俳句上の京と江戸 / 正岡子規
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です。三十六峰が庭先や檐端にうねくっていて、嵐山が松と桜と楓と絵のように並んで居るのは京の俳想で
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た位で、談林の本家本元は江戸だか京だか大阪だか分らぬ程の事です。しかしこの時代は長い時代でもなく、かつ
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ように並んで居るのは京の俳想でありますが、武蔵野がただひろびろと広がっていて、ところどころに凹凸があって、富士と筑波が
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と広がっていて、ところどころに凹凸があって、富士と筑波が左右に見えるというのは江戸の俳想であります。公卿が衣冠をつけ
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の中心は何処でありましょうか。京でありましょうか。江戸でありましょうか。京か江戸かの二つの内であるという事は
。京でありましょうか。江戸でありましょうか。京か江戸かの二つの内であるという事は誰も異論はありますまいが
まいが、どちらであるかは人々によって違いましょう。江戸の人に言わせると、「俳諧と蕎麦は江戸に限る」と芭蕉のいわ
ましょう。江戸の人に言わせると、「俳諧と蕎麦は江戸に限る」と芭蕉のいわれた通りで、俳諧はこっちのものだ、と
と、我々こそ芭蕉の正統を継いだ者であって、江戸の俳諧は外道である、というような事を言うて威張る。もし今の
第二は談林時代です。この時代は江戸でも文学勃興の機運が向いて来たので、大分盛になってい
いました。現に『談林十百韻』というのは江戸で出来た位で、談林の本家本元は江戸だか京だか大阪だか
いうのは江戸で出来た位で、談林の本家本元は江戸だか京だか大阪だか分らぬ程の事です。しかしこの時代は長い
、この時代を造った本尊の芭蕉は京ともつかず江戸ともつかずで、真中にふらふらとして居る。去年は江戸でくらした
もつかずで、真中にふらふらとして居る。去年は江戸でくらしたから今年は京でくらそうというような事で、意地公事なしに
分っている。芭蕉がこういう風に立ち働いたために、江戸にも京にも名人が出たというても宜しいが、また一方よりいう
したのでありましょう。この時代の俳人といえば、江戸には其角という大たて者があって、句もうまいが、弟子も多く
弟子も多く、著書もしたたかあるという訳で、一人で江戸を背負って立つという勢です。次に嵐雪にも相応の弟子があって
腕こきのしたたか者です。それですから京と近江と合併して江戸に当るとすれば、誠に恰好な取組であって、勝負は互角であろう
寂寞時代とも申すべき時代であります。しかしそれでも江戸には『五色墨』だの何だのと多少の俳人はありました。
時代に京が全勝を占めたと反対に、享保時代は江戸が全勝を占めています。
種を蒔いて置いた位です。その怪力にかなう者は江戸にも地方にも固よりあるはずがない。その上にまだ太祇という名人も
でもうっかりすると土俵から押し出されそうなのですから、江戸にも何処にも、蕪村の外に敵はありはしない。この二人が
に闌更というふんどしかつぎがおります。この男も江戸にいたら大関といって関脇と下らぬのでありますが、それが京
ですから、その優勢な事は思いやられるです。そうして江戸の方はというと、蓼太、白雄らが門戸を張ってやって居るの
しかしここに一言して置きたいのは、蕪村も太祇も江戸で修業して京で成就したのである、という事です。
ひっくるめていうのです。この時代の初の方には、江戸では白雄、蓼太の門弟があって、その外に成美などもいる。京
、梅室などいうくだらぬ奴がいるのだから、これは江戸の方が勝です。
右のような次第で、京と江戸とは時代によりて一勝一敗があるのだから、全体の上で
見ると、京の俳句界は不規則に断続していて、江戸のはいつも盛に継続している。殊に太祇、蕪村などは京の台木へ
継続している。殊に太祇、蕪村などは京の台木へ江戸の椄穂を椄いだというのであるから、江戸を全く蹈み倒す訳
