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窓をあけた。雷門の方に、(おおなんと罰当りの感覚だろう。だが、そのときの実感
火事は雷門の明治製菓の売店の裏だったが、私は、「ちんや」の前まで
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。聞こうとして、あんまり立ち入りすぎると思って、控え、銚子に手をやると、
銚子を下へ置かないのだ。見たところ寒天のようなものを盛った鯨
朝野はもう銚子を空にしていた。
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したもので、それを私はすでに友人に誘われて丸の内の映画館で見ていたが、それをK劇場で再び見るのは、あながち
客席の雰囲気に、私は、おや? と思った。丸の内で見たときは、ここで丸の内の客たちがドッと笑ったのである。
? と思った。丸の内で見たときは、ここで丸の内の客たちがドッと笑ったのである。たとえば、かけ取りの苦労も経験も
たこともないにちがいない金利生活者とか、そういった丸の内の客は大晦日の悲劇を見てワッハッハと笑ったのである。さよう、かく
なら手近の六区で見たらよさそうなものを、わざわざ丸の内に赴くのである。ある時私は、おかしいということを、その女たち
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の小屋の関係のものが多かった。そこは、生粋の琉球の泡盛を売っていて、出港税納付済――那覇税務所という紙
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てくれたのだが」と画家の友人は言った。箱根へ案内した時のことだという。その外国人と通訳とが散歩に出
それには、こういう話があるという。箱根のホテルを引きあげる時、通訳が宿料を払うと、その一部を番頭がこっそり彼
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の前に行った時は、私たちに気づかぬサーちゃんは浅草神社の方へ急ぎ足で去っていて、私もドサ貫もあえて呼びとめようとはし
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――あれは小堀遠州が作ったとかで、京都の桂離宮と同じ、回遊式庭園というんだそうで」
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「但馬は猟奇趣味で浅草を見る人を、とても嫌っていたわ」と言った
「ええ、但馬はそういう人を、とても憎んでいたわ」
美佐子は彼女も但馬と同じ気持らしいのを語調に出してズケズケ言った。
「――但馬がもし浅草にいて、おたくに会って、おたくの猟奇趣味を知ったら、
ている、但馬の怒るわけよりも、そうして美佐子から但馬の人柄を聞き出したい気持だった。
のだったが意味はわかった。意味はわかっても、但馬の人物を知ろうとした私の想いは満足させられなかった。
「朝野君は但馬というの、知らないですか。浅草で脚本なんか書いていたという…
「但馬が浅草に現われおったのですか。――会ったんですか」
「そうだ、但馬はユーリイだ」
いったらしいんですね。そいで左翼が駄目になると但馬は浅草へ転げ込んで来たんですわ。但馬としては、新しい生活を
そういう連中が、どうも虫が好かないが。ところが但馬は、――奴さん、左翼崩れの癖して、これがてんで駄目なん
にされちまって、とうとう身体まで台なしにしちまった。但馬が、このやっぱり浅草の空気に台なしにされたインテリの一人ですよ」
私は美佐子によって植えつけられた但馬に対する興味をいよいよ煽られた。朝野はひとりで言葉をつづけた。
「その点、僕は同病相憐れむという奴で、但馬に親愛の情を感じているんだが、ただちょっと――但馬は妙な
親愛の情を感じているんだが、ただちょっと――但馬は妙な奴でね」
「但馬は、てめえ自身はまるで駄目なくせに、自分の周囲の、浅草の連中に
か、いや、待て、といった工合に。そんな時、但馬に会うと、そうなんだ、但馬の顔だけ見ればいい。但馬がなんに
に。そんな時、但馬に会うと、そうなんだ、但馬の顔だけ見ればいい。但馬がなんにも言わなくても、――但馬に
