明治十年前後 / 淡島寒月
地名一覧
江戸
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だ。これは才麿という人が、一日一万句を江戸でよんだことに対抗したものであった。散文を書いたのは、
私は江戸の追憶者として見られているが、私は江戸の改革を経て
十種』(六十冊)――これは達磨屋吾一が江戸橋の古本屋で写生して、東紫(後で聞けば関根只誠氏)に
湯島
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四年の頃、西鶴の古本を得てから、私は湯島に転居し、『都の花』が出ていた頃紅葉君、露伴君
、三歳の頃――明治十三、四年頃――湯島へ移り、図書館で読書している間に、草双紙を読み、『燕石十
東京
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新繁昌記』も出た。新しい西欧文明をとり入れ出した東京の姿を書いたもので、馬車だとか煉瓦だとかが現われ出し
は柳暗のことを書いたものである。その他に『東京新繁昌記』も出た。新しい西欧文明をとり入れ出した東京の姿を
浜町
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。私はその本屋をはじめ、小川町の「三久」、浜町の「京常」、池の端の「バイブル」、駒形の「小林文七」「鳥吉
小川町
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をつぶしてしまう頃だった。私はその本屋をはじめ、小川町の「三久」、浜町の「京常」、池の端の「バイブル」、駒形の