宮本武蔵 07 二天の巻 / 吉川英治
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見る限りが、雲の海である。坂東の平野も、甲州、上州の山々も雲の怒濤の中にうかぶ蓬莱の島々であった。
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辺に当てられたので、この山一体を、近頃は駿河台とも呼び始めている。
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「だが、だいぶもう、関東でも、おぬしの名は、有名なものじゃの」
彼の足跡は関東にあまねく、神社仏閣のある所で、奈良井の大蔵の寄進札を見かけない霊場
――その後宮本武蔵とよぶ人の弟子となって、この関東へ来ておるということなので」
、大御所の在わす駿府にも火を放ち、一挙にこの関東を混乱に墜し入れて、事を為そうという浅慮者のお前は手先のひとり
、なお混沌たる暴風期を衝き抜けなければならない。そして関東か、上方か、いずれかに統一を見るまでは、聖賢の道も、治国
関東に加担するか。上方に走って味方するべきか。
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川越の町はもう沼みたいにしいんと眠りに落ちていた。灯のない屋なみ
脅えている目ではなく、妙な少年が、今朝、川越を出た時から、のべつ自分の後からちょこちょこ尾いて来るからで、
そっちにあるんじゃないか。かくしてもだめだ。川越からおれを尾行て来たのだろう」
は閣老の中の酒井侯へ、酒井家の臣が、川越から来ての報告である。
「伊織、もう心配すな。きのう川越の酒井家から、急使が来て、平あやまりに謝り、むじつのお疑いが
、あっさりそれへ出て来て坐った。ふと仰ぐと、川越の城主である酒井忠勝であった。けれどここでは江戸城の一吏事
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親方は渋団扇で、膝をたたいて笑った。伊豆の伊東の生れで、運平さんという名で界隈の尊敬をうけていた。年
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秀忠は、幼い頃、相国寺の陣中で、父の家康のそばに坐って謁見した、石舟斎宗厳のすがた
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―京都以来か。あの折、わしは母の危篤で、但馬へ帰った」
に思われてなりませんのです。もしやあなたは、但馬の宗彭沢庵どのではありませぬか。美作の吉野郷では七宝寺に
「このたびは、但馬どのも、おわかれぞと、覚悟のていに伺いました」
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萩、芒の中を、馬上の武蔵と、口輪を持つ新蔵の影とが―
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に。昼間は、藩の時務を見たり、時には江戸城へ詰めたり、その間に、武芸の稽古は随時にやるとして――
ばかりいた。近頃彼は、西瓜の荷を担って、江戸城の此処彼処にたくさん働いている石置場の人足や、大工小屋の工匠や、外廓
の高い位置に気づいた。庭の崖先から真下に、江戸城の北の濠が見え、城壁をつつむ丘陵の森と対して、昼間はさぞ
「じゃあ、江戸城の中の」
井戸掘り人足は、江戸城の中の、西の丸御新城とよぶ作事場へはいる。――と、
その打札から考えをすすめれば、両名の侍は、江戸城の改築に関係のある棟梁の組下か、漆奉行の手の者かと思われる。
恐らく、又八は今頃は、もう江戸城の中にいるだろう。そして大蔵と約束したとおり、槐の木の下に
と、いうのが江戸城を繞る一般市民の心理であった。
大名やその臣下の眼にも移って、日一日と、江戸城を中心とする町割や河川の土木や城普請には、新しい時代の力が
手へ渡すだろうし、またこの工事場そのものが、すでに江戸城の厳重な濠や城門のうちにあるので、その必要を感じないからで
と、誓ってしまったが、江戸城の中へはいってみると、たとえこのまま一生涯、井戸掘り人足で終ろうとも、
江戸城の要害は、小屋そのものにもあるわけではない。江戸城の外へ
の要害は、小屋そのものにもあるわけではない。江戸城の外へ出ることはとてもできないが、この小屋から槐の木の側まで
沢庵が胸に持って来たことは、こうして江戸城逗留中に、一つ一つ片がついて行った。極く手近な、芝口
ところで、将軍家にまた当分の別辞を述べ、江戸城から出て来る前に、沢庵は、ひとりの男を、弟子として連れ
川越の城主である酒井忠勝であった。けれどここでは江戸城の一吏事に過ぎないので、侍者一名を側につれただけで
「其方まで、わしの栄達が、江戸城の門にばかりあると思うか」
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の血をわけた兄も、辻風典馬といって、伊吹山から野洲川地方へわたって、生涯、血なまぐさい中に跳梁した野盗の頭目
