宮本武蔵 06 空の巻 / 吉川英治
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は、五口ともありませんでしたな。また、伊予国の大三島神社の刀蔵は有名なもので、何百年来の所蔵が三千口
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この高原の嶺を境にして、道は甲州、中山道、北国街道の三方にわかれているし、水はみな北へ駛
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な金銀が仕送りされているかくらいなことは――関東の家康でも調べ上げているところであろう。
上方から関東といえば、関東の者が、みちのくを思うより遠かった。
上方から関東といえば、関東の者が、みちのくを思うより遠かった。
上方でも流行っている「ちょうちん」と呼ぶ物が、もう関東にも来ているとみえ、それを持った男だの、棒切れを持った
は、治承の昔、源頼朝が、伊豆から渡って、関東の兵をあつめたのもこの河原。――また、南朝の御世の頃
謀叛人などと伝えられているのは、甚だしいまちがいだ。関東が開けたのは、将門公のお力もあるのに――といって
気の暴さは、お稚児や菰の口を借りて、関東の勃興文化がいうのである。新将軍の威勢や江戸の土がいうの
「侍なんぞに、驚くような骨の細い博労は、関東にゃいねえってことを、誰か、よく聞かして来いよ」
「関東の博労なかまで、秩父の熊五郎といやあ、泣く子もだまる暴れ者だが」
ここは鎌倉時代から、衝要な関東の往来なので、道は拓けているが、鬱蒼とした樹木が左右
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に捨て扶持をやっていることは天下の周知である。九度山に引籠っている真田幸村へ、年ごとに、大坂城からどれほどな金銀が
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新将軍の秀忠が江戸城に坐ってから、いわゆる御新開の膝下へは、急激に上方の文化が移動
ている奥州街道の田圃道が開けているので、もっと、江戸城の周囲に寄れば、太田道灌以後、天正の御入国以来のまとまった大名小路や
ばかりが、山をなしていた。考えてみると、江戸城も旺に修築しているし、市街にもどんどん家屋が建って行くので
を歩き、その町を貫いている街道を横ぎって、やがて江戸城の下まで行った。
江戸城の改築をしているので、石工、左官、大工の手伝いなどならその日
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さもさも懐かしそうな女のことばだった。それは、伊吹山のよもぎ造り――後には娘の朱実を囮に、京都で遊び茶屋を
「伊吹山のふもとを思い出しますなあ」
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そういって、一夜の友は、すたすたと和田峠の方へ一足先に行ってしまった。何となく心ひかれる姿だっ
辺で一宿の軒端を借りて朝を待つより、これから和田峠を越えて、先へ行ったという奈良井の大蔵と城太郎に追いつこう」
夜明けまでに、この和田峠から大門峠まで踏破してしまおうと思う。昼ならば、この辺りの高原は
か、そうこうする間に、美しい山の火事の中に、和田峠も大門峠も、白々と朝の姿を見せていた。
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に、山の手の崖に、山桜が白く見られる。近年、浅草寺の前に、桜の並木を移植した奇特家があって、まだ若木で
「ばば殿、きょうは一つ、浅草寺へお供しようと思うが、行く気はないか」
です。墓詣りといっても、故郷は遠国なので、浅草寺へでもお詣りして、何か一つ、今日は善いことをして
「浅草寺のそばの藪に、人間や馬を埋めた塚があるよ。お詣りする
、歩き出すと、菰の十郎とお稚児のふたりは、もう浅草寺の御堂の縁へ行って、先に腰かけている。
「……なんじゃ、これが江戸の衆がよくいう金龍山浅草寺かいな」
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たらしいな。遠くは、治承の昔、源頼朝が、伊豆から渡って、関東の兵をあつめたのもこの河原。――また、南朝
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して、三条の伊達屋敷におりましたのじゃ。あの一乗寺の斬合いがあった翌日、何気なくいつも参る烏丸光広卿をお館にたずねて
