食指談 / 佐藤垢石
地名一覧
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殊に、鹿は日光の二荒山、赤薙山、太郎山、明神岳あたりを中心とした連山で晩秋の交尾期が去って
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日ごろの自慢であるのである。数年前の盛夏、諏訪の霧ヶ峯へ博士の先導で友人数名と共に登ったことがある
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と汁五杯を勧める。米は肥後の上白、味噌は岡崎の八丁味噌、出しは北国の昆布、椀は一合五勺はたっぷり入る大
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文化十四年二月十三日に、江戸両国の柳橋に、大食競演会というのが開かれたことがある。これへ出席した選手
個を食った桜田備前町料理屋太田屋嘉兵衛などである。両国米沢町の権次というのは山鯨十五人前。油揚げ百五十枚が、下谷御成道建具
山半三郎、生豆三合に水一升を平らげた馬のような男は両国の芸人松井源水。最後に、小梅小倉庵の若者勇吉というのは、黒砂糖四斤を
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権次というのは山鯨十五人前。油揚げ百五十枚が、下谷御成道建具屋金八。一把七、八十房ずつついた唐辛子三把を
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入り梅干二樽を食って、すっぱい顔しなかったのは深川霊岸寺前の石屋京屋多七。たくあん二十本を噛った下総葛西村
、長さ七寸の鰹節五本を、がりがりやってしまった深川の漬物商加賀屋周助、蜜柑五百五個を食った桜田備前町料理屋太田屋嘉兵衛などで
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額から汗を流している間に、私は疎開のとき東京から持ってきた霞網を麥田と菜畑との間に張って雀数羽を
行くのは骨が折れるといったところ、博士はしからば東京まで持ってこようという。早春のころ博士は、小使に打たせた蕎麥
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蕎麥四十二杯を平らげ、御船方の国安力之助が三十六杯、浅草の神主板垣平馬が、同じく三十五杯。
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七日やはり柳橋万八樓で催した大食会では、市ヶ谷大原町木具職遠州屋甚七というのが、十六文盛りの蕎麥四十二杯
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吸う舌打ち、がぶがぶ呷る大盃に吐くため息。しばしがほどは、銀座街頭の跫音雑声よりも喧びすしい。
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二升に飯二十杯、汁十八杯を片づけてけろり。神田三河町呉服屋の小松屋宗七は、十六文盛りの汁粉三十二杯。一樽三百箇
一把七、八十房ずつついた唐辛子三把を食った神田小柳町の車力徳之助という閻魔のような怪漢もあった。四文ずつの
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いう飛電に接した。私は、用事一切を抛りだして館林へかけつけたのである。
この正月のはじめ、上州館林正田醤油の多田常務から、鹿の肉が手に入ったから、すぐこい