花と龍 / 火野葦平
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親子の息子英男君も私と小倉中学の同級生、現在は長崎市の病院に勤務、その弟の武人君は若松の市会議員、花田組、劇場稲荷
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ときに、戸数六二五八、人口三七三九三。因みに、若松村が若松町になったのは、明治二十四年三月一日、戸数八八一、人口三一三一。明治
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一縷の望みを抱き、九段富士見町の「筑紫館」をそれにして、警察署を出た。これから、衆議院
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スペイン、モロッコ、フランス、イタリア等を経めぐって帰国した。パリの読売支局で、日本から送られて来た読売新聞を見たとき、臼井
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出て行くわけがわかるよ。遠いところに行く者は、ハワイやブラジルまでも行っとる。成功しとる者もたくさんある。その成功した者
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一縷の望みを抱き、九段富士見町の「筑紫館」をそれにして、警察署を出た。これから、
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雷門から入ると仲店の美しさに、金五郎は眼を奪われた。狭い石甃
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、さっき、金五郎が道後の女とまちがえた銀杏返しが、銚子をさげて、にじり寄って来た。
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八日が、約束の日じゃったのに、ロシヤは、満洲から撤兵するどころか、どんどん、兵隊を南進させよる。あっちは、もう、
をする気がなく、ヨネの妹婿になる山田健一が、満洲の旅順で経営している、かなり大きな印刷工場に徒弟になって行った。
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「宇部の炭坑に行った帰りです。……ああ、大庭へ行きなさったといやあ、
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金五郎は、八幡の藤本組を訪れた。藤本喜八郎の前に、率直に、事情を述べて
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「すこし腰が痛くなった。九州から東京は遠いなあ。昔の殿様はこの長道を歩いて、参覲交代しよった
「いいえ、わたしは、たった今、九州から、東京へ着いたばかりの者です。そして、降車口で、この人から
館」は、博多出身の者が経営していて、九州から上京する人たちの定宿になっているようだった。和洋折衷の三階
旅を彷徨っていました。北は北海道から、南は九州の果てまで。それこそ、全国を股にかけていたわけです。そして、
望みをかなえてあげたい。じゃけど、今はいけん。九州に帰って、女房の許可を貰うて来るけ、それまで、待っておくれ
しちくどう、おれを説き伏せようとした。けれど、とにかく、一度、九州に帰ってからということで、話が折り合うた。
生まれ、そこで育ち、現在もそこに住んでいて、九州的性格が身についたようである。若松は石炭積出港として日本一
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対馬の近い北九州では、日本海々戦の砲声が、遠雷のように、聞えた
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加わって、旅から旅を彷徨っていました。北は北海道から、南は九州の果てまで。それこそ、全国を股にかけていた
して来い。金は要るだけ送ってやる。今ごろは、北海道が大層ええちゅうけ、阿寒湖、洞爺湖、摩周湖、支笏湖、など、湖
三年ほど前、市参事会員だけで、北海道視察旅行をしたことを思いだして、そんなことをいった。
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送ってやる。今ごろは、北海道が大層ええちゅうけ、阿寒湖、洞爺湖、摩周湖、支笏湖、など、湖めぐりをして来るがええ。
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出た時次郎は、広島には帰らず、反対の方角、筑豊の炭坑に行って、坑夫になった。出発したときには、そんなつもり