の衷情は身に過ぎて勿体ない。三十三間堂の果し合いといい一乗寺の血戦といい、武蔵にとっては、むしろ慚愧な傷心が多く、誇る気もち
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赤城の森はもう見えていた。北条新蔵の帰る家は、赤城明神の下
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「佐渡のお金山奉行も、御支配だそうで」
こよいも佐渡は此寺へ泊って、遠蛙の音を聞いていた。
そう考えて、佐渡は、臥床へ入ってしまったが、翌朝は江戸へ帰る身なので、
と、佐渡も戯れると、
卯月の夜は、草靄にぼかされて来た。佐渡は、むなしく駒を返しながら、
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「これは、今度のお旅には、堺でお求めなされたとかいう唐木綿の縞を着て行かれました
。そして、そこを店とすれば、店と奥との堺には、注連が張り廻してあるのが――すぐ武蔵の眼についた。
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そこから塩尻峠の頂までは、なお二里以上はある。武蔵は、息もつかず登りつめ
から、瘤のように盛り上がっている岩山の上で、この塩尻峠では、さし当って、ここより高い所は見当らない。
が、この道を下っているということを――あの塩尻峠に書いておかれた立札で承知したのでござる」
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の背に、穀物の俵を積み、夜を通して、塩尻の問屋まで行く途中だという。そしてなお、諄々と、
もう難かしいかも知れないが、夜を通して、洗馬から塩尻の宿場を過ぎ、今夜のうちに、峠まで登って待ちかまえていれば、その
は、ご事情を聞いてお気の毒だと思い、一人で塩尻から洗場まで行って、立場立場の仲間に、尋ねあるいてみると、お女中
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知れないが、奈良井の大蔵さんなら、ついきょうの午頃、諏訪を通って、和田の山越えにかかって行ったということを、中食をし
出会うかも知れない。――武蔵は忽ち思い立って、やがて諏訪の宿場を出はずれ、久しぶりに暗い道を、独りすたすたと夜旅の味を踏みしめて
諏訪を出たのは宵だったが、落合川の渓橋を越えてからは
御新開の江戸で一稼ぎと来る途中、この人が、諏訪で博奕に手を出して、持物から路銀までみんなはたいてしまい、やむなく、元
江戸を後にして、陸奥へいそいだか。それは諏訪の宿で会った仙台家の家士石母田外記の後を追ったのであった
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に攫い取り、彼らが、驚き躁ぐまに、早くも、牛ヶ淵の原を駈け出して、九段坂の中腹あたりを、その遠い影は、小さく
牛ヶ淵とか、九段坂とかいったのも、勿論ずっと後世の地名である。
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峠の凹みから、薙刀なりに走っている白い閃きは、駒ヶ岳の雪のヒダであり、仄紅い木々の芽を透かして彼方に見える白い斑
雲表にある駒ヶ岳は、その広い裾の一つの波ともいえる丘に足を休めている
余りにも小さい自分が恥じられてくる。そうして、駒ヶ岳と対い合っていることさえ苦しくなってくる。
て、道も少しずつ登り気味なのを考えると、すでに駒ヶ岳の裾野を踏んでいるらしいが――と武蔵は立ち迷い、
ように――そうして広い闇を見まわしていると、駒ヶ岳の巨大な壁を負って、一叢の防風林に囲まれた農家から、なに
この辺の塀といってもよい駒ヶ岳の雪渓から、里とはひどく温度の差のある冷たい風が、星の下
野婦之池あたりにうろついていてくれればよいが、駒ヶ岳のふところへでもはいりこんだら、もう他国者の衆に知れることじゃない。―
駒ヶ岳の裾野――野婦村、樋口村、その附近の丘や林など、宵
水がある。周囲ざっと六、七町もあろうか。駒ヶ岳の影も、いちめんの星も、ありのままに、池の面に泛んでいた
が、ここで夏の旱に雨を祈ると、うしろの駒ヶ岳からこの野婦之池へ沛然と天恵が降るということが信じられている
こう呼ばわる者は、駒ヶ岳のふもとの土民権之助で、見ると、あの百姓家にいた母親までを連れて