」といっていた頃――ちょうど関ヶ原の乱後――伊吹山の裾野で、武蔵の木剣のために血へどを吐いて終ったものであっ
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ならなければ、生活してゆかれないせいでもあろう。和田峠に薬草採りの小屋を懸けて、中山道を往来する旅の者を殺めては
「和田峠でもそうだが、武蔵とおまえは、京都で、吉岡とのいきさつ以来、
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親方は渋団扇で、膝をたたいて笑った。伊豆の伊東の生れで、運平さんという名で界隈の尊敬をうけていた
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藤堂、有馬、加藤、伊達――中には細川家の船旗も見える。
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いた。その麗しい星明りと火光に煙ってうごく群衆は、神楽殿を繞って、この山上の寒さを知らぬ人いきれにしていた。
を呼んで人足もいよいよここへ流れ集まっては来るが、神楽殿にはまだ、静かに、灯影と帳が揺れているのみで舞人はあらわれて
神楽殿の大鼓が、その時、急に高く鳴り出した。武蔵が、われにかえる
と礼をのべて外へ出た。そして神楽殿の前へ来て、伊織の姿を探すと、伊織は群衆の後ろにい
の下へ来たことも知らない。全く放心して、神楽殿の舞に見恍れている。
武蔵は、彼を、見上げもしなかった。神楽殿の床を見ているのであるが、周りの人々のように舞楽に陶酔
それを、彼は今、はっと受け取ったのである。神楽殿の上で、太鼓をたたいている舎人の二本の撥の手――二
口を噤む。雲の断れ目の星を見ている。神楽殿の早拍子が、黒い杉木立の奥に今、旺んだった。
の玄関を窺っていると、ちょうど、武蔵と伊織が、神楽殿の方へ出て行った。
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伊織は寝坊しなかった。赤城下の邸で、新蔵が心配しているに違いないと、翌る朝は
赤城下に行き着いたのは、夜も八刻頃であった。
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(心がけておるうちに、居所も知れよう。佐渡、なおも心がけよ)
佐渡の話を聞けば、武蔵のほうは武に優れているばかりでなく、たとえ
「佐渡、佐渡」
忠利のいい方が、佐渡には、唐突に聞えたとみえて、ただ眼をみはっていると、
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服すこと一年、まもなく旅へ出て、泉州の南宗寺へ身を寄せ、後には大徳寺へも参じ、また、光広卿などと
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ここは伊皿子坂の中腹、岩間角兵衛が私宅の赤門の中。
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一方は赤城神社のひろい境内であり、坂の道を隔てて、それに劣らぬ広い土塀を
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とみえましてな、平河天神だの、氷川神社、また神田明神などへも、それぞれ莫大な御寄進をして、それが、無二の楽しみだ
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奈良井の大蔵といえば、かつて数年前、木曾から諏訪のあたりへかけて、どれほど尋ねたか知れない名である。
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ゆうべから、武蔵と共に、別当の観音院に泊っていた伊織は――食べかけていた赤飯をあわてて掻っ込んで、
いい置いて、武蔵は、別当の観音院の方へ、ひとりで歩き出した。
て、のそのそ尾いて行く男があった。武蔵が、観音院の内へ入ると黒犬を連れたその男は後ろを見て、
――武蔵の姿を別当の観音院の前まで尾行てきた男の手にも、一匹の犬が麻縄で
「そうさ。きのうから、別当の観音院へ来て泊っているんだよ」
、犬を引っ張って出て来た。そして、武蔵が、観音院へ帰って行くまで、背後に尾いて見届けていたわけであった。
登るつもりらしい。それから先に、慥かめておこうと、そっと観音院へ寄って探って来たので遅くなった」
こんなことをしている間に、もし別当の観音院を今朝立つ筈の――武蔵が早くも来かかったら、不審に思われるにちがい
し、ではあるが、落着いた上として、一先ず観音院まで戻ろう」
だが。――その観音院まで戻らぬうちに、神領代官の役人たちが、谷川橋に屯してい
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出て、泉州の南宗寺へ身を寄せ、後には大徳寺へも参じ、また、光広卿などと共に、世の流転をよそに、
「右大臣家(秀忠)とは、大徳寺でも、二度ほど会うているし、大御所には、しばしば謁しておる
