不尽の高根 / 小島烏水

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地名一覧

吉野山

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一歩境内に踏みいると、乱雑なる町家から仕切られて、吉野山の杉林を見るような、幽邃なる杉並木が、富士の女神にさす背光を

槍ヶ岳

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立山、三禅定の神社はいうも更なり、日本北アルプスの槍ヶ岳や常念岳の連山にしてからが、石垣を積み、櫓をあげ、層々

の白峰、北岳、間の岳にしても、北アルプスの槍ヶ岳、穂高岳にしても、三千二百米の高さには達していない。

頂上からかけて、七合下りまで、銀流しの大雪が、槍ヶ岳の雪渓にちょっと似ているが、八月半ごろまでには大抵溶けて、

硫黄岳

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の火口壁が欠損して、最高点の赤岳をはじめ、硫黄岳、権現岳、擬宝珠岳、西岳などの孤立峰を作って、それが山名の

武蔵野

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空に竜巻している、うぐいすのなく音も交る。武蔵野に見るような黒土を踏んで、うら若いひのきの植林が、一と塊まりに寄り添っ

金峰山

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つ二つ庭に転がっている。富士の植物はもとより、金峰山から移した高山植物などがその辺に試植されている。ここから精進口の

北海道

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、博士によれば、シロシャクナゲは、本州中部の高山から、北海道にまで分布し、多数の標本を集めて見ると、葉裏全く無毛のものと

八ヶ岳

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、少ないとはいわぬ)、近いところでは、天城山、八ヶ岳にも繁茂しているし、加賀の白山にも多いところから、白山石楠花と

富士を下りてから八ヶ岳に向った。まだ夜の明け切らぬうち、甲府で汽車を捨てた。甲斐山

照貞氏と、田富小学校長輿石正久氏が加わり、自動車で八ヶ岳の高原へと走らす。私がまだ米国に渡らぬ先に、甲府で山梨山岳

この日は、前夜からの雨天で、八ヶ岳は、すッぽり雲に包まれ、目前にあって見ることが出来ない。

。羽虫が飛び、甲虫が歩く。この旅行の目的は、八ヶ岳はもちろんとして、東麓の「美し森」の植物、殊に一千二、三百メートル

が降りしきるので、飯盛山のもうろうたる姿を見たばかり、八ヶ岳へ寄りつけないので、「美し森」は来るべき紅葉の季節を待つこと

私が八ヶ岳に興味を有するのは、あながちに富士火山帯の一高峰として、富士の

岳、西岳などの孤立峰を作って、それが山名の八ヶ岳の数を、それぞれ満たしているが、富士の蓮華八葉の如き、浅い切り

、浅い切り込でなく、深刻に切断されたところの八ヶ岳である。しかし、より多くの興味は、八ヶ岳の欠損した絶頂を、原形

たところの八ヶ岳である。しかし、より多くの興味は、八ヶ岳の欠損した絶頂を、原形に還元して盛上げて見ると、恐らく富士山より

の高さになるであろうと称せられる如きおもかげを、この八ヶ岳の空線にも存していることである。日本で富士山よりも高い火山を

七里岩を、向う岸の美しい赤松の林から眺めた。八ヶ岳の泥流が作りあげた凝灰質、集塊岩の美事なる累積である。それが

駒ヶ岳

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南アルプスと甲斐の山旅』の著者平賀文男氏、白峰および駒ヶ岳に力こぶをいれる白鳳会の人たち、その他、甲府全市の知識階級の郷土愛は

富士五湖

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は目ざましく、南アルプスの山々、昇仙峡の谷、八ヶ岳高原、富士五湖を紹介するに全力的になっていられる。甲斐絹、葡萄、水晶の名産

赤石山系

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岳の一脈、その次に早川連巓の一線、最後に赤石山系の大屏風が、立て列なっている。富士の噴出する前から、そこに居並ん

大江戸

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広重の『絵本江戸土産』初篇開巻に掲出せられて、大江戸の代表的風光として、知られていたのであった。私が二

神田明神

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た小社に、市民が陸続参詣した。駒込の富士から神田明神、深川八幡の境内、鉄砲洲の稲荷、目黒行人坂などが、その主なる

富士登山

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市民の生活といっても、当時交通不便にして、富士登山が容易でなかったために、旧暦の六月朔日には、市中と郊外