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みれば、この人の衷情は身に過ぎて勿体ない。三十三間堂の果し合いといい一乗寺の血戦といい、武蔵にとっては、むしろ慚愧
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で落合うかすることにはなっているが、いつぞや叡山の無動寺から峰越えして大津へかかる途中の峠茶屋で五年越しの
外から見届けておいた斑の牝牛で、あれは自分が叡山から曳いて来て、途中から病弱なお通のため道中の乗物に与えて
それは叡山から大津越えの峠の茶屋で、別れに誓ったことばである。
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「今夜は、府中でお泊りなされますか」
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「一月より上洛して、三条の伊達屋敷におりましたのじゃ。あの一乗寺の斬合いがあった翌日
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「なるべく、人の通らない所を通って、江戸まで行くのだ」
今度も、多分、善光寺から、越後路を見物して、江戸へはいるのではないかとは思いますが」
と、武蔵は掻いつまんで事情を話し、江戸へ参るにしても、途々、その二人の安否を心がけて行きたいから
いるわけじゃないけれど、京都落ちを極め込んで、御新開の江戸で一稼ぎと来る途中、この人が、諏訪で博奕に手を出して、
「今、武蔵さんから聞けば、朱実も江戸へ行ったらしい。わたし達も、何とか、人中へ出る算段をして、
も利くところから、伏見城の徳川家へ手づるを求め、江戸移住の官許を取って、自分ばかりでなく、他の同業者にもすすめて、
「やあ、角屋の親方どのか。わしは江戸へ下向するが、問いたいのは、おぬしたちの行く先、大層な引っ越しじゃない
「てまえどもは、伏見を引払って、江戸の方へ移りますので」
「御新開の江戸へ行ったところで、城普請だの弓鉄砲の仕事はあろうが、まだ遊女屋
まさか、江戸へ移住して行く女郎衆の同勢と、道連れになる気もないので、
を貸したわけじゃなし、女郎になってもよいから、江戸まで連れて行ってくれろというし、容貌も踏める玉だから抱えようと約束し
今夜八王子泊りとなれば、あしたは江戸に入ることができる。
いって、もっと滅茶苦茶にしていいという法はない。江戸へ着くまでのあいだに、よく考えておくがいいよ。……なあに、途中
「しばらく江戸におるつもりですから、またそのうち拝観に出ましょう」
「あしたはもう江戸とやらへ、着くのかえ」
眼に青髯のあとが濃い。関東風というのか、江戸へ近づくに従って、ひどく眼につくのが、着物や裾の短いことと
歩いても、十二、三里はある。陽のあるうちに江戸へ着こうとすれば、よほど早立ちをしなければならない。
江戸へ来て、彼女の第一印象は、そんな呟きであった。
は、慴伏したものであった。しかし、御新開の江戸へ遽に流れて来て、荒い土をこねている左官屋職人は、こて
捏ね土を浴びせたり、歯をむいて嘲笑うたりするのが江戸の衆の人情か」
「これが江戸か」
彼女は、事々に、江戸が気に入らなかった。新開発の江戸の中でいちばん古い物が、自分
、事々に、江戸が気に入らなかった。新開発の江戸の中でいちばん古い物が、自分の姿のように思われた。
そして、昨日今日、急拵えにできかかっている新開地を見て、江戸の全体を考えているので、ひどく落着かないのであった。
江戸の町人のあいだには今、熱病のように、土地売買の思惑が行われ
江戸へ移住して来た初めは、弥次兵衛はただの牢人者だったが、
「親分」とよばれる特殊な権力家は、新しい江戸には今、彼のほかにも、簇生してきた。しかし彼はその
この男伊達も、江戸へ来てから、風俗だの精神は大いに変化したが、江戸の町から
来てから、風俗だの精神は大いに変化したが、江戸の町から発生した生え抜きではない。足利の末の乱世には、もう
られて追剥稼ぎに落ち、性骨のある者は、新開発の江戸という天地を見つけて、ここに起りかけてある文化に眼ざめ、
初めのうちは、およそ江戸という土地がらや風俗を、忌み嫌っていた彼女も、この半瓦の家
(江戸の人の親切さ)
からになるが、その武蔵の名は杳としてこの江戸には聞かなかった。
町なかの野梅は散った。江戸にはまだ桜はほとんどなかった。
「……なんじゃ、これが江戸の衆がよくいう金龍山浅草寺かいな」
関東の勃興文化がいうのである。新将軍の威勢や江戸の土がいうのである。