の柳生へ立ち寄って、石舟斎どのを病床に見まい、泉南から大徳寺へもどるつもりにござります」
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材木や伊豆石や、城普請の用材をつんだ船が、誇張していえば、舳艫を
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はようやく逃げのびて来たのであった。そこは秩父から入間川の方へ降る正丸峠の上だった。ここまで来るとやっと、自分たちを
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思われない。殊に、角兵衛以外の者からも、近頃、江戸における小次郎の剣名はしきりと聞くところであった。
出て来る様子もないしの、せがれの又八も、この江戸にはいるにちがいないが、居所が知れぬし……で、国許から金を
実際、彼の馬上姿は、江戸の街へはいっても目につくほど立派だった。――どこのお武家
を蔽い隠し、乾いた往来には、のそのそ蟹が這っている江戸だった。
彼も、江戸へ来た当初は、お通に対してだけでも、男らしく、一修行
、博奕の立番をして一飯を得たり、また、江戸の祭や遊山の年中行事に、その折々の物売りをしたり――とにかくまだ
何しろ、急激に殖えてゆく江戸の人口は、それほど無神経でなければ納まりがつかなかった。その中で
彼女の、男を見る眼は、進んでいた。江戸へ来てから――殊に堺町の遊びの世界に身を置いているあいだに
その客とは、誰方でござるか。武蔵にはとんと江戸には知己がないはずでござるが」
の城主、小出右京進が下向に同道して、ぶらと、江戸の開けようを、ありのままいえば、見物に来たのじゃが……」
いるし、大御所には、しばしば謁しておるが、つい江戸には、こん度が初めて。――して、お許には」
と、口を協せて、それとなく武蔵に、長く江戸へ留まることを最前からすすめているのであった。
ても、お通を柳生谷から呼び戻し、武蔵に娶せて、江戸に一家を持たせたら、柳生、小野の二家に加えて、三派の
講話をしたのが機縁で、幕士に加えられ、江戸の神田山に宅地をもらって、柳生家とならんで師範に列し、姓も、
小次郎は、江戸へ出て来て、それらの事情を知った時から、この皀莢坂の
出身の――いわゆる御譜代衆で、小禄でも今の江戸では、それだけで、随分大きな顔をしていられる幕士のひとりだっ
武士気質の人で通って来た治郎右衛門忠明の姿が、江戸から見えなくなったのは、それから間もなくであった。
所もつい先頃まで、自分もいた江戸ではないか。ゆくりなくも今、大蔵の名を見出して、武蔵は
、遂に時代の遺物たる野武士の集団を解散して、ひとり江戸へと志して来たが――その江戸にもない真向きな口があるが
して、ひとり江戸へと志して来たが――その江戸にもない真向きな口があるが――と三峰に縁故のある者の紹介
、奈良井の大蔵はもうこの辺で木曾へ姿をかくし、江戸へは戻らぬほうが安全だろうということになった。
のほうへ反れて立ち去ってしまい、城太郎はただひとりで、江戸のほうへ向って行ったのであった。
城太郎を見出すことができたに違いなかったのに、江戸へ出る道を訊き直したために、かえって薄縁から薄縁の闇へわれから辿って
また会おうとは。……丹左の行く先はわしが知辺の江戸の寺、どうせ死ぬならその父に一目会ってから行くがよかろう。そしてわしの言葉の
「立ちがけに江戸に廻れ。麻布村の正受庵という禅刹に行けば、そちの父青木丹左
「そう、江戸の奉行職は、何といわれたの」
秀忠の信条は、そのまま今の江戸にあらわれている。大御所の認めていることでもあるし、彼の江戸
庶民のながれは続々と、不安な上方から建設の江戸へ移り出した。
の怖ろしい策をうけて、あの城太郎が、秩父から無事に江戸へもどっていたら、その夜のうちにも槐の木の下に、鉄砲
折からこの伊織は、打ってつけな使いではあるまいか。江戸を去るにあたって、一書、彼の手に届けておくのだ」
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甲州口の立場、柏木村から野へはいったのである。十二所権現の丘から、十貫坂と
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「先生。秩父の三峰神社って、そう遠くないんだってね」
神社の月祭りには、そこの家で調べを奏せて、秩父へ出張ってゆくので、それが聞えて来たのだろうという説明だった
聞かされたので、彼は、矢も楯もなく、秩父へ行ってみたくなった。
秩父の麓から、蟻のように絶えまなく、山道を登って行く小さい人影は、
共に、移って来たものと、それより以前から、秩父の山にいた純坂東種の山犬と、そう二種類の結合された
和田峠を追われて、旅へ出た末、ここの秩父で、梅軒と知り合ったのが縁であった。
に二人はようやく逃げのびて来たのであった。そこは秩父から入間川の方へ降る正丸峠の上だった。ここまで来るとやっと、自分
なことで、自首した行為をも穿きちがえられて、秩父の獄へ曳かれて行ったに相違ないと思われた。
「ウむ……。秩父の獄舎に送られて、今頃はさぞ難儀な目に遭っておいでだろう」