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金五郎とお京の姿は、どこに行ったのか、「飛鳥」から、消えていた。
「これを、「飛鳥」の女将さんが、あなたに渡して下さい、って」
磯吉に逢うために、一人で、家を出た。「飛鳥」で、友田喜造から勧告されて、約束したのである。
ぞ」と、口三味線で、義太夫を口吟みながら、「飛鳥」の方向へ、足を向けた。
副島がまだ飲み足らぬらしいので、豆八に、「飛鳥」に一緒に行って、二次会をするようにいいつけた。
がやがや騒いでいると、「飛鳥」の君香が出て来た。
妻太郎・光丸となっている。しかし、妻太郎は「飛鳥」にいる芸者なので、金五郎もよく知っている。全然、ちがう。出演
「飛鳥」に行って、君香に訊いてみた。
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敗北したロシヤに、革命の動乱が勃発した。モスクワでは、革命党員が政府軍と交戦して、数万の死傷者を出し
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、その他の宏壮華麗な建築物の列、はるかに望まれる宮城、コンクリートで堅められた駅前広場、走る電車、自動車、人力車――大都会の美しい
二人は、夜の街を、無言で、歩いた。宮城の濠端に出た。
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三月五日――極楽寺ニテ、「若松港沖仲仕労働組合」結成式。ソノアト、スグ、三菱炭積機反対
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まだ明かるい西空に、くっきりと富士山が浮き出ている。そこだけくり抜かれたような空の形が、洒落れた額縁
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は、まあええが、冬分は死ぬ思いじゃったなあ。遠賀川の洲の岸に、水棹を立てて、それに、舟を綱で纜う
石炭が、この遠賀川を、川舟によって積み出されたことに起因して、いつか、川筋気質
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彦島貯炭場での昼休みである。彦島は、下関とは川を一つ隔てているだけであるが、市街地の方とは、
、うちの親方のところに、若松の吉田親分をはじめ、下関、小倉、博多、別府などの顔役方がお見えになって、泊りがけで遊ん
下関の街に揃って出て、世帯道具を買いととのえた。あまり一度に買うと、
てから、転々した。門司に来て、浜尾組、下関にわたって、山下組、今は、戸畑の永田組――新しい世界の展開
あったが、その男は吉田磯吉身内ではなかった。下関の顔役で、「蝮一」と俗称された土建屋である。新之助と君香
とき、玉井金五郎とかいう変な男に誘われて、下関の彦島に渡ったと教えられた。その玉井の嫁女になったとは、
門司や、下関にいたころ、金五郎は、口癖に、そう、述懐していた。浜尾
の清七という頓馬が来て、道具番をやったり、下関の彦島から、「ノロ甚」という綽名の、将棋は馬鹿に強いが、
「そうなるかなあ。下関の「なんでも屋」ちゅうのは、同郷の直方でなあ、あんまりしゃんとはし
に、「おれたちは、石炭仲仕じゃ。裸一貫、門司、下関、戸畑、それから、若松に来てからも、石炭の中で、まっ黒に
下関の彦島で、はじめて世帯を持ったとき、仲介の、「なんでも屋」
したときには、そんなつもりは毛頭なかったのに、下関から、山陽線に乗る段になって気が変ったのである。マンを
はじめて逢うたときのことを、おれはよう憶えとるはい。下関の彦島で……そうじゃ、もう三十年も前になる。上海コレラ騒ぎの
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男は四国の田舎を出発した。女は広島の山奥を出発した。どちらも、
かも知れなかったけれども、たしかに、あのときは、四国の土百姓で、見るからに田舎者然としていた金五郎は、この三
いろんな奴がやって来たらしいですな。金五郎の郷里の四国から、鍛冶屋の清七という頓馬が来て、道具番をやったり、下関の
そういって、わざわざ、四国と広島とに行ってくれた。
一面トップ記事だ。どうして調べたか、四国の郷里で、黒石家の養子に行った前後のことが、誇張し、歪曲
なあ」と、笑う。「金五郎は、親をほったらかして、四国の田舎を飛びだした男、おマンも、同じように、広島を飛びだした女
(四国の田舎で、これと同じようなことがあったが、……)
ての血はない。この小説に書いたとおり、父は四国、母は広島、その混血児である。しかし、北九州の若松で生まれ、そこで
