泡鳴五部作 01 発展 / 岩野泡鳴

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地名一覧

愛宕山

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移るまで行つてゐた代用小學が、海路部の前から愛宕山と芝公園との間を登つて西の久保廣町へ下りたところにあつた

博多

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\と出て行つたあとで紺がすりの襟を正したり、博多の帶の結びを眞ツ直ぐに直したりした。

江戸

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大木や、枝のはびこつた松や、大きな椿や、江戸自慢といふ太い櫻やの影が追ひかぶさつてゐる上に、十數年

長岡

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とまでしたあの女が、やがては雪も降らうと云ふ長岡へ、老いて痩せた母を呼び寄せ、下女同樣にこき使つて、安軍吏

本郷

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たし、また東京へ歸つてからも、芝から下谷、本郷から麹町、麻布から赤坂と、何度引ツ越したか分りやアしない。

「本郷へは行きやアしまい、ね?」

原田の家から、毎日、義雄は本郷の耳科病院へ、お鳥は赤阪見附けの醫者へかよつた。

鶴見

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は、鎌倉より近いところで濟めば濟ませようとして、鶴見までの切符を買つた。そこへ降りて見ると思つたやうなところで

、若い家族は三番息子の潔の外皆その郷里や鶴見へ行つてゐるので、親戚からお政と云ふのを頼んで來て臺どころ

樺太

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ので、ふと氣が付いたのは、日本の極北、樺太で、鑵詰技師をしてゐるいとこのことである。あれを使つて、

もう、あの重吉が歸つて來さうなものだ、ね、樺太から。」

家を賣り飛ばして、おれが資本その物となつて、樺太へ行つてやる。」

佐久間町

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しようかと考へて行くうち、足はいつもの通り渠を佐久間町の友人の家へ運んで行つた。

ロンドン

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て坐わり直し、きのふ丸善から買つて來た外國雜誌、ロンドンのザレ※ウオヴレ※ウズを机の上から取つて、その中の挿し畫

九州

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今一つは九州の或炭鑛の無煙炭を、茨木無煙よりもずツと安く、東京並びにその

北海道

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「お父さんと北海道に行つてた時、さ。――小學校の往き戻りに徒らする男の子があつ

かう云ひながら、渠はかの女が北海道の或町で、金貨しの父と共に、藝者屋の間に育つた

直らなかつたら打ち殺すぞとか、おこられてもいいから北海道の兄を呼び寄せて強談するとか、頻りにいろいろな恨み言を云つてゐた

「叔母さん」と呼かけて北海道からいつもよこす姪のハガキが一つふえただけで、それには「うちの

。これは義雄には耳新らしい事實で、紀州の兄、北海道の兄の外に、今一人行き方の知れない兄があることが分つた

おやぢは北海道へ行つて金貸しをしてゐたが、紀州へ歸つて死んだこと。紀州

こと。紀州の兄は醫者であること。お鳥自身は北海道にゐた時柔術を習つたこと、東京へ來て矢板裁縫に學んだこと

今、北海道にゐると云ふ方の兄のことでも、何を職業にしてゐるか

八幡山

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三四間出ると、我善坊の通りだ。ここは仙石屋敷と八幡山との間に挾まれ、細長い而かも鬱陶しい谷のやうなところだ。が

は、自家の後ろの山のおほ檜の木や、八幡山の樹木やに反映する午後の暑い日光をスコツチの鳥打ち帽の上から浴びて、

、餘り暑苦しいやうなことはない。東の縁がはから見える八幡山の樹木から漏れる光りが、隣りの庭から突き出た二三葉の芭蕉のひろ葉

箪笥町

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てそこを出た。毎日のやうにとほつた谷町から箪笥町の通りや、箪笥町と今井町との間の市兵衞町へあがるだら/\坂や

。毎日のやうにとほつた谷町から箪笥町の通りや、箪笥町と今井町との間の市兵衞町へあがるだら/\坂や、我善坊の細い通り

牛込

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は今回、毎日山王下まで歩いて行つて、そこから電車で牛込の逢阪下なる某婦人科病院へ通ふことになつた。この病氣には歩い

琴平町

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も段々森閑として來た。例の美人娘がゐる琴平町の蕎麥屋へ行つて、二人でまた失つた醉ひを取りもどし、そこで義雄

