砂がき / 竹久夢二

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地名一覧

小石川

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それから一年後か二年後だつたか、その頃小石川の原町にあつた小林鐘吉氏の研究所へ通つたが、何でも三

土浦

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その後、潮來は知らないが、霞ケ浦を、土浦、白濱、牛堀、佐原、銚子と昔の讀本の挿繪のテイムス河の景色

筑波山

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揃ひの浴衣は、染違ひに半幅に筑波山をかさねて水に映つた心持の繪柄、半幅には、

大阪

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歩くたびに思ふことが、この古い靜かな街が、大阪のやうに急進的にいろんな方面で膨脹した都會の影響を受けて、古い

たしか去年の夏大阪の柳屋でお目にかゝつて以來お目にかゝりません。あなたの東京

のは「よいな/\」と言ふのださうな。大阪は「よいしよ/\」東京のは「わつしよ/\」夏の

「なにせ、わつしが大阪へ來た頃は箱根に汽車のない時分でしてね。面白い話しがあるん

京都、大阪、東京の三都の女に就いて何か書いて見ないかとの話しに

大阪の町人は、素晴しく生活力が旺盛で、實に執着力が強い。男も女

引くのです」とあつた。これはちよつと京の女も大阪の女もしないことでせう。

……京都の町の全體としても、大阪の方から來る物質的壓迫と東京の――わけてもジヤアナリズムから來る思想的文化が

どうも生れた土地の米が食べたい」そんな事で、大阪から女中だけ京へ歸して、岡山まで、正月の餅を食べにいつた

有馬

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から病みついて(それが原因でといふ意味ではない)有馬の湯に二週間ばかり、京へたどりついたのは、二月の下旬でも

東寺

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音をききながら歩いた菜の花道。島原の道中の日、東寺の縁日に見たのぞき眼鏡のエロチツクな感覺。いづれも春の感傷でないもの

本郷

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なる時がある。上野の山下から池の端を通る時には本郷の高臺の方を眺めます。牛込の神樂坂を上る時は、きつと

三上山

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恰度朝餉の時間だつたかして、私はよく食堂から三上山と彦根の城とを見る。彦根を過ぎてしばらく、多分、瀬多の少し

音羽

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音羽の瀧を上つた所で、私達は、四十ばかりの女につれられた若い

熊野

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たらつまらない山かも知れない。しかし紀州灘で見た熊野の連峰や、鳥海山や、彌彦山は今見ても好からうと思はれる

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ので、その邊の出來合では間にあはず、堺までいつて自分で自分の腕に合ふのを買ひにゆく旅費はなし

ボストン

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その折、アメリカの學者で來朝してゐた、ボストンの博物館長キウリン氏が、展覽會を見にきて、畫を買つて

雷門

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を話をしたほどだつた。人形といへば淺草の雷門の四つ角から並木の方へ二三軒いつた所に、三太郎ぶしを賣る家に

鹿ヶ谷

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小夜中山の道をぬけて山科の方へぬける道や、鹿ヶ谷から三千院の方へ歩く道を、うつらうつら歩いたものだ。南禪寺の松林

九州

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でも眺めても、好いものではないだらうか。九州の温泉岳は就中好きな山だつたが、島原町の船の中から望み見

を思ひ出す、象頭山は十六歳の私、郷里を落ちて九州へゆく時祖父と二人酒船の中から見たのと、神戸の中學へ入學

筑波

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筑波根を流して涼し隅田川

。氣に入つたとなると富士山へ一夏に三度、筑波、那須へも二度づゝ登つたが、いつも東京の街を歩くよりも勞

箱根

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「なにせ、わつしが大阪へ來た頃は箱根に汽車のない時分でしてね。面白い話しがあるんです。沼津から夜徹し

壬生寺

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に飛んでゐた、たんぽゝのむく毛。どんがんどんがんと壬生寺の狂言の鐘と太鼓の音をききながら歩いた菜の花道。島原の道中の

石山寺

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螢の名所だつた。ある夏、瀬多から小舟を出して石山寺石門の下を過ぎてそこの村の、色のさめた蚊帳を釣つて

島原町

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か。九州の温泉岳は就中好きな山だつたが、島原町の船の中から望み見た山のたゝずまひは、石濤の畫い

鴨川

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その心持で、千鳥の聲と京阪電車の騷音を併せ呑む有名な鴨川よりも、智恩院の御門前から繩手を經て大和大路の方へ靜か

江戸

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てゐる。百年の昔には、婦女子のために江戸の土産として一文か二文で賣つてゐた江戸繪が、いま

