松のや露八 / 吉川英治

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地名一覧

小石川

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土用試合のと、竹刀でぽかぽか撲られた上、一ツ橋から小石川の果てまで、往復の足数だけでも、何千里歩いたことになるか

小石川からのそのそと江戸の真ん中に出ると、もう七刻下がり。板新道の下水が

「小石川……武島町」

そんな訳で、庄次郎は、小石川へ復帰がかなった。後で聞けば、榊原と叔父とは、近所交際いも

高崎藩

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罪文は、高崎藩から廻ってきたものである。

四貫島

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に着いたのは、十二月二十六日だった。三軒家や四貫島や、天保山のあたりは、見物がたいへんだった。葭だか人間だかわから

川崎

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「川崎の森田家でございます」

「役目でござれば――一応お訊ねする。川崎の森田家にご気散じの由はわかったが、この深夜に、どこへ、

関東

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「関東の棚下ろしはもう沢山」

「天保山から、慶喜公は軍艦で、関東へ落ちたのだ」

駿府

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「江戸にだけでも二、三百、駿府、甲府、上州と、仲間の眼だけが集まりゃ、旗本の一軒や二軒

秋葉神社

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浴衣の裾が脛にからみついて、とても、長途はむずかしい。秋葉神社の方へ向いて、半町ほど走ると、粋な船板塀が見え、天水桶が

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萩の世帯

庵長次の近くだった。梅暦の挿絵で見るような萩の籬で一軒家、家賃も安いし、近所も気楽である。そこへ、越し

しかし、ここは、長州の萩と山口の勢力下ではあったが、比較的に雑居的ではあり、旅客

辰巳

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何、これだけの頭数で、費いきれんでどうする、辰巳へゆこう」

博多

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長崎にもいた。博多にも半年ほどくらしてみた。しかし、どこへ行っても、この他国者

かっぽれ、一人万歳、博多のどんたく、仁王の真似、やねぶねの提灯。

一ツ橋

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「一ツ橋だ」

「一ツ橋の部屋住どもだな。こういう、次三男坊が多いから、江戸も腐る。

「なるほど、一ツ橋にも、武士がいるな。さ、持ちなおして、もいちど来い。榊原健吉

の、土用試合のと、竹刀でぽかぽか撲られた上、一ツ橋から小石川の果てまで、往復の足数だけでも、何千里歩いたことに

できねえと。オイ、青蕪。じゃあ、これを証拠に、一ツ橋へ行くぞ」

薩摩

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駕は、桜山の春帆楼の方へ――、また、薩摩の兵と、奇兵隊の一部は、わかれて、どやどやと兵舎のうちへ、なだれこん

雪の埠頭に着いた薩摩の艦から、夕刻、すぐ上陸して、五藩の諸士に警固されながら

、馴染だが、これだから、長州ッぽだの、薩摩ッぽは、気にくわねえんだ。罪科もねえ人間を、寝床から

てるぞ。生かすとも、殺すとも、片づけてから行けっ。薩摩の奴らは、野糞を垂れても、尻をふかねえのかっ、やいっ

、肥後の河上彦斎とか、土佐の岡崎剛介とか、薩摩の横山正太郎などの正直者は、新政府を、第二の幕府の出現と

奥州街道

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、永代橋の上を振り仰いだ。橋の上には、奥州街道の埃を浴びて江戸へ入って来た何藩かの軍隊が、四、五百

神奈川

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神奈川の青木台には、つい近年の開港条約で米国と仏蘭西の領事館が設置さ

宇治

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「ちッ、宇治まで行かねば駄目か」

もう夜の九字ごろだった。宇治の町も、火の消えたようではあったが、四ツ辻の油障子に駕

宮川町

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「おい、宮川町は、通るまいぜ」

今戸

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旦那というのは、今戸の寮で通っている三谷の大番頭、三谷斧四郎だった。そのころの

喜代は、その翌日、嫌応なくまた誘いに来た。今戸から船仕立てで、芝まで行こうというのである。屋形船には、もう斧

屋形船は、今戸の岸を離れて、大川のまん中へ出た。下流へ行くので船頭は

八丁堀

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旅帰りを出迎えている人々や、板新道の芸妓と、八丁堀の与力が、公然と出会いをしているのや、駕かきや、馬の

長州藩

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馬関の埠頭で、長州藩の蒸汽船の汽笛が、ぼうっと、冬空に寒く聞こえる。ふだんは、牛が絞め殺さ