と、そうなんだ、但馬の顔だけ見ればいい。但馬がなんにも言わなくても、――但馬に会うと、たちまち、やッたれ
見ればいい。但馬がなんにも言わなくても、――但馬に会うと、たちまち、やッたれといった気持になる。但馬は、そう
会うと、たちまち、やッたれといった気持になる。但馬は、そういう奴なんですよ。こいつは実際の話ですわ。その小
その時のことを僕が聞いたんだから。――但馬というのは、そんなような妙な人間なんですよ。自身は正義派な
女を売っ飛ばせと言ったりするわけはない。だのに、但馬に会うと、売っ飛ばせと気持がきまる。――こんな話を聞くと、但馬が
に働きかけるわけではないことがわかるんだが、――但馬のそうした妙な作用は、もちろん悪事の煽動だけじゃない。そんなのは
を持って、おでん屋を開くようになったり、――但馬というのは、これはもしかすると、何か異様なものを持った
「但馬がどうというわけじゃないのかもしれんですよ。というのは、
のかもしれんですよ。というのは、インテリは但馬だけで、周囲の浅草の連中は但馬と人間がちがう。そこで、その連中
のは、インテリは但馬だけで、周囲の浅草の連中は但馬と人間がちがう。そこで、その連中は但馬に一目置いている。尊敬し
の連中は但馬と人間がちがう。そこで、その連中は但馬に一目置いている。尊敬している。但馬の言うことに耳を傾ける。
但馬の言うことに耳を傾ける。その辺のところから、但馬がどういうわけでもないのに、但馬の作用という奴が生れてくるの
辺のところから、但馬がどういうわけでもないのに、但馬の作用という奴が生れてくるのかもしれないんでさ。(自分
まあ、お題目みたようなもんですな。このお題目を、但馬の周囲の連中は、なんかというと但馬から聞かされて、頭に滲み
から聞かされて、頭に滲みこませている。だから但馬の顔を見ると、すぐそいつが頭に浮ぶといった工合に違いない―
例の小悪党なんかも、そうなんだな、きっと。但馬の顔を見たら、逞しく生きよう。これがピンと来た。それで但馬に
見たら、逞しく生きよう。これがピンと来た。それで但馬に会っただけで、但馬がなんにも言わなくても、やッたれと気持
ッたれと気持がきまった。そういうのに違いない。但馬の、逞しく生きようというお題目は、そんな悪心を振いたたせることじゃないんだろう
そういう意味と、小悪党的にとっている。それで但馬を見て、悪心を振い立たせた。そういうんでしょうな。――そう
朝野は自分から但馬の異様な影像を私の前に描き出して見せながら、それを自分で打ち壊した
「しかし但馬には、へんに人を惹きつけるところがあることはあるですな。――みんな
あることはあるですな。――みんな今でも、しょっちゅう但馬のうわさをして、但馬に会いたがっているですわ。――但馬は今
――みんな今でも、しょっちゅう但馬のうわさをして、但馬に会いたがっているですわ。――但馬は今は浅草にいないが、
をして、但馬に会いたがっているですわ。――但馬は今は浅草にいないが、みんなの心には但馬が依然として
「倉橋君は、但馬をどうして知っているんですか」(朝野はいささか奇型的な感じが
「あのお好み焼屋は、これがまた但馬の、――作品と言いますかな。あれは、ご亭主の惚太郎が
。この間、手紙で――。あたし、倉橋さんのこと但馬に手紙で書いてやったの。そしたら但馬は、こっちへ来たら、
のこと但馬に手紙で書いてやったの。そしたら但馬は、こっちへ来たら、倉橋さんに会いたいッて……」
「あ、そう」私は但馬に会ってみたかった。そこで、その話をしようとすると、美佐子は
「――実は今日、合羽橋通りで但馬に会ったですよ。もしかすると、あいつ、この会に来やしない
「但馬がそう言っていた」
「但馬に救いを求めたらしいですな。僕はちっとも知らなかったが、倉橋君は
「それで自分でこわくなって、但馬をあわてて呼んだらしい」
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いるだけに、どうやらあやしい空模様の、外に出て、吾妻橋の方にぶらぶら行くと、ぽんたんが松屋の東武電車の出口からあたふたと出
そこで、吾妻橋の雷門寄りにある「マロミ」という、今まで一度も入ったことのない店
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、花屋敷裏の料亭「一直」、千束町に入って「草津」、牛肉の「米久」等。)興行方面となると内容はもとより名前も