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右手に視線をめぐらすと、すぐ近くに、靖国神社の屋根と、大鳥居とが見える。境内一杯の桜はもう青々とした葉桜
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渡してまもなく、私はヨーロッパに旅立った。アイルランドのダブリンで開かれた第二十五回世界ペン大会に出席し、イギリスのエリザベス女王戴冠式を
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くねくねと、やたらに曲りくねった道を、馬車は、松山市の方へ進む。この「七曲り」といわれている街道は、昔、敵兵
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壇ノ浦の方角にあたる東の空に、太陽がのぼって来た。真紅である。
の全員を引き具して、遠足に出かけた。今ごろは、壇ノ浦を望む和布利神社の境内で、祝いの酒盛が、たけなわの時分である。
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「東京か関西かの大歌舞伎を招んだら?――そういう者もあるけんど、おれは、
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、六千人に半満ちているにすぎなかった。しかし、筑豊炭田を受ける洞海湾の一角の町として、海岸には、鉄道院が設備し
、貝島、麻生、古河、……そんな金持の炭鉱が、筑豊炭田に、たくさんあるでしょう。その石炭が、汽車や、川舟で、洞海湾に出る。
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湖、支笏湖、など、湖めぐりをして来るがええ。大雪山にも、まだ、雪が残っとるじゃろう。アイヌも珍しいけ」
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というのが、わたしの信念です。それは、現在の若松市の実状から、はっきりいえることなのでして、……ざっくばらんに申しますから
とらんし、失格者も増えるかも知れん。現在、若松市の人口が、五万七千三百二十六人、去年の九月一目の有権者名簿で見ると、登録者
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川舟乗りから、角力取りになるつもりで、大阪に出た。褌かつぎになって、地方巡業に廻った。山陽線は
したか知れない。友田は持病の胃潰瘍手術のため、大阪の或る病院に入院中であった。
十二歳のとき、竹本津太夫に見こまれて、一度は大阪「文楽」につれて行かれて、津ノ子という芸名を貰うて、
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、葛島という二つの島を浮かべている。小倉の足立山、八幡の帆柱山、若松の高塔山などの山々が、この湾を包ん
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高塔山と谷ひとつ隔てた山に、高野山九州別院「東南院」がある。その周囲の鬱蒼たる森林に、このごろ、雉子が
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じゃけ、わたしは先番の三崎組の札を掛けた。三崎の若い衆も出て来て、浮標にかかるのを待って、段取りしようとし
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二十五騎の一人である三宅若狭守家義の守っていた若松城があったが、今は城址は石ころだけとなり、そこへ、コークス工場が
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のところに、若松の吉田親分をはじめ、下関、小倉、博多、別府などの顔役方がお見えになって、泊りがけで遊んでいなさるん
な、今、別れの昼御飯を食べておいでになる。博多、別府方面の親分衆は、二時の汽車で、門司からお帰りになる
と、筑豊線とは、折尾駅で交錯する。若松から、博多、熊本方面に行く者は、ここで、乗り換えるのである。そういう人たち
列車は、博多をすぎて、二日市駅着。下車した一行は、なお止まぬ雨のなかを
いう。こっちも彫って貰いたいと思うて、いっしょに、博多に行ったんじゃ。これだけに、一週間かかったよ」
、「お京」という芸名で、芸者に出ている。博多の待合から逃げられた金五郎に対して、長期作戦の腹を定めて、若松
「久しぶりでしたのね。博多以来、お逢いしたかったのよ。まだ、大切な用件があったのに
「博多から逃げだして、うまく、あたしとは縁が切れたつもりでいらしたのでしょう?
