墨汁一滴 / 正岡子規
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は水に臨む高楼の欄干にもたれて居るか、または三条か四条辺の橋の欄干にもたれて居るか、別にくはしい事を聞く
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と有之候、その湯婆につき思ひ当れるは、当地方にて銚子の事をタンポと申候事にてお銚子持つて来いをタンポ持つて来いと
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下り行く末の世にしてみちのくに孝の子ありと聞けばともしも
世の中のきたなき道はみちのくの岩手の関を越えずありきや
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知るべし。『小日本』と関係深くなりて後君は淡路町に下宿せしかば余は社よりの帰りがけに君の下宿を訪ひ画談
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甲州の月の雫、伊勢の蛤、大阪の白味噌、大徳寺の法論味噌、薩摩の薩摩芋、北海道の林檎、熊本の飴、横須賀の水飴
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。ましてそのほかの事はいふもおろかなり。我郷里(伊予)にて幼き時に見覚えたる様はなほをかしき事多かり。その日になれば
沙魚、山形ののし梅、青森の林檎羊羹、越中の干柿、伊予の柚柑、備前の沙魚、伊予の緋の蕪及び絹皮ザボン、大阪のおこし
林檎羊羹、越中の干柿、伊予の柚柑、備前の沙魚、伊予の緋の蕪及び絹皮ザボン、大阪のおこし、京都の八橋煎餅、上州の
、大阪の奈良漬、駿州の蜜柑、仙台の鯛の粕漬、伊予の鯛の粕漬、神戸の牛のミソ漬、下総の雉、甲州の月の
十二月五日御野郡の路上にて伊予の山を見てよめる歌并短歌
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漱石が倫敦の場末の下宿屋にくすぶつて居ると、下宿屋の上さんが、お前トンネルと
として独逸語で演説した文学士なんかにくらべると倫敦の日本人はよほど不景気と見える。(五月二十三日)
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涼しい処で意外に善い。それにうまいものは食べるし丁度萩の盛りといふのだから愉快で愉快でたまらない。松林を徘徊したり野
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の白味噌、大徳寺の法論味噌、薩摩の薩摩芋、北海道の林檎、熊本の飴、横須賀の水飴、北海道の※、そのほかアメリカの蜜柑
の薩摩芋、北海道の林檎、熊本の飴、横須賀の水飴、北海道の※、そのほかアメリカの蜜柑とかいふはいと珍しき者なりき。(
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会を催して栗飯の腹を鼓する楽、道灌山に武蔵野の広きを眺めて崖端の茶店に柿をかじる楽。歩行の自由、坐臥
物魚をもくはえず、木の実をば噛みても痛む、武蔵野の甘菜辛菜を、粥汁にまぜても煮ねば、いや日けに
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元義の足跡は山陰山陽四国の外に出でず。京にも上りし事なしといふ。
余の郷里四国などにても東京種の大根を植ゑる者がある。もし味の上からいへば
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以て出発し西航の途に上らんとす。余は横浜の埠頭場まで見送つてハンケチを振つて別を惜む事も出来ず、はた
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大井川朝風寒み大丈夫と念ひてありし吾ぞはなひる
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魚、土佐のザボン及び柑類、越後の鮭の粕漬、足柄の唐黍餅、五十鈴川の沙魚、山形ののし梅、青森の林檎羊羹、越中の
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茶屋に俳句会を催して栗飯の腹を鼓する楽、道灌山に武蔵野の広きを眺めて崖端の茶店に柿をかじる楽。歩行の自由
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の蛤、大阪の白味噌、大徳寺の法論味噌、薩摩の薩摩芋、北海道の林檎、熊本の飴、横須賀の水飴、北海道の※、その
(略)菩薩薩摩の薩は字原薛なり博愛堂『集古印譜』に薩摩国印は薛……
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頃漱石の内をおとづれた。漱石の内は牛込の喜久井町で田圃からは一丁か二丁しかへだたつてゐない処で