と海岸を警備している。沖へ、出迎えに行った長州藩の武士たちも多いらしい。和船や、小蒸汽で、ぞろぞろと上陸って来る。

長州藩では、藩の世子長門守が、迎えに出た。また、五卿慰労

「金ではない、ついでに、同じ埠頭にいる長州藩の藩船へ、お旗箱をとどけてくれ。隊の者を案内につけて

かけ、くくり袴に草鞋ばきであった。左の腕に、長州藩の伍長級の腕章を縛りつけている。

筑前

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乱の後、流転していた七卿のうちで、筑前の太宰府に潜伏していた三条実美以下の五卿であった。

丹波

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妓は、丹波の篠山生まれだという。顔が痩せているくせに、手が大きい。色恋

露八は、がらんとした青楼の広間を見まわした。丹波の女も、部屋に見えないし、鏡台も、赤い蒲団も、なかった。

江戸

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部屋住どもだな。こういう、次三男坊が多いから、江戸も腐る。酒もいいが、俺みたいに飲め。一升や二升のんで

小石川からのそのそと江戸の真ん中に出ると、もう七刻下がり。板新道の下水が、暑さに

このごろ、江戸で流行る、薩摩ッぽうの口真似をして、仰向けに、ころがった。

面にびくついて、泣き寝入りをするような、半間な長脇差は江戸にゃあいねえぞっ」

「江戸にだけでも二、三百、駿府、甲府、上州と、仲間の眼だけが

集めて、討幕の旗挙げをしようとしたことがバレて江戸へ逃亡した野郎だ。武州の榛沢村から、俺の手へも、廻状

「そうじゃ、今は、いまの江戸をよく見ればわかる。怖いものは、世の中の変遷じゃ。わしや、おぬしは

振り仰いだ。橋の上には、奥州街道の埃を浴びて江戸へ入って来た何藩かの軍隊が、四、五百名ほども、一

から生きるか死ぬかの仕事に就こうというのに――江戸の人間が――と腹が立って悪戯半分に撃ったのだ。先の

「ご苦労に存じますっ。江戸の者に代わって、お礼のため、ここでお見送り申し上げておるのでござる

して、肯かないのである。訛りがあるので、江戸の侍でないことは分かった。露八は、極力、弁解したが、

おっしゃって、幇間を斬るなんて、おかしいじゃありませんか。江戸には、そんな侍はおりませんよ」

「江戸の男は、怖くないが、江戸女には、降参じゃ。……坊主、

「何日、江戸へ来たんですか」

「何しに江戸へ来たんですか」

「知らんのか。江戸の女は、啖呵は切るが、時勢には暗いな」

社会の推移ぐらいは、分からぬながらも考えているが、江戸の人間と来てはいやはや……」

「云い分はありません。まったくです。江戸の女も、江戸の男も、いけないなあ」

云い分はありません。まったくです。江戸の女も、江戸の男も、いけないなあ」

、武市さんだって、書生ッぽ時代には、さんざん、江戸のご厄介になって、私の家にだって、まだ、借金の帳尻が

「江戸の女は、みんな、間諜者と思ってるんでしょう」

奔命し出してからは、常に、密書を交わして、江戸の消息を彼に与え、また京洛の消息を彼から享けていた。

…だがここに困るのは、一時の匿れ家と、江戸の府外へ、首尾よく当人を落としてしまう工夫だが」

朝飯をたべて、ゆっくり一昼寝した上、陸道から江戸へ帰ると云った。

の押入れに、幾日も匿しておいて上げたが、江戸の周りは、このごろの物騒で、木戸は殖えるし、各藩の警備隊が屯し

送りゃあいいと思っている。永い時世を経て来た江戸には、俺と同じ蜆が沢山わいているから、弟や、勤王派の

従いて来たまえ。京都は今、旋風の中心だ、江戸のような惰気や、自暴はない。もりあがる力が大地にも感じるぞ。君

「第一、江戸へ帰れば、早晩貴公も、八十三郎の連累として、召捕られる。また

連累として、召捕られる。また、どの顔さげて、江戸の街を、その頭で歩けるか――」

もまた、円四郎の仕事を向うで助けるためと、危険な江戸を避難するためと、双方の利で、供の端に尾いて立った

「――どうだこの京都は、江戸とは、活気が違うだろう、当分、見学するさ」

家はなし、父は世を去ったし、江戸をさえ離れたのに、何もいつまで正直に、坊主頭をしていること

「江戸で別れたきりだが……どうしているか」

「浜中屋の船でおまえが江戸を脱した晩、おれは、同じ船にいた。酒をのんだので

「江戸はいいな」

八十三郎も、江戸で生まれ、江戸で育ち、自分と同じ環境の中から出たのに、その

八十三郎も、江戸で生まれ、江戸で育ち、自分と同じ環境の中から出たのに、その弟が、やはり

「江戸から来なすったらしいが」

「やっぱり、江戸者だ。……江戸にも、あのくらいな侍が、うんといてくれりゃあ……」