あったか、そうそう、叡山でお目にかかった折、江戸へと聞いていたので、会いそうなものと思うていたが、
。……一人は立合うとたんに逃げおったが、いやはや、江戸には、口ほどもないのが多くて」
陽が暮れる途端に、江戸は真っ暗だった。京都の端にもこんな暗さはない。奈良も大坂も
ない。奈良も大坂も、もっと夜は明るいが――と江戸へ来て一年の余になる小次郎でも、まだ足元が不馴れだった。
は大きなことになった。それというのも小次郎がこの江戸で、小幡の軍学は浅薄なものだとか、甲州流などというが、
を抱きつつ歩いているのだ。――木曾、中山道から江戸へと志して、その江戸にはいること僅か数日で、再び陸奥の旅へ
だ。――木曾、中山道から江戸へと志して、その江戸にはいること僅か数日で、再び陸奥の旅へ去った彼であった。
から一年半余――武蔵は先に逗留し残した江戸へこれから出るつもりなのである。
なぜ、江戸を後にして、陸奥へいそいだか。それは諏訪の宿で会った
江戸から七、八里あるので、一泊になる場合もある。従者はいつも
江戸の藩邸は、彼の体を寸暇もなく忙殺させる。彼は、寺詣りを
た。そんな筈はない、きまりが悪いのじゃろう、明日は江戸へ連れて帰る――と重ねて佐渡がいうと、伊織は、納所坊が
て、佐渡は、臥床へ入ってしまったが、翌朝は江戸へ帰る身なので、
の細川三斎公は、豊前小倉の本地にいて、江戸の藩邸にいることはなかった。
江戸には、長子の忠利がいて、補佐の老臣と、たいがいなことは、
(ははあ、だいぶ江戸の神経も、尖っておるな)
三年前、中山道から江戸へ足を入れて、すぐ奥羽の旅へ向った時、まだ、この都市の
大川を隔てて見ても、この前、武蔵が見た江戸とは、家々の屋根が殖えていることや、緑が目立って減っている
「江戸で泊る先はあるのか。無宿の者、縁故のない者は、一切入れ
渡船の客を見渡すと、これは江戸の一縮図といっていい。鋸屑を着けている材木屋、上方流れの安芸
「ええこう、どこの牢人か知らねえが、江戸の真ン中へ風に吹かれて来やがって、しかも博労宿にのさばりながら、うるせえ
そうした理でもございませんが、てまえが、この江戸へ下って、多くの侍衆から、お刀を預かってみますと、誰あっ
馴れない江戸の町――どこをどう道に迷っているのかもわからない。
江戸の麻布の山まで来ると、人家は稀れで、わずかに、彼方此方の谷底に
――だからこの頃急に、江戸の人たちが、
など、行き迷れた人々が、それぞれの道を辿って江戸の地を踏んでいたであろう頃には――彼女も江戸にいた
地を踏んでいたであろう頃には――彼女も江戸にいたのであった。
又八は、江戸へ着くと、
(いくら江戸でも、そんな虫のいい、お前方の注文どおりな仕事があるものか)
なかったが、秀忠将軍の指南役という大任をうけて、江戸に新邸を構えている但馬守の身は、本国柳生ノ庄にいながらも
今、江戸はおろか、全国的にまで、
また、その四高足の中の一人、木村助九郎を国許から江戸へよこしたのも、助九郎のような世馴れた者が但馬守のそばにいれ
(誰ぞひとり、秀忠の師たるべき者を江戸へさし出すように)
の苦悶があった。――彼は、名誉を負って江戸へ上ってから一門のうちで一ばん恵まれた幸運児のように見えているが、
とうございます。柳生ノ庄でも深い御恩をうけ、江戸のお邸においていただいたのも、恐らくは、大殿様の御余恵と
「江戸」
「江戸の?」
佐々木小次郎が江戸の住居は、細川藩の重臣で岩間角兵衛が邸内の一棟――その岩間
では住吉神社、京では清水寺、男山八幡宮、江戸では浅草の観世音、そのほか旅の先々で受けた所の神々や諸仏天
が、多人数はかえって足手まとい、それに夜とはいえ、江戸の町なか、世上の聞えもあるからと、それらの希望は小次郎が退けた
「そうだよもないものだ、柳生さまのお邸は江戸の内だよ」
、何でもないと思っていましたが、田舎より江戸の狐のほうが、人間を化かしますね」
「ふム? ……宮本武蔵。……はてな、江戸の者ではあるまいが」
武蔵の名は、それから後、いやが上にも、江戸の街に有名になった。
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遊女屋の主人となって、目端や才覚も利くところから、伏見城の徳川家へ手づるを求め、江戸移住の官許を取って、自分ばかりでなく
仕事があったが、城普請の労働の辛い味は、伏見城でもさんざん嘗めているので、
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「ところが、だんだん聞きますと、その大蔵様は、湯島の天神へも、金三枚ご寄進なさいました。神田の明神へは、