へ江戸の椄穂を椄いだというのであるから、江戸を全く蹈み倒す訳にも行かず、先ず無勝負として置くが善かろう
今までは京と江戸の俳人の比較をして見たのですが、今度は京と江戸の俳風
の比較をして見たのですが、今度は京と江戸の俳風の比較をして見たいと思うのです。この俳風の比較という
京と江戸の俳風を比較するには、先ず初に、大体の上に京風、江戸風
して置きます。私の考では京には京風、江戸には江戸風という特色があって、京の俳句は、何時の時代で
人とは大変に違うて居るようであるが、それを江戸の人のに比べると、江戸の句とは大変に違うて、かえって甲と
ようであるが、それを江戸の人のに比べると、江戸の句とは大変に違うて、かえって甲と乙とに何処か似よりを
感ずる、その似よりが即ち京風なのです。江戸風の江戸におけるも同じ訳であります。しからばその京風と江戸風はどういう工合
で、江戸風は強いです。京の句はうつくしくて、江戸の句は渋いです。京のは濃厚で、江戸のは淡泊です。京が
て、江戸の句は渋いです。京のは濃厚で、江戸のは淡泊です。京がおとなしくて、江戸は気が利いています。京
は濃厚で、江戸のは淡泊です。京がおとなしくて、江戸は気が利いています。京はすらりとして居るが、江戸は曲りくねっ
が利いています。京はすらりとして居るが、江戸は曲りくねって居るです。これほど並べていうたならば、読者は、直に
、江戸言葉の比較とも変りません。京の山水、江戸の山水の比較とも変りません。「阿呆言いなはれ」というは京の
の俳調であって、「何だ此畜生」というは江戸の俳調です。三十六峰が庭先や檐端にうねくっていて、嵐山が松
があって、富士と筑波が左右に見えるというのは江戸の俳想であります。公卿が衣冠をつけて牛車で参内するというのは
の槍をふらせて駕籠で登城するというのは、江戸の俳趣を現して居るのです。京の俳句と江戸の俳句とは、たしか
先ず元禄から始めますと、京の去来、江戸の其角というはいずれも極端に京と江戸を代表して居るようです。
の去来、江戸の其角というはいずれも極端に京と江戸を代表して居るようです。
も軽口にひょうきんに出掛けます。これは其角の本領で江戸風の骨髄であります。
江戸は騒々しいです。
その代り気が利く方からいうと、江戸の方が気が利いて居るでしょう。
十分に分りませんが、沢山見れば見るほど、京と江戸との区別は善く分って来ます。勿論去来集中に江戸風の句もあり
ますけれど、全体の上でどうしても京は京、江戸は江戸と区別が立っていますから、到底争う事は出来ません。その
、全体の上でどうしても京は京、江戸は江戸と区別が立っていますから、到底争う事は出来ません。その証拠に
。そのわけは前にも言いましたように、蕪村は江戸でしこんで江戸の代物を京に持って往たのですから、いわば蕪村は
前にも言いましたように、蕪村は江戸でしこんで江戸の代物を京に持って往たのですから、いわば蕪村は京と江戸と
京に持って往たのですから、いわば蕪村は京と江戸と両方の長所を取って大成したのであります。芭蕉は京と江戸
を取って大成したのであります。芭蕉は京と江戸と両方にぶらついていました位で、芭蕉の句には種々の変化が
しても上方の分子が多いのです。しかし蕪村は長く江戸にいたために、巧に両元素を調和しております。もっとも蕪村に
して、いつも平和の気象がある。この平和の気象が江戸の句には極めて少いです。けれども蕪村が純粋の京風でない事は、
ように綺麗にやろうとしたものです。これに対して江戸の方では白雄を挙げても善いのですが、蓼太、白雄などいうと
を挙げても善いのですが、蓼太、白雄などいうと江戸でもいくらか京がまじって来ていますから、ここには特に挙ぐる
しかし京の蒼※と江戸の道彦との比較は、両方とも極端に走っていて面白いから、少し並べ
江戸の方は趣向もひねくっていますが、言葉もひねくっています。
ばならぬようですが、もっとも月並調が京から来て江戸に広がったというではないでしょう。江戸の人も太平が続いたために
京から来て江戸に広がったというではないでしょう。江戸の人も太平が続いたために元気が失せて、京のようなやさしい気分
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ようになりましたのに、昔からの都であった京都に何もないというは不釣合な事であるから、『種ふくべ
京都から『種ふくべ』という俳諧の雑誌を出すから、私にも何