下駄の鼻緒から茶碗の模様一つにまで、江戸人の江戸好みがおのずから生まれて、あれから四年越しというものは、蝸牛のように

いうものは、蝸牛のように、二人して、世帯に江戸を持ち廻って歩いていた。

は、滅多にそんな癖も他人には洩らさない。また、江戸の人間であることを標榜するのは勤王派の策源地ともいわれるこの土地

「あれや、江戸のことばだった」

、弟の八十三郎からだの、榊原健吉からだの、江戸の親類、旧友などからも、雑多な消息をよこしている。わるく取ろうとすれ

のが、やはり習慣的に、相応に賑わっていた。江戸からは、薩摩屋敷の焼討とか、二の丸の火災とか、頻々と、兇報

「痛いか、江戸のやつも、人間なみに、痛いというぞ」

「東海道とおっしゃっても、京都から江戸までございますが」

呼吸をさせ初めた。彼は、這い摺っても、江戸へゆくぞと思った。江戸へゆけば人間という人間はみんな味方であり

は、這い摺っても、江戸へゆくぞと思った。江戸へゆけば人間という人間はみんな味方であり親類のようなものだし―

「江戸も、今夜で、おしまいだなあ……」

と口々に云って、なお、再び江戸の旗本生活や伝統の再建を夢みていたが、露八は、その朝

江戸の人間には愛想がつきたが、そうかといって、官軍出の成り上がり

「お菊ちゃんも、いい奥様ぶりになったな。江戸の美い女が、みんな、薩摩ッぽや、長州弁の官員様の女房に

天保山

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のは、十二月二十六日だった。三軒家や四貫島や、天保山のあたりは、見物がたいへんだった。葭だか人間だかわからないほど両岸

高崎

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の尾高東寧や、その他の百姓侍と計って、高崎の城に、夜討をかけ、軍資金を集めて、討幕の旗挙げをしようとし

横浜

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兵部省との打ち合わせがありますし、明後日は、早朝に横浜から出帆する船へ乗り込まねばなりません。酔いのさめるまで、待っており

吉野

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た霊廟の金碧を見ろ。畏れ多いご比較ではあるが、吉野の御陵には、雑草が離々と茂いて、ここの何分の一

会津藩

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「会津藩か、はははは。しからば、今度京都守護職とかいって、公方方の尻押し

忍川

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屋敷だの、寺だのが、混みあっている町中の狭い忍川のふちを曲がって、

ただ立っているのも、気が咎めた。しかたなしに、忍川のふちを、地面をみながら、往ったり来たりしていた。

増上寺

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うるさいと考えたか、二人は、露八を拉して、増上寺の山内へ引っ立てた。

「増上寺の山内だ」

銚子

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お菊ちゃんは、半平太へ、銚子の口を向けながら、

大坂城

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、一緒に来たように市中は昏迷している。大坂城はどっしりと宵の空に構えてはいるけれど誰も頼みには思わなかった。

そんな噂が、伝わると、夜半から、大坂城の楼櫓は、炎を噴いて、大河と、市街と、海とを地獄

今時にも、熊坂長範みたいなものがいるとみえ、あの大坂城へ、大八車を曳きこんで、お金蔵だのお手道具だのを、空巣稼ぎ

大坂人は、大坂城の灰燼を惜しみ、露八は、それを捨てて、夜逃げ同様に落ちたと

芝浦

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船が着いてから、芝浦の茶屋でまた飲んだ。それから、三々伍々、茶屋の者も交じって、

しかし、更科の二階は、芝浦の海が見えて、清楚だった。露八は、ただ恐れ入ったように畏まっ

別れてから、お菊ちゃんは、露八と二人で、芝浦の船茶屋へ寄ってみたが、斧四郎旦那も、お喜代も、先

両国

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、大輔、権頭、いわゆる朝野の貴顕紳商である。会場は両国の中村楼だった。