「おれは秩父の町へもどって、武蔵様のご様子をさぐり、もし、役人どもが理
そう諭すと、彼は、杖を小脇に持ち直し、再び秩父の方角へ向って行ったのであった。
「彼方から今、おらを追いかけて来る頬かぶりの男は、秩父で権現様の宝蔵破りをした泥棒のひとりだから、みんなして捕まえて
宝蔵破り、宝蔵破り。嘘じゃない。ほんとにあれは、秩父の大泥棒の片割れだよ。はやく捕まえないと逃げちまう!」
だが、武蔵が秩父へ立つ朝、村人が言葉をつがえたとおり、その日から、壊れた草庵は
て、どこも痛くはないが先生がいない、先生が秩父の牢屋に連れて行かれてしまった。それが恐ろしいと、なお泣きじゃくって訴える
師匠さまの武蔵様が、宝蔵破りの冤罪をきて、秩父の牢へお曳かれになったとあっては、知らぬ顔はして
ぬ顔はしておられません。明日にでもすぐ秩父へ行って、下手人はこの身であると、自首いたして、お師匠さま
まるめられ、彼奴の怖ろしい策をうけて、あの城太郎が、秩父から無事に江戸へもどっていたら、その夜のうちにも槐の木の
おいいつけに依りまして、即日宮本武蔵なる牢人の身は、秩父の牢舎より放ちました。折から、迎えに見えた夢想権之助なる者に、
秩父の連峰が、野の果てに横たわっていた。牢舎の中に囚われている
どうしても彼は、秩父までの遠乗りを決心しなければならなかった。行きさえすれば、武蔵に会える
に、膝をかかえているまに、野火止の宿も、秩父の連峰も、白い夕霧につつまれている。
そうだ。新蔵様は心配するかも知れないが、秩父まで行ってしまおう。牢舎にいる先生にこの手紙を届けよう。陽は暮れても
「先生のいる秩父へ行こうと思って……」
加護があったか、遽かにきのう無罪をいい渡されて、秩父の獄舎から放されたのじゃ」
、先生。早く起きてごらんなさい。いつかみたいな――秩父の峰から拝んだ時みたいな――それはそれは大きなお陽さまが、
「沢庵どのがいわれた。多分もう秩父から放されて、戻っている頃だろうと」
秩父の獄中でも、ふかく考えてみたことである。
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「おい、夕方の赤い富士山が見えるから来てみい」
「あ。富士山」
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「大川の畔から、牛込まで歩いて来るのも、容易ではないがの。実は足もくたびれて
のか、その日、辰の口御門を去ると、牛込の北条家には戻らず、武蔵野の草庵へ帰ってしまった。
「牛込の北条どののお邸へでございますか」
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を働いていたが、その戦もなくなったので、伊賀の山奥で、鎌鍛冶となったり、百姓に化けたりしていたが、
稽古などをつけている男もある。なお糾合すれば、伊賀から随身して来た野武士で、今は転業している者など、十名
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金持の御主人とみえましてな、平河天神だの、氷川神社、また神田明神などへも、それぞれ莫大な御寄進をして、それが、
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その伊織の背丈より、秋近い武蔵野の草は高かった。
「さすがに、十郡にわたるという武蔵野の原は広いな」
、嗤われる人間にはなりとうない。……だから、武蔵野の露にそれを捜しに来たのだ。どうしたら、もっと嗤われない
草より出て草へ沈むという武蔵野の陽は地平線に仄かな余映を残していた。草庵の後ろの杉林
武蔵は竹縁に腰かけて、そこから見える武蔵野の夜をながめていた。もう穂芒が穂をそろえ、草の波には
旅籠に、その日は早く泊り、翌日の道も、まだ武蔵野の原だった。
は、千余年前、大集団で、海の彼方から武蔵野へ移住して来た高麗民族の家族と共に、移って来たものと
「おじさん、武蔵野が遠くに見えて来たよ。だけど、先生はどうしたろうな。まだ
おまえがいては足手まといだ、もうここまで来れば、武蔵野の草庵とやらへ、一人でも帰れるだろう」
道は、武蔵野の方へ向って、南へと、降るばかりで、馬の頭も、笠
後も前も見えなくなって来た。そして道は、武蔵野の一端に出るまでは、ほとんど、降りどおしであった。
道はまた、暗くなった。しかし武蔵野の草から草の平地である。
、大いに意志を展べようとする理想にみちた青年のごとく、武蔵野の昼をわがもの顔して歩いて行くのだった。
うしろになって行く。――そしてやがて、銀いろに光る武蔵野の薄の海が眼の前に展がってくる。
、面倒と思って道を引っ返した。道に不便はない武蔵野の原であるし――
と、武蔵野の秋も暮れるこの頃を――一先ずすべての迷妄から離れて、ここまで旅立って
武蔵野のまん中に、彼は息をきって坐りこんでいた。
鞭と――駒の背にまたがるなり駈け出すと、ちょうど武蔵野の真東から、のっと大きな日輪が草の海を離れかけていた。
「焚火なんかにあたれるものか。武蔵野から一息に飛ばして来たので、おいらの体は、この通り湯気が立っ