選んだのには、理由があった。大宮口は、富士登山諸道の中で、海岸に近いだけに最も低い。吉田口は大月駅から緩やかな上り

さ来さの白衣の菅笠や金剛杖に伴って、いかに富士登山を、絵巻物に仕立てることであろうか。行者と修験者の山なる点において

、私を悦ばせる。安政六年版の玉蘭斎貞秀画、富士登山三枚続きの錦絵には、「小御岳、花ばたけ、しゃくなぎ多し」と

箱根

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、裾野がいまだ生成しないうち、富士と、愛鷹と、箱根が、陥没地帯の大海原に、火山島のように煙を吐いて、浮かんでい

愛鷹山

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げな空虚を天の一方に残しているばかり。手近の愛鷹山さえ、北の最高峰越前岳から、南の位牌岳を連ぬるところの、鋸

鋸岳

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の位牌岳を連ぬるところの、鋸の歯を立てた鋸岳や、黒岳を引っ括めて、山一杯に緑の焔を吐く森林が、水中の

権現岳

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が欠損して、最高点の赤岳をはじめ、硫黄岳、権現岳、擬宝珠岳、西岳などの孤立峰を作って、それが山名の八ヶ岳の数

追分

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が、山の坊という感じで、浅間山麓の沓掛や追分のような、街道筋の宿駅とは違ったところがある。吉田だけは、

横浜

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帰朝したのは、本年三月であった。横浜の波止場で、家族と友人の出迎えを受け、久しぶりで逢いたい顔に逢った

剣ヶ峰

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平べッたくなって、塔形にすわりがいい。ただ剣ヶ峰の頂のみが、槍のように際立ってとがって見える。雲は野火の煙

割石と富士山中の第二高点、見ようによっては、剣ヶ峰より高く見える白山ヶ岳の危岩が仰がれ、そのくぼみには、シャモニイの氷河

沢としては大きくて深い。頂上内院火口の西壁、剣ヶ峰の側からなぎ落されて、直線に突き切ること三里、力任せにたち割った

酒匂川

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一行の汽車は、箱根火山彙を仰ぎ見て、酒匂川の上流に沿い、火山灰や、砂礫の堆積する駿河小山から、御殿場を通り越し

赤岳

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ある、即ち外輪山の火口壁が欠損して、最高点の赤岳をはじめ、硫黄岳、権現岳、擬宝珠岳、西岳などの孤立峰を作って

大室山

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噴気口を行列させている。だれでも目につく大室山を先手にして、その後に寄り添って、長尾山、片蓋山、天神山、弓射塚

アルプス

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アルプスにも似た例がある。近代氷河学の祖なるルイ・アガシイ先生は、

である。実に日本国中、最高の町である。アルプスのモン・ブランにもなく、シエラ・ネヴァダのマウント・ホイットニイにも見られない

中山道

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という、太々神楽の額や、天保四年と記した中山道深谷宿、近江屋某の青銭をちりばめた奉納額などがあった。そこから

越前岳

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に残しているばかり。手近の愛鷹山さえ、北の最高峰越前岳から、南の位牌岳を連ぬるところの、鋸の歯を立てた鋸岳や

立山

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。それに反して、日本の山々は、富士、白山、立山、三禅定の神社はいうも更なり、日本北アルプスの槍ヶ岳や常念岳の連山

浅間山

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いい、富士浅間菩薩とも呼んだりしたが、本元の浅間山の方は、一の鳥居があるだけで、御神体は、山そのものに宿る

大宮浅間神社

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だが、それは今私たちの取った道ではない。大宮浅間神社の裏から粟倉、村山を経て、札打、天照教まで大裾野を通り

フッド山

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る熔岩塊と、すれすれによじ登ったが、ベエカア山や、フッド山の氷河を渉った釘靴をはいていたので、釘が熔岩の裂け目

の御中道も、輻射状の谷沢も、レイニーア山や、フッド山が、氷河を山頂、または山側から放流して、山の皮膚ともなり

茗荷谷

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の、夏なお寒い喬木帯を通過する。三合目の茗荷谷の小舎では、かけひの水が涼しかった、三合五勺では、

大沢

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、その火口底へ下り、大宮方面の大森林に入って、大沢の嶮を越え、小御岳へ出るのが順で、始めて「大願成就

