夢殿 / 北原白秋
地名一覧
地名をクリックすると地図が表示されます
神楽殿砂吹きあぐる白南風に小蟹ちり走る鋏立てたり
地名をクリックすると地図が表示されます
三笠山さ青の尾上に立つ鹿のかぼそき姿天にして見つ
三笠山
三笠山冬来にけらし高々と木群が梢をい行く白雲
地名をクリックすると地図が表示されます
筑波嶺の男峰落ちゆく雲あらしふりつつもあるか下の葉山に
地名をクリックすると地図が表示されます
富士五湖
昭和七年、妻子と共に晩秋の富士五湖に遊ぶ。
富士五湖
白良 長歌 一 短歌一七 富士五湖 長歌 一 短歌二四
地名をクリックすると地図が表示されます
昭和三年初冬、国醇会の一行と正倉院拝観に赴く。その所産、「春日の鹿」「正倉院御物抄」。
地名をクリックすると地図が表示されます
多摩川にさらす調布さらさらに何ぞさらりと棄てて去りにし
地名をクリックすると地図が表示されます
字、筑紫村のほとりに、妹の乳母を訪れて、同じくその日、
地名をクリックすると地図が表示されます
年八月、一子隆太郎を連れて木曾川、恵那峡、養老、長良川等に遊ぶ。
地名をクリックすると地図が表示されます
五、伊豆大仁穂積忠宅に宿る、義弟山本鼎と伴なり
地名をクリックすると地図が表示されます
猿沢の柳の眺めさびにけり余光暫ある興福寺の塔
地名をクリックすると地図が表示されます
夏山は赤と青との雉子馬の清水寺も雨こめにけり
地名をクリックすると地図が表示されます
麦の秋夕かぐはしき山の手に観世音寺の講堂は見ゆ
麦の秋観世音寺を罷で来て都府楼の跡は遠からなくに
地名をクリックすると地図が表示されます
館山寺内外
地名をクリックすると地図が表示されます
上内は谷をへだつる前の山肥後と筑後の境松あはれ
十九日、外目を出でて筑後の瀬高へかかる。上庄の江崎氏を訪ふに
北の関の村は、筑後の山門と肥後の玉名の境にあり、そを越ゆれば母の里南の関
地名をクリックすると地図が表示されます
その夜五浦の故岡倉天心居士の別墅に宿る。帰途、筑波に登つて山上に一泊。「五浦少女」「筑波新唱」はその折の
五浦の帰りに筑波の麓大宝村へ廻り、横瀬夜雨氏の邸にて河井酔茗氏と約のごとく
筑波の帰りに
地名をクリックすると地図が表示されます
翌八年一月再び鷲津の本興寺を訪ふ。「続本興寺林泉」「白須賀」続いて成る。
本興寺林泉
鷲津の本興寺は法華宗の古刹にして、その林泉の幽寂なる、譬ふべきなし。
本興寺の庭はこれかとさもこそと観てを居りけり十月末なり
地名をクリックすると地図が表示されます
廻り、横瀬夜雨氏の邸にて河井酔茗氏と約のごとく落合ひ、その午後一同筑波山へ登る。山上へ一泊す。
地名をクリックすると地図が表示されます
昭和八年十一月、福島市の公会堂創立につき講演に赴く。「初冬信夫行」はその時の作。
地名をクリックすると地図が表示されます
大味も程にこそよれ幾塩と薩摩の鰤よ塩つよく沁め
地名をクリックすると地図が表示されます
そを迎ふと航海す。かくして、別府、大分、由布院に淹留旬日、再び妻子と瀬戸の内海を渡りて帰る。その折の長歌竝
地名をクリックすると地図が表示されます
づむ。簑毛風にそよいで。ハレヤ、霞の雲仙、島原は追風の一と潮、風さきの向う突堤は三潴ばの、のうもし。
地名をクリックすると地図が表示されます
国上山のぼりつつ来し杉むらを松風の音ぞ吹きしづみたる
地名をクリックすると地図が表示されます
早稲田には雨けぶるらし真木山のこの見おろしも蛙鳴きつつ
地名をクリックすると地図が表示されます