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敷寐して初夢をうらなふ事我郷里のみならず関西一般に同様なるべし。東京にては一月二日の夜に宝船を売りありく
休ませある故春になりてそを打ち返すものなれど、関西にては稲を刈りたる後の田は水を乾して畑となし麦などを
あれどそは夏にして春にあらず、それ故関西の者には春季に田を打つといふ事かへつて合点行かず、何と
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鴨山の滝津白浪さにつらふをとめと二人見れど飽かぬかも
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名古屋を境界線としてこれより以東以北の地は毎朝飯をたいて味噌汁をこし
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高倉山のしだ 一
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したのだ。余は漱石と二人田圃を散歩して早稲田から関口の方へ往たが大方六月頃の事であつたらう、そこらの
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○神田の歳の市に死傷あり。大阪の十日夷に死傷あり。大学第二医院の火事に死傷あり。
貧厨をにぎはしたる諸国の名物は何々ぞ。大阪の天王寺蕪、函館の赤蕪、秋田のはたはた魚、土佐のザボン及び柑類、
、備前の沙魚、伊予の緋の蕪及び絹皮ザボン、大阪のおこし、京都の八橋煎餅、上州の干饂飩、野州の葱、三河の魚
野州の葱、三河の魚煎餅、石見の鮎の卵、大阪の奈良漬、駿州の蜜柑、仙台の鯛の粕漬、伊予の鯛の粕漬、神戸
、下総の雉、甲州の月の雫、伊勢の蛤、大阪の白味噌、大徳寺の法論味噌、薩摩の薩摩芋、北海道の林檎、熊本
、京都の人の投書は四、五十句より多からず。大阪の人の用紙には大阪紙と称ふるきめ粗き紙多く、能代(羽後
大阪の雑誌『宝船』第一号に、蘆陰舎百堂なる者が三世夜半
知人に配るとすれば風流の若旦那たるを失はず。もし大阪の俳人月兎物もあらうに己が新婚の句をわざわざ活版屋の小僧に拾
でもあらうがかへつて細しく書いた者を見ぬ。大阪にも十日夷、住吉の田植などいふ事がある。奈良に薪能が今
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○朝汐負け、荒岩負け、源氏山負く。
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衰弱甚だしかりしがある日勇を鼓して郊外半里ばかりの石手寺を見まひぬ。その時本堂の縁に腰かけて休みつつその傍に落ちあり
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雑誌『みのむし』は伊賀より出づる俳諧の雑誌なり。表紙に芭蕪の葉を画けるにその画拙くして
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一冊とを携へたまま飄然と下宿を出て向島の木母寺へ往た。この境内に一軒の茶店があつて、そこの上さんは
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ぶること吾が根岸のみかは、抱一が句に「山茶花や根岸はおなじ垣つゞき」また「さゞん花や根岸たづぬる革ふばこ」また一種
根岸に移りてこのかた、殊に病の牀にうち臥してこのかた、年々春の暮より
見ると、その時迎へに往たのは自分であるが根岸の道は曲りくねつて居るのでとうとう家が分らないで引つ返して
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。一昨年の初夏なりけん君カンヴアスを負ふて渋川に行き赤城山を写す。二十余日を経て五尺ばかりの大幅見事に出来上りたるつもりにて得々と
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(この時年卅六、七)四方に流寓し後遂に上道郡大多羅村の路傍に倒死せり。こは明治五、六年の事にし
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事しばしばあり。一昨年の初夏なりけん君カンヴアスを負ふて渋川に行き赤城山を写す。二十余日を経て五尺ばかりの大幅見事に出来上りたる
とせんとならば更に一週の日子を費して再び渋川に往けと。君は浅井氏よりの帰途余の病牀を訪はれしがその
なり。何ぞ計らんその翌日君は再びカンヴアスを抱へて渋川に到り十分に画き直して一週間の後帰京せり。余は今更に君が
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五十にて四谷を見たり花の春
といふのがあるから嵐雪も五十で初めて四谷を見たのかも知れない。これも四十位になる東京の女に余
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大徳寺の法論味噌、薩摩の薩摩芋、北海道の林檎、熊本の飴、横須賀の水飴、北海道の※、そのほかアメリカの蜜柑とかいふ