それは芝居ばかりではありません。江戸でいふ「場ちげえ」ほどいやみなものはありません。

上方の女と江戸の女

と「上方の野菜物は甘い、關東に食へるものなし、江戸は穢土なり」といふ意味のハガキを貰つたことがある。京の女

手と言はず投錢をしたのださうなが、江戸の客が一當大きな奴を投げるのでさう言つたもので、江戸つ兒

が一當大きな奴を投げるのでさう言つたもので、江戸つ兒の気前を見せたものである。

所謂、江戸つ兒には、日本人なら誰にでもなれそうな氣がするが、上方

氏の觀方は、芝居の書割りのやうだと言つた江戸の女と好い對比をなしてゐると思ひます。

江戸の人は、正月の消防の出初式に楷子の下から見る時と、兩國

江戸の小唄の殆んどすべても、やはり、なげやりな人間のはかないあきらめと、ロマンチツクな意

にとつては、隨分親しみの多いことなのである。江戸の女に比べて京の女は、着物の裾をはし折つて、よく

かぎながら平氣で高野豆腐をたべる。かくの如き自然兒は、江戸の女の中にはないのである。「お前とならば奥山住ひ」

「莊内は、江戸の文化に影響されずに、浪華・長崎・金谷の港を經て日本

明石町

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のお七帶かなんかをしめた下町娘が小走りに、明石町から箱崎の方へ橋を渡つてゆく風景は、今は昔です。

番町

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師匠は、竹格子の出窓に朝顏の鉢植をならべ、番町の御隱居は、床の間に福壽草を据ゑて、せめて自然への心やりを

明治神宮

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勢を持つた二重橋を見たことはなかつた。明治神宮のどこやらを飾るために畫いたという藤島武二氏の繪を、いつ

伊勢

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お杉は痛がらず」という川柳がある。昔、伊勢の古市でお杉お玉が三味線を彈いてゐた。諸國の觀光客

富士山

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その頃評判だつた「白馬山の雪景」や「曉の富士山」なんか影がうすくてとても見られないと思つたが、これもやつぱり誰に

なくとも、岡でも好い。氣に入つたとなると富士山へ一夏に三度、筑波、那須へも二度づゝ登つたが、いつも東京

富士山の見える四日市場に、紀州の蜜柑船がつくのさへもう見られまい。

牛込

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を通る時には本郷の高臺の方を眺めます。牛込の神樂坂を上る時は、きつと峠の茶屋を眼に浮べます。矢

越後上布

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船宿の女房は越後上布に唐繻子の引かけ帶ですらりと立つたものごしが、柳のやうで、

銚子

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知らないが、霞ケ浦を、土浦、白濱、牛堀、佐原、銚子と昔の讀本の挿繪のテイムス河の景色にあるやうな汽船に乘つ

これもはや十數年前のことだが、銚子の川口から大利根を一マイルばかり溯つたところに松岸といふ遊び場所があつた。昔

あつた。今はどうなつたか。それから、松岸から銚子へゆく川添の道もおもしろかつた。兩側に立並んだ蠣殼と小石とを屋根

道頓堀

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火を持つたまゝ、終夜運轉の京阪電車が嬉しさに、道頓堀のおそい茶屋で年越そばを祝つて、住吉へお詣りすると、ほのぼのと

西陣

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から深い人間の遺傳や性の悲哀を知り、堀川や西陣の場末の安い席亭にかゝる「大津ぶし」に人生の哀音をきいたこと

島原

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、抱きよせるやうなシヤルムを持つてゐる。誰が名づけたか島原では眉山と呼んでゐる。島原の港を前景にして九十九島の島影

。誰が名づけたか島原では眉山と呼んでゐる。島原の港を前景にして九十九島の島影に船を浮べて見る眉山は、

狂言の鐘と太鼓の音をききながら歩いた菜の花道。島原の道中の日、東寺の縁日に見たのぞき眼鏡のエロチツクな感覺。いづれも

六波羅

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京の六波羅に、豌豆の出來る畑がある。口へ入れると淡雪のやうに溶けて、

祇園

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の婚姻制度よりも徹底的に優秀な習慣を持つて居る。祇園の女で千や二千の貯金のない舞妓はないと聞いてゐます。普通

わからなくなつた。これはある年、京都にゐたころ祇園から若王子へぬける道の道具屋にあつた、歌麿筆鐵※をつける女の圖

上野の博物館

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淺草も變つた。仲店の、あれも虎の門や上野の博物館や銀座や十二階とおなじ時分に出來たと思はれる赤煉瓦の長屋の

