病牀六尺 / 正岡子規
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○今朝起きると一封の手紙を受取つた。それは本郷の某氏より来たので余は知らぬ人である。その手紙は大略左
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洲が贈つてくれたのである。小金井の桜、隅田の月夜、田子の浦の浪、百花園の萩、何でも奥深く立体的に見えるの
四十尾に及びたりといふ。非常の大漁なり。昨また隅田の下流に釣して沙魚五十尾を獲、同伴のもの皆十尾前後を
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は斯様な言葉を用ゐたのである。余の郷里(伊予)なぞにては余の幼き頃までなほ「オヌシ」または「ソチ」など
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芝居の早変りといふ事は幾らか能の道成寺などから思ひついたかも知らぬが、しかしこれも先づ芝居の発明といふ
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小金井の桜、隅田の月夜、田子の浦の浪、百花園の萩、何でも奥深く立体的に見えるので、ほかの人は子供だましだといふか
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てくれたのである。小金井の桜、隅田の月夜、田子の浦の浪、百花園の萩、何でも奥深く立体的に見えるので、ほかの
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、或人はこれを駁して文鳳の絵は俗気があつて南岳には及ばぬといふたさうな。余は南岳の絵はこれよりほかに
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ても昔から京都の方が美しい重々しい方に傾いて、江戸の方は一ひねくりひねくつたやうなのが多い。蕪村の句には牡丹
ではあるが、松葉牡丹位の趣味が存して居る。江戸の方は其角嵐雪の句でも白雄一派の句でも仮令いくらかの
は慥に七草に違ひない。かかる気の利いた贈物は江戸では昔からあつたものと見える。
はまた頭抜けた大立者であるが当人は大阪を嫌ふたか江戸と京で一生の大部分を送つた。近時新派の俳句なる者行はるるに至つ
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歌や句に詠むべきにあらざれども、例せば富士山の如き極めて普通なる名所は、いまだこれを見ざるもあるいは人の語る所を
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一、広重の東海道続絵といふのを見た所がその中に何処にも一羽も鳥
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○ある人のいふ所に依ると九段の靖国神社の庭園は社殿に向つて右の方が西洋風を摸したので檜葉の
ない。二十年ほど前に余が始めて東京へ来て靖国神社を一見した時の感じを思ひ起して見ると、ほかの物は少しも眼
愉快に感ずる人がきつと多いであらうと思ふ。それ故にもし靖国神社の庭園を造り変へるといふ事があつたら、いつそ西洋風に造り変へたら善
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をきかして古洲が贈つてくれたのである。小金井の桜、隅田の月夜、田子の浦の浪、百花園の萩、何でも奥深く
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○余ら関西に生れたるものの目を以て関東の田舎を見るに万事において関東
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ので、少しも賛をしただけの妙はない。祇園の夜桜といふやうな景色を画いた麁画の上に、前にいふた「
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一、名古屋の料理通に聞くと、東京の料理は甘過ぎるといふ。もつとも東京
過ぎるといふ。もつとも東京の料理屋に使ふのと名古屋の料理屋に使ふのと、醤油がまるで違つてゐるさうな。
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○大阪の露石から文鳳の『帝都雅景一覧』を贈つてくれた。これは京
○大阪は昔から商売の地であつて文学の地でない。たまには蒹葭堂、
大江丸などであるがこれ位では三府の一たる大阪の産物としてはちともの足らぬ気がする。蕪村を大阪とすれば
産物としてはちともの足らぬ気がする。蕪村を大阪とすればこれはまた頭抜けた大立者であるが当人は大阪を嫌ふたか江戸
大阪とすればこれはまた頭抜けた大立者であるが当人は大阪を嫌ふたか江戸と京で一生の大部分を送つた。近時新派の俳句なる
の如き真面目に俳句を研究する者が出たのも、大阪に取つては異数のやうに思はれる。しかのみならず更に一団の少年俳家
大阪人の文章俳句が跋扈して居るのを見るごとに大阪のためにその全盛を賀して居る。しかるにこの少年の一団を見渡すにいづれ
しつつある才の進路を止めてしまふ事になる、また大阪に取つても前古未曾有の盛運に向はんとするのをこれぎりで挫折し
(木)大阪の博覧会場内へ植ゑつけた並木は宮内省から貰ひ受けた何やらの
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○余が病気保養のために須磨に居る時、「この上になほ憂き事の積れかし限りある身の
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であつた。「夜店出したる」といへばただ客観的に京極の夜店を見て紙帳売の出て居た事を傍から認めたまでで