異香をくんじているが、路が御庭へ一里、大沢へ約二里と、森の中へ深いりすると、落葉松の間から、コメツガ

見る由もないと慨かれたが、小御岳から、大沢をはさんで、大宮口に近い森林まで、純美なる白石楠花の茂っていること

の跡が、切り刻みをつけている。小御岳から、大沢へゆく間にも、「小御岳流れ」「大流れ」「白草流れ」

て、参詣の道者が難渋するため、そのうちの難所たる大沢に、お助け小舎を置いたそうだが、それは疾くにつぶれて、今

五、六合間の等高線をゆく、御中道の大沢近くくると、にわかに婉曲してひた下りに下る。大沢は谷という

近くくると、にわかに婉曲してひた下りに下る。大沢は谷というには浅く、沢としては大きくて深い。頂上内院火口

て振り返ってみると、白衣の道者の一連が来て、大沢の手前でうずくまり、先達がお祈りを上げている。さながら葛飾北斎の富嶽三十六

江戸

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一 江戸と東京の富士

大火山を崇拝しているよりも、この東京が、かつて江戸と呼ばれたころには富士山が「自分たちの山」として崇められ

いう歌は、余りに言い古されているとしても、江戸から富士を切り捨てた絵本や、錦絵や、名所図会が、いまだかつて存在した

百景』三巻、『富嶽三十六景』四十六枚が、いかに江戸と、その市民の生活と、富士山とを結びつけているか、いかに世界的版画の

富士山麓

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お茶屋にでも、遊んでいるような気がする。恐らく富士山麓の宿屋としては、北の精進ホテル以外において、もっとも景勝の地

神楽殿

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前に、永久性の大鳥居がただ一つあるばかりだ。神楽殿の傍には、周囲六丈四尺、根廻りは二丈八尺、と測られ

富士山

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も、この東京が、かつて江戸と呼ばれたころには富士山が「自分たちの山」として崇められていたことであった。

、目の覚めるような白玉の高御座をすえたのが、富士山であったことは、初代一立斎広重の『絵本江戸土産』初篇開巻に

、遥に高く雲の上に、睛を点じたものが富士山であったことは、喜多川歌麿の「霜月見世開之図」や、長谷川雪旦

』四十六枚が、いかに江戸と、その市民の生活と、富士山とを結びつけているか、いかに世界的版画の名作として、日本をフジヤマの

、旧暦の六月朔日には、市中と郊外にある富士山の形に擬えた小富士や、富士権現を勧請した小社に、市民が陸続

塔となってしまった。もはや都市経営論者からも、富士山の眺めを取り入れることによって、日本国の首府としての都会美を

の富士見町だのという名を保存することによって、富士山が市民の胸に蘇生しては来ないようだ。

ポートランド市の如く、レイニーア火山を高聳させるシアトル市の如く、富士山を西の半空に、君臨させるところに存すると考えられる。帰朝以来の

の第一登山に、いずれの山谷を差しおいても、富士山へ順礼する心持になれたのも、「私たちの山」への親しみの伝統

坂上りで、海抜僅かに百二十五メートルに過ぎない。試みに富士山の断面図を一見すると、頂上久須志神社から、吉田へ引き落す北口の線は、

、無尽蔵なるにおよばない。シエラ・ネヴァダの連峰が概して富士山を抜くこと、二千尺の高さがあっても、カスケード火山に、氷河脈

(Geological Sketches 第二輯、一八七六年刊)。氷河のない富士山は破壊力においてすら微温的であるから、時に雪なだれで森林を

を、人が言わないようだ。それと共に、もし富士山に北米レイニーア火山のような氷河が放射していたならば、今の白

て、長尾山、片蓋山、天神山、弓射塚、臼山など、富士山を御本丸として大手からめ手に、火山の出城を築きあげている。その凸点

される日本字新聞『日米』で、君とスタア博士と富士山との交渉を書いて、心ばかりの供養に代えたが、富士山の納め手拭

の交渉を書いて、心ばかりの供養に代えたが、富士山の納め手拭から、この事を知ったのは、山中でひょっくり君に出逢った

すら如かないものであるが、これが渾然として、富士山という創造的合成を築き上げたとき、草も、木も、人も、室も

た絶頂を、原形に還元して盛上げて見ると、恐らく富士山よりも、遥に高い山になりそうなことである。それは米国の「

八ヶ岳の空線にも存していることである。日本で富士山よりも高い火山を、欠損空線を継ぎ合せ、盛り上げることによって、創造し

快味は総て失われた。が草木が洗われて、富士山と釜無川の大断層と、南アルプスや、関東山脈の高屏風に囲まれた

寂寥を感じる。甲府へ戻って、大宮吉田を振りだしに、富士山を「上り」とした道中双六の「さい」は、おのずと収められる。

御殿場町

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緩やかな上りで、金鳥居のところが海抜約八百メートル。御殿場町も高原の端にあって、四百五十メートルの高さになっている。須山は

