みやこ鳥 / 佐藤垢石
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上から、みやこ鳥に再会した。いまのみやこ鳥は荒川、隅田川、大川尻かけて柳橋の龜清の石垣にいるだけであるそうだ。
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極めたのであって、この頃の物持ちや政治家が熱海や箱根へ別荘を設けるように、当時銀座の役人や御用商人、芸人、大名、囲わ
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淀の流れに近い八幡の町までたどり着いたのは、前の日のひる頃であった。
何とかして、生きていこうと考えた。八幡の駅の改札口を出て、小さい旅行鞄を左の手に、毛布を
の道に腰をおろして、西の方を見ると、八幡の町から田圃を隔てた新緑の林を貫いたお寺らしい大きい甍が眼
て、一期の思い出に酒を飲もう、と考えた。八幡の町へ出て、古着屋の前へ立った。鞄の中には、
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友人が大坂城の四師団に法務官をやっているのを思い出した。これを訪ねて、おずおず
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ところで、冬になると樺太、千島、北海道、本州、九州、台湾の方まで渡ってくる。支那の空へも飛んで行く。夏羽は
分布し、日本ではかつて千島、北海道、本州、四国、九州、台湾の方まで飛んできたが、近年では朝鮮の一部に見るだけ
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船は今戸の寮の前を通った。間もなく、船が花川戸へ着くと、私
の前にも、数多いみやこ鳥が群れていた。今戸にはいくつもの寮が邸をならべていて、みやこ鳥の浮かぶ雪景色に
みやこ鳥の浮かぶ雪景色に酒を酌んだのであった。今戸の寮は幕末から明治初期までが一番全盛を極めたのであって、この頃
まで下って行き、人形町で買物をしては帰った。今戸から、浜町あたりへ行くのを江戸へ下ると言った。堀の芸者も、
わたしは今戸の寮の、昔の豪華譚に憧れて、吉原や小塚っ原へ遊んで
っ原へ遊んでは、翌朝千住から船で下って、今戸のみやこ鳥のいる風景を眺めた。
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利亜北部の寒いところで、冬になると樺太、千島、北海道、本州、九州、台湾の方まで渡ってくる。支那の空へも飛んで
カムチャツカの方にわたって分布し、日本ではかつて千島、北海道、本州、四国、九州、台湾の方まで飛んできたが、近年では
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の地は西伯利亜北部の寒いところで、冬になると樺太、千島、北海道、本州、九州、台湾の方まで渡ってくる。支那の空
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の寒いところで、冬になると樺太、千島、北海道、本州、九州、台湾の方まで渡ってくる。支那の空へも飛んで行く。
方にわたって分布し、日本ではかつて千島、北海道、本州、四国、九州、台湾の方まで飛んできたが、近年では朝鮮の
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私らは吾妻橋から上手の隅田川にばかりみやこ鳥がいて、大川にはいないものと
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一片の雲もない日であった。西の方、愛宕山に続いた丹波の山々は低い空に、薄い遠霞を着ている。木津川
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な土佐の国を品定めした。夜の急行列車で一気に大阪まで落ちのびた。安治川口から汽船で美しい高知港の牛江へ入ったのは春
持ち崩し、東京を夜逃げの姿で旅立ちし、土佐から神戸、大阪と職を捜してさまよってきた。けれど、どこでも職がみつからない。
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しては帰った。今戸から、浜町あたりへ行くのを江戸へ下ると言った。堀の芸者も、浅草で物を買わないで、人形町
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もない日であった。西の方、愛宕山に続いた丹波の山々は低い空に、薄い遠霞を着ている。木津川の上流と
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わたって分布し、日本ではかつて千島、北海道、本州、四国、九州、台湾の方まで飛んできたが、近年では朝鮮の一部に
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、薄い遠霞を着ている。木津川の上流と思える伊賀の国の連山も遠い。淀の水は、白い底砂の上を、音もなく小波
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ないと思った。寺の門を、しょんぼりと出ながら、淀川の鉄橋の上を物凄い軋みを立てて走る電車の突進するさまを眼に描いた。
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川と神田川の合流点のまわりを離れない。東岸の向こう両国の方へ群れを離れて行く鳥は、随分まれであった。