。彫青を彫って貰うた代金もあげとらんし、博多の宿賃も、そのままにしてしもうて……」
てやるなんて、威張らないわ。あなたが、左腕だけで、博多から逃げてしまったときから、あたしは、病気になったのよ。狂人に
メンピンだったの? そうか。それでわかったわ。博多から逃げだしたのも、おかみさんが怖かったのね。あなたのおかみさんのこと
、遂に、逃げだした。女彫青師のお京からは、博多で一度、若松に来てから一度、挑まれたが、逃げた。そうし
「光丸さんが逃げて、博多に隠れるということ、お前に連絡があったの?」
もなく、夜が明ける。一番の汽車で、すぐに、博多に行け」
「そら、そうと、お父さん、なんで、勝則を、博多にやんなさるの?」
間もなく、勝則と光丸とは、潜伏していた博多の「隻流館」道場から、それぞれ、自宅へ帰って来た。
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、やっと、鉄道のあるところまで出て、汽車に乗る。岡山市にたどりつき、裁判所に、科料金を納入すると、また、同じコースを引きかえす。
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に、あっさり、勝ち逃げ。……ホホホホ、……後で、関東の親分衆が――あれは、なんだ? 素人面して、鬼殺しじゃ
「「蝶々牡丹のお京」といったら、関東では、すこしは知られた姐御さ。それが、こんな若松みたいな田舎
あたしだって、すこしは知られた彫青師さ。うるさい関東の渡世人たちの間で、腕だけではなくて、気ッぷで、通っ
「関東の掏摸は、一度狙ったホシは外さねえんだ。外したら、沽券にかかわる
、顔を出した。この土地は初の旅人、しかも、関東生粋のしたたか者――そういう面通しを、凄味たっぷりで利かせて、玉井金五郎脅迫
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宏壮な屋敷である。下部は大きな岩でかためられて、大江山の鬼の岩屋を思い出させる。広い庭があって、森林のように、鬱蒼
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で積む親分です。三井、三菱、安川、貝島、麻生、古河、……そんな金持の炭鉱が、筑豊炭田に、たくさんあるでしょう。その石炭が
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西新町に出た。
西新町に出て、「六ゾロ」ののれんを潜った。
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に痛いほど、濃く深く澄みわたった青空に、くっきりと、松山城の天主閣が浮き出ている。街の中央に、百三十メートルほどの高さ
月明である。冬の夜空に、松山城が浮きあがり、なにかの花の香が、街道いちめんに流れている。
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開所式の当日、広島からやって来た専売局の若い出張員も、にこにこと、挨拶した。
に行くのが大変である。大旅行といってよい。広島の山奥から、谷をわたり、山を越え、幾日も泊りを重ね、
広島の山奥から、兄を頼って来て以来、十ヶ月ほどになるので
「あたし、広島から出て来て、ずっと世話になっとって、こんなこというと、怒ら
男は四国の田舎を出発した。女は広島の山奥を出発した。どちらも、みずからの意志によって、飛びだして
、不思議な一種の圧力になって、時次郎を圧迫する。広島の山奥では、マンに、こんなものを感じたことはなかった。それ
みたいな、心配そうな顔しとるなあ。それとも、広島で、間男でもして、逃げて来たのかね?」
「広島の客人は、まるきり、自分が間男したみたいな、心配そうな顔し
は、首をひねって、源十を見た。しかし、広島の田舎から出て来たばかりの時次郎にくらべて、さすがに場数を踏ん
「おマン、広島のお父さんが、大怪我をしたちゅうで」
「あたし、一度、広島へ帰って来ようか知らん?」
「広島のお父さんと、お母さんとが、どっちも悪いという知らせがありましたけ
「広島の両親が悪いちゅうもんじゃけ、見舞にやりました」
と、時やんは、姐さんを迎えに行くちゅうて、広島に帰んだが、うまいこと、つれて戻りきるじゃろか?」
広島に来たその子分からの電報で、宙を飛ぶようにして、帰っ
らしいぞ。時やんはお前を迎えに行くというて、広島に帰ったとに、お前が手紙の中に、時やんは居らん、
そういって、わざわざ、四国と広島とに行ってくれた。
の底板を使った。マンが、夫婦喧嘩をして、広島に逃げ帰ったとき、「六ゾロの源」は、女仲仕のジュンを、
の仲を疑ったマンは、金五郎に暴力を加えて、広島に逃げ帰ったが、今度はほんもののお京の手紙を読んで、いかなる行動に
したマンを呼び戻しに行くといって出た時次郎は、広島には帰らず、反対の方角、筑豊の炭坑に行って、坑夫になっ
の田舎を飛びだした男、おマンも、同じように、広島を飛びだした女、そうして、二人の生んだ倅が、親につらい
ない。この小説に書いたとおり、父は四国、母は広島、その混血児である。しかし、北九州の若松で生まれ、そこで育ち、現在