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な役者出身でなく、前身は全く舞台に関係のない、九州の某駅の助役であった。それが芸者に熱中し、やがて各方面不義理だらけに
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「いや、玉の井の傍ですよ」
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「江戸の雰囲気の漂っている実にいい庭だが……。裏の野口食堂あたり
言ってT館の看板に眼をやると「従軍漫才」江戸の助さん、格さん、「浪曲漫才」立花家小円、吉原家〆八、
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言ったそうだが、半分は本気で、画の勉強にパリへ行きたがっていたんだ。――ところが、よろしいというわけさ。
私はそうした話を聞いて、その外人の、パリに行こうと思えば人まで一緒に連れてすぐ行ける、その富裕な身分に羨望
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「――静岡」
「静岡、ふーん」
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琉球の泡盛を売っていて、出港税納付済――那覇税務所という紙のついた瓶が、いくつも入口に転がっていた
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な。――あれは小堀遠州が作ったとかで、京都の桂離宮と同じ、回遊式庭園というんだそうで」
声で言った。「K劇場の主だった連中が、京都のS興行にごそりと引ッこ抜かれて、――K劇場では
「誰もいやしないんだ。みんな、京都にすッ飛んじまって。誰もいないんじゃ、こっちも会なぞできや
「小柳雅子ももちろん一緒に京都へ行っちまったですよ」
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「巴里の屋根の下」という映画が封切られた頃で、それは私に
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にはわからない。だから、――私はそうして浅草の盛り場の近くの部屋から偶然見た雁の姿に、ほう雁だと
この浅草のアパートに六畳間十二円のこの部屋を借りたのは、春が
ものだ。ところがそれがまた帰れなかった。彼女のいる浅草にやはりとどまっていたかった。
がわたるのを見ての連想からか、私は前の日、浅草へ遊びに来た画家の友人から聞いた、ある外国人の話を思い出した
浅草の舞台は大変な労働で、その舞台をやめると、踊り子は急に肥る
といって、私は下の火鉢で顔なじみであった。浅草に住んではいるが、公園の舞台とは関係のない恵まれない役者で
「倉橋さんは、なんで浅草をブラブラしてんの?」
であった。そしてきびしい調子で、おたくは猟奇の気持で浅草をブラついているのかと言った。――猟奇という言葉を初め
「――浅草が面白いからさ」つい、出まかせを言った。すると美佐子は顔をしかめ
「但馬は猟奇趣味で浅草を見る人を、とても嫌っていたわ」と言った。
「――但馬がもし浅草にいて、おたくに会って、おたくの猟奇趣味を知ったら、きっとカンカン
のような気持になっている私として、但馬が浅草を猟奇的に見る外部の人間に対して憤怒と憎悪を持つというその気持
はじめてからすでに半年経った現在、何か半分だけ自分が浅草の内部の人間のような気持になっている私として、但馬が
がないと言えない。それだけに、そう言われると、浅草へ来はじめてからすでに半年経った現在、何か半分だけ自分が浅草の
は、仕事をするためという理由を立てているが、浅草を見る私の眼には幾分猟奇的なものがないと言えない。それだけ
ではないと、そこで弁解したが、しかし――浅草のアパートに部屋を借りたのは、仕事をするためという理由を立て
れて、私はあわてた。私はいわゆる猟奇的な気持で浅草へ来ているのではないと、そこで弁解したが、しかし―
私は浅草に住んでいる朝野を、私の方からついぞ訪ねたことがないのに
「倉橋君の浅草生活も、いよいよこう泊り込みで、本格的になってきたですな」