若き日の思い出に耽ったのである。桜が散って、東風が両国の橋へほこりを巻く頃になると、みやこ鳥の群れは、どこへ行ったのか、両
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急行列車で一気に大阪まで落ちのびた。安治川口から汽船で美しい高知港の牛江へ入ったのは春の陽が和やかに照った眞ひるで
高知で職を求めた。けれど保証人のない私は宿屋の帳付けにも、蕎麦屋
だのに、高知へ着くとけろりとして酒を飲んだ。新橋駅の心の誓いなどてんで
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では、とうとう私をいれてくれなかったのである。神戸へ引き返した。一週間ばかり桟橋に近い口入れ宿の二階に、ごろごろし
。新橋駅の心の誓いなどてんで思い出してもみなかった。神戸へ上陸してからは、なけなしの財布の底を叩いて福原遊廓へも
身を持ち崩し、東京を夜逃げの姿で旅立ちし、土佐から神戸、大阪と職を捜してさまよってきた。けれど、どこでも職が
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(例)浜町河岸まで
行き、人形町で買物をしては帰った。今戸から、浜町あたりへ行くのを江戸へ下ると言った。堀の芸者も、浅草で
その頃の寮の人々は、舟に乗って浜町河岸まで下って行き、人形町で買物をしては帰った。今戸から、
浜町河岸の方へ、時々一、二羽ずつ遊びに行く姿を見たが
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ためらっていたのであるが、放蕩に身を持ち崩し、東京を夜逃げの姿で旅立ちし、土佐から神戸、大阪と職を捜してさまよっ
明治四十五年夏、夜逃げの旅から東京へ帰ってきて以来、このみやこ鳥のことは忘れていた。
、農林省鳥獣調査の葛精一氏から話を聞くと、東京では大川のほかに、半蔵門のお堀の上に、毎年数羽のみやこ
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合流点を下流の方へ曲がる時、左舷から眺めると、鐘ヶ淵の波の上に『みやこ鳥』が浮いていた。楽しそうに水面
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原で流連するようになった。朝、廓を出て千住の大橋のたもとから、一銭蒸気に乗って吾妻橋へ出るのが、私
に憧れて、吉原や小塚っ原へ遊んでは、翌朝千住から船で下って、今戸のみやこ鳥のいる風景を眺めた。
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物持ちや政治家が熱海や箱根へ別荘を設けるように、当時銀座の役人や御用商人、芸人、大名、囲われ者などがここへ別荘を
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を話したものである。伊沢の婆さんというのは日本橋の小網町の魚仙の娘で、明治五年に十五の年から二十二、
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た。堀の芸者も、浅草で物を買わないで、人形町まで行った。
の人々は、舟に乗って浜町河岸まで下って行き、人形町で買物をしては帰った。今戸から、浜町あたりへ行くのを江戸
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行くのを江戸へ下ると言った。堀の芸者も、浅草で物を買わないで、人形町まで行った。
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風が吹くある寒い朝、ちょっとした用事があって、両国橋を西から東へわたったことがあった。
再会してからというもの、二、三日おきには両国橋の上へ佇んだ。
ところが、はからずもこの正月に、両国橋の上から、みやこ鳥に再会した。いまのみやこ鳥は荒川、隅田川
と、みやこ鳥の群れは、どこへ行ったのか、両国橋のあたりに白い洒麗な姿を見せぬようになった。
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ふと水の上へ眼をやった。すると、大川と神田川が合流する柳橋の龜清の石垣の下の静かな波の上に、白い
みやこ鳥の群れは、大川と神田川の合流点のまわりを離れない。東岸の向こう両国の方へ群れを離れ
を聞くものでした。私らが知らないくらいですから、神田川の岸の船宿の船頭や、柳橋の芸妓など誰も、わが土地にみやこ
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出るのが、私の慣わしであった。蒸気船が隅田川と綾瀬川の合流点を下流の方へ曲がる時、左舷から眺めると、鐘ヶ淵の波
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吾妻橋へ出るのが、私の慣わしであった。蒸気船が隅田川と綾瀬川の合流点を下流の方へ曲がる時、左舷から眺めると、
その頃、堀が隅田川へ注ぐ今戸の前にも、数多いみやこ鳥が群れていた。
の贅にも飽きた。明治の中年頃までは大川から隅田川では寒中に白魚が漁れた。小さい伝馬舟に絹糸ですいた四つ
、みやこ鳥に再会した。いまのみやこ鳥は荒川、隅田川、大川尻かけて柳橋の龜清の石垣にいるだけであるそうだ。私
在原の業平が東へ下ってきた時に、隅田川の言問の渡船場あたりで、嘴と脚の紅い水鳥を見て、いかにも
私らは吾妻橋から上手の隅田川にばかりみやこ鳥がいて、大川にはいないものと思ってきた