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けど、前科がつくし、第一、罰金を収めに、岡山裁判所までも行かねばならんよ」
善助は、罰金を収めるために、岡山に向かって、出発した。二円五十銭といえば、科料とし
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に痛いほど、濃く深く澄みわたった青空に、くっきりと、松山城の天主閣が浮き出ている。街の中央に、百三十メートルほどの高
清七とは、道後温泉に行った。湯の町は、松山とはつづいている。
月明である。冬の夜空に、松山城が浮きあがり、なにかの花の香が、街道いちめんに流れている。
そう思ったとき、故郷の松山のことが、急廻転する走馬燈のように、頭に浮かんだ。その流れ
どうにかなろうたい。……な、マン、道後と松山とは続いとるけ、ゆっくり、二人で、温泉に、でも入ろうや」
(おれも、松山の親父に、三十円かえさなくちゃならん。明日、早速、送ろう)
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この近郊農村一帯は、四国東部、阿波徳島の影響をうけて、浄瑠璃が盛だった。吉藤にも、立派な衣裳
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んじゃ。それに、女を使うちょる。こないだは、長崎で、女の露探が捕まえられたが、あの女たちも怪しいぞ」
、張りあい抜けした表情を浮かべたが、「実は、長崎の高島炭坑で沈没炭引きあげの相談をうけてなあ、わし一人の手に
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筑豊線とは、折尾駅で交錯する。若松から、博多、熊本方面に行く者は、ここで、乗り換えるのである。そういう人たちが
次男政雄は、熊本五高を出て、東大法科、在学中。春休みには帰省していた
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「新之助はんは、福岡の監獄に居やはります」
いた。金五郎から、祝儀もやってある。新之助が、福岡監獄に服役中、知りあいになった熊丸虎市と、共同で、この、
」をたった一人で経営していた原田雲井は、福岡の士族で、父が判事、若いころは、裁判所の書記をしてい
福岡県会議員に出て、県会議長となっている井上安五郎も出席した。次
のである。しかし、私も、早稲田大学英文科を中退し、福岡二十四聯隊除隊後は玉井組の半纏を着て、石炭仲仕とともに若松
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三年一月十二日、桜島が大爆発をした。鹿児島南端の山から吹きあげた火山灰は、風に乗って、北九州の空まで
よ。それから、今、京都の大学に行っとる長男、鹿児島の七高に居る二男坊――考えて来りゃサ、少々、腹が立つ
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来たんじゃ。あいつも大よろこびよ。それから、今、京都の大学に行っとる長男、鹿児島の七高に居る二男坊――考えて
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東京よ。交番やら、電車やらが、どんどん焼かれよる。日比谷で講和反対の国民大会が開かれたり、大臣の家に押しかけたり、帝都
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「東京よ。交番やら、電車やらが、どんどん焼かれよる。日比谷で講和反対の
、焼討ちの加勢に行くわけにゃいかん。実はな、東京も大事じゃが、こっちにも、大事が出来かかっとる。そのことで、
「まさか、なんぼ腹が立ったとて、東京まで、焼討ちの加勢に行くわけにゃいかん。実はな、東京も大事
「東京、……東京……」
「東京、……東京……」
「すこし腰が痛くなった。九州から東京は遠いなあ。昔の殿様はこの長道を歩いて、参覲交代しよったと
「東京はチボが多いというけ、気をつけなさいよ。人を見たら泥棒
「いいえ、わたしは、たった今、九州から、東京へ着いたばかりの者です。そして、降車口で、この人から、懐中物
「それはよかった。やっぱり、東京は物騒だなあ。気をつけることにしよう」
やっと、東京駅前着。
して、若松警察署に行くと、大びらで通る顔も、東京のまん中では、一田舎者にすぎなかった。おまけに、変な老掏摸
「東京には、もっと珍しいものがありまさあ」
「金さんは、まだ、東京な?」
「東京から、いせさんが来とるてなあ?」
ん、むずかしか問題も起るまい。……玉井さんは、東京から、いつ、帰るな?」
「きっと、そうじゃ。東京で、友田が策動したものに違わん。それで、おれは、手紙
れたとは、われながら、意外のことであった。東京の警察署で、田舎者として、取るに足らぬ扱いを受けた鬱積が
紙包みをほどいた。一個の財布が出て来た。東京で、般若の五郎から奪われたものだ。中を調べてみると、
(この財布は、東京で、チボから盗まれたというとったのに、……?)