大川はうすい霧だった。向う両国には西陽がすこし射していた。雲は紅い、水は青い。

千葉

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、下谷練塀小路の海保漁村の塾にいて、神田の千葉の道場で撃剣を修業していたらしいが、何か、一身上のこと

いや、貴公のその頑丈な体と、皆伝の腕なら、千葉や、九段の斎藤へ行っても、退けはとるまい。めでたい。―

下谷

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があって、背の低い方だった。この間まで、下谷練塀小路の海保漁村の塾にいて、神田の千葉の道場で撃剣を

「榊原健吉、講武所教授方出役、百俵十人扶持、下谷三枚橋常楽院裏――と。かようです」

「下谷の三枚橋。俗に、どんどん橋とも云いますね」

甲府

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「江戸にだけでも二、三百、駿府、甲府、上州と、仲間の眼だけが集まりゃ、旗本の一軒や二軒、

京都

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「そうだ、会津の松平容保様が、京都の守護職になって、今日か明日、ご上洛という噂がある」

「京都の女なら、芸妓、仲居までが、攘夷とは、どんなものか。京洛

た後も、文通を絶たないでいたし、なお、京都に乗り出して、勤王運動の実践に桂が奔命し出してからは、常

「――見えぬ、見えぬ。京都へならこの東海道。ほかに外れるはずはないが」

引きずり込んでゆくぞ――さ、これから僕とともに京都へ行こう」

「僕に従いて来たまえ。京都は今、旋風の中心だ、江戸のような惰気や、自暴はない。

「――どうだこの京都は、江戸とは、活気が違うだろう、当分、見学するさ」

「やっぱり、貴方でしたね。……京都で荻江節を流す人なんて、ほかにはないと思った」

と膝がしらを寒くした。人斬り健吉が云うのである。京都へ出て来た用件もほぼわかっているし、渋沢栄一からもいつか

人か蟄伏している。すでに禁門衛兵として、また京都守護職として、会津の前駆が乗りこんで来ている折でもある

せに来たんだ。叔父の友人、人斬り健吉が、京都へ来ている」

ていては、吾々は、何もできぬ。またこの京都にも一日だっていられはしません」

二月もあと幾日もない。京都もどこかぽかぽかと陽なたのにおいがしはじめている。安宿までの間

「会津藩か、はははは。しからば、今度京都守護職とかいって、公方方の尻押しに、上洛った者の家臣

わからないと云えば、どうして、突然、京都へなどやって来たのか、また、自分の居所を知ったのか

あ、あっしの肌にあわねえ気がする。なにも、京都がじゃあねえが、今、この御所のお膝下を、わがもの顔して、

たが、土佐の坂本龍馬様が、この十五日に、京都で、殺されましたってね」

京都の政情が、一変したためである。――小御所会議、慶喜の

、二の丸の火災とか、頻々と、兇報が入るし、京都での御所の会議には、土州と薩州とが、正面衝突になった

お行列さ、もう、よんべ、伏見街道さ発って、京都へ行かしゃったという噂だによ」

、馬の鞍つぼに引っ縛って人目を憚るように京都の方へ宙を飛んでゆく。淀の大橋は、五日の戦火に

「東海道とおっしゃっても、京都から江戸までございますが」

いう長藩の将校の命令であった。一日もはやく京都から遠隔の地へ持って行って、近江境を越えたら悠りとし

長崎

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「長崎でも」

長崎の紅毛人が、日本に永く来ていても、やはり牛酪から離れ得

長崎にもいた。博多にも半年ほどくらしてみた。しかし、どこへ

静岡

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駿河湾に漂着してしまった。露八は、清水港から静岡へ行った。

静岡へは、やがて徳川亀之助以下、譜代の旗本や御家人たちが、続々、家財

というかどで、徳川家の新領地である静岡にも、入市を許されないし、附近へ居住することすら、

露八は、ちょっと、東京をのぞきに行ったが、すぐ静岡へ舞いもどって、百姓納屋に、障子をはめたような一軒家を借り、

がつよすぎる。髪は夜会巻というものに結って、静岡ではこのごろ、県令の奥様が翳しているといわれている舶来の

あったなアもないもんです。……だけど、いつから静岡へ来ていたの」

団十郎だのと、一緒くたに逃げて来て、ずるずるべったりに静岡で暮らしているんです」

たという噂のある渋沢栄一も帰朝して、一頃、静岡の紺屋町に商法会所を創立して頭取となっていたが今では

お菊ちゃんの伝える消息によれば、この静岡には、露八の親類も友達も、その当時、みんな流れこんで来た

「静岡も、なんだかかたじけないし、飽きてきた。ここも新政府の下

深川

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「深川だよ」

神田

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間まで、下谷練塀小路の海保漁村の塾にいて、神田の千葉の道場で撃剣を修業していたらしいが、何か、一身上

