泡鳴五部作 02 毒薬を飲む女 / 岩野泡鳴
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宇田川町で電車を下り、御成門の方へ一直線に急ぎ、またの電車線を横切つ
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、もう、公園の一部で、烏が澤山集まるので、烏山と名の付いた森が見える。この森と家の建つてる側との間
烏山にからすががア/\云つてる聲にまじつて、櫻の咲いてゐる
てゐられない用があつたので、何げなく、烏山へ登つて見ようと云ふ氣を起した。毎日、毎日、障子をあけさへ
義雄はこれを見て、あの烏山でかの女が縊死しかけた時のありさまを思ひ合はせ、如何に憎い
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湖月であると云ふ日の晝過ぎであつた。渠が本郷の耳科醫院へ行つた歸りに、中の町の中通りを耳ばかり氣に
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葬式の掛り員として、義雄等が人力車を列ねて青山に向ふ途中のことであつた。靜子が妹と一緒に九段行きに乘
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まにか、渠は、仙臺の耶蘇教學校にある時、松島へ行つて度々獨禪をしたことや、中學教師をしてゐる時、毎
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に纏ひ付いたすべての面倒を早く振り切つて、早く樺太の事業に對する計畫に直進したくなつた。
千代子の言葉に據れば、一昨日、重吉も樺太から歸つて來て義雄に會ひたいと云つてるさうだ。
「知れたことだ、今度の樺太の事業の爲めにやア、家どころか、家族やおれ自身をも犧牲に
「樺太の事業だつて、成功するか、しないか、分るものぢやアない――きのふ
られるので、たうとう大膽になつてしまつた。樺太から事業上の電報などがいつやつて來るかも知れず、また新聞雜誌の
考へ付いた。それに、やがては自分も事業上一時は樺太へ出向かなければならないので、かの女をどこかへ――金錢上
?」じツと、また、瞰むやうにして、「樺太のことと云うたら、――何でも自分のことは――火の付く
「欲しけりやアやるよ、僕が樺太へ行つちまやア。」實際、義雄はその金を空鑵材料に換
なくなつたのでせう。」かう云つて、渠は樺太に於ける事業に對する誇りを私かに胸に踊らせた。
今や義雄には樺太の事業に全心全力を注ぐのがそのいのちである。早く、もツと金
しまふのだと、義雄は思つた――その時期は、樺太へ出發する時で、その後は、こちらに治療の責任ある例の病氣その他
つてから、近所の牛乳屋へ新聞を讀みに行つた。樺太のカラの字だけにでも注意を集めるやうになつてゐる渠は、或
てよく知つてゐた。が、渠がいよ/\樺太へ出發する折は、そのお鳥を預かつて呉れないかと頼んで見た
原稿を書き終つたし、また或新聞社へ行つて、樺太からあちらの通信をすることを引き受ける相談をも整へた。
電報を、入院中だと云ふ弟をもはげますつもりで、樺太へ打つたのは、六月の一日であつた。そしてお鳥へは渠
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で、佐久間町の辯護士なる友人を久し振りで尋ね、玉突やら晩餐やらを一緒にして
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、東京に殘つてゐる重吉の女房に問ひ合はせると、北海道の方をまはつてゐると云ふのであつた。義雄はまだ鑵詰の事業
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で、愛宕の塔下へ訪ねて行つたが、生憎、大野は留守であつた。細君
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並み以上に引き去らないのだと説明した。その上、牛込の病院に行けないので、一方の痛みも亦大變ぶり返して來た
いやうになつた。依つて、あすからでも、また牛込の病院へゆこか?」
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は芝の我善坊から、毎夜のやうに、電車もなかつた丸の内の寂しい道をてく/\歩いて、江戸川のほとりまで通つた。そして
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轉じて四谷へ行き、或婦人の獨身者を訪問した。この婦人は渠を冷かし半分
が確かに渠の心を占領したのは、渠が四谷見付けを這入り、麹町八丁目近くまで歩いた頃であつた。
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中學教師をしてゐる時、毎土曜日から日曜日にかけて比叡山へ登り、いろんな經文を調べたことなどを思ひ出してゐた。すると、自分
からの遊び仲間であつて、自分の尊敬してゐた比叡山の僧で、十五年も山中の行をしたものが、行を終へ
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、枕もとに出齒庖丁もあつた。その翌晩は船が大阪にとまる順番であつた。そしてその翌々晩に、歸つて來て、渠は
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かの女は小石川の方で、人の二階を借り、自炊をしながら、晝は小學の
