老狸伝 / 佐藤垢石

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地名一覧

越後国

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大寒に入って間もない頃、越後国岩船郡村上町の友人から、野狸の肉と、月の輪熊の肉が届いた。

浅間高原

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私は渓流魚釣りにでかけて、奥利根楢俣沢の奥と浅間高原六里ヶ原の赤川の水源近くで、野性の熊に出っくわし、胆を潰し

九州

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動物図鑑によると、狸は本州、四国、九州に産するとある。体長は五百三十ミリ内外、尾の長さは百七十ミリ内

、鼬鼠科に属している。※は、本州、四国、九州など至るところに棲んでいて、体の長さは尾と共に六百三十ミリ

北海道

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数年前、報知新聞社から北海道へ熊狩隊を派遣したことがある。そのとき撃ち取った羆を友人数名

牛ヶ岳

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、出羽の熊捕り専門猟師が、越後の駒ヶ岳、八海山、牛ヶ岳などをへて入り込んできたのであるから、私は山形県や秋田県の山々

丹波

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私は上州、会津、雄鹿半島、紀州、丹波、信濃、満州などの狸を食ったことはあるけれど、越後と出羽境の

四国

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動物図鑑によると、狸は本州、四国、九州に産するとある。体長は五百三十ミリ内外、尾の長さは百七十

同じに、鼬鼠科に属している。※は、本州、四国、九州など至るところに棲んでいて、体の長さは尾と共に

草津

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なす三国山脈を、東は法師温泉の上から西は草津の横手山の方まで狩り歩くが、野州では奥鬼怒の湯西川温泉の奥の

本州

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動物図鑑によると、狸は本州、四国、九州に産するとある。体長は五百三十ミリ内外、尾の長さ

獺と同じに、鼬鼠科に属している。※は、本州、四国、九州など至るところに棲んでいて、体の長さは尾と

月の輪熊は、日本特有の種類である。本州の深山に棲んでいて体は肥満し、体の長さは二メートル近く

川越

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の一つとして名高かった厩橋城も、松平氏が川越へ避難してから廃城となり、その後十九年間、城内は荒れるに任せ、

厩橋の城下もさびれてしまった。多くの藩士はすべて川越へ去ったので、市中の商人はひどく衰え、町家は年と共に

駒ヶ岳

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から奥利根へは、出羽の熊捕り専門猟師が、越後の駒ヶ岳、八海山、牛ヶ岳などをへて入り込んできたのであるから、

邑楽郡

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、厩橋城下の人々はこの奇蹟について、あれは上州邑楽郡六郷村にある茂林寺の分福茶釜狸が、応援にきたのであると

八海山

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利根へは、出羽の熊捕り専門猟師が、越後の駒ヶ岳、八海山、牛ヶ岳などをへて入り込んできたのであるから、私は山形県

大道寺

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氏康の軍勢は氏政従臣松田尾張入道、同左馬助、大道寺駿河守、遠山豊前守、波賀伊像守、山角上野介、福島伊賀守、山角

関東

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厩橋には陣屋を置いて分領としたのである。関東の四平城の一つとして名高かった厩橋城も、松平氏が川越へ

榛名山

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榛名山の南麓は近年、相馬ヶ原の演習場や予備士官学校などができて、あたりに

赤城山

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わが上州では、赤城山の裏側に当たる奥利根の、武尊山の周囲に最も多い。四万温泉にも有名

前橋

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城も狸の巣であった。厩橋というのは、前橋の旧名である。

前までは、前橋と赤城山麓との間の一本、前橋の西側群馬郡との間を流れる一本、都合二本に分かれて流れ

を流れているけれど、今から百年ばかり前までは、前橋と赤城山麓との間の一本、前橋の西側群馬郡との間を

福島

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駿河守、遠山豊前守、波賀伊像守、山角上野介、福島伊賀守、山角紀伊守、依田大膳亮、南條山城守など三万余騎。

松山

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たのである。それより進んで大軍は厩橋、沼田、松山、箕輪、河越の諸城を次々に陥れ、最後に鉢形城を囲んだの

東京

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を退治する条で、※をまみと称しているが、東京麻布の狸穴は、これをまみあな町と唱えている。してみる

月のことである。戦争が、次第にはげしくなって、東京では学童を地方へ疎開させねばならぬことになった。

館林

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上州館林在の茂林寺に、この分福茶釜が鎮座ましますのであるが、詳しくいう

歩いた末、上州館林の地へ辿りついた。老僧は、館林の地がひどく気に入ったらしい。

若僧を伴って、あの里この里と歩いた末、上州館林の地へ辿りついた。老僧は、館林の地がひどく気に入ったらしい

のである。ところが守鶴はそれに答えて、いえ館林よりも、もっと景勝の地が、ここから余り遠くないところにありますから

ある堀江の地へ入ったのである。見ると、なるほど館林よりも景勝の地だ。

館林の町から古道具屋を呼んできて、只と同じような値で茶釜

一隊の火消組に化けた。纏いを威勢よく舁いで、館林の町をはじめ、近所近在の消防組を狩り集め、十数里の路を、

はどちらの消防隊でございましょうと尋ねると、わたしらは館林近在のものでございます。と答える。

でもしたような顔をして、ほんとですか、館林からここまで駆けつけるのに、ものの半刻とかからなかったのだ、が変