瀞 / 佐藤垢石
地名一覧
地名をクリックすると地図が表示されます
伜の方は、越後国南魚沼郡浦佐村地先の魚野川の釣り場を克明に知りつくしているから、娘の
地名をクリックすると地図が表示されます
の富士川へも、遠州の奥の天龍川へも、伊豆の狩野川へも連れて行って腕をみがかせたのである。越後の
地名をクリックすると地図が表示されます
のように乗りだしていて、それから北方へ八海山、越後駒ヶ岳が雄偉の座を構えて続いている。立秋を迎えれば山頂の気も、
地名をクリックすると地図が表示されます
、放流鮎を釣ってみたいと思ったからである。上賀茂にある姪夫妻の家へ足をとどめ、そこから一里半ばかり上流の賀茂川
地名をクリックすると地図が表示されます
私は旅先を急ぐ釣友と別れ、旅館の都合で十津川と北山川と合流して熊野川となる川相から一里下流の、日足へ足
五条から熊野街道を南へ下り本宮の近くまで下って、十津川で釣ったところ、素晴らしく数多く釣れた。友釣りではなく、毛鈎の沈み釣り
一里の河相まで遡ってくると、左へ志すのは十津川へ、右へ行くのは北山川へ別れてしまうのであるが、十津川筋
。河相の合流で見れば明らかに区別されるように、十津川の川底の石は灰色に小型で、粗品であるのに、北山川の石
また十津川の鮎の腹には小砂が入っているけれど、北山川の鮎の腹に
地名をクリックすると地図が表示されます
雨村の邸は、高知から西方六里の佐川町にある。そこから、わざわざ夫の代わり、親の代わりとして私らを
の病気は、予想したよりも早く快方に赴いた。佐川町から六、七里離れた仁淀川の中流にある謙井田の集落へ、雨村と
生の鮎は、佐川町まで持って帰れない。そこで毎日釣った鮎は、塩焼きに焼き大皿に山盛り
地名をクリックすると地図が表示されます
魚野川は、上越国境の茂倉岳から西へ続く谷川岳と万太郎山の裏山の谷間に源を発している。そして、南越後の峡谷
地名をクリックすると地図が表示されます
一、二年の頃であった。それから、千葉県の手賀沼へも二、三回鮒釣りに連れていった。そして、帰り途に草餅や
地名をクリックすると地図が表示されます
ないのである。そこで、昭和十八年の七月、東海道岩淵地先の富士川へ伴って行った。私はこの年の六月中旬、
地名をクリックすると地図が表示されます
は暑い日の午後、京都を立って神戸へ着いた。四国の土佐に釣友である探偵小説家の森下雨村を訪ねることにしたのである
地名をクリックすると地図が表示されます
、東海道の金谷駅で支線に乗り替え、家山町を志した。大井川の中流で友釣りを試みるつもりであったのだ。
地名をクリックすると地図が表示されます
たが、娘は同意しなかった。伜は、伊豆の網代へも、浦賀の隣の鴨居にも下総の竹岡へも鯛釣りに同行し
地名をクリックすると地図が表示されます
にしたのである。神戸から夜の船に乗り、室戸岬の鼻を船がまわる頃は、もう太陽が太平洋の波の上へ昇って
地名をクリックすると地図が表示されます
姿も味も香気も立派になるのである。さらに、三重県東牟婁郡七色方面まで遡れば、鮎は七、八十匁の大きさに育ち、七月
東牟婁郡は三重県であるが、西牟婁郡は和歌山県である。その郡境を熊野川は、西方の深い
地名をクリックすると地図が表示されます
山々のただずまいはほんとうに美しく荘厳である。八海山と駒ヶ岳に奥会津に近い中ヶ岳が三角の顔をだして、山の涼しさ
地名をクリックすると地図が表示されます
はいえ、落ちつきのある親しみ深い空気が流れていた。熊野神社の境内もおごそかである。ここの宮司も、友釣りの大の愛好者で、私
地名をクリックすると地図が表示されます
が、屏風のように乗りだしていて、それから北方へ八海山、越後駒ヶ岳が雄偉の座を構えて続いている。立秋を迎えれば山頂の
地名をクリックすると地図が表示されます
ところが、大井川の上流地方、つまり赤石山脈の南面に連日大雷雨が続いたため山崩れが起こり、川は灰白色に濁って釣りの
地名をクリックすると地図が表示されます
の旅に赴いたことがある。この村の地先は、越中国を流れる神通川の上流である宮川の奔湍が、南から北へ向かって走って
地名をクリックすると地図が表示されます
東牟婁郡は三重県であるが、西牟婁郡は和歌山県である。その郡境を熊野川は、西方の深い山々の間から東に向かっ
地名をクリックすると地図が表示されます
ただずまいはほんとうに美しく荘厳である。八海山と駒ヶ岳に奥会津に近い中ヶ岳が三角の顔をだして、山の涼しさを語って
地名をクリックすると地図が表示されます
南紀の熊野川で、はじめて鮎の友釣りを試みたのは、昭和十五年の六月初旬で
日足の宿の二階から、熊野川の広い河原が眼の下にある。私は、ここで四、五日の
熊野川の鮎は、日足から上流一里の河相まで遡ってくると、左へ志す
伜も、ちかごろ友釣りのわざがなかなか巧くなった。熊野川では親に負けないほどの成績をあげたのであった。
地名をクリックすると地図が表示されます
は別れて東京へ帰った。私と伜の二人は、京都へ向かった。賀茂川の上流の、放流鮎を釣ってみたいと思った
三日滞在したのち、私らは暑い日の午後、京都を立って神戸へ着いた。四国の土佐に釣友である探偵小説家の森下
過ぎまで滞在して、あちこちの川や海を釣り歩き、再び京都へ戻って、南紀州の熊野川行を志した。この行には、姪
地名をクリックすると地図が表示されます
探偵小説家の森下雨村を訪ねることにしたのである。神戸から夜の船に乗り、室戸岬の鼻を船がまわる頃は、もう
たのち、私らは暑い日の午後、京都を立って神戸へ着いた。四国の土佐に釣友である探偵小説家の森下雨村を訪ねること
地名をクリックすると地図が表示されます
午すこしまわった頃、汲江の奥の高知の港へ着いた。森下雨村は、数日来坐骨神経痛に悩まされ、
雨村の邸は、高知から西方六里の佐川町にある。そこから、わざわざ夫の代わり、親の
地名をクリックすると地図が表示されます
その頃は、まだ富山から高山へ汽車が全通していないので、巣の内は軌道敷地
地名をクリックすると地図が表示されます
たいと思ったからである。八月二日の朝、東京を出発した。
翌朝、金谷駅へ引き返し、そこで鈴木氏は別れて東京へ帰った。私と伜の二人は、京都へ向かった。賀茂川の上流
君、そんなに驚かんでもよろしいのだよ。君ら東京人の気持ちからすれば、あまり安いのに感激して一泊一円も二
すぐ東京へ帰って医者の治療を受けた。医者は、全治するまで絶対に水
十日ばかり、東京に辛抱していたけれど、辛抱がならぬ。鮎の姿が、ちらちら
地名をクリックすると地図が表示されます
同行した。そして、観音崎と富津の岬の間に漂う東京湾内の静かな海の底から、鮮麗、眼を欺くばかりに紅い真鯛を
地名をクリックすると地図が表示されます
は同意しなかった。伜は、伊豆の網代へも、浦賀の隣の鴨居にも下総の竹岡へも鯛釣りに同行した。そして