ぼんやりした(いい加減な)概念に惹かれて、私は浅草へ来たのだ。私はそこで、民衆の群のなかに自分を
における銀座的なものに嫌悪を覚え、同時に、浅草は民衆の盛り場というぼんやりした(いい加減な)概念に惹かれて、
た。だが、盛り場はいろいろとあるのに、なぜ特に浅草を選んだかということについては述べなかった。私はそれまで
ないような、ぐうたらな生活を送っていた。私が浅草のアパートに部屋を借りた理由は、前に述べた。だが、盛り場
そして、――そのくせに、私は浅草をうろついて、一見すべての人に対して申し訳ないような、ぐうたらな生活
「浅草の空気は僕らにはいかんです」
全くもって、いい例だ。浅草に毒された、浅草の空気にすっかり台なしにされたいい見本ですわ」
僕がいい例ですよ。全くもって、いい例だ。浅草に毒された、浅草の空気にすっかり台なしにされたいい見本です
て行かれますからね。こいつが、いかん」私の浅草生活が本格的になることは感心できないと朝野が言った意味がわかった
は人間をぐうたらにさせて、いかんです。――浅草では、ふうッとしていても、生きて行かれますからね。
「浅草は人間をぐうたらにさせて、いかんです。――浅草では、
て、朝野は人間を無気力にさせる浅草を呪いながら、浅草から離れようとしなかった。
した。そうして、朝野は人間を無気力にさせる浅草を呪いながら、浅草から離れようとしなかった。
には真偽のほどはわからないが)浅草に移り住んで、浅草のなかに沈没したせいにした。そうして、朝野は人間を
朝野は、(私には真偽のほどはわからないが)浅草に移り住んで、浅草のなかに沈没したせいにした。そうして
んだが、この僕もまさしく教訓的な存在ですよ。浅草がどんなに人間を腐らすかという……」
「朝野君は但馬というの、知らないですか。浅草で脚本なんか書いていたという……」知るわけはあるまいと思い
「但馬が浅草に現われおったのですか。――会ったんですか」
らしいんですね。そいで左翼が駄目になると但馬は浅草へ転げ込んで来たんですわ。但馬としては、新しい生活を見出そう
、とうとう身体まで台なしにしちまった。但馬が、このやっぱり浅草の空気に台なしにされたインテリの一人ですよ」
ないんじゃなくて、失くしたんですね、浅草で。浅草へ来て、新しい生活力を湧き立たせるつもりだったらしいが、どっこい、逆に
がない。ないんじゃなくて、失くしたんですね、浅草で。浅草へ来て、新しい生活力を湧き立たせるつもりだったらしいが、どっこい
、ここに悪事を企んでいる奴がいるとしまさア。浅草の踊り子で、仕事にあぶれて、遊んでいる奴なんかを、うまく口車に
、てめえ自身はまるで駄目なくせに、自分の周囲の、浅草の連中には、妙にその連中の生活力を湧き立たせる、――力と
よ。というのは、インテリは但馬だけで、周囲の浅草の連中は但馬と人間がちがう。そこで、その連中は但馬に一目置い
但馬に会いたがっているですわ。――但馬は今は浅草にいないが、みんなの心には但馬が依然として存在して
のついた瓶が、いくつも入口に転がっていた。浅草の連中は、インチキな酒類を平気で楽しんで飲むが、それは騙され
もしれない。かくて彼らとしては晴れの舞台の浅草の小屋に出られることになったのはいいが、駆け出しというところで
私は浅草のレヴィウの方に知り合いがないわけではなかったから、頼めば、そう
「浅草のことなら、万事僕に……」
いっぱいに埋めて、田原町の方へと流れて行く。浅草的な雰囲気とちがったものをあざやかに私たちに感じさせつつ、その絢爛たる
やっているのだが、その現在のお客は、何か浅草に嫌悪と軽蔑の、そして幾分恐怖の背を向けて、――そのよう
松竹少女歌劇は、浅草で巣立ったものであり、今も浅草にある国際劇場でやっているのだが、その現在のお客は、何
松竹少女歌劇は、浅草で巣立ったものであり、今も浅草にある国際劇場でやっているの
へ入って行った。その背は、前夜、彼が「浅草のことなら、万事僕に……」と言って胸を叩いた時と
――地下鉄横町に「ボン・ジュール」という、浅草には珍しい銀座風の感じの喫茶店がある。
風の、――そういえば、銀座風の喫茶店はいわゆる浅草の内部には入り込めないでその外側の、いわばその皮膚のような地下鉄横町
いるのに私は会って、三人で、なんとなく浅草へ遊びに来たことがある。そしてこの地下鉄横町の銀座的な喫茶店に
そうした点から言うと、地下鉄横町は、浅草における銀座的な通りであるが、――そうだ。思い出がある