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という未来の日を破棄したあげく、先頃、京都の清水寺の谷間では、刃を持って自分を追い、危うく殺されかけた程、
浪華では住吉神社、京では清水寺、男山八幡宮、江戸では浅草の観世音、そのほか旅の先々で受けた
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八王子の燈は、今までの何処よりも繁華に見えた。秩父や甲州境の山の影が、どっぷり町の西北を囲ってはいるが、ここ
なチビに、挨拶しても仕方がねえ、後から、秩父の熊五郎が返答にゆくから引っ込んでろ」
秩父の熊か狼か分らないが、なにしろ獰猛そうなのが、その中に二
すると先刻の――秩父の熊とか鷹とかいう男が、
「関東の博労なかまで、秩父の熊五郎といやあ、泣く子もだまる暴れ者だが」
「親分は、講中のつきあいで、秩父の三峰へ行ったから、いつ帰るか分らねえ」
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「おおうい。登って来いよ。富士山が見えるで」
「ああ、富士山か」
「富士山をごらん」
「富士山にゃなれないよ」
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ので、伊織はつぶやきながら、芝の海や、渋谷、青山の山々、今井、飯倉、三田、あたりの里を、ぼんやり見廻していた。
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「……なんじゃ、これが江戸の衆がよくいう金龍山浅草寺かいな」
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「――何がふしぎかっていえばさ、馬籠峠の滝つぼの上までは、お師匠さんも口をきき、お通さんも口をきき
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兵庫は、駒の口輪をつかみ、反り身になって馬の脚元を撓めながら、
と、いって、駒の背から降りてしまった。兵庫は、足をとめて、
と、お通と兵庫は、駒の平首を挟んで、両側から口輪を持ち合った。
兵庫は二十歳を出ると間もなく、加藤清正に懇望されて、破格な高禄
その兵庫は、ことし二十八歳であった。折から、この但馬守の屋敷には、
屋敷には、お通という一女性も居合わせた。年頃の兵庫と、年頃のお通とは、すぐ親しくなったが、お通の身の上には複雑
な過去があるらしいし、叔父の眼もあるので、兵庫はまだ、叔父にも彼女にも、自分の考えは、一度も口に出し
と、気軽であったが、後から甥の兵庫も来て、共に寄食するようになると、
「平蔵、開けろ。――平蔵。――兵庫とお通さんのお戻りだぞ」
英邁な父の石舟斎とも違っていたし、甥の兵庫の天才肌とも多分に違っていた。
と、宗矩はいつも、兵庫の姿を見ては、心の裡でつぶやいた。
と思っても、彼には、その立場と性格から、兵庫のような自由にはなれないのだった。
その兵庫は今、彼方の橋廊下を越えて、宗矩の部屋のほうへ渡って来
と、兵庫がそこをさし覗いて、縁に膝まずいた。
「兵庫か」
と、兵庫は初めて室へ坐った。
礼儀の実にやかましいことは、ここの家風であった。兵庫などから見ると、祖父の石舟斎などには、ずいぶん甘えられる所もあったが
宗矩は、ことば数も尠ないたちであったが、兵庫の来た機に、思い出したらしく、
と、兵庫は答えて、
兵庫は、やや異議を抱くような口吻で、
暗に自分へ意見しているのだ、とは兵庫は思わなかった。なぜなら、自分はまだ妻帯していないし、またお
むしろ、兵庫は、今の叔父のことばを、叔父自身が、自身へいっているように
と、兵庫のような、独身者の神経にも、思い遣られることがある。殊に、宗矩は
兵庫も、すぐ察して、
「兵庫」
兵庫は、そういって、すぐ叔父に暇乞いをし、自分の部屋へ退がった。
「――兵庫様。どうぞ私も、お連れ遊ばしてくださいませ」
兵庫は、お通の性質をよく知っていた。叔父なら断るであろうと思いながら
と、お通は欣しげに、涙をふいて、兵庫の身支度をいそいそ手伝った。
と、兵庫は一同へあっさり挨拶を残して出て行く。
にして、夜のうちに、三軒家あたりまでは行けようと兵庫とお通は、日ヶ窪を立った。
街道へ出て、玉川の渡船を経、東海道へ出ようと兵庫はいう。お通の塗笠には、もう夜の露が濡れ初めていた。
兵庫は、大股なので、時々足を止めて待つ。
彼女が、ちょっと、眼をみはると、兵庫は笑って、
兵庫の笑い声が、四辺の闇に木魂する。