大津

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ゐる。あの邊から膳所はすぐ近所だつたかしら、さうだ大津から膳所瀬多と湖上汽船でいつたやうにおもふ。湖を越えて見る

悲哀を知り、堀川や西陣の場末の安い席亭にかゝる「大津ぶし」に人生の哀音をきいたことを忘れません。

神戸

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てしまつた。その時から五年ほど經つて、神戸で個人展覽會をやつた時、會場であつた青年會館の下の白い

へゆく時祖父と二人酒船の中から見たのと、神戸の中學へ入學した年、船の中から見た摩耶山は今も忘れ

海から見る山では、讃岐の象頭山と神戸の摩耶山を思ひ出す、象頭山は十六歳の私、郷里を落ちて九州へ

京都

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なる。桓武天皇以來、長いこと天子樣のお膝下にゐた京都の町人はおそろしく卑屈になつてゐる。おかみの仰有ることには一も

でも出來るし、長く住んだせゐか氣樂だよ」京都へ住むやうになつてから、彼是もう半歳になる。桓武天皇以來、長い

」と聞く。私はまたきまつてかう答へた。「京都つて言ふところはお金をたんまり持つて旅人として遊びに來るには好い

東京の方から偶々訪ねて來る朋友はきまつて「京都は面白いだらう」と聞く。私はまたきまつてかう答へた。「

やろ」と言つたといふ。電車の停留所さへ毎日違ふ京都の街に一秒二秒を爭ふ正確な午砲の必要が何處にあらう

の京都の午砲のことを書きたいと思つたのだ。京都の街を歩くたびに思ふことが、この古い靜かな街が、大阪

この通信にこんなことを書くつもりではなかつた。僕の京都の午砲のことを書きたいと思つたのだ。京都の街を歩くたび

A君。私はほんたうに京都の街を愛してゐる住民の一人です。

ながらまだ逢ふ時がないのを殘念に思つてゐます。京都の六月には何もこれと言つて書くやうな芝居もありません

京都は夏のゆくことが早う厶います。夕方になると祇園囃の笛

感じない程度に話されてゐたのは、井上のあの京都のアクセントで話す東京語と好い對をなして面白いと思ひました。

裏小路に、人知らぬ愛情を持つてゐる私は、全く京都名所地理に不案内な案内者でした。

のうちはさすがに日本一の暑さ、東京がいつでも京都よりも十度から涼しいのはすこしくやしい。こんな夕方には銀座を歩きながら

時、乘客が窓から首を出して合掌するのも京都でなくては見られぬ。かうして神輿が御旅所にある一週間は

思ひついて、宵やまの歸りに文之助茶屋へよつて、京都の神輿かきは大變靜かだがなんと言つてかくのだと聞い

京都、大阪、東京の三都の女に就いて何か書いて見ないかと

「……一體京都の女は着物をきるんぢやないんです。たゞ身體に卷きつけるん

姿や東山」全くさうです、山が眠つてゐるやうに京都の女は座つてゐる方が、よほど美しいやうです。それで自然的に

京都では浴衣を外出する時、決して着ません。浴衣がけで歩く女はよく

を持つてゐないことを恥ぢる」とあったが、京都では、さうぢやないんです。

言つたことは一面の觀察だと思ひます。しかし、京都人には恐るべきアナボリツクな所がある。ほんたうに人間が、人類の一人

ないで、消化されないでゐるやうです。ある人が京都を評して、中樞神經のない思想生活のない田舍町だと言つた

……京都の町の全體としても、大阪の方から來る物質的壓迫と東京の

普通のことになつてゐるらしい。私が使って居た京都生れの女が「私も身賣りをしませうかしら」とある時都

……京都の女は皆それ/″\に市價を持つてゐることは、恐る

、今からもう十數年前のことで、第一回は京都の圖書館の樓上だつた。その頃の個人展覽會で一日數

ゐる景色を私は春の景色の中で一番好もしく思ふ。京都にゐたころにも清水から小夜中山の道をぬけて山科の方へ

女性だつたか、わからなくなつた。これはある年、京都にゐたころ祇園から若王子へぬける道の道具屋にあつた、歌麿筆鐵

長崎

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莊内は、江戸の文化に影響されずに、浪華・長崎・金谷の港を經て日本海を船で、天平や切支丹がまつすぐに

岡山

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」そんな事で、大阪から女中だけ京へ歸して、岡山まで、正月の餅を食べにいつたものだ。親も兄弟もそこに

