三国志 02 桃園の巻 / 吉川英治
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その頃、并州の丁原、河内の太守王匡、東郡の喬瑁などと諸将がおくればせに
并州の刺史丁原である。
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するとやがて、河北の野に芽ぐみだした春とともに、
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その頃、并州の丁原、河内の太守王匡、東郡の喬瑁などと諸将がおくればせに先の詔書に依っ
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「これは呉郡富春(浙江省・富陽市)の産で、孫堅、字は文台という者です。古の
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と、朱雋の軍六万は、宛城(湖北省・荊門県附近)へ迫って行った。そこには、黄巾の残党、孫
を騒がした張挙、張純の謀叛。長沙、江夏(湖北省・麻城県附近)あたりの兵匪の乱などが最も大きなものだった。
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永遠の闇黒であろうといった。支那大陸は、ついに、胡北の武民に征服され終るであろうと嘆いた。
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だ、孔子、今から七百年前に、魯の国(山東省)に生れて、世の乱れを正し、今に至るまで、こうして人
青州大興山の附近一帯(山東省済南の東)に跳梁している黄巾賊五万以上といわれる勢力に対して
軍馬のやすむいとまもなく、青州の城下(山東省済南の東・黄河口)から早馬が来て、
に任ぜられ、今では勅令をうけて、遠く広宗(山東省)の野に戦っていると聞きます。――しかしそこの賊徒は、黄
通った武騎校尉曹操も、功によって、済南(山東省・黄河南岸)の相に封じられたとのことであった。
も捨ておかれず、詔を下して、彼を平原県(山東省・平原)の令に封じた。
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て、屯の中から馳けてきた。李は、黄河で茶を交易した若者は、この男ではないかと、劉の顔
恩人! 思い出しました。あなたは数年前、私が黄河から※県のほうへ帰ってくる途中、黄匪に囲まれてすでに危うかった
この通りだった。おそらく百年、千年の後も、黄河の水は、この通りにあるだろう。