なぜか兵庫は、心が少し浮いていた。祖父の危篤に国許へいそぐ旅路を―
兵庫の手は無意識に、その背を庇う。
兵庫が近づいて見ると、それは今日の暮れ方、お通と邸へもどる途中、草むら
兵庫とお通のすがたを見ると、
ているように蒐って来る向う見ずな切先には、兵庫も、一歩退かなければならなかった。
伊織の声は、老婆みたいにシャ嗄れていた。兵庫は不審に思って、彼の鋭鋒を、そのなすがままに避けて、しばらく
兵庫は、伊織の前へ廻って、彼の顔をじいっと、睨めつけた。
起ち上がろうとする出鼻を、兵庫の大喝が、彼の耳をつきぬいた。
兵庫はいきなり、伊織の体を、横抱きにして駈け出した。そして坂を下る
兵庫はまだ、離さずに、吊り下げていた。すると三声目は、泣き声
お通は後ろから駈けて来て、兵庫の酷い仕方に、自分の身が苦しむように、
いう間に、兵庫は、伊織の体を橋の上へ移して、
兵庫は頷きを送って、
兵庫とお通は、まだ橋の欄に残って、何を見送るともなく見て
兵庫は、自分を誡めていう。どこか暢気な兵庫には、そういう弱点の
兵庫は、自分を誡めていう。どこか暢気な兵庫には、そういう弱点のあることを、自分でも感じているらしいのだ
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だから、奥州の伊達侯などは、六十余万石の領主であり、大の煙草の好者
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王舎城の耆闍崛山中に
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大蔵はそういって、武蔵野の草に腰をおろした。そして挟み筥を担いでいる助市へ、先
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さ時雨を聞くつもりでおざれ。歌もいやならば、松島の風光を愛でに渡らせられい。お待ち申すぞ」
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その、大物どころでは、大坂城の秀頼が、後藤又兵衛に捨て扶持をやっていることは天下の周知である
ある。九度山に引籠っている真田幸村へ、年ごとに、大坂城からどれほどな金銀が仕送りされているかくらいなことは――関東の
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武蔵がまた、足を回らして、下諏訪の入口へもどり、甲州街道と中山道のわかれに立って、思案にくれていると、その姿を見かけて来
甲州街道には、まだ街道らしい並木も整っていないし、駅伝の制度も、頗る不
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彼は、自分が、堺町の芝居町で、さんざん道草をくって遅くなったことは、頭から忘れて
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道楽なのでござりましてな――今度も、多分、善光寺から、越後路を見物して、江戸へはいるのではないかとは思い
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三年前、中山道から江戸へ足を入れて、すぐ奥羽の旅へ向った時、まだ、この
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ろ当時のすみだ川は、自由気ままな姿であった。そして両国はもう海に近い入江であり、波の高い日は、濁流が両河岸を浸して、平常の
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それは姫路城の天主の一室へ、武蔵が、沢庵のために、三年のあいだ幽閉
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しまったが、程なく木曾第一の殷賑な地、信濃福島の町中へさしかかると、折から陽も八刻頃だし、腹も減り
五町七辻の福島を出端れると、興禅寺の曲り角から登りになって、彼方に関所の
さっき福島で、城太郎がちらと見かけたという、本位田又八であった。
それも加藤とか、池田とか、浅野、福島などといえば、武蔵にも、二十二歳の青年なみの観察は持って
福島の関所と、奈良井の宿のあいだで、彼女を待っていた魔手は
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まして彼は、武蔵とお通が、京都を出てから連れ立っていた姿を見ている。その後、口も
