日本名婦伝 静御前 / 吉川英治
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堀川べりの六条室町の館へ、どっと襲せて、いきなり火を放けた軍勢がある。義経
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何事か、確証をつかんだものらしく、雪ふる中を、吉野の峰へ馳け上って、何の前触れもせず、南院藤室の僧房を
に呟いた。静は、花の散るのを見ると、吉野の雪の日が思い出されてならなかった。――別れた人のうしろ姿に
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義経、不徳のため、鎌倉どのの譴責をこうむり、今日、鎮西に落ちて参りまする。思えば、きょうまでの御鴻恩は海のごとく、微
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、平家追討の折には、河内より兵を引っ提げられ、摂津では、軍船や粮米を奉行せられ、勲功もあるお人」
――が、摂津、兵庫あたりには、早くも頼朝の軍令がまわっていた。諸国の地頭
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病躯を押して下ったが、腰越にて阻められ、遂に、鎌倉へ入るも許させ給わず、空しく京へ立ち戻って来たが……骨肉の
た景季は、即日、六条油小路の旅舎を引払って、鎌倉へ急ぎ帰って行ったという。
召使にも、無言の真心で示して来た。よしや鎌倉にある良人の兄君からは、まだ一片の便りにも「弟の妻
鎌倉に帰った梶原景季は、頼朝へ、こう復命した。
「京へ、鎌倉の兵を入れるな。尾張美濃の境、墨股河へ馳せ下って、義経に、
の動揺は、もう制しきれないものになっていた。鎌倉の大軍が上ると聞えて来たのである。義経も必ず反撃するものと
「そのお心が、どうして、鎌倉へは通じないものでしょうか。わたくしが兄君様から、弟の妻と、
、許されているものならば、身を捨てても、鎌倉へ下って、あなた様のお胸のほどを、お訴えいたしましょうものを…
「義経、不徳のため、鎌倉どのの譴責をこうむり、今日、鎮西に落ちて参りまする。思えば、きょうまで
たと、四天王寺の僧は、後で、取調べをうけた鎌倉の武士へ語った。
馬の鞍に縛りつけて、すぐ鎌倉へ追い下せとあった。静は、武者の手に引っ立てられる母へ、自分
捕われて、鎌倉へ送られて来たその当座にも、早速のように、舞を見せろと
。笠と杖とが手にあった。老母と共に鎌倉を立つ日であった。
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「しかも、平家追討の折には、河内より兵を引っ提げられ、摂津では、軍船や粮米を奉行せられ、勲功も
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「京都守護の任にある義経を討たんとすれば、京都は当然兵火につつまれ、
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(十津川の筋へ逃げた)
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かくて味方とも散々にわかれて後、義経の足跡は、四天王寺までは見た者もあるが、そこを立退いた先は、まったく踪跡を晦まし
禅師と、わずか四人を連れたきりであったと、四天王寺の僧は、後で、取調べをうけた鎌倉の武士へ語った。
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、義経の望みは、法皇の御聴許となった。一先ず九州の地頭として、都を去ることになったのである。
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「流人として、伊豆の配所においで遊ばした頃のことを考えてごらんなされませ。私は
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中では、義経が、戦時同様な威力をもって、京都守護の任にあることは、何かにつけ都合が悪かった。殊に、
部下の藍沢次郎、真門太郎など八十余騎をひいて、京都へ馳せ上った。
「京都守護の任にある義経を討たんとすれば、京都は当然兵火につつまれ、ひいては天下の大乱となろう。よろしく彼に先んじて
「京都守護の任にある義経を討たんとすれば、京都は当然兵火につつま
、御所を守れ、また市中を警備せよ。義経は、京都守護の任にある者、私邸の火や、土佐房ごとき小勢の襲撃は、
と誌しているほどであるから、京都の市民が、かつての平家が都落ちの時のように、また、木曾義仲
とか、その他、紀州だ、いや、京都の中に潜伏しているのと、彼の足跡を繞って、神出鬼没
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和田、三浦、千葉、佐々木など、誰もその討手は辞退した。土佐房昌俊に命が下っ
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彼は奈良に潜んでいる――という噂があるかと思うと、
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は、真っ暗に吠えすさんでいる。常でも浪の激しい由比ヶ浜に、こよいは風がある。