が、湯たんぽを買う気をおこすだろうか。その横町は浅草における銀座的な通りとはいえ、やっぱり銀座ではないのだった
(私は嶺美佐子が、――浅草の踊り子は舞台の消耗品だと、T座の文芸部員に言われた
「なかなかいいですよ。倉橋君は浅草を何も知らんですな。――あれは小堀遠州が作ったとか
そんな私たちの隣に、山の手から浅草に遊びに来たらしい、そう身なりはよくないが、おっとりした、感じ
と思うですな。きっと流行するに違いない。もともと矢場は浅草名物で、――昔の矢場と今の弓場とはもちろん違うけど、まあ
「昔の文士は浅草の矢場でなかなか遊んだものらしいですな」
――嶺美佐子が私に、猟奇の気持で浅草をブラついているのかと言った言葉を思い出した。美佐子も私を
らの眼は、いわば浅草の眼であった。私は浅草にいたたまれぬ思いだった。
それらの眼は、いわば浅草の眼であった。私は浅草にいたたまれぬ思いだった。
を感ずるのに似ていたが、しかし私にとって浅草は逆に外国なわけであるから、ヘンな工合である。すなわち郷愁と
いった漠然とした想いだったが、それがやがて、浅草へ行ってああもしたい、こうもしたいといった具体的な欲望へ
浅草へ行きたくなった。それは初めは、なんとなく浅草へ行きたいなアといった漠然とした想いだったが、それがやがて
に対する一種の郷愁的感情が鬱積してきた。またぞろ浅草へ行きたくなった。それは初めは、なんとなく浅草へ行きたいなア
ていること何日くらいであったろうか。私のうちにようやく浅草に対する一種の郷愁的感情が鬱積してきた。またぞろ浅草へ行きたく
浅草から遠ざかっていること何日くらいであったろうか。私のうちにようやく浅草に
――私は、たとえば、浅草の安食堂の、メシを山のようにこんもりと盛りあげたあの丼がむやみ
わからないが、その日、それをきっかけにして私は浅草へ行った。
駄目なところです。悪い奴らが、そこへつけこんで、浅草のそういういいところを利用しますからね。――ゴロちゃんが会いに
新派悲劇みたいなのがゴロゴロしています。それが、浅草のいいところでしょうが、しかしまた駄目なところです。悪い奴らが、そこ
。実際新派悲劇みたいで、うそみたいですが、――しかし浅草には新派悲劇みたいなのがゴロゴロしています。それが、浅草の
ほんとに僕は、死んだ玲子ちゃんというのは、悲しい浅草の子だと思いますね。ゴロちゃんの出世のためなら、あたし、つらい
身を固めて更生したい、そう言っている。俺が浅草から浮び出て立派になれる大事なチャンスだ、――別れてくれ、こう言っ
ゴロちゃんに惚れちまって、実演がすんでからも、毎日浅草へやってきてはT座の楽屋に入りびたりだった。人目なんかかまわないん
喜劇的でもあったのだ、だがそのおかしさに、浅草の客は決して笑わないのであった。笑わないどころか、見ると、
(おお、浅草よ。)
―その実体はわからない、漠然としたものだが、浅草というものに、手をさしのべたかった。さしのべていた。
私は感動に胸を締めつけられながら、浅草というものに、――その実体はわからない、漠然としたものだ
(やっぱり浅草だ。)
客と一緒に映画に泣いていたのだ。私は浅草というものに対して涙を流したかったのだ。私は、――
のだ。――泣いていた。だが、それは浅草の客と一緒に映画に泣いていたのだ。私は浅草という
いるような私を救ってくれるのは、浅草だ、やはり浅草に来てよかった、そんな気がしみじみとした。私は泣きたかった
で空しくもがいているような私を救ってくれるのは、浅草だ、やはり浅草に来てよかった、そんな気がしみじみとした。私
憎々しく睨んでいる顔、――つづいて美佐子の「なんで浅草をブラブラしてんの」と言った時の顔が……。
た。私が手をさしのべても、その手をうけつけない浅草の顔。私は、K劇場での感動そのものまでが何か浅薄な
私はそこに、浅草が私を見る顔を、見たような気がした。私が手
、食堂のメシのことを書いた。――私の行く浅草のメシ屋はいろいろとあって、一定してないのだが、つまり急ぐとき
から浅草へ遊びにくる人たちのための食い物屋で、浅草のなかで働いている人たちのための、そうとも限定できないが
一区画の中にある食い物屋は、これはいわば外から浅草へ遊びにくる人たちのための食い物屋で、浅草のなかで働いて
国際通りの間、広小路通りと言問通りの間の、普通浅草と呼ばれる一区画の中にある食い物屋は、これはいわば外から浅草