から許嫁という未来の日を破棄したあげく、先頃、京都の清水寺の谷間では、刃を持って自分を追い、危うく殺され
――と、暗に未来の誓いを与えて、こうして京都から立って来たについては、十分自分にも、責任がある。
「うわさはこの辺へも聞えておろう。京都一乗寺の下り松で、吉岡方の大勢を一身にうけ、近頃では
「ではその頃、京都に御逗留でございましたか」
のよもぎ造り――後には娘の朱実を囮に、京都で遊び茶屋をしていた、あの後家のお甲であった。
駈落ちしてしまい、侍にあるまじき卑劣者と――当時京都で悪い噂を立てられたものだった。
って好きこのんで、こんなことをしているわけじゃないけれど、京都落ちを極め込んで、御新開の江戸で一稼ぎと来る途中、この人が
奈良京都あたりの古い文化の遺跡を見た眼には、余りにも原始的であっ
陽が暮れる途端に、江戸は真っ暗だった。京都の端にもこんな暗さはない。奈良も大坂も、もっと夜は明るい
「それも、看板に誌してあるが――京都の本阿弥光悦さまは、わしの師匠でございます」
絶ってしまったのは、もう足掛け三年も前――京都から木曾街道を経て、江戸表へ向って来た――あの途中から
顧みると、京都以来、吉岡家の問題を挟み、また、火を咥えて彷徨って歩くよう
「久しく会わぬが、武蔵どのとは、京都以来存じておる。ちょっと、呼んでくれまいか」
――恥知らず、武士道よごしの骨頂だ。あいつが京都で吉岡一門を相手にしたなどというのは、よくよく吉岡が弱かった
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いるが、いつぞや叡山の無動寺から峰越えして大津へかかる途中の峠茶屋で五年越しの誤解を解き、お互いが幼友達
「叡山から大津へ出る途中の山茶屋で、数日、わずらっていたそうですが、
京の大津を出てから約二ヵ月近くもかかって、彼女はやっと今、着いた
それは叡山から大津越えの峠の茶屋で、別れに誓ったことばである。
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果したので、帰り途だけ閑暇を賜わって、ひとり見物がてら仙台までもどる途中でござる」
ことを喋舌ったが……どうじゃな武蔵殿。いちど仙台へもお越しなさらぬか。主人は至って無造作なお方でござる。士道
したが、昨夜も諄々お話ししたが、ぜひ一度、仙台の方へお越しください」
、陸奥へいそいだか。それは諏訪の宿で会った仙台家の家士石母田外記の後を追ったのであった。自分の知らぬ
「仙台家へ仕える程なら……」
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「ああ、奈良奉行から移った――」
奈良京都あたりの古い文化の遺跡を見た眼には、余りにも原始的で
真っ暗だった。京都の端にもこんな暗さはない。奈良も大坂も、もっと夜は明るいが――と江戸へ来て一年の
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―近くは、天正の頃、太田道灌の一族だの、千葉氏の一党が、幾たびも興り、幾度も亡んだ跡が――
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それは細川家が豊前小倉の領地から熊本へ移封された時のこと――その入城式に、忠利は熊本城の
、いちど肥後へ召抱えられてゆき、禄三千石を喰んで熊本へ居着くことになっていたが――関ヶ原以後の――いわゆる関東お
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今夜八王子泊りとなれば、あしたは江戸に入ることができる。
「いや、八王子でと思うているが」
「八王子は今、誰方の所領でござりますな?」
陽の高いうちに、大蔵以下三人は、もう繁華な八王子二十五宿の往来に姿を見せて、
二十五宿といわれる八王子の燈は、今までの何処よりも繁華に見えた。秩父や甲州境の
角屋の一行は、まだ暗いうちに八王子を立った。奈良井の大蔵の組は、悠々、朝食をしたため、
清十郎も憎い、小次郎も憎い、八王子で、酔っている自分を馬糧小屋へ引きずりこんだ牢人者も憎い。
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「ついこの頃から大久保長安様の御支配になりました」
、一部を修復して、今ではこの地方を支配する大久保長安の役宅か住居になっている模様である。