「あれ、この財布は、東京でチボに掏られたと、いいなさッとッたんじゃないですか」
「東京には、面白い掏摸が居るなあ。いっぺん盗んどいて、送りかえして来た
「東京には、美人のチボがなんぼも居るという話は、前から聞いとっ
さんから、……勝則さんとあんたとのこと聞いて、東京から、帰って来るとかよ。ウフフ、新学期で、上京したばっかり
次第に、しんみりした語調になる金五郎は、東京での恐しい出来事を思いだしていた。
「吉田磯吉親分は、まだ、議会が終らんけん、東京から帰っとらんと見えるなあ」
金五郎をおどろかすことの名人だ。再三、その経験がある。東京では、般若の五郎に邪魔されて、逢えなかったが、手紙を
「昨夜の火事なあ、ありゃあ、東京の吉田本部から、命令が出ちょるにちがわんばい」
てしまうし――金五郎さんに逢おうと思て、わざわざ、東京から来たんやけど、一ぺん、帰って来う。……いやはっ
「東京に帰った?」
ある不可思議な記憶の作用が、俄かに働いて、金五郎を東京の浅草につれて行った。見たことがあるようだと思ったの
このあたりでは聞きなれぬ歯切れのよい東京言葉だ。金五郎は、ふっと、般若の五郎を思い出した。すると、
…実は、あの子、ほんとうは、すぐにでも、東京に行きたい気持のようにあるが、……」
様子で、まだ、家に居る。選挙がすんだら、すぐ東京に、という気持らしい」
遊びに行かせてくれ、ちゅうて、頼んだそうな。東京には、早稲田時代の友達がたくさん居るし、気を紛らかすつもりじゃろ。マン
それで、やっぱり、さびしいとじゃろうなあ。マンに、しばらく、東京に遊びに行かせてくれ、ちゅうて、頼んだそうな。東京には
な別嬪さんとのこと。……その人、いつか、東京から、お父さんの財布を送りかえして来た、スリの女親分じゃないか知ら
大石さん、うちのお父さんも、ええとこがあるでしょう? 東京の女スリから惚れられて、一ぺんは掏られた財布をかえして貰う
「東京から、おいでになった方ですね?」
「母は、東京にいますけれども、母の心は、若松に来て居ります。あたし
に斬られて、大怪我をなさったとき、あきらめて、東京へ帰って来たのです」
腕のよさを高く買われていましたのに、東京に帰ってから、今日まで、一度も、筆と針とを手にし
開票の翌日、勝則は、東京に向かって出発した。
たいそう病気が悪い、いやはってな、開票の次の日に、東京に帰らはったわ。おマンはん、あんた、お葉はんに逢いなはったん
苦笑しながら、不思議がっているが、女子大学を出て、東京生活をしているうちに、両親とはかけ離れた近代娘になってしまっ
の人よ。その縁談の、……いや祝言のため、東京から帰って来たんじゃ。あいつも大よろこびよ。それから、今、京都
ワイワイ騒いだら、気分も紛れやせんかと思うてな、東京に、手紙を出しといた」
東京から帰った勝則は、みんなと同じ、白黒横縞の祭衣を着て、父
「東京か関西かの大歌舞伎を招んだら?――そういう者もあるけんど、
「そういえば、勝則君が、労働組合で、東京の、なんとかいう劇団を招ぶとかいいよったが、今度はおれの
「若松港沖仲仕労働組合」の名で、東京から、劇団「左翼劇場」がよばれた。公演は六月十九日夜
、勝則、良子、闘志、繁子、里美、千博、夏休みで東京から帰って来ている政雄、それに、中村勉と結婚した秀子が
勝則は、東京に行って、留守だった。
「東京に行ったわ」
から帰ったら、快気祝いを兼ねて、日若座で、東京大歌舞伎の興行をやるつもりでいることなどを話して、帰って行った
「東京に行ったわ」
、一言いったきりである。仏頂面をしていて、東京でのことを、なに一つ、語ろうとしない。
死ぬ間際に、般若の五郎さんは自分が死んでから、東京に置いとくと、碌なことはせんけ、おれのところに置いてくれ
数日後、金五郎宛、東京から、電報が来た。
祝宴から一週間後、二月二十六日、東京において、軍隊の叛乱事件が起った。多くの政府要人が襲撃さ