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であつたので、その餘勢で麻布箪笥町の通りを赤坂の新町まで古道具屋や夜店などをひやかして歩き、古物の火鉢を約束したり
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「八丁堀の電車通りの裏手ぢや。」
渠がまた八丁堀へ行つた時は、もうお鳥は例の六疊敷をかたづけて、角
渠の精神はからだ中に顫へあがつた。そして八丁堀の堀端を歸る時氣になつたかの女の最後の一言が、今や
一つ振つてから、それを放した。そして、「あの八丁堀の家は、おれの云つた通り、きツとよすだらう、ね、加集に
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それを坊さんになりたいのだと思つて、何なら増上寺の管長へも紹介しようと云つた、あの世間知らずの、然し柔和な和尚
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ことだ。第二は去年の夏、義雄に伴はれて甲州へ行つて、初めて温泉のお客さまとなつたことだ。そして第三が、乃ち、この
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その頃、義雄は、芝公園に接する或片側道の粗末な二軒長屋の一方の二階へ、お
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中たがひをしたのを仲裁する爲め、大野を日比谷公園の松本樓に待たせて置いて、靜子をそこへつれて行つたの
數寄屋橋から日比谷公園に至る道で、女どもの後ろに追ツ付いたが、靜子が昂奮
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教式であつた。が、第三子の時は、滋賀縣の大津で無式で濟ませた。その次ぎが今囘のだが、渠と
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「深川の叔父さんが、あす、わたしを引き取つて行くさうですよ」と
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重吉からの返事は來ず、東京に殘つてゐる重吉の女房に問ひ合はせると、北海道の方をまはつ
「芝の慈惠病院の隣りの東京病院へ直ぐ來て下さいとおツしやつて、お歸りになりました
東京病院の受け附けに驅けつけて聽くと、赤ん坊は既に息を引取
「東京にやア、人は多くゐるから、ね。」
舍の中學教師にもなつた。文學專念の爲めに、東京の場末で貧乏な暮しをつづけたこともある。子供は六人も出來
ツといい人に引ツかからうと云ふ野心から、東京へ出たのだ。そして碌でもない炭屋の亭主――義雄の家
た、「これは蟹の方ぢやアごわせん――どこか東京近在の註文です。」
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。株屋の番頭がゐる。工學士の中里がゐる。麹町の詩人がゐる。琴の師匠の笛村がゐる。漫畫で知られる樣
から/\笑ひも、それと好一對になつてゐる麹町の詩人の羅漢笑ひと云はれるのに壓倒された。
立つた人々よりも一時代あとの若手連が二三名、麹町の詩人と共に付いて來た、が、中の町の隱れ家へ
も知れない。或は、また、先月の龍土會の歸りに麹町の詩人がそばまで來たから、あの男から大體の見當を聽いて
「ぢやア、麹町で聽いたのだらうよ。」
行くらしい。原田へ度々行くのは勿論のこと、もう、麹町の詩人へも行つた樣子だ。
思ひ出すと、かの麹町の詩人が我善坊の家へ遊びに來た時、千代子はこちらのゐる前
そりやア、然し、男子のことだから」と、かう麹町が答へたので、
を占領したのは、渠が四谷見付けを這入り、麹町八丁目近くまで歩いた頃であつた。
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と、お鳥はきツと障子のそばへ行つた。そして御成門の電車停留所の方から傾斜をのぼつて來る男があると、どの
神田から御成門までの切符代が無かつたのか、惜しまれたのかして、
宇田川町で電車を下り、御成門の方へ一直線に急ぎ、またの電車線を横切つて、自分がきのふ
渠はこの坂を向うへ越える氣になれないで、再び御成門の方へ引ツ返した。
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「出來ますとも! 巣鴨へでも、どこへでも、つれてゆきさへすりやアいいのです
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義雄の家の筋向うだ――にくツ付いて見たり、神田にゐる國のものだと云ふ人の、そしてちよツと同居した家
神田から御成門までの切符代が無かつたのか、惜しまれたのかし
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溝板の横町を通り拔け、木挽橋を渡り、竹川町で品川行きの電車に乘つた。多少すツとして輕い氣持ちになつ
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新橋停車場前の或休憇所に車を降り、荷物をそこに預けて置いて
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二日の正午頃、お鳥だけが義雄を上野へ見送りに來た。かの女は、手切れの用意とはその時夢に
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のだ――に紹介して置くと云つて、義雄を京橋へつれて行つた。