深川

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日本橋の兩仲通り、深川の富岡門前、坂本町、神田旅籠町から大時計のあたり、お成道はいまも

お前とならば奥山住ひ」と唄にはあるが、深川の女にはとても田園生活は出來さうもない。

東京

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東京地圖

て來た本も讀みつくした時など、どうかして東京地圖など熱心に見てゐることがあります。なかなか懷しいものです。

どこが好いのか、なぜ好きなのか解らないが、東京の新聞も入らないやうな山間の温泉場などへいつてゐて、雨に

東京に住んでゐては、東京のどこが好いのか、なぜ好きなのか解らないが、東京の新聞

東京に住んでゐては、東京のどこが好いのか、なぜ好きなの

からずつと東京に住んだ私にとつては、一片の東京地圖は、實に有機的な私の人文科學史です。いろんないやな記憶

物心がついてからずつと東京に住んだ私にとつては、一片の東京地圖は、實に

端に腰かけて、電車の往復切符を、ポケツトから見出して、東京へ寄せる感傷的な詩をかいたことを思ひ出します。

震災後東京も、散歩するに好い街はほどんどなくなつてしまひました。我々の

前などは自動車で走らせるには快適な道だらう。東京の名所も、愉快な街もかうしてだんだん變つてゆくのだ、

荷揚場はいまでもなか/\おもしろい所だ。「あたくし東京でこの道が一番好きです」と、ある婦人が言つたのを聞いて

東京の道のわるさは、雨でも降つたら、どうでせう。ある

讀者諸孃の父兄達にもし東京の市會議員か復興局の役人がおいでだつたら、個人の不當の

好い所だが、住むに好い所ぢあないね、やつぱり東京の方がどんな生活でも出來るし、長く住んだせゐか氣樂だよ

東京の方から偶々訪ねて來る朋友はきまつて「京都は面白いだらう」

目にかゝつて以來お目にかゝりません。あなたの東京の話やいたこや松岸の話も聞きたいと思ひながらまだ逢ふ時がない

れてゐたのは、井上のあの京都のアクセントで話す東京語と好い對をなして面白いと思ひました。

は高田と高島屋とを交ぜて、それにこの人獨特の東京語とも地方語ともつかない一種の訛りのある言葉が、マンネリズムと感じ

いふのに、日のうちはさすがに日本一の暑さ、東京がいつでも京都よりも十度から涼しいのはすこしくやしい。こんな夕方に

「あなたは東京から來てお居でぢやないんでせうか、つひお召物がなつかしく

には、有名な席亭や商店の名が書いてある。東京ならさしづめ魚がし、柳ばし、と書いてある所だ。その前を電車が

で彩つた團扇や手拭を持つて殺倒する、東京の夏祭りは、どこまでも野趣と蠻力とを持つてゐる。灼熱と喧騒

言ふのださうな。大阪は「よいしよ/\」東京のは「わつしよ/\」夏の日盛りの炎天の下で赤や

「えゝ、これで東京なんです」

京都、大阪、東京の三都の女に就いて何か書いて見ないかとの話しに、

では育たないさうで、思ひ付きをほめられたさに東京の上司氏に贈ると「上方の野菜物は甘い、關東に食へるものなし

また引合に出してすままいが、東京の雪景色を俗な宗匠にたとへた三色氏の觀方は、芝居の

お芝居じみたところがあることは爭はれないことです。東京に住んでゐると、自然の推移や、氣候の移り變りを殆んど

東京の雪景色はどこまでも人工的なお芝居じみたところがあることは爭はれ

の全體としても、大阪の方から來る物質的壓迫と東京の――わけてもジヤアナリズムから來る思想的文化が渦をまいて、調和し

三年ばかり東京に居なかったので、此頃人に逢ふと「どちらにお住ひ

住んだ日とて所とてないのが思はれる。でも、東京の市内ではどんな大厦高樓を見てもついぞ好ましいと思つた事は

東京地圖など披いて見る事がある。十數年間の東京生活が恰度外國の遊戲にある Who,When,Where,What のやう

東京から遠い温泉の旅籠で、偶然東京地圖など披いて見る事がある。十數年間の東京生活が恰度外國

東京から遠い温泉の旅籠で、偶然東京地圖など披いて見る事がある。

かならいつも明確に分つてゐるが、私には住所が東京にも宿屋しかない場合もあるし、日が暮れて宿る所が私に

中學を中途でよして、東京へ出たのは十八の夏だつた。内村鑑三氏と安部磯雄氏の

度、筑波、那須へも二度づゝ登つたが、いつも東京の街を歩くよりも勞れもせず、靴のまゝで散歩する氣持

は平坦なもの、曲線よりも直線が短いという概念から東京の郊外も人が住むや否や、丘も森も切拂つて、オフイス

たら、そのまゝ可憐な風景畫が得られる。總じて東京の近郊は土壤が黒くて道がぬかるみで惡いが、春先き三月

の春の抒景は、もう古典になつたほど、今の東京の新年は、商取引と年期事務としてあるに過ぎないと、思はるる

階でよんだ、紅葉や一葉の作物の中にある東京の春の抒景は、もう古典になつたほど、今の東京の新年は