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筑波山は山しげ山しげけれど思ひ入るにはさはらざりけり
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○甲州の吉田から二、三里遠くへ這入つた処に何とかいふ小村がある
一、やまめ(川魚)三尾は甲州の一五坊より
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一、丸の内の楠公の像
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この句を評して「柿食ふて居れば鐘鳴る法隆寺」とは何故いはれなかつたであらうと書いてある。これは尤の説
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歩行いて居つたといふ事がわかる。しかもその酢売は和泉の国と名乗り、薑売は山城の国と名乗つて居る処を見ると、これら
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とある。院々といふのは叡山か三井寺かのやうな感じがするけれど、それでは京の月といふ
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○余ら関西に生れたるものの目を以て関東の田舎を見るに万事において関東の進歩遅きを見る。ただ関東の方
の目を以て関東の田舎を見るに万事において関東の進歩遅きを見る。ただ関東の方著く勝れりと思ふもの二あり。曰く
を見るに万事において関東の進歩遅きを見る。ただ関東の方著く勝れりと思ふもの二あり。曰く醤油。曰く味噌。
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鶯も老て根岸の祭かな
欧羅巴へ行く人の許へ根岸の笹の雪を贈りて
鳥屋の屋根に大きな雄鶏の突立つた看板がある。それから根岸へ来ると三島前の美術床屋には剥製の白鷺が石膏の半身像と共
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教科書に石川雅望の書きたる文を載せたるに、その文は両国の四ツ目屋といふいかがはしき店の記事にてありしため俄かに世間の物議を
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置き古し見古した蓑、笠、伊達正宗の額、向島百花園晩秋の景の水画、雪の林の水画、酔桃館蔵沢の
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一、上野の動物園の駝鳥は一羽死んださうな。その肉を喰ふて見たらば鴫
○上野の動物園にいつて見ると(今は知らぬが)前には虎の檻の
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居るのであらうか、俳句でいふて見ても昔から京都の方が美しい重々しい方に傾いて、江戸の方は一ひねくりひねくつた
が多いのには比べものにならん。しかし文鳳の方は京都の名所に限られて居るだけにその画景が小さいから、今少し宏大
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郷里松山の南の郊外には池が多きといふ話。池の名は丸池、
が、大体は似て居るかと思はれる。わが郷里予州松山では、梟が「フルツク、ホーソ」となけば雨が降る「ノリツケ、
一、先日の『日本』に伊予松山からの通信として梟が「トシヨリコイ」と鳴くと書いてあつたが
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○種竹山人長崎より一封を寄せ来る。開き見れば詩あり。
○長崎にては昔から支那料理の事を「シツポク」といふげな。何故と
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の中のへげ残りが襖に貼られて居る。四方太が大津から買ふて来た奉書摺のものである。今あるのは猿が瓢箪
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鳶を鋳たさうな、これは記念の碑として仙台に建てるのであるさうながこれ位な大きなフキ物は珍しいと言ふ事
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一、奈良物店に奈良団扇売出しの事
一、奈良物店に奈良団扇売出しの事
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名が世界に広まると共に、日本の正宗の瓶詰が巴里の食卓の上に並べられる日が来ぬとも限らぬ。しかしわれわれ下戸
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(火)福岡の衛戍病院は三十余年前に床の下に入れて置いた地雷火
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は上方の方に発達して、淡泊な方の趣味は東京に発達して居るのであらうか、俳句でいふて見ても昔から
から東京へ来るのが普通になつて居る。さうして東京の方を本として居るのは、常磐津、清元の類ひである
のぢやさうな。このほかに義太夫といふやつも上方から東京へ来るのが普通になつて居る。さうして東京の方を本と
牡丹は多く上方から苗が来るので、寒牡丹だけは東京から上方の方へ輸出するのぢやさうな。このほかに義太夫といふやつ
○東京の牡丹は多く上方から苗が来るので、寒牡丹だけは東京から上方
限りて再度釣れることなど。ドンコは川に住む小魚にて、東京にては何とかハゼといふ。
一昨年以来全く出来なくなりて、ずんずんと変つて行く東京の有様は僅かに新聞で読み、来る人に聞くばかりのことで、何
練りたるもの、などを用ゐる。さすがは都の産れだけに東京の鯉は贅沢になつてこんなに様々な御馳走を貪るのであらうか。