同じ頂上の銀明水から、胸突八丁の嶮を辷って、御殿場町へと垂るみながら斜行する東口の線は、いくらか長く、頂上奥社から

ニューヨーク

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間にはさまって、帯のように狭くなった天空は、ニューヨークの株屋が活動するウォール・ストリートあたりを見るような天空深淵を、下から上

元興寺

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は思われないが、六角形の笠石だけは、奈良の元興寺形に似たもので、掌を半開にしたように、指が浅い巻き

富士見町

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今日の東京では駒込の富士前町だの、麹町の富士見町だのという名を保存することによって、富士山が市民の胸に蘇生

天城山

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にも、少ないとはいわぬ)、近いところでは、天城山、八ヶ岳にも繁茂しているし、加賀の白山にも多いところから、白山石楠花

昇仙峡

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他、甲府全市の知識階級の郷土愛は目ざましく、南アルプスの山々、昇仙峡の谷、八ヶ岳高原、富士五湖を紹介するに全力的になっていられる

日本アルプス

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高さには達していない。七合五勺で、日本アルプスの最高点以上の空に浮かび上っているのだ。「高いなあ富士は」と

犬山城

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は出来ない。木曾川を下って、白帝城に擬せられた犬山城があるために、日本ラインの名を、(好むにせよ、好まざるに

松本城

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石垣を積み、櫓をあげ、層々たる天主閣をそびやかした松本城を前景に加うることなしに、人間味と原始味の併行した美しさ

静岡

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新工夫をして描き上げた、富士を背景とした静岡竜宝山の水車風景の版画(明治十三年版)の方が、ぴたりと胸

奈良

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ものとは思われないが、六角形の笠石だけは、奈良の元興寺形に似たもので、掌を半開にしたように、

甲府

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たような雲は、山の落ち口に添うてはい下る。甲府盆地の方向から、富士川下流の方へと両端を垂下して、陰鬱なる

なる自然の上に打ち建てられるであろう。私は帰朝以来、甲府に二回遊んだが、これらの人々の郷土愛の熱心さには、

および駒ヶ岳に力こぶをいれる白鳳会の人たち、その他、甲府全市の知識階級の郷土愛は目ざましく、南アルプスの山々、昇仙峡の谷、八ヶ岳高原

高原へと走らす。私がまだ米国に渡らぬ先に、甲府で山梨山岳会が設立せられ、講演会に引き出されたこともあったが

てから八ヶ岳に向った。まだ夜の明け切らぬうち、甲府で汽車を捨てた。甲斐山岳会長若尾金造氏が待ち受けて、一とまず

不幸ばかりでなく、山岳文学のためにも寂寥を感じる。甲府へ戻って、大宮吉田を振りだしに、富士山を「上り」とした道中

山形

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、富士の姉妹山であるばかりでなく、そのくずれた火山形にある、即ち外輪山の火口壁が欠損して、最高点の赤岳をはじめ

深川

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、市民が陸続参詣した。駒込の富士から神田明神、深川八幡の境内、鉄砲洲の稲荷、目黒行人坂などが、その主なる場所

東京

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一 江戸と東京の富士

ところの、レイニーア大火山を崇拝しているよりも、この東京が、かつて江戸と呼ばれたころには富士山が「自分たちの山」

、モン・ブラン通りの町名ありと聞くものから、今日の東京では駒込の富士前町だの、麹町の富士見町だのという名を

高くなるほど、富士が見えなくなり、交通が便利で、東京富士間の距離が短縮されるほど、市民の心から富士は切り取られて

不可拭の焼印を押していなければならないはずだ。東京市の大きい美しさは、フッド火山を有するポートランド市の如く、レイニーア火山を

更に登って五百八十メートル。しかるに大宮口は、品川湾から東京の上町へでも、散歩するくらいの坂上りで、海抜僅かに百二十五メートル

、薙刀、鉄砲などが「なげし」にかけられて、山東京伝的草艸紙興味を味わせるのに十分であった。

日本橋

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があった。それから暫らくのこと、私の勤務先は、日本橋の三越デパートメントの裏で、日本銀行と向いあったところだが、その建物の中

、南から北へ架け渡す長さ二十八間の、欄干擬宝珠の日本橋、本丸の大手から、本町への出口を控えた門があって、東詰

麹町

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から、今日の東京では駒込の富士前町だの、麹町の富士見町だのという名を保存することによって、富士山が市民の

駒込

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ブラン通りの町名ありと聞くものから、今日の東京では駒込の富士前町だの、麹町の富士見町だのという名を保存すること

権現を勧請した小社に、市民が陸続参詣した。駒込の富士から神田明神、深川八幡の境内、鉄砲洲の稲荷、目黒行人坂

目黒

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富士から神田明神、深川八幡の境内、鉄砲洲の稲荷、目黒行人坂などが、その主なる場所であった、がそれも、今で

