三国志 05 臣道の巻 / 吉川英治
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袁紹とむすび、五十万の軍勢をおこす。また西涼の馬騰、并州の韓遂、徐州の玄徳なんども、各地から心をあわせて一せいに起ち、その
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その頃、北海(山東省・寿光県)の太守孔融は、将軍に任命されて、都に
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「では、河北の袁紹があげられましょう。家系は四代三公の位にのぼり、門下に
「河北の情勢をうかがいに行った満寵が、手先の密偵の諜報を悉皆あつめて
「河北の情勢はどうか。袁紹が虚実をよく視てきたか」と、その
「河北には、別して変った事態も起っておりませんが、北平の公孫※は
譲与して、内にはふたり力をあわせ、外には河北、淮南を一環に合体して、いよいよ中原へ羽翼を伸張しきたらんとする
「袁術が淮南をすてて河北に行くには、かならず徐州の地を通らねばなりません。それがし今、
袁術が、兄の袁紹と合体して、伝国の玉璽を河北へ持ちゆかんとしているのを、半途にて討たんがためである。
袁術が、起死回生の一策として、思いついたのが、河北の兄袁紹へ、持て余した帝号と、伝国の玉璽を押しつけて、いよいよ身
「淮南を捨て、河北へ来るならば、如何ようにも、後事を図ってやろう」と、それに
ただ水害に飢えてうごけない住民だけを残して、淮南から河北へ移ろうと決めた。
おすすめ申すのではありません。――高士鄭玄と、河北の袁紹とは共に宮中の顕官であった関係から三代の通家であり
しても、なお彼が常に恐れはばかっている者は、河北の袁紹しかありません。河北四州の精兵百余万と、それを囲繞
余万と、それを囲繞する文官、武将、謀士、また河北の天地の富や彼の門地など、抜くべからざる大勢力です。失礼ながらまだまだ
さっそく筆をとって、細々と自分の意見をも加え、河北の袁紹へ宛て、一書をかいてくれた。
はるばる徐州の使い孫乾が、書簡をたずさえて、河北の府に来れりというので、袁紹は、日を期して謁見を与え
河北随一の英傑といわれ、見識高明のきこえある田豊は、
河北の地に、空もおおうばかりな兵塵のあがり出した頃、玄徳の使い
できない働きをする。高士鄭玄の一便は、かくて、河北の兵十万を、曹操へ向わしめたのであった。
に任命されて、都に逗留していたが、河北の大軍が、黎陽まで進出してきたと聞いて、すぐさま相府に馳けつけ、
「河北は、沃土ひろく、民性は勤勉です。見かけ以上、国の内容は強力と
ところへまた、折も折、河北の袁紹からも、同じような目的のもとに、特使が来て、袁紹の
たる劉曄は、すくなからず心をいためた。――河北の袁紹からきた特使とあっては、いかに自国を贔屓目に見ても、
だから河北の袁紹なども、かつては、上賓の礼をとって、かれを迎えようと
こと、成就の時はきましたぞ。荊州の劉表、河北の袁紹とむすび、五十万の軍勢をおこす。また西涼の馬騰、并州の韓遂、
「河北の袁紹なくんば憂いはありませんが、袁紹の国境軍は、過日来
へ、書簡をおしたためなさいまし。それを携えて、河北の救援を求めにまいりましょう。それしか方法はありません」
玄徳の一書をうけて、ふたたび駒の背に伏し、河北へむかって、夜を日についで急いでいた。
ここ河北の首府、冀州城のうちに身をよせてから、賓客の礼遇をうけて
「汝は、河北の老職にありながら、わが河北の軍兵をさまで薄弱なものとあなどるか」
「汝は、河北の老職にありながら、わが河北の軍兵をさまで薄弱なものとあなどるか」
とは、質も装備も段ちがいだ。旺なるかな、河北の人馬は」と、驚嘆した。
河南の草も萌え、河北の山も淡青い。江風は温く、関羽の髯をなぶり、赤兎馬の
文醜は、顔良の弟で、また河北の名将のひとりであった。
「文醜を生捕れ、文醜も河北の名将、それを生捕らば、顔良を討った功に匹敵しようぞ!」
「ま、待ちたまえ。――ところがその後、河北の袁紹からだいぶ物資や金が匪軍へまわった。曹操の側面を衝けという
側面を衝けという交換条件で――。そんなわけで折々河北の消息も聞えてくるが、先頃、ある確かな筋から、ご主君玄徳が
な筋から、ご主君玄徳が、袁紹を頼まれて、河北の陣中におられるということを耳にした。それは確実らしいのだ
故主玄徳はいま、河北に無事でいると聞いて、関羽は爛々たる眼に、思慕の情を燃やし
では、こうしましょう。……この孫乾が、先に河北へ行って、あらかじめ袁紹とその周囲の空気を探っておきます」
「されば、河北の袁紹に身を寄せられて、先頃は黄河の後陣までご出馬と、ほのか
玄徳が河北にいるという事実は、やがて曹操の耳にも知れてきた。
「すでにご存じであろうが、いま玄徳は河北にいます。――ご辺もやがて尋ねてゆくお考えでござろうな」
関羽の心底は、すでに決まっている。彼の心はもう河北の空へ飛んでいます。――
と申すものです。一日もはやくこの地をのがれて、河北へ来給えとお言伝てでございます」
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「河内の張楊は、呂布と交誼があるので後詰して、呂布を助けんと
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「威は九州を鎮めて、八俊と呼ばれ、領治にも見るべきものがあるとか
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その頃、北海(山東省・寿光県)の太守孔融は、将軍に任命されて、都に逗留し
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文醜は、即日、黄河まで出た。
は、無数の船にのり分れて、江上を打渡り、黄河の対岸へ攻め上って行った。
袁紹の大将にして、顔良の弟にあたる文醜が、黄河を渡って、延津まで攻め入ってきました」と、急を報じてき
「されば、河北の袁紹に身を寄せられて、先頃は黄河の後陣までご出馬と、ほのかに聞き及んでおりますものの、それとてもまだ風
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荊州は両国からひッぱり凧になったわけである。いずれを選ぶも劉表の胸ひとつにある