のは、雨が降ると六区に現われて番傘を売る浅草特有の商売だが、その男のひとりと、その「大黒屋」で時々顔
(だが、これは私が、浅草に巣食うこうした芸人たちのいわば雑草のような根強さ逞しさを知ら
午後、浅草に行く。
、氷をシャリシャリと食っているのが見られた。すなわち浅草では年がら年中、氷を食わせるのだ。エンコは何か熱いので
東京中探したってもうどこにもありはしない寒空に、浅草では依然として氷をかけた愛玉只を売っているのだ
関心なりを持っている文壇人やジャーナリストなどを集めて、浅草を愛する会といったようなのをやろうというのだ。
、浅草の会をやろうではないかと言い出した。浅草に愛情なり関心なりを持っている文壇人やジャーナリストなどを集めて、浅草
「ボン・ジュール」に行った。そこで朝野は、浅草の会をやろうではないかと言い出した。浅草に愛情なり関心なり
「君は、小柳さん知ってんの。――いや同じ浅草にいりゃ知ってるわけだね」
うちにずっと燃えていたものだ。そうだ。私が浅草に来たのは、一種の旅ではなかったのか。私は、
。あきれるばかりにたくさんいる女の姿に、私は何か浅草に関する重大な発見をしたような、少なからず厳粛な気持にさせ
「おたくは昔の浅草をご存じで?」と末弘が言った。「今のおッつぁんは、
そうした悪戯をする人間のひとりと見て、お前は浅草へなにしに来たのかと詰問したにちがいない、そう私は
は感じられる。そして鮎子のような浅草の外部の人間が浅草へやってきて、ちょうど悪戯好きな人間が池に石を投げて、その
ているように私には感じられる。そして鮎子のような浅草の外部の人間が浅草へやってきて、ちょうど悪戯好きな人間が池に
それ以上は言わなかったけれど、その関係というのは、浅草へひょっこり現われた鮎子がおそらくはちょっとした浮気心で、市川玲子から大屋
私は美佐子が、瓢箪池のところで私に、浅草へなにしに来たのかという意味のことを詰問的に言った
「それはそうと、この間話した浅草の会ですな、K劇場を最初にと思って、瓶ちゃんにちょっと言っ
をぐうたらにしていけないと言ったが、そしてたしかに浅草の空気にはそうしたところがあるけれど、こうした瓶口などを見る
が、虚ろな声だった。その朝野はかつて私に、浅草は人間をぐうたらにしていけないと言ったが、そしてたしかに浅草の
だが、その途中の新仲見世通りで私は、私が浅草へ来る前にうろついていた銀座の、その裏の方にあるとある
が、おかしなことに銀座の女が浅草へくると一方、浅草の地下鉄横町の喫茶店の女たちは、公休というと、銀座へ出かけて
。ところで話は変るが、おかしなことに銀座の女が浅草へくると一方、浅草の地下鉄横町の喫茶店の女たちは、公休という
立てるようなのに会う心配はないだろう、そう思って、浅草をあいびきの場所に選んでいることを知ったのだが、私の存在
何度目ぐらいか。かくて私は、銀座の女たちが、浅草だったら、店の客に会わないだろう、店へ来てうるさい噂を立てる
なかったが、こういう工合に銀座の女たちがランデヴーに浅草を利用しているのに、ひょっこりぶつかるのは、これが初めてではなかっ
――さよう、私は浅草で会った浅草の人間以外の人間のことを、今まで一度も語らなかったが、この機会
――さよう、私は浅草で会った浅草の人間以外の人間のことを、今まで一度も語らなかった
、一緒に芝崎町の方へ曲ったのだが、そこは浅草公園の方から言うと、国際劇場の裏に当るところで、ここがまた
「この頃、どこで遊んどる」と問われて、「浅草で遊んでいます」と言うと、
たとえば事変後大陸へ、ちょうど私などが省線電車で大森と浅草を行ったり来たりする程度のなんでもなさで幾度か飛行機で行っ
だが)、わざわざその「お絹さん」を張りに山の手から浅草へ通っていた人で、知人と心やすく呼んでも私より一まわり以上
外の人間なのに、なぜか自分がそこにそぐわぬ浅草の人間のような気がし、知人の某会社の幹部がその店と
のように淑やかで、知人とならぶと、私は知人同様浅草の外の人間なのに、なぜか自分がそこにそぐわぬ浅草の人間
いわば浅草的でなく銀座的、――銀座的に土地柄浅草的を何パーセントか混えたような趣で、それも私にぴったりしない
、なかへ入らないでも外から窺われる雰囲気が、いわば浅草的でなく銀座的、――銀座的に土地柄浅草的を何パーセントか
その人にとっては、浅草といえば「広養軒」――という感じらしい。同じく銀座といえ