御門を去ると、牛込の北条家には戻らず、武蔵野の草庵へ帰ってしまった。
も来ぬかも知れぬ。これより駒をつらねて、武蔵野まで訪れようか」
だが、その夜、武蔵野の草庵へ急いだ人々も、遂に武蔵とは会えなかった。
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が、話に熱しているまに、いつか、膳や銚子などが、運ばれて来ていた。
銚子を酌み交わす。
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、毛利に次いで、細川あたりは慥な藩である。大坂城という未解決な存在がまだ風雲を孕んでいるので、身を寄せる藩に
それに反して、太閤の遺孤秀頼を擁する大坂城では、戦争に次ぐ戦争の再軍備にせわしかった。将星はみな謀議の黒幕に
と、恟々たるものは、大坂城を中心とする五畿内の住民を通じての空気であり、また、
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は、進んでいた。江戸へ来てから――殊に堺町の遊びの世界に身を置いているあいだに――多くの種々な型の
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「武州の芝浦といえば?」
その大蔵が、先には、本位田又八を芝浦の沖へ誘って、新将軍の秀忠を狙撃しないかと、金で惑わし
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の両わきにも、大篝火をどかどかと焚いていた。門前町の家ごとには、門々に松明をつけて、何千尺の山の上も
門前町は二、三十戸ある。
門前町まで来るうちに、百人以上にもなって、縄付きの武蔵ひとりを十重
を掃いたように下山して、三峰権現の境内も、門前町のあたりも、ひっそりしていた。
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数年前に、京都の一乗寺で、その武蔵が、吉岡一門の何十名を相手にし
お別れしたのは、京都であったのう。――京都以来か。あの折、わしは母の危篤で、但馬へ帰った」
「この前、お別れしたのは、京都であったのう。――京都以来か。あの折、わしは母の危篤
「和田峠でもそうだが、武蔵とおまえは、京都で、吉岡とのいきさつ以来、恨みのかさなっている相手じゃないか。女
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京とちがって、奈良茶というような家もまだない。ただ、空地の草ぼこりに、葭簀
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とみえましてな、平河天神だの、氷川神社、また神田明神などへも、それぞれ莫大な御寄進をして、それが、無二の
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ながらに対い合っていた。――その雲の峰の影も、品川の海の色も、剣の中に溶けていた。
、月の岬の高台にあるので、芝の浜から品川の海は元より、上総沖から湧きあがる雲の峰とも坐ながらに対い合っていた
におめかししているので、何処へといったら、品川の親類までといっていたが」
「え。品川へ」
「へい。……じゃあ、品川へ行ったのかもしれません」
(品川の親類へゆく)
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。彼女が、中山道を江戸下りの女郎衆と共に、八王子の宿まで来た時、そこで泊り合せた旅籠で、彼女は、城太郎
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この浜町の原の一軒家をかりうけて、昼間は、病人に灸点をして困らぬ
と、こんどは三人して、河べりから浜町の原を振り向いて、
治郎右衛門などには、体よく告げてあったし、ゆうべ、浜町の原から、老婆を人質に取って来たなどということも、勿論
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を覗く。樹々の透き間を淙々とゆく谷川が望まれる。お茶の水の流れだった。
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たところ、ここから近い阿佐ヶ谷村には、遠い昔から、阿佐ヶ谷神楽といって、旧い神楽師の家があり、毎月、三峰神社の月祭り
此家の老百姓に聞いてみたところ、ここから近い阿佐ヶ谷村には、遠い昔から、阿佐ヶ谷神楽といって、旧い神楽師の家
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山の手の屋敷町が見える。日比谷村あたりの畑や河すじの船が見える。下町の人通りが見える。
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神田川の堤でも。――また、北条新蔵までも、返り討ちにしたと
――参ったらさんざんに叩きのめしたあげく、鼻を削いで、神田川の樹に曝し者にしてやるのだな)