東京の釣堀なぞでは主に鯉を釣るのであるが、さてその餌とす
一、この頃東京美術学校で三間ほどの大きさの鳶を鋳たさうな、これは記念
をいぢめるよりも、むしろ牛乳屋を保護してやつて、東京の市民に今より二、三倍の牛乳飲用者が出来るやうにして
○警視庁は衛生のためといふ理由を以て、東京の牛乳屋に牛舎の改築または移転を命じたさうな。そんなことを
から割り出した一種の趣味ある庭園ともなるのである。東京人の癖として、公園は上野のやうなのに限るといふ人
といふ事はない。二十年ほど前に余が始めて東京へ来て靖国神社を一見した時の感じを思ひ起して見ると、ほか
聞くと、東京の料理は甘過ぎるといふ。もつとも東京の料理屋に使ふのと名古屋の料理屋に使ふのと、醤油がまるで
一、名古屋の料理通に聞くと、東京の料理は甘過ぎるといふ。もつとも東京の料理屋に使ふのと
東京の料理はひたすらに砂糖的甘味の強きを貴ぶ。これ東京人士の婦女子に似て柔弱なる所以なり。
一、東京の料理はひたすらに砂糖的甘味の強きを貴ぶ。これ東京人士の婦女子
一、東京の料理はすまし汁の色白きを貴んで色の黒きを嫌ふ。故
し、そのほか多く上総戸と称する粗末なる雨戸となして東京へ出す事
一、杉の上等なるものは電信電話の柱として東京へ輸出し、そのほか多く上総戸と称する粗末なる雨戸となして東京へ
にて一日八、九枚より十四、五枚を造る、東京へ持ち出しての相場は今一円に三枚か三枚半との事
一、雨戸を東京へ出すまでに左の七人の手を経る事
六、停車場運送店 七、東京木材問屋
一、くぬ木は炭となして佐倉へ出す、東京にてサクラ炭といふはこのくぬ木炭なるべき事
ぬものはこれを炭となす、下等の炭なり、しかし東京の鍛冶屋は一般にこれを用ゐる事
ない。実際一桶の藍を流したので、これは東京では知らぬが田舎の紺屋にはよくある事である。
あるとしても、自分が好きな十句を作つて東京諸俳友の評を乞ひその各評の悪口を臆面もなく雑誌へ出し
○雑誌『ホトトギス』第五巻第十号東京俳句界の中に
○この頃東京の新聞に職業案内といふ一項を設けたのは至極便利な事で
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居つて誠にすまんが、実は小提灯ぶらさげの品川行時代を追懐して今日の君を床上に見るのは余にとつ
に吹かれながら田圃路をたどつて品川に出た。品川は過日の火災で町は大半焼かれ、殊に仮宅を構へて妓楼が
で春まだ寒き夜風に吹かれながら田圃路をたどつて品川に出た。品川は過日の火災で町は大半焼かれ、殊に仮宅を
はどう行きますか、といふ問に、品川ですか、品川はこのさきを左へ曲つてまた右に曲つて……其処まで私
姐さん品川へはどう行きますか、といふ問に、品川ですか、品川はこのさきを左へ曲つてまた右に曲つて…
的小提灯を点じて我々を送つて出た。姐さん品川へはどう行きますか、といふ問に、品川ですか、品川はこの
た。それから暫くの間雑談に耽つてゐたが、品川の方へ廻つて帰らう、遠くなければ歩いて行かうぢやないか、と
四方太品川に船して一網にマルタ十二尾を獲、しかも網を外れて船に
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たところが、桜はまだ咲かず、引きかへして目黒の牡丹亭とかいふに這入り込み、足を伸ばしてしよんぼりとし
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を並べる道楽者、古洲に誘はれて一日の日曜を大宮公園に遊ばうと行て見たところが、桜はまだ咲かず、引きか
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一、浅草水族館
一、浅草花屋敷の狒々及び獺
が広重の如く極端なるものはほかにない。例へば浅草の観音の門にある大提灯を非常に大きくかいて、本堂は向ふの
下等な団扇が一つある。この団扇の画は浮世絵で浅草の凌雲閣が画いてあるので、勿論見るに足らぬものとして
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同じ本に亀戸神社の画があるが、これは鳥居と社とばかりであつてその傍
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て、それからよそへ転居するのであらうか、または上野に居るけれども鳴かなくなるのであらうか、物知りに教へてもらひたい
頃になると何時も鳴かなくなつてしまふ。して見ると上野には秋の半ばまで棲んでゐて、それからよそへ転居するので
、月が涼しく照して気持のよい風に吹かれながら上野の森をやつて来ると、音楽学校の後ろあたりへ来た時に必ず
をよく鳴くものであるか、余の経験によると、上野の森では毎年春の末より秋の半ばへかけて必ず梟が鳴く
一、上野の動物園の駝鳥は一羽死んださうな。その肉を喰ふて見たら
一、上野の入口へ来ると三層楼の棟の所に雁が浮彫にしてある
やうなのに限るといふ人が多いけれども、必ずしも上野が公園の模範とすべきものであるとは定められない。日比谷の公園
なるのである。東京人の癖として、公園は上野のやうなのに限るといふ人が多いけれども、必ずしも上野が公園
○上野の動物園にいつて見ると(今は知らぬが)前には虎の
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置き古し見古した蓑、笠、伊達正宗の額、向島百花園晩秋の景の水画、雪の林の水画、酔桃館
に舌を打ち鳴らしたる夕餉の膳おしやりあへぬほどに、向島より一鉢の草花持ち来ぬ。緑の広葉うち並びし間より七、
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蝿取撫子、これは二、三日前、家の者が堀切へ往て取つて帰つたもので、今は床の間の花活に活け
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公園の模範とすべきものであるとは定められない。日比谷の公園なども広い芝生を造つて広ツパ的公園としても善い