神田アの

神田の紺屋の原をぬけると、もう、陽が翳ッて、方々で、打水

銀座

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夕方の、むし暑い風が、せまい銀座横町の馬糞いろの埃と、蠅とを、塀ごしに運んできて、

その健吉の影が、路地を抜けて、もう銀座横町へ出ているのを見送りながら、急に、喚き合ったが、誰

お茶の水

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お茶の水まで来ると、お蔦が、息をきって追いついて来た。

首を振って、深い――真っ暗な――お茶の水の谷をのぞきこんだ。

水道橋

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庄次郎は、水道橋の欄干に、倚っかかって、無表情な眼で、彼女を迎えた。

明日の晩、いつぞやの水道橋まで、お越し下さいませ。

目黒

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「目黒、どうだ、出てみるか」

向島

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ここなら、世間へ知れっこない。向島の小梅村。

と云われる小倉庵長次は、割烹の亭主だった。向島きッての宏壮な普請が出来たのも近年で、自分は、隣りに

翌々日、二人は、手筈を諜し合わせて、向島から竹屋へ渡舟った。二人の後から五、六名の捕手が、

浅草

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「庄次さん、浅草へ行かないか」

稲荷町

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場所は、稲荷町の遊廓の裏だった。お蔦は自前芸妓として、廓の大坂屋と

いそいそと、褄をとって、出て行った。馬関の稲荷町には、黄昏が来て、宵が来て夜更けが来て、そして喧嘩

稲荷町や、桜山には、白いなかにチラチラと、もう宵の燈が灯き

稲荷町には、通った情婦もあるだろう。何国か知らないが故郷には

「稲荷町の露八って男です」

「ここも馬関の稲荷町みてえになりやがった」

蔵前

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の風俗や言語を真似、今時、為永本の色男か、蔵前の亡びた通人でもなければ結わない細本田などに結って納まっている

上野

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には炎が映っている。民家も焼けていれば、上野三十六坊も文珠閣も炎を噴いているのだ。露八は、今日

て、その中に、雨水が血をながしこんでいた。上野は大半以上落ちて、地獄の黄昏であった。露八は、首の

今日、上野を撃った弾のうち幾つかは、弟の八十三郎が撃った弾で

の金瓶大黒の身寄りで、桜川三孝という道楽者ですよ。上野の戦争の後、浜中屋のおっ母さんだの、芙雀だの、団十郎だ

申さなければならんのでしたが、戊辰の役に、上野から東北へと転戦して後、すぐ新政府に召し出されて、兵部省

品川

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品川湾から幕府の軍艦に便乗して、江戸を離れた。艦に集まった

新橋

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ホテル館へ廻り、ホテル館のくずれは、新柳二橋(新橋と柳橋)の紅燈を必ずさわがして夜を徹した。

東京

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露八は、ちょっと、東京をのぞきに行ったが、すぐ静岡へ舞いもどって、百姓納屋に、障子を

なっていたが今では新政府の官員になって東京に羽振りをきかせているという。

、昏くなってしまう。じゃあ、ほんとに露八さんも、東京へ帰る気ね」

てきた。ここも新政府の下ならば、いっそ、東京で暮らしたって同じことだ」

荷物と一緒に、清水港から船で東京へ帰った。東京では、山谷に一軒借りて、世帯を持ったが、荻江節で

の家族や、引っ越し荷物と一緒に、清水港から船で東京へ帰った。東京では、山谷に一軒借りて、世帯を持った

黒助湯の番台が、東京日日新聞をひろげて、開化の智識を求めるように、露八へ訊く。

いたのだった。それなのに今、だしぬけに、東京では出したこともない隠し芸を望まれたので、ぎょっとして、

汐留川

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汐留川が前だった。

京橋

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京橋をこえる。

神田川

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神田川が、見えていた。

永代橋

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かぶって、大きな体をあわてて舷へ出した。そして、永代橋の上を振り仰いだ。橋の上には、奥州街道の埃を浴びて江戸

隅田川

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ならないように、そして、自分のがらに合った世渡りを隅田川の蜆みたいに送りゃあいいと思っている。永い時世を経て来た