浅草にほとんど毎日いて、そうしたことを私は大森の喫茶店のバーテンから
は廃墟のようになっていた。廃墟といえば、浅草のレヴィウの発生地のような水族館も廃屋のままで、深夜にその屋上
、この本には特別の感情が持たれるのだが)浅草区のところに、公園の地図が入っている。見ると、それに出
いる朝野の不潔さを思い出しながら眉をひそめ、なるほど私も浅草の空気にそまったと思った。脂ははたいても落ちなかった。大森
ことないのよ。――そんな軍需景気の奴なんかに、浅草の芸人をなめさせるようなまねをしちゃ駄目」
と……のような辺であった。仁王門へ向け、浅草の花道のような仲見世を堂々と(?)歩くのは珍しいことであっ
これは前に書いたような理由はあるが)、つまり浅草の正式の顔といったようなところはあまり歩いたことがなく、私
坐るのはたまらない感じで、私は左にそれた。浅草に部屋を借りてもう半年以上になっているのに、私はどうし
「ミーちゃんとかぎらない。浅草の女に手を出すようなことはしないで下さい」
だ……。まるで新派悲劇のような……。だが浅草の女は大概新派悲劇の主人公のようなものを持っているんで。
「――浅草の女は馬鹿ですね」
「浅草の女に手を出すなとさっき君は言ったが、――誤解さ
の前に行った時は、私たちに気づかぬサーちゃんは浅草神社の方へ急ぎ足で去っていて、私もドサ貫もあえて呼びとめようと
(浅草の踊り子たちはフィナーレをふいなあれと言う。)
浅草を愛する会といったものをやろうという話が、私と朝野光男の
アパートで寝ているところを、――そう言えば私は浅草へもあまり来なくなっていたが、朝野の来訪で起された。
食える、――楽しんで食っているその雰囲気、こうした浅草の空気は、私の心をなごやかにさせるのである。私は畳
から五十枚ばかりの往復端書を出した。謄写版で刷った浅草の会の案内状である。第一回を、かねて話していた通りにK
、インキが濃すぎて、汚かった。そのどぎつさは、浅草の小屋のどぎつい芸風をちょっと偲ばせる。
浅草の広小路は、吉原と同じように昼と夜とではまるで表情を異
「花屋敷が今度復活するそうで。なんでも浅草楽天地という名前になるとか。そこのショウに入ることになったん
浅草の会は、国際通りの「三州屋」が会場であった。
私はその日の前ずっと浅草に行かず、その日も定刻に大森の家から出かけて行くと、朝野
したも、――困るなア、こういう時にはちゃんと浅草にいてくれなくちゃ」
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は発作のような号泣がおさまると、直ちにホテルを引きあげて東京へ帰り、そしてすぐ日本を去った。フランスへ行ったのだが、その
「東京にいないんだもの」言葉が親しみをこめて漸次乱暴になっていく
夜叉の貫一から取ったもので、その若者のことを、東京では二枚目とはいえないが、田舎回りの劇団だったら、まあ貫
という、そうしたことの定石を踏んで、二人で東京へ出て来たのだった。そうした元鉄道官吏が、どういう経路
五銭。(翌年七銭に値上。)氷あずきなど東京中探したってもうどこにもありはしない寒空に、浅草では依然と
唇を鳴らしながら、アパートの外に出た。(私は東京の山の手で育ったが、子供の時分、夜になると「おいなアり
――私の手もとに明治四十年発行の東京市編纂「東京案内」という本があるが(この明治四十年というのは、私
――私の手もとに明治四十年発行の東京市編纂「東京案内」という本があるが(この明治四十年という
「但馬がお正月には東京へくるッて言ってきたわ。この間、手紙で――。あたし、
「彼のかみさんが、彼を東京へ呼び寄せたらしい」
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し、十仙。カツ、十五仙。オムレツ、十五仙。新橋やき、十五仙。五もくやき、十仙。玉子やき、時価。
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鮎子は、上海のバーにいた。もと彼女がいた銀座のバーが、上海に新しくバーを開いた。それに呼ばれて行った
数年間の生活は、そのうわさを人から聞いたり私自身鮎子に銀座などで会って話を聞くたびに、いつも、前と違った新しい状態を
、とみに銀座や銀座的なもの、私のうちにおける銀座的なものに嫌悪を覚え、同時に、浅草は民衆の盛り場というぼんやり
