春永話 / 折口信夫

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地名一覧

大阪

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の末、大正の初年頃、京の顔見世と言へば、大阪からも見に行く風がはやり出した。ある年の顔見世に、口上の幕

に、芝居の長者らしい品格を置いてゐた。まことに大阪の芝居錦絵――その物は、美しさの真の準拠とはならぬが

が――をそのまゝの顔姿であつた。だから大阪の錦絵の持つよさ――と言ふより醜さ――が、そのまゝ彼

ことを思ふと、其一生に理会がつく。我当は大阪の低い知識の導くまゝに、大和桜井から一里も奥の城島村まで行つ

ある。だけだと言へば、其までゝあるが、我々大阪で若い時を過した者にとつては、だけだではすまないものが

東京

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役変替を言ひ出したことから、我童狂死、我童びいきの東京の車屋が下阪して、右団治をつけねらつて居ると言つた

南座の三浦介の舞台でたふれた。――さう東京へは聞えて来た――役者の上を特に想望しての歌と

、記憶といふ程には残つてゐない。其後東京へ移つて、稍久しくなつた頃、――南座の三浦介の舞台

列つた人だが、あの人一代だけは、どうも東京歌舞妓のよさが、喰ひこんで来て居る。あの人の作や評

て居られるのではないかと思つた事である。東京でもさうだが、上方でもはつきり、座頭と脇役者とでは

へ、先々代家橘――先代羽左衛門父――を失つた東京劇壇では、彼の上に其幻影を感じて、其身替りに据ゑ