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の蜜柑、仙台の鯛の粕漬、伊予の鯛の粕漬、神戸の牛のミソ漬、下総の雉、甲州の月の雫、伊勢の蛤
などあり。適中したる事多し。前年神戸病院を退きて故郷に保養しつつありし際衰弱甚だしかりしがある日
とこれも、牛肉は少しも悪い事はないのみならず神戸牛と来たら世界の牛の中で第一等の美味であるのだ
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、石見の鮎の卵、大阪の奈良漬、駿州の蜜柑、仙台の鯛の粕漬、伊予の鯛の粕漬、神戸の牛のミソ漬、下総
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、伊予の緋の蕪及び絹皮ザボン、大阪のおこし、京都の八橋煎餅、上州の干饂飩、野州の葱、三河の魚煎餅、石見
書けり。出雲の人は無暗に多く作る癖ありて、京都の人の投書は四、五十句より多からず。大阪の人の用紙に
ねど、試に中央東京の地についていはんに(京都も大差なかるべし)立春(二月四日頃)後半月位は寒気強く
は後にはその地の人にも珍しくなるであらう。京都の壬生念仏や牛祭の記は見た事もあるがそれも我々の
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、足柄の唐黍餅、五十鈴川の沙魚、山形ののし梅、青森の林檎羊羹、越中の干柿、伊予の柚柑、備前の沙魚、伊予の緋
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の鮭の粕漬、足柄の唐黍餅、五十鈴川の沙魚、山形ののし梅、青森の林檎羊羹、越中の干柿、伊予の柚柑、備前の沙魚
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の名物は何々ぞ。大阪の天王寺蕪、函館の赤蕪、秋田のはたはた魚、土佐のザボン及び柑類、越後の鮭の粕漬、足柄の
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時、平賀元義なる名は昨年の夏羽生某によりて岡山の新聞紙上に現されぬ、しかれどもこの時世に紹介せられしは
羽生某の記する所に拠るに元義は岡山藩中老池田勘解由の臣平尾新兵衛長治の子、壮年にして沖津氏の
元義の岡山を去りたるは人を斬りしためなりともいひ不平のためなりとも
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句風以外の特色をいはんか、鳥取の俳人は皆四方太流の書体巧なるに反して、取手(下総)辺
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或人苔を封じ来るこは奈良春日神社石燈籠の苔なりと
藤なみの花をし見れば奈良のみかど京のみかどの昔こひしも
にも十日夷、住吉の田植などいふ事がある。奈良に薪能が今でもあるなら是非見て来て書いてもらひたい。
俳星』に虚明の「お水取」といふ文があつて奈良の二月堂の水取の事が細しく書いてある。余はこれを
しは如何に愉快なりしぞ。金州より帰りて後同年秋奈良に遊び西大寺に行く。この寺にて余の坐り居たる傍に二枚折
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板垣伯岐阜遭難の際は名言を吐いて生き残られたので少し間の悪い所が
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先づ四、五枚の下画を示されたるを見るに水戸弘道館等の画にて二寸位の小き物なれど筆力勁健にし
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○神田の歳の市に死傷あり。大阪の十日夷に死傷あり。大学第二医院
俳句欄にのるべき俳句と共に封じて、使して神田に持ちやらしむ。
神田より使帰る。命じ置きたる鮭のカン詰を持ち帰る。こはなるべく歯に障ら
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なふ事我郷里のみならず関西一般に同様なるべし。東京にては一月二日の夜に宝船を売りありくこそ心得ね。しかしこれ
て朝湯に出かけるなどといふのは堕落の極である。東京の銭湯は余り熱いから少しぬるくしたら善からうとも思ふたがいつそ銭湯
旧例に依るを可とすべきか。(西洋の規定は東京よりはやや寒き地方より出でし規定に非るか)(三月九日
八日頃)後半月位の間に盛なり。故に東京の気候を以ていはんには立春も立夏も立秋も立冬も十五日宛
のはてと同様に論ずべきにあらねど、試に中央東京の地についていはんに(京都も大差なかるべし)立春(二月四
東京鳴球氏より郵送せられし子規先生の写真及び蕪村忌の写真が届き
を車に載せ自ら引きて二百里の道を東京まで上り東京見物を母にさせけるとなん。事新聞に出でて今の美談と