氷川町

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谷町から福吉町と今井町との間をあがり、氷川町を勝伯の邸前から神社前の阪下に出で、その通りを直ぐ左りへ

八幡宮

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急いで八幡宮を見せたついでに、義雄はその近處に借家してゐると知つた友人の

大阪

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、「望みの竹生島も見せてやつたし、京都、大阪、須磨や奈良へも連れてツてやつたぢやないか?」

「大阪から行きます。午後の十時頃に大阪を出發しますと、加太、和歌山

「大阪から行きます。午後の十時頃に大阪を出發しますと、加太、和歌山などは夜のうちに通つて明くる日のお

「さア、どうですか? 神戸や大阪からは隨分來るやうですが――」

鎌倉

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に行つてるから、あなたも成るべく早く入らツしやい。鎌倉へでも行つて、ゆツくりあとの相談は致しましよう。」

實は、鎌倉より近いところで濟めば濟ませようとして、鶴見までの切符を買つた

で汽車を待つてゐた間の話だが、そこから鎌倉へ着した時はゆふ方であつた。

へ來た時も案外平氣であつた。道寄りをしながら鎌倉の宿へ着いたまでの間にも、殆ど恥しさうな樣子は見せな

つた若い女を、渠はさう容易く棄てたくもない。まして鎌倉の夜の、他に人がゐなくなつた二階で、

理由で別れたのかを聽かうとした。が、鎌倉の途中でちよツと二三言、口をすべらしたと同じことばかりを繰り返して

「鎌倉から歸つて見たら――けれど、返事をやらなんだ。」かう云つて、お

神奈川

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義雄はかう云つて、女を今度は電車に乘せ、神奈川でおろした。

須磨

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望みの竹生島も見せてやつたし、京都、大阪、須磨や奈良へも連れてツてやつたぢやないか?」

小石川

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の詩人が來て新派小説家の創作を論じ合つたり、小石川の當時賣り出した小説家が來て、碁の勝負を爭つたり、辯護

ないと思ふのだが――」これは義雄の胸に小石川の小説家を説いて見ようと思つてゐるのである。

に出す原稿を頼みがてら、その新聞の社員になつてゐる小石川の小説家田島秋夢がやつて來た時、義雄は既にお鳥の話を

耳科醫へ行つたついでに、義雄は小石川へまはり、秋夢のところで、お鳥との關係が詰らないことになつ

赤坂

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歸つてからも、芝から下谷、本郷から麹町、麻布から赤坂と、何度引ツ越したか分りやアしない。そのたんび何か物は

麻布の谷町を拔け、氷川神社のそばをとほつて、赤坂の臺町へたま/\やつてきた時、息子がやうやく起き出でて楊枝を使

氷川神社

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からせか/\と歩いて、麻布の谷町を拔け、氷川神社のそばをとほつて、赤坂の臺町へたま/\やつてきた時、

たのは、赤阪の仲の町の裏通りで、丁度、氷川神社の森の後ろに當つてゐた。

それは今井町から登つて、氷川神社の裏手を通る、晝でも薄暗い道で――神社の森には、昔

今井町

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のやうにとほつた谷町から箪笥町の通りや、箪笥町と今井町との間の市兵衞町へあがるだら/\坂や、我善坊の細い通りも、

谷町から福吉町と今井町との間をあがり、氷川町を勝伯の邸前から神社前の阪下に出で

それは今井町から登つて、氷川神社の裏手を通る、晝でも薄暗い道で――神社

甲州

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立て換へてやつた分はどうするんでい!」甲州生れの氣の荒い村松は、目に角をたてて、かう浴びせかけてから、

もう、暮れて行く甲州の山々――冨士のいただきが先づ隱れる。その手前の一列が隱れる。

海老屋と云ふ温泉の裏二階で、甲州の一名物たるひどい濕つた風に時々ランプの光を取られかけるので

「さう、さ――ぐづ/\してたら、甲州では直ぐ秋だと皆が云ふてた、さ。」

きのふから僕等の室に障子まではまつたのです。甲州の氣候と云ふ失敬な變人が、何だか、もう僕にも早く

に當つて、かちやんと毀われたのを見て、この甲州といふ冷淡なかたきに復讐をしてやつたかのやうに氣持ちよく感じた

話し相手になつて來たのだ。が、今度義雄が甲州からの歸りを先づここへ行つて見ると、お鳥は何よりもさきに

芝公園

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で、自分の家から芝公園を通り拔けたところにあつた音樂倶樂部の演劇研究部に、

