梅颸の杖 / 吉川英治
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前日から大坂の後藤松蔭の宅に泊って、明る朝、摂津の御影まで迎えに出た。
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にも屡※誘われ、四条や糺の夕涼み、或は、宇治の集りと、彼女を飽かせまいとする行楽と行事は果しがなかった。
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には、誰が京都へ来た会とか、誰が江戸へ帰る送別とか、個人個人の催しやら、よろこび事にも折あるたびに
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そして夏には、淀の網打ちにも屡※誘われ、四条や糺の夕涼み、或は、宇治の集りと、彼女を飽かせまいとする行楽と
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芸州の城下には、よく九州や広島へ旅する文人や画家が足をとめて、その土地が、山陽の
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の中の山陽は、たえず梅※のきげんをとって河内の風光を指したり、乗合い客の子供に寄せて孫の話をしたり、
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の黄葉落陽村舎に立ちよって、十四日には便船で兵庫にあがるという叔父の春風からの通知をうけたので、山陽は、前日
そこへ、兵庫の浜から梅※の駕が着いた。
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老母が、やっと来る気になって、三月三日に広島を立ち、途中、菅茶山の黄葉落陽村舎に立ちよって、十四日に
してから今日にいたるまで、殆ど四十余年、いまだに広島の屋敷では、孫の余一の嫁が納らなかったり、家事に苦労
折あるたびに招かれて、六月半には、もう広島へ帰る帰ると云い暮していたが、盆をすぎ、十五夜もこえ
『わしもそろそろ広島へ帰ろうと思う。夢のように、半年を過しました』
『京都の冬は底冷えがいたしますから、冬はやはり広島の屋敷でお暮しがよいと存じます。然し、永い御滞留で、後
『殆ど二十何年ぶり。広島の屋敷におりました頃は、稀には、お伽もいたしましたが
『いえのう……初めて言うが、この老母こそ、広島を立つ時から、そなたを叱るつもりで上洛ったのじゃ。きっと叱ろうぞ
芸州の城下には、よく九州や広島へ旅する文人や画家が足をとめて、その土地が、山陽の郷里
居れば居るほど別れがたい京都を立って、思いきるように、広島へ帰った。
梅※を広島へ送ってから、年が暮れ、それから間もない正月の事なの
、ことによると、ずうと以前に、わしの母が広島から便船で参る途中、あとを尾けて来たのも、お前ではない
、だんだんに躍気となった。そのうちに、梅※は広島へ行ってしまった。
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この前――三年程まえに初めて母の梅※を京都に迎えて、自分の生活の安定を見せ、かたがた洛中洛外を見物させ
淀を上って、船で、京都まで来る間に、山陽は初めて、こんどの母の上京が、老後の有閑
その顔いろを和らげるために、京都へ着くまでの間、船の中の山陽は、たえず梅※のきげん
その間には、誰が京都へ来た会とか、誰が江戸へ帰る送別とか、個人個人の
『京都の冬は底冷えがいたしますから、冬はやはり広島の屋敷でお暮しが
もあり、ふたりの子供までありながら、いまだに、岐阜と京都のあいだで絶えず文通し、折には、あの女詩人を気どる老嬢が
図な心配も無理ではない。彼女は寝ずに、京都のわが子を案じつづけた。
十月の半、梅※は、居れば居るほど別れがたい京都を立って、思いきるように、広島へ帰った。
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な妻女もあり、ふたりの子供までありながら、いまだに、岐阜と京都のあいだで絶えず文通し、折には、あの女詩人を気どる