村からは、柳生へ出るよりも、上野の御城下へ出たほうが、何をするにも、近いんでしょ」

「けれど、上野には、柳生様みたいな剣法のお屋敷がないものなあ」

大久保

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奈良奉行として、徳川家の大久保長安が着任してから、関ヶ原の乱後まだ仕官もせず職にもつか