禪の帶を締め、藍地の絹張り蝙蝠傘をさし翳して、芝公園の中へ散歩に行き、氷水や氷汁粉をやつて來たりした。

が通じたと云ふいい氣持ちを味はひながら、電車を芝公園の御成門で下りると、向ふから海軍水路部の前を、弟の馨が

行つてゐた代用小學が、海路部の前から愛宕山と芝公園との間を登つて西の久保廣町へ下りたところにあつた。

「芝公園でなけりやア、山王さんの森かと思つて、探してゐるが

奈良

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竹生島も見せてやつたし、京都、大阪、須磨や奈良へも連れてツてやつたぢやないか?」

京都

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して、「望みの竹生島も見せてやつたし、京都、大阪、須磨や奈良へも連れてツてやつたぢやないか?」

下谷

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て行つたし、また東京へ歸つてからも、芝から下谷、本郷から麹町、麻布から赤坂と、何度引ツ越したか分りやア

がらせる爲めにわざと誇張した譬へで、實は東京の下谷から保養に來てゐる或會社の職工がしらだとか云つてる人だ

かつた疑ひに包まれた。「お鳥はあの足で下谷の職工がしらを尋ねて行きやアしなかつたか知らん?」

和歌山

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午後の十時頃に大阪を出發しますと、加太、和歌山などは夜のうちに通つて明くる日のお晝頃着きます。」

神戸

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「さア、どうですか? 神戸や大阪からは隨分來るやうですが――」

甲府

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右の後ろ手からは甲府の方へ走る山がぼうツとあたまが見えないおほ牛の脊の

持ち、とう/\米噛みのあたりまで脹れた。汽車で甲府の病院まで行つて濕布をして貰つたが、醫者は細君がある

外出と云つては、甲府へ行つたこと位で、殆んど全く自分の室に引ツ込み通しで來

も亦怪しいものだと義雄等が云つてゐるうちに、甲府の醫者に違ひないと云はれる男がやつて來た。

なら、暫らく遠ざけてゐなければなりませんぞ」と、甲府の病院で云はれた忠告を思ひ出し、自分の左りの耳は繃帶を

前橋

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「一週間ばかり前橋へ行つて來ます。」

馨が前橋へ出かけて行くのは、繼母に取つて、優しい庭鳥の羽含み

の袖を胸で合はせながら、「一週間ばかり、前橋へ行つて來るから兄さんによろしく云つといて呉れいツて云ひ置いて行きまし

麹町

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、また東京へ歸つてからも、芝から下谷、本郷から麹町、麻布から赤坂と、何度引ツ越したか分りやアしない。その

たまには、それでも麹町の詩人が來て新派小説家の創作を論じ合つたり、小石川の當時賣り

鳥は通りがかりの車に自分と行李とを乘せて、麹町の永田町へと云つて我善坊を出たが、途中から方向を轉じさせて

東京

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に、滋賀縣までも一緒に附いて行つたし、また東京へ歸つてからも、芝から下谷、本郷から麹町、麻布から赤坂と、