により、その旅客輸送機ドルニエ・メルクールに乗じて北九州太刀洗より大阪へ飛翔せんとす。これ日本に於ける最初の芸術飛行なり。事前、乃ち
、はじめて本飛行に就く。南関の上空よりそのまま一路ただ大阪へ大阪へと飛ぶ。
本飛行に就く。南関の上空よりそのまま一路ただ大阪へ大阪へと飛ぶ。
二十四日、我空を飛びて大阪へ向ふあひだ、妻は子らを伴ひて、太刀洗より大分なる生家へ
折の新唱之なり。なほ、この帰途、再び太刀洗より大阪へ、大阪より羽田へ一気に飛翔し、感懐また新なるを覚ゆ。此
之なり。なほ、この帰途、再び太刀洗より大阪へ、大阪より羽田へ一気に飛翔し、感懐また新なるを覚ゆ。此篇またお
地名をクリックすると地図が表示されます
邸にて河井酔茗氏と約のごとく落合ひ、その午後一同筑波山へ登る。山上へ一泊す。
地名をクリックすると地図が表示されます
炭層に千歳うづもる蓮の実も芽を吹き花の日に匂ふちふ
地名をクリックすると地図が表示されます
法隆寺にて
四十日にわたる荒涼たる我が満蒙の旅は、寧ろこの法隆寺を美しく見むためなりしが如し。
日の照りて桜しづけき法隆寺おもほえば遠き旅にありにき
地名をクリックすると地図が表示されます
ここに見る霞ヶ浦は採る魚のわかさぎ色にしろく霞みぬ
地名をクリックすると地図が表示されます
月光荘は柳河瀬高町高椋公夫君邸の離家に我が名づけしものなり。この行ほとんどこの
地名をクリックすると地図が表示されます
の人々の喜びかぎりなし。一夜、町の招宴に臨み、竜田川の橋ぎはなる島田家に泊る。翌十九日、外目近郊の外祖父母の
地名をクリックすると地図が表示されます
筑紫は我を生ましける母の国大き出水の田の広ら見よ
筑紫の、櫨の木原、木原には夕光満ち、夕光に鷽鳥啼けり。宰府
地名をクリックすると地図が表示されます
を通じて最も旧き作は、「木曾長良行」の犬山城や、水車船、四季の里等の景情であり、最も新らしきものは、
地名をクリックすると地図が表示されます
昭和九年八月中旬、台湾巡歴の帰途、神戸に迎へたる妻子と共に紀州白良温泉に遊ぶ。滞在数日。
地名をクリックすると地図が表示されます
青丹よし奈良の都の藤若葉けふ新たなり我は空行く
、満蒙旅行の帰途妻子と奈良に遊ぶ。その所作、「奈良の春」。
翌々五年春、満蒙旅行の帰途妻子と奈良に遊ぶ。その所作、「奈良の春」。
まとに見る三笠の山の朝霧はまさしく寒し奈良に来てあり
庇間や奈良の夜ふけに顕つ影の大きなる鹿のもそと来てあり
奈良の春
地名をクリックすると地図が表示されます
昭和三年盛夏、常陸大津の海岸へ児童自由詩講演に赴き、その夜五浦の故岡倉天心居士の別墅
大津
大津の浜目どほり白き波際を階上に見つつビールぽんぽん抜かしむ
地名をクリックすると地図が表示されます
福島対岸
地名をクリックすると地図が表示されます
館山寺松山穏し湖を来てここは小春の入江さざなみ
地名をクリックすると地図が表示されます
秋晴の入江の水戸のさざらなみ鷹一羽来り屋の上にはをる
・風」、「雪冠」、「渓流唱」、「水戸唱」、「河童早春賦」等の創作があつたが、これらは
地名をクリックすると地図が表示されます
昭和四年六月、新潟、今町、国上、出雲崎各地に遊ぶ。吟懐三十四首。
新潟
地名をクリックすると地図が表示されます
以来、馬込緑ヶ丘、世田ヶ谷若林、砧村大蔵、等に亘る東京生活の所産であるに対し、本集は、殆同時代の覊旅の旅を
ある。即ち『白南風』が、大正十五年暮春、小田原より東京谷中天王寺墓畔に転住して以来、馬込緑ヶ丘、世田ヶ谷若林、砧村大蔵、