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あらぬ男に――あの吉岡清十郎にふみにじられて――住吉の海へまっしぐらに駈けこんだ時には、ほんとに、死の彼方まで行く
浪華では住吉神社、京では清水寺、男山八幡宮、江戸では浅草の観世音、
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近頃植えた並木や、一里塚もできていた。汐入から日本橋へゆく道は、新しい市街の幹線道路なので、わりあいに歩きよいが
日本橋は、竣工てからまだ一年も踏まれていなかった。
の本通りを出て、街道をどこまでも真っすぐに行き、日本橋を渡ったら、河に沿って左へ左へとおいで――そして木挽町
「そういやあ、ばくろ町も日本橋のうち、大工町も日本橋の内、十万億土ほど遠くはねえ」
「そういやあ、ばくろ町も日本橋のうち、大工町も日本橋の内、十万億土ほど遠くはねえ」
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ここらは以前の千代田村と日比谷村のあいだを通っている奥州街道の田圃道が開けているので、もっと
日比谷の原には鑿の音や、手斧のひびきが、新幕府の威勢を
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に、山の手の崖に、山桜が白く見られる。近年、浅草寺の前に、桜の並木を移植した奇特家があって、まだ
「ばば殿、きょうは一つ、浅草寺へお供しようと思うが、行く気はないか」
です。墓詣りといっても、故郷は遠国なので、浅草寺へでもお詣りして、何か一つ、今日は善いことを
。河原を上がると、波打ち際の森の中に、すぐ浅草観音堂の茅葺屋根が見えた。
「浅草寺のそばの藪に、人間や馬を埋めた塚があるよ。お
、歩き出すと、菰の十郎とお稚児のふたりは、もう浅草寺の御堂の縁へ行って、先に腰かけている。
「……なんじゃ、これが江戸の衆がよくいう金龍山浅草寺かいな」
神社、京では清水寺、男山八幡宮、江戸では浅草の観世音、そのほか旅の先々で受けた所の神々や諸仏天は、
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湯島の天神へも、金三枚ご寄進なさいました。神田の明神へは、あれは平の将門公を祠ったもので、将門公
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も書いてはいけないといって死んだんだって。蒲生家からも、伊達家からも、抱えに来たけれど、侍奉公は、
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来たので、伊織はつぶやきながら、芝の海や、渋谷、青山の山々、今井、飯倉、三田、あたりの里を、ぼんやり見廻して
真っ赤な日輪は今、渋谷の山の端に沈みかけて、覆輪をとった夕雲が、むらむらと宵の空を
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「麹町の平河天神の近所まで行ってくる」
平河天神の辺りを探し、麹町の往来まで出て行ったが、やはり見当らなかった。
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諏訪を出たのは宵だったが、落合川の渓橋を越えてからはほとんど山道ばかりだった。一の峠は越え
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、十坪だってありませんや。――もっとも、ずっと隅田川の河原寄りなら幾らかありやすがね」
ねらって探している、宮本武蔵という野郎よ。――隅田川の渡船から降りた所で見かけたんだ」
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十郎に、お稚児の小六の二人に弁当など持たせて、京橋堀から舟に乗った。
小次郎は京橋堀へ舟が曲る角で、
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いう地名も橋が出来てから後のことである。まだ両国橋も、その頃はなかった。
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谷の所々には、人家の明りがともっている。そして渋谷川の水が音をたてて流れてゆく。
だから、谷あいの渋谷川に沿って住んでいる農夫や、小商人たちは、大学林の学僧たち
渋谷川に沿って、少し行ったかと思うと、彼は、足をとめて