「東京へ來ると、」なか/\ませたやうな聲で、「田邊などは

「東京のやうに生活の急がしいところぢやア、女でも、餘ほど運動しなけり

「どうです、東京の方が紀州などよりやアいいでしよう」などと云ふ問題外の話しを

家族を相州の茅ヶ崎へ家を借りて放ちやり、自分は東京での瞑想や仕事に疲れ切ると、そこへ逃げて行つて、松ばやし

今晩は珍らしく日本酒が一本膳にのぼつた。義雄は東京から佛欄西の最も強い酒なるアブサントを仕込んで來て、そればかりを

いと合點した。同時に、かの女の眞似る東京振りはすべてそのアクセントがかみがた的なのを冷かすつもりで、「醉う

成るほどかう佛蘭西風に發音すれば、同じ言葉でも東京の男子が英語風に用ゐる力點、乃ち、アクセントは變はつて、如何に

に女優になつて呉れろと頼んだり、吉彌の母を東京から呼び寄せて、私かにあと始末の相談をしたり、あやふやな女よりも

でもあふ向けにだらり延ばして向ふを向き、「早う東京へ歸りたい――歸りたい!」

をいやがらせる爲めにわざと誇張した譬へで、實は東京の下谷から保養に來てゐる或會社の職工がしらだとか云つてる

なく、原稿はもう直きに書き終はるが、それを東京に送つて、金が來るまでは歸れないと、渠は答へた。「

看板に何か出世が出來るとして、實際、再び東京へ出て來たのかと思ふと、いつかもさうしたこころもちに

にせず、單行本にするつもりであつた。で、東京出發前にちよツとその意を通じて置いた出版屋へかけ合つて

にあひま/\に書いた雜誌向きの短篇も、既に東京へ郵送されてゐるが、ぐれ違ひのない爲め、なほ二三の小

その意味は義雄によく分つてゐた――かの女は東京にゐた時も同じだが、自身を人に見られて、ハイカラさん

があるかも知れないと云ふおそろしい評判との爲めに、東京ばかりを戀しがつた。で、來さへすれば歸れるのだと思つて

かう云ふことも歌つてみた。お鳥やら、東京やら、著書の出版やら、待遠しい原稿料やら、かの女に對する疑念やら、宿屋

「まだ東京は暑い、ね」と云ひながら、二階へ行つて見ると、お鳥

「うちのお父さんはどこへ行きましたのでしようか、東京で見當りませんか」と書いてあつた。これは義雄には耳

それで尻も輕く、素性を隱せる東京へ出て來て、人並みの出世を望むのだらう――?

お鳥自身は北海道にゐた時柔術を習つたこと、東京へ來て矢板裁縫に學んだこと、國へ歸つて裁縫の代用教員に

或炭鑛の無煙炭を、茨木無煙よりもずツと安く、東京並びにその附近までも持つて來られることが分つてゐるので、その

の乳を飮ませるのはよくないからと勸めて、東京近在の里ツ子にやつたのを、この頃、千代子が取り返して毛

神田

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「まア、明日からでも探して見ましよう――神田にも國の人が來てをりますので。」

口を探して呉れと頼んださうだ。又その翌日、神田の同國人夫婦のところへ行き、身の上話しやら何かで、一日

お鳥は神田から二三度夜遲く歸つて來ることがあつた。そのうちの二晩

に蔭ながら代りの花やかさを殘したをんな客も、神田の方へ行つてしまつたので、渠はます/\陰欝な日を

神田へ轉宿する前にも、お鳥と義雄とはよく縁がはで出くわし

「今度歸つて來たのは、神田の方の奧さんが燒き餅を燒き出したのださうで――どう

「今」と、矢張り下を向いたまま、「神田の人に奔走を頼んであります。」

「えい――神田の方とかも、ただいいところがある、あると云ふだけで、そんな

ゐればいいと云ふ覺悟を持つてゐるなら――そして神田の同郷人や炭屋の主人を胡魔化し損ねたのが事實であつたとすれ

新橋

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かう話がきまつて、二人は新橋の方へ向いて高架鐵道の下をぬけ、烏森の意氣な圓い

しましよう――僕は直ぐ晝飯を濟ませて、新橋ステーションの二等待合室に行つてるから、あなたも成るべく早く入らツしやい

新橋の二等待合室のシートに腰を落して、義雄が讀み殘してあつ

新橋の停車場へ來た時も案外平氣であつた。道寄りをしながら鎌倉の

が、時々無聊を感ずると、獨りで行く待合が一つ新橋にある。別に藝者を呼んで騷ぐのでもなく、いつも、その

永田町

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通りがかりの車に自分と行李とを乘せて、麹町の永田町へと云つて我善坊を出たが、途中から方向を轉じさせて、義雄

八王子

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八王子へ來て、武藏野の廣く開らけた野づらを見た時、渠は、

日本橋

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雜誌になら出さないこともなからう」と、渠は自分で日本橋通りへ行き、現代小説の主筆に相談して見た。初めは矢張りし

上野

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、靜子をモデルにして大きな油繪を書いたのが上野の展覽會で多少の評判になつた時のことだ。靜子も晝家

御成門

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と云ふいい氣持ちを味はひながら、電車を芝公園の御成門で下りると、向ふから海軍水路部の前を、弟の馨がいそ/