氏は、最近、頬癌という厄介な病気にかかり、東京大学病院で数回手術をうけた。現在は小倉歯科大学の附属病室に入院加療
昭和二十八年五月二十七日。東京にて。
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あげ、「日本の、乃木さんが、凱旋す、雀、目白、ロシヤ、野蛮国、クロポトキン、きん玉、マカローフ、褌、しめた……」
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「品川さんですか。びっくりしましたよ」
「若松実業新聞」を独力で発行している、品川信健である。五十年配だが、若いころ、志を抱いて、朝鮮
山高帽に八字髭、洋服姿の品川は、近くの者が、耳をそばだてるような、不遠慮な大声で、
全町が耳であるといっても、過言ではない。品川信健もそれを知らない筈はないのだが、この豪放な新聞社々長
、軽い動悸が打っていた。ふりかえってみたが、品川は、後を追って来る様子はなかった。
品川信健が、「若松実業新聞」の社説で、金五郎を賞讃した。漢学
(勇ましい社長さんじゃ)と思い、自分のことよりも、品川信健の身の上が案じられた。
吉田磯吉や、花田準造、品川信健なども、見舞に来たが、浜野病院長は、患者に逢わせる
「君は、品川信健の最後を知らんことはあるまいな?」
用心しなさい、というてくれる者も多か。昔、品川信健が殺されたが、あの二の舞を踏まんように、と、忠告し
。おまけに、暗殺命令を発する本部がある。命令一下、品川信健を殺した西中宗之助は、監獄から出て来ると、恩賞に、小い
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「水道橋でも、脱線したそうな」
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「皆さん、次は神保町でございます。お降りのお方、お乗り換えのお方は、お支度
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「浅草です。……なんなら、これから、一緒に参りやしょうかね?」
浅草。
金五郎はきょろきょろしているけれども、五郎の方は、(浅草なんぞ、珍しくもねえや)そんな仏頂面で、どんどん、観音堂の方へ行く。
(この浅草のどこかに、お京が居るのじゃ)
――浅草千束町で、旅の女、絞殺さる。
した。もうすこしで、「田舎のお上り市会議員殿、浅草にて、掏摸にやらる」などと、新聞に書かれるところだったので
世界と、日本と、浅草とに、こんなにも、いろいろな事件の重なっている偉大な日、金五郎
なにごともなかったような、絢爛として頽廃的な浅草の雑沓。金五郎は、眼がちかちかし、眩しくて仕方がなかった。
「金五郎さん、浅草で逢いそこねて、残念でした。般若の五郎さんが、つまらぬおせっかいを
、妖しげに、音を立てたのです。でも、浅草では、逢わなかった方がよかったかも知れません。
二十五年ぶり、浅草でのことはあたしをおどろかせました。あなたが般若の五郎さんを救い
た。見たことがあるようだと思ったのは、浅草であったのかも知れない。瓢箪池の傍で、般若の五郎の
な記憶の作用が、俄かに働いて、金五郎を東京の浅草につれて行った。見たことがあるようだと思ったのは、
、寝こんで居ります。般若の五郎さんが、玉井さんを浅草におびきだし、与太者たちを集めて、身ぐるみ剥いだうえ、瓢箪池に投り
お葉から呼ばれて、別室に行った。お京の家は浅草の千束町にあった。なにをしとるやらわからんような、植込みの深い
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東京湾で、大観艦式が行われることになって、東郷司令長官率いるところの聯合艦隊