孝子何がし母を車に載せ自ら引きて二百里の道を東京まで上り東京見物を母にさせけるとなん。事新聞に出でて今
竹の先に輪をつけて臭い泥溝をつついてアカイコ(東京でボーフラ)を取つては金魚の餌に売るといふ商売に至つては実
を用ゐ半ば旧暦を用ゐ居るもあり。この際に当りて東京に従はんか地方に従はんかは新旧暦いづれが全国の大部分を占め居るか
の如きものにして東京は全く新暦を用ゐ居れど地方にては全く旧暦に従ひ居るもあり、
つかみ出したりする様は思ひ出して見るほど面白い。しかし田舎も段々東京化するから仕方がない。(五月二十八日)
は東京に住んだ年の方が多くなつたので大分東京じみて来て田舎の事を忘れたが、なるほど考へて見ると田舎に
ある話でよほど面白い。自分も田舎に住んだ年よりは東京に住んだ年の方が多くなつたので大分東京じみて来て田舎
魚の料理を為し得ざるを見て驚いた、けれども東京では魚屋が魚の料理をする事になつて居るからそれで済んで
これは子供の事ではないが余は東京に来て東京の女が魚の料理を為し得ざるを見て驚いた、けれども東京
原因であらう、これは子供の事ではないが余は東京に来て東京の女が魚の料理を為し得ざるを見て驚いた
は種々な原因もあらうが総ての事が発達して居る東京の事であるから百事それぞれの機関が備つて居て、田舎のやう
は東京の小学校で子供を教へて居る人の話に、東京の子供は田舎の子供に比べると見聞の広い事は非常な者である
今は東京の小学校で子供を教へて居る人の話に、東京の子供は田舎の
いふ事になるとかへつて田舎の者に先鞭をつけられ東京ツ子はむなしくその後塵を望む事が多い。一得一失。(五月二十九
て居る。かういふ風であるから大人に成つて後東京の者は愛嬌があつてつき合ひやすくて何事にもさかしく気がきい
。これらも実に善く都鄙の特色をあらはして居る。東京の子は活溌でおてんばで陽気な事を好み田舎の子は陰気でおとなしく
とか体操とかいふ課をいやがるくせがあるに東京の子供は唱歌体操などを好む傾きがある、といふ事であつた。
東京に生れた女で四十にも成つて浅草の観音様を知らんといふ
を見たのかも知れない。これも四十位になる東京の女に余が筍の話をしたらその女は驚いて、筍が
帰り直にその句の特色を模倣してむしろ剽窃して東京の新聞雑誌に投じまたは地方の新聞雑誌に投じただその後れん事を
東京にすばしこき俳人あり。運座の席に出て先輩の句に注意しまた
ば土地固有の大根の方が甘味が多いのであるけれど東京大根は二倍大の大きさがあるから経済的なのであらう。
余の郷里四国などにても東京種の大根を植ゑる者がある。もし味の上からいへば土地固有の
東京中の鼠を百万匹として毎日一万匹宛捕るとすれば百日にて
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行く楽、紅燈緑酒美人の膝を枕にする楽、目黒の茶屋に俳句会を催して栗飯の腹を鼓する楽、道灌山に
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人形が沢山並んでゐる、その中にはお多福も大黒も恵比寿も福助も裸子も招き猫もあつて皆笑顔をつくつてゐる。こんなつまら
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上野は花盛学校の運動会は日ごと絶えざるこの頃の庵の眺
松杉や花の上野の後側
ほとゝぎす声も聞かぬは来馴れたる上野の松につかずなりけん
明治二十七年の秋上野に例の美術協会の絵画展覧会あり、不折君と共に往きて観る。
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去年の春亀戸に藤を見しことを今藤を見て思ひいでつも
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東京に生れた女で四十にも成つて浅草の観音様を知らんといふのがある。嵐雪の句に
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『心の花』に大塚氏の日本服の美術的価値といふ演説筆記がある。この中に西洋
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と手帳一冊とを携へたまま飄然と下宿を出て向島の木母寺へ往た。この境内に一軒の茶店があつて、そこ
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て一、二泊して余も共に帰京した。大宮に居た間が十日ばかりで試験の準備は少しも出来なかつた
ないから今度は国から特別養生費を支出してもらふて大宮の公園へ出掛けた。万松楼といふ宿屋へ往てここに泊つて見
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この年の暮には余は駒込に一軒の家を借りてただ一人で住んで居た。極めて閑静な
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しく書いた者を見ぬ。大阪にも十日夷、住吉の田植などいふ事がある。奈良に薪能が今でもあるなら是非見