としては銀座を愛していたが、とみに銀座や銀座的なもの、私のうちにおける銀座的なものに嫌悪を覚え、
、盛り場としては銀座を愛していたが、とみに銀座や銀座的なもの、私のうちにおける銀座的なものに嫌悪を
は述べなかった。私はそれまで、盛り場としては銀座を愛していたが、とみに銀座や銀座的なもの、私のうちに
地下鉄横町に「ボン・ジュール」という、浅草には珍しい銀座風の感じの喫茶店がある。
銀座風の、――そういえば、銀座風の喫茶店はいわゆる浅草の内部には入り込めないでその外側の、いわばその
銀座風の、――そういえば、銀座風の喫茶店はいわゆる浅草の内部に
浅草へ遊びに来たことがある。そしてこの地下鉄横町の銀座的な喫茶店に入ったことがある。冬であった。――そこを
をやっていた時分、同じ撮影所の女優と一緒に銀座通りを歩いているのに私は会って、三人で、なんとなく
した点から言うと、地下鉄横町は、浅草における銀座的な通りであるが、――そうだ。思い出がある。今から何
横町は浅草における銀座的な通りとはいえ、やっぱり銀座ではないのだった。
を買う気をおこすだろうか。その横町は浅草における銀座的な通りとはいえ、やっぱり銀座ではないのだった。
銀座通りで、女優さんが、湯たんぽを買う気をおこすだろうか。その横町
で私は、私が浅草へ来る前にうろついていた銀座の、その裏の方にあるとある「特殊喫茶」で顔なじみの、そこ
の地下鉄横町の喫茶店の女たちは、公休というと、銀座へ出かけて行き、これは必ずしもあいびきではなく、映画見物の楽しみを
ばならなかった。ところで話は変るが、おかしなことに銀座の女が浅草へくると一方、浅草の地下鉄横町の喫茶店の女たちは
のは、これでもう何度目ぐらいか。かくて私は、銀座の女たちが、浅草だったら、店の客に会わないだろう、店へ
そうだ。私は今まで書かなかったが、こういう工合に銀座の女たちがランデヴーに浅草を利用しているのに、ひょっこりぶつかるのは
さん」というのがそこで鳴らしていた時分、すなわち銀座の「ライオン」で「お近さん」が鳴らしていた時分のことだ
窺われる雰囲気が、いわば浅草的でなく銀座的、――銀座的に土地柄浅草的を何パーセントか混えたような趣で、それも
ないでも外から窺われる雰囲気が、いわば浅草的でなく銀座的、――銀座的に土地柄浅草的を何パーセントか混えたような
、幾分おくての私の「遊蕩」の歴史はその後、銀座にカフェーに取って代って現われたバーのなかで初めて始められたことに
いえば「広養軒」――という感じらしい。同じく銀座といえば「ライオン」という感じの人もあるだろうが、その「ライオン
その大屋五郎と、数日前に私は銀座で会っていた。
「この頃、僕は銀座に出ないから」
のだが、一層ひどくした蹌踉たる足どりで、折からの銀座の出盛りのなかに紛れ込んでしまった。で、言えなかったのだが、
たが、そうした顔触れでお酉さまに来た。鮎子は銀座のバーに出ていて、大屋五郎と別れるとか別れたとか、
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に私たちに感じさせつつ、その絢爛たる流れは、まっすぐ、田原町の電車、バス、地下鉄の停車場へと流れて行くのだ。
お客らしい華やかな少女の群が舗道をいっぱいに埋めて、田原町の方へと流れて行く。浅草的な雰囲気とちがったものをあざやかに
せず、足を踏み入れようとはしないのである。地下鉄田原町の出口に「国際劇場は、まっすぐにお出で下さい」と書いてあるが
時刻に私はアパートの窓から外を眺めていた。田原町の仁丹の広告灯が、――電気のつかない昼間の広告灯という
大きな食いもの屋は大方今日も残っているのだが(たとえば田原町の鰻の「やっこ」、広小路の牛肉の「ちんや」、天婦羅の「
結局K劇場へ行かないで、私たちはまっすぐ田原町の方へ行き、広小路に出た。東西に走っているその広小路通りは
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私に愛想よくあいさつしたその女給さんは、つい前まで新宿の舞台に立っていた、まだ二十前の娘で、バーテン君が「
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に私は机から離れて、窓辺に立った。雁は隅田川の上流の方へ飛んで行った。ながいこと、私は窓際に突き立って