神田

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た小社に、市民が陸続参詣した。駒込の富士から神田明神、深川八幡の境内、鉄砲洲の稲荷、目黒行人坂などが、その

大宮

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た。馬上悠々、大裾野を横切ったのは、前の大宮口が徒歩(但し長坂までは自動車を借りた)であったから、変化

北から南へと逆廻りして、御殿場に下りた。大宮口の時は、友人画家茨木猪之吉君と、長男隼太郎を伴った。茨木

本年の富士登山二回の中、第一回は大宮口から頂上をかけて、途中で泊らず、須走口に下山、第二

になっている。須山は更に登って五百八十メートル。しかるに大宮口は、品川湾から東京の上町へでも、散歩するくらいの坂上り

に大宮口を選んだのには、理由があった。大宮口は、富士登山諸道の中で、海岸に近いだけに最も低い。吉田口

始めに大宮口を選んだのには、理由があった。大宮口は、富士登山

着いた。朝日支局の大山為嗣さんに迎えられて、大宮まで自動車を走らせた。

三 大宮と吉田

、名工の建築があるからいいなあ」と思った。まして大宮浅間の噴泉の美は、何とであろう、磨きあげた大理石の楼閣台※

それよりも、大宮町になくてかなわぬものは浅間神社である。流鏑馬を行ったという

価値ある築造物であるかを、私は知らないが、大宮口は、山の社であると共に、町の神社で、町民の

この吉田口の大社は、大宮口の浅間本社と比較して建築学上、いずれが価値ある築造物である

主人をさらって、影を没してしまう。暁の空に大宮表口の裾野原は、うす紙をはがすように目がさめる。ホトトギスがしきり

今後もそうやって見守っているであろう。富士山中で、大宮口の森林として、もっとも名高いモミ、ツガ、ナラ、モミジ、ブナなど

の石室となる。海抜二千四百五十米、寒暖計六十二度、ここで大宮口の旧道と、一つになるのだと強力はいう。

事を明示している。富士の表口というのは、大宮口であるが、つまるところ村山口であったのだ。私がこの道

だが、それは今私たちの取った道ではない。大宮浅間神社の裏から粟倉、村山を経て、札打、天照教まで大

興味だと述べた。しかし、も一つある。それは大宮口こそ、富士のあらゆる登山道で、もっとも古くから開けた旧道むしろ古道で

私は、前に大宮口はもっとも低いところから、日本で一番高いところに登る興味だと述べた

捜索に苦しむ時代が来ないとも限らないから、私は大宮口の人たちに、栄える新道はますます守り育てて盛んにすべきであるが

決壊し、薙ぎを作ることはあっても、現に今度の大宮口でも、三合目の茗荷岳を左に見て登るころ、森林

取り、宝永山の火口壁から、その火口底へ下り、大宮方面の大森林に入って、大沢の嶮を越え、小御岳へ出るの

ているんだが、小御岳から御庭を通じて、大宮道へ出遇うまでの、森林の石楠花を見たかったのだ。それには

慨かれたが、小御岳から、大沢をはさんで、大宮口に近い森林まで、純美なる白石楠花の茂っていることは、私を

なかったので、金剛杖や糸立を強くつかんで、大宮口の五合目へ、ほうほうの態でたどりつき、たき火でぬれた上衣を

口から茨木君と長男を連れて来たときは、この大宮口の五合目の室から六合七合と登った。そして七合

目の小舎に出て下山したが、これより先、大宮口から茨木君と長男を連れて来たときは、この大宮口の五

に茨木君は「コノシロ」池の写生に出かけられた。大宮方面の案内者は、深沢弥作といって、親切な男であったことを

預かり、絵ハガキや案内記を頂戴する。絶頂の郵便局から、大宮町の大山さんと電話通信をした。日本の一番高い町から、もっとも

いるが、胸突なるものはいずれの登り口にもあるが、大宮口の傾斜が、もっとも峻急であると思う、焼岩の大きな割れ目の

山岳文学のためにも寂寥を感じる。甲府へ戻って、大宮吉田を振りだしに、富士山を「上り」とした道中双六の「さい」

品川

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。須山は更に登って五百八十メートル。しかるに大宮口は、品川湾から東京の上町へでも、散歩するくらいの坂上りで、海抜僅か

大久保

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ツガから、ぶら下る長いサルオガセ、濃い緑の蘚苔類と混生する大久保羊歯の茂り具合などは、まだ目に残っている。そればかりではない