代りに、年始の禮を缺ぐ謂れもない。だから東京の新年の記憶と言へば、街ががらんとして、大禮服を着

銀座

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や約束があつてはいけません。といふのは、銀座のさえぐさへ寄つて絹のレースの肌着を買ひ、はいばらへいつて

文明開化當時、煉瓦地と呼ばれた銀座通りの柳もなつかしいが、裏通りの金春とか、河岸からあの邊一帶は

變つた。仲店の、あれも虎の門や上野の博物館や銀座や十二階とおなじ時分に出來たと思はれる赤煉瓦の長屋の文明開化

日のうちの洋服をぬいで、銀座の散歩に仕立おろしの中形浴衣を引かけた十六七の娘はまるで

よりも十度から涼しいのはすこしくやしい。こんな夕方には銀座を歩きながら資生堂のソーダ水でも飮みたいがそれよりも播磨屋が見たい。

ある時、銀座の夜店で、獨逸の「シンビリシズム」といふ雜誌を買つて、複寫

寂光」の會のくづれが東洋軒の地下室を出ると、銀座の方へ歩くものと濠端の方へ行くものと二組に別れた。

り方、歩き方、首の振り樣まで眞似て、銀座の歩道や、カフエーや、帝劇の廊下で實習してゐる若紳士を

神田

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日本橋の兩仲通り、深川の富岡門前、坂本町、神田旅籠町から大時計のあたり、お成道はいまもおもしろいと思ひます。錦繪

上を、綱渡りの冒險の快感を、すこしづゝ味ひながら神田橋の方へ歩いた。

日本橋

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日本橋の兩仲通り、深川の富岡門前、坂本町、神田旅籠町から大時計のあたり、

は團扇、扇子など商ふ紀友といふ老舖が日本橋七日市にある。

日暮里

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妻戀坂から天神下、池の端七軒町から、團子坂、日暮里は、好きな街だつたが、いまわづかに七軒町が殘つたばかりだ。

飯田橋

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萬世橋から講武所を上つて、お茶の水橋から飯田橋、あの河岸と牛込見附の荷揚場はいまでもなか/\おもしろい所だ

お茶の水

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萬世橋から講武所を上つて、お茶の水橋から飯田橋、あの河岸と牛込見附の荷揚場はいまでもなか/\

麹町

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それから四谷見附の麹町十何丁目かのあの一丁ばかりの間の裏通りも好い。いつか有島生馬

市ヶ谷

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市ヶ谷見附から入つて三番町へゆく電車通りに一軒菓子屋がある。何

上野

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淺草も變つた。仲店の、あれも虎の門や上野の博物館や銀座や十二階とおなじ時分に出來たと思はれる赤煉瓦の

に山によせた憧憬を持つて眺めるのです。新聞に上野の彼岸櫻が咲いた消息が出るより先きに田舍者の私は生理的に

た信仰のやうに、山が戀しくなる時がある。上野の山下から池の端を通る時には本郷の高臺の方を眺めます。

永田町

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浮いてゐるのを見逃しはしません。霞ヶ關を永田町の方へ上る時も、九段の坂を下る時も、重なりつらなる甍

高尾

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が紫にかすむことも、北山に時雨が降りることも、高尾栂尾の山が紅葉することも、京の人にとつては、隨分親しみ

新橋

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ずに平氣でやつてゐた。淺草公園やその頃の新橋の停車場などは、人間をかくに最も好いスケツチ場になつてゐた。

住吉

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嬉しさに、道頓堀のおそい茶屋で年越そばを祝つて、住吉へお詣りすると、ほのぼのと夜が明けはなれ、太鼓橋の上で初

隅田川

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筑波根を流して涼し隅田川

よく澄んだ夏の富士川の流よりも、冬の黄色い隅田川の水の美しく見えることさへある。昔から美しいと思はれたものを直